妄想映画日記 その141

昼夜逆転の生活を変えようと試みるもうまくいかない樋口泰人の2022年2月16日~28日の日記。京都みなみ会館で上映されたジョン・カーペンター監督作品の音調整や、オンライン映画『空』(遠藤麻衣子監督)の最終日の配信、『Summer of 85』(フランソワ・オゾン監督)などについて記されています。
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文=樋口泰人


2月16日(水)
ほとんど眠れぬまま9時30分には起き上がる。同じ場所に滞在だとこういう時はだらだら寝ていられるのだが、毎日の移動だとどうしてもこうなってしまう。近所のカフェで各所連絡原稿書き。心斎橋から御堂筋線で新大阪に出てそこから新快速という予定だったのだが、気が付くと地下鉄御堂筋線はなんば駅にいる。反対側に乗ってしまったのだ。慌てて降りたのだがせっかくなんばに来たのだから、ここから近鉄を乗り継いでのんびり京都行くことにした。昼飯前だったら確実に鶴橋経由になったのだが、すでに昼食はすませた。したがって、まどろみの近鉄。危うく乗換駅を乗り過ごしそうになりつつうとうとしながら東寺駅に。猛烈な眠気。ホテルで昼寝をするしかないということでベッドに横になるともうすっかり陽が落ちている。慌てて食事を済ませてみなみ会館へ。

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本日は『ゼイリブ』と『ニューヨーク1997』。『ゼイリブ』は4Kリマスターで5.1チャンネルになっているかと思いきや、2チャンネルステレオ。ブルーレイのときは7.1チャンネルだったので感覚が狂う。仕方ないので落ち着いてゆっくりと。冒頭の低音が足腰と腹に響く。それだけで十分なのだが、これだけ何度も『ゼイリブ』やっていると、もっともっとと胸が騒ぐその欲望に従うのみ。夕方寝たので、欲望に従う体力はある。
『ニューヨーク1997』はついに、ようやく、初めての調整である。何度もやった気分にはなっているが単に脳内調整を何度もやっていただけ。まずはそのギャップを埋めるところから。こちらは5.1チャンネルになっているが、音が細い。この輪郭をゆったりと広げ、空間がスクリーンの外側に作られ始めるようになったらOKである。粘れば粘るだけ音は生き生きとし始める。これまで何度も脳内再生した時間が音になって聞こえてくる。

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『ニューヨーク1997』
「ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022」全国順次公開中 


 
2月17日(木)
明け方まで眠れず、10時過ぎに目覚めたもののそのまま結局昼過ぎ。原稿を書く。各所に連絡をする。夕食は韓国料理に行ったのだが目当ての店はコロナで休店。もう1軒の店もサムギョプサルのセットコースしかやっていないという状態だった。でもそれでなんの不満もない。美味しくいただいた。食事をした友人から「眼蘇茶(めいきるちゃ)」というのをもらった。これはありがたい。

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そしてみなみ会館へ。『ザ・フォッグ』と『ダーク・スター』。昨夜の調整で大体の感じを掴んでいたので、それに添いつつよりいい音にできないかと試行錯誤。ともに元々はモノラルの音を擬似的に5.1チャンネルに変換しているという状態なので、つまりセンタースピーカーから出る音をいかに気持ちよく出すかということに尽きる。また、センターの音がデカすぎると真ん中の席では圧迫感がすごくて耐えられなくなったりもするので注意しつつ、そのフォローとしての左右のスピーカーとサラウンドを調整する。バウス時代の音の調整を思い出しつつ、『ダーク・スター』は結局全部観てしまった。終了午前1時30分過ぎ。

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『ザ・フォッグ』
「ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022」全国順次公開中 


