- 2023年05月21日
- 日記
妄想映画日記 その153
5月前半の樋口泰人による「妄想映画日記」です。3月より続くメニエルのためギリギリの体調で出演したリム・カーワイ監督特集上映のトーク、エクスネ・ケディのライヴの準備など。名古屋シネマテーク閉館の知らせも届くなか、湯浅湾のライヴで心も体も自由になれたようです。
朝8時に寝たからと言って脳は覚醒中なわけだから(4月30日の日記参照)ぐっすり眠れるわけはない。亡くなってからついに初めて、青山が夢の中に登場した。というか現実の関係者が出てくるような夢をわたしはほとんど見ないので、知り合いが出てくるだけでびっくりするのだが、でもまあ単にいつものようにばか話をしただけだった。
11時に目覚め、4月末に振り込み忘れた支払い分などを支払うが、映画の宣伝会議に向かう地下鉄車内でもさらなる支払い忘れが判明する。最近はほとんどがメールで送られてくる請求書をその場でちゃんとプリントアウトしておけばこういうことはないのだが。整理下手、管理下手がもどかしい。
しかし本当に映画の宣伝は難しい。この映画を観てもらうためにいったい何を伝えたらいいのか、映画が伝えようとしていることを伝えるだけではだめなのか、思いは乱れる。宣伝チームに無理を言ってしまう。途中、中原の経過がだいぶいい、という知らせが入る。もう4か月になる。
その後来週台湾に行く友人に侯孝賢のDVDを何枚か渡した。
5月2日(火)
体が休め休めと言っている。言い張り新年宣言から1か月経ったが体調は果たしてよくなったのか悪くなったのかよくわからない。不安が身体を重くする。吉祥寺での打ち合わせにも微妙に遅刻してしまったがまあそれはいつものことである。吉祥寺に行くのは何か月ぶりか。微妙な変化を感じるがそれはニュースにもなっている「コロナ明け」ということなのか。いずれにしてもGW込みでの華やいだ気分は皮膜の向こう側の出来事でぼんやりするばかりである。とはいえせっかく吉祥寺に来たのだからという「バナナマンのせっかくグルメ!!」みたいな感じでディスクユニオンへ。手前のノイズ・アヴァンギャルド・コーナーでder Plan, SPRUNG AUS DEN WOLKEN, COSEY FANNI TUTTIを見つけてしまい、買わざるを得なくなる。CHROMEの『Red Exposure』のビカビカに光る豪華再発盤も売られていて思わず手に取ったが7,000円越えの値段だったのですぐに諦めた。


帰宅後、気が付いたら体調悪くなり、耳もだめ、胃腸も苦しい。これで今後を乗り切れるか不安になるが、ツイッター上に流れてきたこれを観て元気を取り戻す。次のエクスネのライヴのときは清岡くんにここまでやってもらえたらと思う。
5月3日(水)
昨日買ったコージーのアルバムは昨年リリースされたもので、イギリスの電子音楽家デリア・ダービシャーについての映画『Delia Derbyshire: The Myths and the Legendary Tapes』のサントラとして作られたものの全貌ということになるのだそうだ。ああ、ダービシャーはまともに聴いてないなと思い調べ始めるといろいろ出てくる。この映画も観たい。大金持ちだったら権利を買って上映するのだが。好きな人はおそらくもうディスクを手に入れてみてしまっているのだろうが、一部の選ばれた人たちだけが海外盤を買ってひそかな楽しみにしてしまうのは、ますます社会を閉塞させる。無茶な形でいいから国内上映する方法はないものか。もちろん儲かることはないだろうから、補助援助は絶対に必要なのだが。
映画のオリジナルのサイトはこちら。
5月4日(木)
街に出ると絶対に調子悪くなるのはわかっているもののじっとしていても体調は治らないということで散歩。これくらいの天候だと気分もいいのだが、左耳はなかなか思うに任せずまっすぐ歩けない。まっすぐ歩くためにそれなりの緊張感を強いるわけだから、まだまだご機嫌さんにはなれないし胃腸も弱る。昼寝もした。
5月5日(金)
気分すぐれず明け方に目が覚め、それ以降は寝たり起きたり。いろいろあきらめた。
5月6日(土)
風は強かったが気持ちのいい日で普通ならどこかに出かけてみようと思うところ、体調は一向に思わしくなく少しの散歩で終わった。少しは回復の気配。
5月7日(日)
