妄想映画日記 その121

久しぶりに眼科検診を受け、友人たちと集った樋口泰人の2021年5月21日~31日の日記です。映画『最後にして最初の人類』(ヨハン・ヨハンソン監督)『ドミノ』(トニー・スコット監督)、エクスネ・ケディのライヴ・アルバムのジャケット作りについても。
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文=樋口泰人


5月21日(金)
朝からめまい止めのお力でギリギリ乗り切った。やろうとしていたことの半分くらいはできた。途中、「緊急事態宣言中でも五輪開催の意向をIOC」が示した、という共同通信の記事を読んで、ひどく腹を立てた。あまりのことに、これは五輪開催してその入場料収入とテレビ放映権収入をすべて日本国民への補償に充てる、という話だと解釈することにした。ああ、札束で頬はたかれたい。金で口をふさがれたい。というあらぬ方向へと妄想は膨らむばかり。昼は36チャンバーズオブスパイスの新作カレーを食う。辛いがうまい。辛さが一通り通り抜けてからうまさがやってくるしかけ。激辛好きの人にとってはまだ入り口くらいの辛さだと思うのだが、わたしはもうこれで十分。しかし結局まともな仕事ができず1日終了。

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5月22日(土)
めまいとぼんやりがさらにひどい低気圧の土曜日。佐川急便からメッセージが来て、荷物を持ち帰ったと。事務所の何かかと思いリンク先をポチッとやったら、スマホ画面が真っ黒になり、NTTです、電話料金が大幅に膨らんでます、みたいなメッセージが出て、強制終了するしかない状態になった。再起動してみたのだがダメで、仕方なく初期化。まっさらな状態に戻して、スマホのアプリやデータを全部入れ替えた。もう、本当に迷惑極まりない。最近はLINEやメッセージでヤマトやゆうパックから本物の連絡もやってくるから本当に紛らわしい。今回はこれで済んでよかったと思うしかないが、もう、本物であっても一切手を付けない、くらいな感覚でいないと年寄りには無理。スマホのアプリとデータのインストール作業などで1日がつぶれた。ボーっとしているとろくなことがない。夜は、ヨハン・ヨハンソンの監督作品『最後にして最初の人類』を観た。映画、というよりティルダ・スウィントンのナレーションで進む映像付きの小説、という感じか。初上映はライヴ・パフォーマンス付きの上映だったということなので、もちろん通常の映画とは違う。通常の劇場公開は映画館でじっくりと、早逝した才能ある音楽家のインスタレーションを観る、というシチュエーションとなるのだろうか。とにかく音の繊細な響きと16ミリで撮影されたという旧ユーゴスラヴィアのモニュメントのある風景のざらつき感が共鳴して、何億年後かの世界と人類の成れの果てへとこちらの思考を連れ去っていく。その中で聴くティルダ・スウィントンの声のトーンが何とも心地よく、絶望的な物語と現実を語られているにもかかわらず、われわれにはまだどこかに希望があると思えてくる。
映されているのは旧ユーゴスラヴィア時代に作られた、第2次世界大戦中の枢軸国軍による占領の恐怖と、チトー率いる人民解放軍の勝利を記念した碑や建造物の数々。スポメニックと呼ばれるそれは、ユーゴスラヴィアが崩壊しその政治的意図が剥がれ落ちた今こうやって観ると、まるで未来からの置き土産のようにも見える。この日のために未来人が旧ユーゴに降り立って作ったオブジェであり、何億年後かの未来にもまだ存在して未来の声をそこを通して伝える通信機と言ったらいいか。その声を聴いただれかが、こうやって映画を作ったり、写真集を作ったりもする。そんなとりとめのない夢想に誘われる映画だった。でも元気なうちに一度本物を観てみたいものだと心がざわついたのだが、今や分裂してしまった国々の各所に散らばって存在しているものなので、観光で簡単には行けない。

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『最後にして最初の人類』
7月23日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテにて全国順次公開