 
2月18日(金)
前夜も眠れず、このまま始発の新幹線に乗った方が1日を無駄にしないかと思っていたら眠ってしまった。結局ギリギリになり、みなみ会館に顔を出してから帰ろうかという目論見は崩れ、そのまま新幹線。14時30分に東京駅につき、丸の内のカフェで『N・P』の監督、主演の姉妹と初顔合わせ。監督のリサさんが今週、たまたまベルギーから一時帰国していたのだ。今後のスケジュールや現時点での確認事項などを話した。東京に比べたらちょっと春めいていると甘く見ていたら思い切り寒くなって凍えた京都から東京へ戻ると案外暖かくて屋外の陽だまりでのお茶だったのだが、夕方になり陽が傾き始めるとさすがに寒いというところでお開き。
帰宅後はzoomにて11月公開予定の某作品、『やまぶき』ではない別の監督の新作に関するミーティング。実はまだ作品が完成していない。という状況で11月公開というのは相当ギリギリである。でもなんとかなる。なんとかならないのはわたしのスケジュールの方である。各所から「そろそろ」という連絡が入っていて、さすがにまずい。常駐のアシスタントを雇えるくらい儲かってくれたらいいのだが。逆に言えば、常駐のアシスタントを思い切って雇えば、必然的に何かが稼ぎ始めるはずなのだが。深夜は原稿。


 
2月19日(土)
昼は原稿。夜は浅草へ。20年ぶりくらいだろうか。事情あり柳川鍋を食う。鰻も美味しくいただく。

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帰宅後も原稿。原稿からの逃避でネットを見ていたら、今回の冬季オリンピックの女子フィギュアスケートで銀メダルを取ったもののその後の態度が反響を呼んだアレクサンドラ・トゥルソワ選手のフリー演技の中の曲が「I wanna be your dog」だったということを知り愕然とした。まさか本当にストゥージズが全世界のお茶の間に、と思ったらさすがにオリジナルではなく『クルエラ』のサントラを流しているのだそうだ。ああ、確かに映画の中で流れていたっけ。もちろんストゥージズじゃなくて誰かがカヴァーしているのだけど、あの重いリズムはほとんど同じ。案外トゥルソワ選手も本気でこの曲を好きなんじゃないか? いつかストゥージズ版で演技してくれたらちゃんと見るんだけど。
演技はこの五輪公式ページで見ることができる。
https://www.gorin.jp/video/6297932959001/
誰かリッピングして、ストゥージズ版の音源貼り付けて作り替えて世界中にばら撒くとかしてくれないだろうか。やりたい放題のオリンピックだからこちらも遠慮することはない。でもまあ訴えられてマジでひどい目に遭いそうだ。ディズニー(『クルエラ』)とオリンピックという世界的な独占企業のふたつを相手にすることを考えただけでぐったりする。


 
2月20日(日)
原稿が朝までかかったので、昼過ぎくらいまでは寝たかったのだが、11時から恵比寿映像祭の遠藤麻衣子のオンライン映画の最終日のライヴ配信というのがあり、16日間毎日観てきた以上最終日を逃すのもなんとなく気分が悪いので、ぎりぎりだが起きた。布団の中でスマホ。しかし始まらない。トラブっているらしい。ライヴ配信はほぼ観ないので、こういう時にぼんやり待つことができない。もしかして自分のスマホだけ何かが誤作動しているのではないかとか、このページは違うんじゃないかとかあれこれ不安になり、あれこれいじるとさらにそのいじったこと自体が誤作動を呼び寄せたのではないかと不安が重なり、この不安こそがライヴ作品のような気もしてきてこれはほとんど見たようなものだなということで諦めかけたら、始まった。詩人が出演して詩を朗読するという話だけは聞いていたのだが、この16日間ずっとあれこれテクニカルな実験をやっておきながら最終日の有料ライヴ配信ではこのままかい! と暴れたくなるようなそっけない10分間であった。しかも英語の詩なので聞き取りまともにできない身としては完全に置いてけぼり。頑張って起きたのに置いてかれた。プレ上映された作品に映されていた赤ん坊のような気分である。果てしない時間をひとりぼっちで過ごす孤独というよりも、その果てしない時間の空虚の肌触りの不安。しかしそれが、この16日間いろんなものをカメラとともに見てきた視線の持ち主の存在を示す。その時この詩人にこの詩を読ませた誰か、いや、その詩人を通して詩を読んでいる誰かと言ったらいいのか。世界にぽっかり空いた時間の通路をスッとすり抜けることのできる誰か。機械としてのカメラはそれゆえその「誰か」が入り込みやすくそのときカメラはちょっとだけヴァージョンアップされた何かになり、そのカメラが何かになった瞬間を捉えそれを信じることができる人がカメラマンであり映画監督でもあるのではないかとかなんとか、英語の詩を呪文のように聞きながらそんなことを思った。
あとは終日ぐったりしていた。疲れがひどい。

