- 2023年05月08日
- 日記
妄想映画日記 その152
第152回目となる樋口泰人による「妄想映画日記」更新です。めまいが続く不調で気分も落ち込むなか、ボブ・ディランのライヴやシネクイントでのboidsound調整に行き、社長仕事と中原昌也facebook日記のチェック作業をする日々の日記です。
昨日の調子悪さを引きずったまま目覚めるがだいぶ楽にはなった。本日は妻が山梨のわたしの実家に母親の様子を見に行ったため、明日まで猫たちのお世話係である。とはいえ夕方からはボブ・ディラン。雷が鳴りしかし空は晴れているが雨は降るという謎の状況の中有明の会場に向かう頃にはだいぶ体調は回復していて約2時間ほぼ歌いっぱなしのライヴを堪能。曲を途中で変更したり不意にリズムを変えたりこれはもうこれを成立させるバックバンドすごいなというか、まさにライヴであると同時にありえない陽炎のようなステージだった。2階席からだとステージの上のバンドは小さくてもちろんボブ・ディランの姿もぼんやりとしか見えない。別人がそこにいても声さえ同じならまったくわからないというくらいなのだが演奏中は見れば見るほどそこにいるのは60年代から70年代の若き日のボブ・ディランではないかと思えてきてそういえばスマホだけでなく双眼鏡も禁止アナウンスが流れていたのはそのためだったのかとますますその確信が深まる。われわれは若き日のボブ・ディランがそのまま半世紀後にやってきたライヴを見ているのだ。いや、「半世紀後」という時間の感覚を飛び越えたボブ・ディランのライヴと言ったらいいか。『ローリング・サンダー・レビュー』に出てきた白塗りの男は時間を駆け巡り2023年にも顔を出したというわけだ。ステージ全体が陽炎のように見えたのは本当に陽炎がそこにあったからだ。歌はいつもそのようなものでしかもそれは確かな現実であることがステージ上から伝わってくるその音の波が会場をいつの時代かわからない場所へと変えていく。湯浅さんから電話が来なかったらこんなライヴを見に行くこともなかったなと感謝しつつ一緒に行った元バウスの西村さんと会場で合流したboid初代アルバイトの中根と駅に向かって歩いていたら肩をたたかれ振り返ると湯浅さんがいた。


4月17日(月)
湯浅さんから「名古屋行かない?」という悪魔の誘い電話がかかってくる。ボブ・ディランのライヴである。18日から20日までが名古屋で、今回の日本ツアーはそれで終了。昨日のライヴを見てしまうと今度は近い座席で観たいという欲望はむらむらと沸き上がり、名古屋の会場は東京の3分の1くらいだからどんなに遠くても昨日よりは近いはず、現実の人間と幽霊とが合体しながら揺らめいているあの感じが名古屋ではいったいどうなっているのかと完全にその気になるがしかしいったいいくらかかるのかというと、交通費宿泊費チケット代で5万円ちょっと。食事代とかもいれたら6万円である。湯浅さんは2回見たいとのことなので9万円から10万円。それくらいの小遣いを持てるようになりたいと思いつつもうご隠居の歳である。とりあえず少し冷静になってから、明日再度連絡しあうということで悪魔との会話は終わる。
その他各所への連絡の前にメールを見たら、今夜のシネクイントでのboidsound調整のことをすっかり忘れていて、今夜は大丈夫ですかというメールが来ていた。というわけでちょっと昼寝もした。昼食を食っている脇で白猫さまが豪快にゲロをして昼飯が台無しになったりもしてふたりの猫は主がわたしだけだと勝手やり放題で夕飯の時間になってもぐーすか寝ていてままならないことこの上なし。気が付いたらすでに歯医者の予約の時間で何十年も前に治した奥歯の根の治療。大昔に神経は抜き去っているので何をされても痛くはないが歯医者が何度も「痛くないですか」と尋ねてくるので相当深いところをいじっているのだろう。口の中の腫れは治まってきてはいるが、この治療で再度少し腫れるかもという予告をされる。早く楽になりたい。