雨模様で起き上がれず、朝食が13時になりそれだけで落ち込むのだが、結局何もできなかったGWということでそれはそれでよし。夕方からは福岡で行われているリム・カーワイ特集のトークにオンライン参加。元気で金があったら福岡まで行っていたはずだがオンラインゆえこのひどい体調でもなんとか対応できた。『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』の上映後のトークである。リムくんの初長編で10年以上前の作品だが、これを今まで観逃していたことに愕然とするくらいの面白さ。リムくんはトークの中で「自伝的な要素もある」というようなことを語っていたが、その個人的な出来事が気が付くと世界中を巻き込み時間を混乱させ、われわれが安心して生きているこの足元を果てしなく曖昧なものにしていく。いや、この映画全体に仕掛けられたフィクションがそれら小さな出来事の反復とずれと持続と切断に意味を与え、そのことによって仕掛けられた説明不能のフィクションの存在が確かなものとなり、故に我々の生きるこの世界の不安定さが更に浮かび上がると言ったらいいか。世界とわれわれ自身とが日々生まれ直しているという確かな感覚が生まれる。トニー・スコットの『デジャヴュ』の世界の中でわれわれはいかに生きるのかと、映画はそんなことを問いかけつつ人々の行動と彼らが生きるその世界の姿をひたすら見つめ続けるのである。
なんとこの作品は日本では10回くらいしか上映されてこなかったとのこと。本来なら今からでも遅くないからbodeでロードショーをと名乗りを上げるところ、今の気力と体力ではスタートラインにすらつけないので、9月のYCAM爆音で上映をという話をする。
5月8日(月)
猛烈に具合悪いまま事務所で書類整理&連絡多数で夜になりさらに具合悪いままなので江藤淳を読んだ。
「現代社会で作家が機能化されるのが必然の勢いであってみれば、作家は後退するよりむしろ空転しているレンズに自分からとびついて、それを自分の「存在」と結びついた「眼」にしなければならないだろう。」
(江藤淳全集第4巻『海賊の唄』)
これは、それまでの小説の基準には当てはまらない形で結びついた作家と世界を見つめる「眼」が作り上げた日本の私小説の変態的な世界がそれ故に閉塞してしまったときに、「眼」を作家から切り離して現実をとらえるための「機能」に限定していった、という話の流れの中に出てくる一文である。文学史的なとらえ方は脇において、この文章の物理的な側面だけを想像すると、主観カメラで撮るかハリウッド的なマルチ・カメラで撮るかみたいな話にも結び付けられるのかと思ったのだが、さらにその上で、「作家は後退するよりむしろ空転しているレンズに自分からとびついて、それを自分の「存在」と結びついた「眼」にしなければならないだろう。」と言われると、いやこれは『リバイアサン』(監督:ルーシァン・キャステーヌ=テイラー、ヴェレナ・パラヴェル)のゴープロのことを言ってるんじゃないかとか思い始め大いに盛り上がった。果たしてわれわれの視線はあれから何かを獲得したか。そんな視点から『空に住む』を観たら何が見えてくるか?
5月9日(火)
天候とともに気分もよくなりこれなら今後ももう少しやれると思い始めるのだが、1日のうちで元気でいられる時間はますます短くなっているので、仕事自体は確かに減ってはいるものの結局映画を観るような余裕はない。しかもわれわれのやっているような仕事は年々規模が小さくなるばかりなので労力と対価とのバランスは加速度的に悪くなっている。今後、boidを運営していくにはどうしたらいいか本当に悩ましいところだがそんなところに某所からいよいよ仕事を辞めるとの知らせが届く。わたしがこの仕事をするようになってもう40年くらい経つわけだから、さすがにいろんなことが変わる。辞めることは残念だし寂しいがそこからまた新しい動きが生まれればそれでいい。というか、いまここでもはや先はないと感じている人や会社はいったん辞めるといいとさえ思う。おそらくそういう時期なのだ。あるいは、辞めるまでいかなくてもサボタージュはやるべきである。これまでやってきたことから自由になる時期が来ている。
5月10日(水)
ちょっとあきれるような話を聞いて、やはり執着が強い人というのは確実にいるものだと改めて思う。そしてそういう人たちが生き残っていくのだろうとも思う。しかしこちらはさっさと諦めて別の道を歩むし別の道を歩んだ人たちの間で経済的に成立することを考えたい。そのことが強い人たちのやっていることの足元を蝕みなだれ落ちさせるきっかけになるかもしれない。まあそのための気力体力が必要にはなるのだが。
しかし具合が悪い。自分のことで精一杯である。ひとつひとつ対応しているつもりだがやはりいくつも漏れているし、特に映画を観ることにまったく関心が持てない。関心が持てないのではなく90分から120分じっとしたまま映画を観ている気力体力がない。今は仕方がない。もう少し休む。
5月11日(木)