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『空』DAY17 ライヴ配信より

 

2月21日(月)
昼過ぎまで自宅作業。夕方になってようやく事務所に。とある企画を考えているという方が訪ねてきて、その件であれこれ話をする。わたしより20歳くらいは年下だろうか。たぶん、何かを変えて何かを始めるにはそれくらいの年齢が適齢なのだと思う。boidも20年以上が過ぎた。
直枝さんから荷物が届いている。ダン・ペンの珍しい7インチとザ・バンドのセカンドのオープンリール版の音を焼いてくれたCD-Rが入っている。ダン・ペンのは『Nobody's Fool』の収録曲のラジオ局プロモーション用のものでステレオとモノでAB面になっている。これは後でのお楽しみとして、オープンリールの『The Band』は最初ちょっと物足りないかなと思っていたのだが、直枝さんからのメールによればヴォリュームを大きめにすると低音が広がるとのこと。ああ確かに。部屋の床の少し上あたり、つまり膝下あたりがゾワゾワする感じ。ガツンとくる低音じゃなくてふんわりと包み込んでくる。それに釣られて中音域も優しくなって気持ちいい。思わずレコードも取り出して聴き比べてしまう。レコードの方がレンジは広い。もう少しでかい部屋ででかいオーディオセットで聴くと全身が喜びの声を上げるはずだ。ああ、明日は午前中から動かないとならないのに止まらない。


 
2月22日(火)
月曜日に絶対にやらねばならなかったことをし損ねたことに気付いたのが昨夜寝る前。もうなんとしても早起きというはずがやはりダメで11時過ぎの起床。本日もやり損ねる。我ながら酷いと思う。そして14時50分に某所待ち合わせでミーティングという予定に遅刻しそうになり慌てて家を出て駅まで来ると、スマホを忘れたことに気づく。持たずに時間厳守するか遅れても取りに帰るか。外での待ち合わせで初めての場所なのでもし何かあったら、ということで一旦帰宅。スマホを確保して駅へ。ホームへの階段を上がっていると後ろから追いかけてくる人がいる。わたしも焦っているし、後ろの人も焦っているのだろうかと思っていたのだが、階段登り切ったところで肩をたたかれる。おや知り合いだったか、と振り返ったらそうではなく、わたしのパスモやクレジットカードなどを差し出される。改札でタッチしたときに、カード入れにしている小銭入れのポケットから全部落ちたらしい。本当にやばい。今までこんなことはなかったと、そんなことばかりがこれから起こっていくのだろう。そしてそんなことの連続に耐えられなくなってこの世を去る、ということなら美しいのだがそんな甘くはないこともわかっている。
しかし助成金というものは助けて物事を成り立たせるための金であるはずだと思うのだが、結局いつも首を絞められる。本当にもううんざりだ。もらえるものはもらってなんとか成り立たせたいのはもちろんなのだが。首の皮がつながらない。