夕食後、渋谷へ。深夜の仕事のときは出かけるときが一番つらい。このまま風呂に入って寝たいと体が訴える。それを振り切るのがね。でも、行ってしまえばこちらのもの。お楽しみ&ご機嫌タイムとなる。本日は『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』。公開前の特別上映で一度boidsound上映をしているので、今回はその確認と微調整を。欲張って少しボリュームを上げてもらう。ベースのあたりもさらに膨らませて、「抱きしめたい」のカバーの時など、バカでかいコンサートホールの音になり映像はアップが中心だから奇妙な空間が出来上がる。近いのに遠い。そして「アラジン・セイン」のときは音と映像のコラージュがこちらの頭と身体をかき乱し自分が自分の輪郭を超えて外へ外へとはみ出していく感覚を得る。体調悪いときついかも、というぎりぎりのところの境界線は常に体調の悪いわたしがよくわかっているつもりなのだが体調の悪さ故にさらにその限界値を越えようとする欲望も働いたりするわけだから信用はならない。帰り道、深夜のタクシー代がはっきりと値上がりしていた。
4月18日(火)
雨が降りそうで降らないさっぱりしない天気の日は耳の調子も悪い。頭からバケツをかぶされている感じで周囲のあらゆる音が頭の中で反響し駅のホームなどアナウンスや人々の声や電車の音やで拷問であるという話は以前も日記に書いたような記憶がある。ぼんやりしたまま事務所に行くのだが途中4月26日に何か用事があったことを思い出しカレンダーを見るものの何も記載なし。というか26日の件をカレンダーにメモしておかねばと思いつつ忘れていたことだけをはっきりと思いだす。事務所で皆さんに尋ねるも当然みなわからず。もやもやしたまま井手くんと打ち合わせをしてだいたい終わったところにメッセージが届き「もうみんな集まって飲んでますよ」と。『青山真治クロニクルズ』の打ち上げである。あれ、19時30分からではなかったかとカレンダーを見てもやはり19時30分からと記載あり、慌てて電話すると18時からだと言う。わけがわからない。カレンダーに記入したときにすでに間違えていたということなのか。でも記憶の中でも確かに19時30分なのだ。混乱しつつたどり着いた現地では春らしい美味しい料理をいただいた。1年がかりでみんながそれなりに力を出し切ってのこういう打ち上げは楽しい。わたしは体調不安もあり先に帰ったのだが皆さんはさらに次の店へと向かっていった。
帰宅後、4月26日は歯医者の予約をしただけなのだった、ということを思い出してがっくりする。
4月19日(水)
朝から体調すぐれず左耳がやばくてすべての予定をキャンセル。昼寝をして自宅作業しているところに牛久に行った友人から牛久大仏の写真が次々に送られてくるのだが、120メートルもあるのだという。いったいこんなものをだれが何のためにと思ったら東本願寺による建立だった。こういった大陸的というか宇宙的なでかさはわたしの感覚をはるかに超えている。そしてさらに大仏の向かいのアウトレットモールはアメリカの西海岸をイメージして作られているのだそうで、その仮想西海岸の隣に大仏という風景を想像するだけで途方に暮れる。自由の女神的な感じにも見えるのだろうか。いずれにしても世界は常に想定外の展開を見せるのだった。
4月20日(木)
ぐっすりと寝たものの耳鳴りめまいはぼんやりと続く。事務所で打ち合わせしているうちにどうも様子が変になってきて、打ち合わせ終わり遅い昼食を買出しに行こうとしたらまっすぐ歩けない。こういう時は無理やり歩く。じっとしていると余計悪くなる。とにかく昼食を買う。ドトールのミラノサンドが450円から480円くらいの値段設定になっていてびっくり。物価の上昇に伴って給料も上がる会社に勤めている人は何とか生きていけるだろうが、そうでない人たちは苦しいということがどんどんあからさまになってそれはみんなでそれぞれの生活を良くしようという風には向かわず単に断絶を生み競争だけが激しくなって生き残ったとしても苦しい。しかも欲望だけはその競争の中で刺激される。違う道を進むしかない。と思えるわれわれくらいの年代の人間の責任は重い。
4月21日(金)
昨夜は気が付くともう朝の5時であわてて寝たもののうまく寝付けず仕方ないので起きようかとしたらとたんに眠くなり気が付くと12時。すべての予定が台無しになるが、昨年のように眠れないよりましということで寝坊を堪能する。その分少しは頭も体も動くので結構な数の連絡をして今後の作業の段取りをした。しかし映画製作の仕上げは細かい作業が山ほどあって半端ではない。JASRACへの申請や原盤処理、エンドクレジットの仕上げなど、boid新入社員がてきぱきとこなしてくれているので本当に助かるが、これをわたしがやっていたらと思うとぞっとする。しかしようやくそれも終わりを迎えつつある。