明け方の緊急地震速報のおかげで寝たばかりというのにすっかり目覚めてしまい、調子悪く1日中苦しんだ。しかも午後からは雷。いろんなことへの耐性がなくなっている。
名古屋シネマテークの閉館がアナウンスされた。boidの配給作品はほぼシネマテークだったので衝撃は大きい。ジョー・ストラマーのドキュメンタリー『レッツ・ロック・アゲイン』だけは少しシネマテークにも儲けてもらったのではないかと思うが、それ以外は迷惑をかけっぱなしだったのではないかと思う。もどかしいばかりである。そしてわたしも疲労困憊だが、シネマテークも疲労困憊だったと思う。思いは膨らむばかり。しかしいったん閉じるのはいいと思う。80年代に高円寺のレンタルレコード店を閉じるときも、バウスのときも思ったのだが、閉じることは悪いことではない。もちろん、「今、バウスがあれば」とか、「今、あのレコード店があれば」と思うことはたびたびあるが、いずれにしてもそのままの形では無理だったのだ。別のやり方を考える。思いついたらやればいい。もう若くはないので、若者たちにやってもらえばいい。自分の考えや思いをどうやって社会に還元していくか。年寄りたちなりのやり方があると思う。シネマテークで育った人々が、自分の場所でそれぞれのシネマテークを作っていけばいい。
5月12日(金)
朝まで原稿を書いていたが、9時くらいに目覚めてしまい眠れなくなる。7月のエクスネ・ケディのライヴのためのチラシ原稿を仕上げる。エクスネの場合は設定が複雑なのでそれをどのように伝えるか見せるか、そしていかに面白がるか。迷った挙句、チラシも豪華版(といってもA4二つ折りにしただけだが)にする。もちろん面白がるには時間がかかるし、結局金もかかる。ライヴには相当な数の人たちが来てくれないと赤字になるわけだから、その不安をどうやり過ごしつつ前に進むか。課題は多い。こういったことを一緒に面白がってくれる大金持ちがいないかとよこしまな考えがふと頭をよぎる。
5月13日(土)
誕生日である。1年のうちでも誕生日の頃は大抵調子悪くいつもぐったりしているのだが、今年はもう最低であった。この1か月くらい、ただひたすら自分の体調のことばかり考えていたといってもいい。病院嫌いでなければさっさと病院に行っていたとは思うのだが。いずれにしてもこの年齢になるとあと何年生きられるのかという思いは強くなる。春先にガンを切除した我が家の白猫さまを見るたびに、どちらが長生きするかを考える。甫木元が『はだかのゆめ』のトークのときに、余命宣告されてからの母親の日常感覚の変化について繰り返し話すのだが、まるで自分の意識が自分から周りの自然の中に浸出していくような母親の感覚についてはよくわかる。もうすぐこの世界と一体になる、その準備が始まっているのだ。
とはいえ本日はまあまあ調子もよく、日本橋方面に出かけて日本進出を果たした台湾レストランにて誕生日ランチを。薄味で香辛料によって微妙な変化をつけるという台湾の料理はいつ食べても肌に合う。ちょうど昨日から台湾に行った友人たちからは嫌がらせ写真が次々に送られてきているのだが、ああもうちょっと体調良くなったらまずは台湾だと改めて思う。そんなわけで、少しは希望の持てる誕生日にはなったのだが耳鳴りはひどい。バケツが2重に頭から被せられている。明日の湯浅湾は果たして大丈夫か。
5月14日(日)
メニエル鬱はなかなかきつく、かろうじて起き上がった、という感じ。こうやっていつまで生きていられるのかと思う。しかし湯浅湾のリハの音を聴いただけで身体が充実してくるのがわかる。体の芯が入ったと言ったらいいか。この音がある限りは大丈夫、たとえ自分がどうなったとしてもその場で堂々と生きていけばよいという強く柔らかい肯定の波動をたっぷりと受け取ることになった。本番のケバブ・ジョンソンも同様でちょっとやんちゃで元気のいい肯定感が会場を満たす。湯浅さんが彼らとどうしてもやりたいと言って今回ブッキングしたのだが、ああこの音を湯浅さんはみんなに聴かせたかったのだ。最後にやった「揚子江」は70年代ソウルをさらに洗練させたようなリズムのリフレインが背筋を伸ばさせ、このままずっと聴き続けていたいという気持ちになった。シングル盤、買ってしまった。
湯浅湾のライヴは大地を耕すような野太いリズムの音と空気の小さな震えも見逃さず音に変えていくような繊細な音が絡まりあい、数々の歴史を振り返り現在を見つめ未来を呼び寄せる。ああ、今ここにいてこうやっていることの中にすべてがある、そんな気持ちにさせる。誰かのためでも自分のためでもなくただ生きる。ミミズのように猫のように豚のように生きる。その素晴らしさをたっぷりと受け取った。心も体も自由になった。
写真:塩田正幸
5月15日(月)