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夜は、なんと恵比寿映像祭の遠藤麻衣子『空』に続きがあったことを知る。20日のライヴ配信の後に、これまで通りのYouTubeを使っての作品4本がアップされていた。ライヴが最後だと思っていたのに。
ということで観てみるとライヴ配信の時の妄想とすんなりと繋がり、微かに聞こえるノイズもお母さんが背負った全方向VRカメラもそしてそれを映す画面には見えないカメラも親密な何かとして自分の身体の中で重なり合う。目で何かを見るという距離感ではなく、それを見ている目が何かと次々につながっていくという、ワイヤレス時代のワイヤード感が自分の身体を作っていくと言ったらいいか。置き去りにされた赤ちゃんのいる部屋をVRカメラがとらえた映像はマウスでいじることはできるのだが、そうではなく何もせずそれをぼんやり眺めていくと、時間の経過がわからなくなる。今見ているのは「動画」のカメラがとらえた、細部では埃が舞い目に見えない小さな虫が動きもちろん空気も動いている、刻々と何かが変化しているはずの部屋なのか、あるいは静止画としてとらえられた部屋の映像なのか。今それを見ている自分は何を根拠にその部屋の時間の変化を感じたらいいのか。今それを見ている自分の時間とかつて何かが動いていたはずのその部屋の動かぬ時間とがいつかどこかで重なり合うことはあるのか。このまま止まった部屋が映され続けてほしいという奇妙な欲望が生まれた。そしてこれを観るとライヴ配信で読まれた詩の翻訳はいらないようにも思えた。あの置き去りにされた場所こそが、この動かぬ部屋なのだ。まあ、翻訳も読んだからそんなことが言えるのだが。

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『空』DAY17より


 
2月23日(水)
天皇誕生日ということで祝日なのだが、だからといって休めるわけでもないし、いいことがあるわけでもない。遅れに遅れていた『MADE IN YAMATO』のチラシ原稿や試写状原稿を作る。やればなんとかできるし新しいアイディアもないわけではないのだがとにかく手をつけるまでに時間がかかる。もうこんなこと2度とやりたくないといったい何度思ったことか。何をやるときも大抵そうだから救いようはない。


 
2月24日(木)
13時に恵比寿某所で待ち合わせ、というだけで遅刻しそうで前夜から眠れなくなる。最近は大抵12時起きとかになっているので本当にやばい。老人になったら早起きになるはずだったのに、ただ睡眠時間が短くなっただけである。とはいえ遅刻するわけにもいかないので無事時間通りに到着。今年の一大事業の打ち合わせである。色々あった挙句、やっぱりこうするしかないよねというところに落ち着いたというわけである。楽ではないがこれがいいのだ。ちょっとしたことなのだが、自分たちのやるべきことを自分たちなりのやり方でやる。ただそれだけ。
ロシアがウクライナに侵攻したとのニュース。強大国の傘下に強制的に押し込められる小さな国の人間たち(自分も含め)の生き方を考える。


 
2月25日(金)
今日は14時に事務所での打ち合わせだったのだがやはりギリギリでまともな食事ができなかった。打ち合わせ後、スリン・パークシリさんが亡くなったという知らせ。昨日、emレコードから出たスリンさんの仕事集の第2弾が送られてきて、ご機嫌で聴いていたのだがまさかの訃報。このところ、こういった奇妙なタイミングでの良くない知らせが多すぎる。スリンさん、3年前の1月にタイ爆音で招聘したのだが、あのとき、とにかくこれまでの仕事をまとめて残しておかねばとみんなで話していたのが、今回のアルバムのように少しずつ形になっていく。Soi48とemレコードと仲間たちのわいわいとした楽しい作業の賜物である。入魂のブックレット。死は悲しいが、それが終わりではないということが見事に実践されているその見事さに照れることなくさらに次に繋げてほしい。