夜は近所のイタリアンへ久々に行った。高田馬場には美味しいイタリアンレストランがいくつかあって、ここはわたしの一番のお気に入り。リーズナブルな値段でイタリアの地方料理が楽しめる。本日はキビナゴ、イイダコ、羊の内臓など。




4月22日(土)
昨夜のイタリアンで最後に飲んだエスプレッソが効いたのか、昼まで寝てしまったのが悪かったのかとにかく朝まで眠くならず。本日こそ起きようとしたのだがやはり気持ちと体が折り合わず寝てしまい、でも2時間くらいしか寝ていないだろうと思ってスマホを見るともう12時だった。まあ、土曜日である。朝昼兼の食事をしてからは某仕事のために映画を3本観た。閉じられた世界に生きる人々が作り出すいくつもの閉じられた世界とそれらを貫く視線が映し出す物語の数々。ああ自分ももっと自由になれるなと思った。先は長くはないがそれでも心はすでに時間と空間を超えている。
4月23日(日)
目覚めたとたんにめまい。昨日3本も映画を観たのが悪かった。目と耳をやられた。めまい止めを飲んで眠くならないうちに投票を済ませ、帰宅後ひっくり返る。その後は眠ったり起きたり。
4月24日(月)
昨日よりましだがまだ具合はよくならず。月曜日なので、各所連絡が多数。メールを見る元気もないが、急ぎの案件などがあるのでなんとかパソコンに向かうものの、返事をするたびにまたさらなるやり取りが始まって、とにかくやれるうちにやろうとするものだから全然終わらず夜にはもう勘弁してくださいと目をつむるばかりの無限地獄。ということで23時過ぎに、すべてをシャットダウン。
4月25日(火)
早く寝ると体は昼寝と勘違いするのかいつも1、2時間で目覚めてしまう。3時過ぎに目覚め6時過ぎまで眠れず悶々とするばかりで気づいたら眠っていてそれでも10時過ぎには目が覚めた。体調は少しましになってきたがまだ身動き取れず。とりあえずたまっている連絡を各所に。うまくいっていることとうまくいっていないことが混在するのは当たり前のことだがうまくいってないことに対する耐性がどんどんなくなっていてしなくてもいい心労ばかりが増えるのは我が家の血の問題かもしれないと母親を見るたびに思う。今後はご機嫌爺さんでという思いはありすぎるほどあるしある程度そうなってはいるもののうまくいかないことに関してはどんどん体も心も重くなるばかりである。しかしうまくいかないこととは何か。何をもって人はうまくいっていないと思うのか。
このところずっと中原が書いた昨年のフェイスブックの整理やチェック、校正をしていて延々と2022年の中原昌也を読み続けているのだがやはりここにも当たり前のようにうまくいっていることやいっていないことが連なる。大抵はうまくいかない。しかし読んでいるうちにそれが果たしてうまくいっていないのかどうかもよくわからなくなる。うまくいくいかないという想定された基準にのっとった判断ではなくその基準を足元からなし崩しにしてしまう欲望の深さなのか生きることの潔さなのかが顔を出しそれに一瞬触れるとき、世界がじわっと輝きだすのである。書かれたものだからそう思うのであって本人は本当に大変すぎなのだろうがそれも含めておそらく自分もまだ何か違うやり方ができると思わされる。背中を押される。
4月26日(水)
めまいは治まってきたので事務所に行き、月末を前にしての振り込み作業など。集中しているうちに具合悪くなりその後歯医者に行ってしばらく苦しんでいた口の中の腫れの原因だった奥歯の根っこの治療も終わり気分すっきりのはずがもやもやが増すばかり。こんな天気の日は仕方がない。誰とも連絡を取りたくなくなるとはいえ寂しいのでばかな話には乗るのだが大事な話を避けてばかな話に逃げていると自分の中の生真面目が顔を出しますますうつうつとなる。こんなときはすべて忘れて中原のフェイスブック日記に集中するしかない。しかし大抵わかっているつもりだがそれでも次々に知らない名前が出てきて時々このレコードは買いたいとか思って調べると10万円くらいするわけだからそりゃあいくら金があっても足りない。
4月27日(木)
中原のフェイスブック日記の整理をしているうちについレコードを注文してしまった。これまでkindleでboidから出した2年間のフェイスブック日記に比べて昨年のフェイスブックに登場する固有名は格段にハードルが高い。ますます裾野は広がり掘り下げ方も深い。何十年もかけて日々当たり前のように摂取してきたものの全貌が3年目にして次々に露になってきたということなのか。あるいは中原の体調が思わしくなかった昨年はその分自宅にいる時間ができてかつて自分が栄養にしてきたものを再度咀嚼することができそれをフェイスブックに書くことができるようになったということか。とにかく栄養の宝庫である。これらを聴いたり見たりする余裕が欲しいと誰もが思い始めたとき、はじめて世界は変わり始めるのではないかと妄想も膨らむが、そんなことに気づいたときはもはやこちらの気力体力はすっかり干からびているという現実もあるわけだ。もちろん今一番大変なのは本人であることは間違いなのだが。
4月28日(金)
朝から月末の社長仕事に精を出した。占いを信じているわけではないのだが占われることは好きなのでいろんな機会に占ってもらうとほぼ決まって金は入ってくるがそのまま素通りと言われるその占い通りに今月もまたそうなるという残念な結果を当たり前のように受け入れつつ今月のようにあまりにその数が多いと疲れもして昼寝。4月になったら少しは映画も見られるのかと思っていたが甘かった。予想以上に忙しいということもあるがそれ以上に体調が回復しない。左耳がまだまだ駄目で映画を観たらまためまいが始まるかもという恐怖が腰を重くさせる。というか映画どころか事務所にもまともに行けていないのであった。今週は2日のみ。映画祭や新作映画、特集上映の情報に溢れるSNSは目の毒である。夜は中原と江藤淳。仕事というよりもお楽しみとして。
20年以上聴いてなかったルパート・ハインがなぜか心に染みる日だった。むちゃくちゃ盛り上がるはずのところをすっと交わして外に向いていた視線が内側へと向かい始める。前に向かっていたら後退していたがその後退によってふたたびじわっと前進しているような酩酊感。ヒットすることはないだろうけど、こういうことを地味にやり続けられたら。


4月29日(土)
GW初日ということである。天気がいいので気分はいい。ということで散歩もしたが、夕方になるにつれ低気圧が近づいてくることがはっきりとわかるくらい左耳の調子が悪くなる。映画を観ようとしたがあきらめた。中原フェイスブックは8月まで来た。ここに記されている映画、音楽、書物などをすべて観たり聴いたり読んだりしながら1年を過ごせたらどんなことになるだろうか。多分それだけをやっていても1年ではとても消化しきれない。しかし誰もがそれを望み始めたら……。そんな欲望を刺激するものを作っていけばそれでいい。
4月30日(日)
低気圧がやってくる日はとたんに体も頭も心も重くなる。一歩も外に出られず。中原に刺激されて石井輝男『黄線地帯』を観ようとしたがすでに配信期間が終了していて仕方ないので『怪談登り竜』を観たが気分は落ち込むばかり。若き日の梶芽衣子はよかったが、動きが全体にもっさりしていて『さそり』の頃のシャープな切れ味はない。そして続けて野田幸男の『不良街』。70年代の新宿は多少記憶にあるのでいったいどこが映っているか、今そこはどうなっているかという映画以外のお楽しみも。リーゼントにした若き松方弘樹がまるでエルヴィスみたいに見え、このころの松方弘樹の映画を再見するのも面白いかと思っていたら、『エルヴィス・オン・ステージ』のバカでかい看板の前で「エルヴィス!」と叫ぶシーンもあったので十分意識していたのだろう。しかし今だったら権利問題でこういった看板は絶対映せない。かつてヴェンダースが『サマー・イン・ザ・シティ』のことを、1969年のベルリンについてのドキュメンタリーと評したように映画を撮ることは今はできないだろう。もちろんそれでも2023年の東京についてのドキュメンタリーをフィクションとして撮ることは可能ではあるはずなのだが。そしてこの手のジャンル映画につきものの主役が歌うテーマ曲は、仁侠映画風演歌調のメロディと歌詞を70年代のロックやジャズの音色でアレンジした、まさに和製エルヴィスが歌う演歌、みたいな曲だった。soi48や俚謡山脈がこれを聴いたら何と言うだろうか。
しかし、モニタとヘッドホンで2本も映画を観ると脳のどこかが覚醒して眠れなくなる。朝8時まで悶々とし続けた。