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2月26日(土)
昼夜逆転は治らず、朝5時過ぎに寝て11時くらいに目覚めるというパターン。まあ、5時間くらいは眠れているのでよしとするしかない。終日『MADE IN YAMATO』がらみの仕事。暖かくなってきたため花粉もひどく、くしゃみと鼻水目の痒み。それでも病院に行くほどではない。夜はboidマガジンにアップされた青山の日記を読む。この長さでモニタ画面越しに読むのは無茶苦茶疲れるのだが、2時間30分くらいはかかったか。病状は心配だが、それ以上のことはわたしにはできない。今回は「単独のショット」というのにハッとした。たまたま先日、ヴェンダースのボックスセットのブックレットに掲載する原稿で、『ゴールキーパーの不安』の中で一番迷ったのが主人公が橋の上からぼんやりと眺めているりんごのショットを入れるかどうかということだった、というインタビューでの発言について書いたところだったのだ。こう書くと、橋の上で何かを見つめている主人公のショットがあり、その後にりんごのショットを入れるかどうか、というので迷っているようにも聞こえるかもしれないが、実際は、先にりんごのショットが来ているのである。それもそれなりの時間。つまり、いったいこのリンゴは何なのだ何が映っているのだわたしは何を観ているのだと、観客が思うのに十分な時間ということである。その後に橋の上でぼんやりする主人公のショットがあるのでわれわれはああ主人公が見ていたのかと思うわけだが、とはいえいったいどうしてそのリンゴが映されなければならなかったのか、主人公はどうしてそのリンゴを見ていたのかが判明するわけではない。ただぼんやりとした時間が過ぎただけである。こういうショットを映画の中に入れられるかどうか。ぼんやりとした時間、何を意味するわけではなく何も意味しないことが意味を生むわけでもなく、しかし何かを見つめている時間。50年前のヴェンダースの迷いと思考は、今もまだわれわれが今を生きるのに十分有効である。


 
2月27日(日)
起きると昼なので休日を損した気分満載である。しかもめちゃくちゃ暖かい。世界からの置いてけぼり感が半端なく、とりあえず何かしてみようと思うもののどれも上の空で時間だけが過ぎる。しかも眠い。夕方は友人たちと食事。訳あってちゃんこ鍋である。boidの現状を話すと、わたしの子供と言っても不思議ではない友人たちから「その日暮らしですね」とあっさりと突っ込まれる。どこからどうみても会社運営という様相はまったく呈していないようだ。はいそうですと言うしかない。でも今更色々反省はしているのだが。
帰宅後、やはりここは生活を変えねばといつものうたた寝を我慢して、深夜1時くらいにちゃんと寝た。しかし想定通り4時30分に目覚めて眠れなくなる。長めのうたた寝になってしまった。いずれにしても花粉がひどい。

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2月28日(月)
結局朝9時前に寝て13時目覚め。無理して早く寝ても結局事態を悪くするだけである。というのをいったい何度繰り返して来たのか。本来なら早めに事務所に行って今後の打ち合わせをということだったのに、事務所にも行けず。ただ各所連絡はしたところ、湯浅さん転んで顔面強打で眼底骨折という知らせ。もう周りで病人、怪我人、死人だらけである。なんかもう怖いものなしな気がしてきた。精一杯は生きるが思うようにはならない。それでいい。
そして深夜になってようやく目が覚めてきてさすがに2日連続同じ過ちは繰り返せない。色々やることはあったのだがやり残していることとは最も関係ない、フランソワ・オゾンの『Summer of 85』を観る。夏の海辺に胸騒ぎがする。山育ちなので基本的に海に弱い、ということはある。1985年、10代終わりの主人公。わたしより10歳下くらいということか。主人公たちの出会いから死まではいったい何日だったのか、いずれにしても短い。それは彼らが感じている人生の短さなのか、永遠を生きるが故の時間の速さなのか。イギリスからやって来たという少女の背景の語られなさが、彼女の悲しみを画面いっぱいに漲らせる。突然現れた男は突然死に、突然現れた女は物悲しい微笑みを残して消える。そして新たな出会いがラストにあるのだが、すべてがここに集約されていた。すでにそこにはいない死んだ男や消えた女がそこにいた。元々彼と彼女はいなかったのかもしれない。でもだからこそそこにいるのだと海辺の空気が伝えてくる。というか、最初の海辺のシーンから彼も彼女もきっとそこに映っていたのだ。突然彼や彼女が現れたのではなく、もともとそこにいたのに我々が気づかなかっただけなのだ。胸騒ぎとはそういうことだ。ロッド・スチュワートの「セイリング」もザ・キュアーの「インビトゥイーン・デイズ」もよかった。2月が終わった。





樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。4月18日(月)、ニュー風知空知にてアナログばか一代「おい、青山聴いてるか?!」を緊急開催。