 
5月23日(日)
ようやく晴れた。低気圧が去っただけでこんなに違うとは、というすっきりした視界が広がる。まあ、だから何かができるかというわけではない。音楽を聴き本を読んだ。友人2名と昼飯を食い、いろいろと話をした。その中で話題になったことのひとつを日記に書かねばと思っていたのだが、すでに忘れている。新生児の出生数の問題だったか。若者の物理的な数がこれだけ減ってきているのだから、今80年代90年代に増えたミニシアターが今まだこれだけ生き残っている方が奇跡だと、そんな話をした。80年代に20代だった人たちは1950年代から60年代生まれ。そのころの出生数は1年あたりで150万以上。それが80年代90年代には100万前後に減り、2020年は約85万人という記事を読んだのだ。つまり、いま若者と呼ばれている年代は90年代から00年代生まれで1年あたりの出生数は100万人を切っている。ミニシアターががんがんできたころから比べると3分の2以下。当然映画館は苦しいし、本も音楽もかつてのようには売れなくなる。若者が映画を観なくなったのではなく、物理的に若者の数が減っているのだ。そこから考え直していかないと、奇跡的なことはいつまでも続かない。

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5月24日(月)
睡眠に失敗するとどうも具合悪く起きても起きた気がしない。寝ぼけたまま昼になり、昼は友人の退院祝い(コロナではない)ということで某所でソルロンタンを。優しい味にうっとりとなり、そのままお花畑でお茶。自分ひとりなら絶対に入らないようなかわいい店でメニューも笑っちゃうような名前がついていた。わたしはローズソーダというバラの花が浮かぶピンクのソーダを。まあでも、たまにはこういう場所もいいね、ということでダラダラと気づいたら夕方で、事務所に行き損ねる。テレビでは月曜の夜の鶴瓶の番組。かつて湯浅家も登場した『家族に乾杯』というやつで、今回はいすみ市の特集である。いすみ市と言えば浅川さん。4月に浅川さんのところを訪ねた際に行った港や、岬のところの城跡などが映る。だがその港町の一角につげ義春が住んでいたというようなことはまったく話題にならない。あまりに世界が違うのだろう。これで浅川さんの家が登場したらアナログばかすごいなと思って観ていたがさすがに出てこなかった。が、なんと後編があるのだという。どんなことになっているやら。いずれにしてもまた近々行くことにはなっている。窓の向こうが妙に明るく見上げると月がいい感じで輝いていた。明後日だったかはスーパームーンになるとのこと。今年最大のものらしい。

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5月25日(火)
病院の日。というほど大袈裟なものではなく、整骨院と眼科。整骨院はいつも通りだが、眼科はいったいいつ以来か。東京で眼科に行ったという記憶がない。目の検査もしたことがない。だがいよいよあまりに目の調子が悪くなった。友人たちには時々、「ゴダールの3D」と漏らしていたのだが、右目と左目の像がひとつにならない。眼鏡を変えてもダメ。さすがに眼鏡ではなく自分の目がどこかおかしいのでは、と思うくらいにひどくなった。パソコンやスマホでの変換ミスが異常に多い、もちろん文字校正はまったくダメ。まあそれは性格の問題も大きいのだが。細かい書類が読めない。とにかくできないことが多すぎてだらだらするにしてもつらい、映画も観る気にならない。そんなわけで眼科検診予約をしたという次第。2時間30分ほどかけていくつかの検査。結果的には目はまったく問題なし。ただ、眼鏡では右目の視力を0.7までしか上げられない、右目と左目の像がひとつにならないものを矯正するレンズは格安眼鏡店ではできない。という事実が判明。映画を観るときの眼鏡と、パソコンなどで仕事をするときの眼鏡のふたつを作ることで対応していくわけだが、いったいいくらかかるのだろうか。最後に眼底を調べる検査のために瞳孔を広げる目薬を注したのだが、これが数時間は効きっぱなしでしばらくは文字などがうまく読めなくなると言われていたが、帰り道、夜道が眼鏡にきらきらフィルターを入れたみたいに輝いて気持ちよかった。

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5月26日(水)
歳をとると本当に身体のあちこちが弱り出すということで本日は歯医者。虫歯というわけではないのだが、あごの骨も含めて弱ってきているためちょっとしたことで痛んだり、歯が欠けたり。まめにメンテナンスしてかろうじて使い続けることができる。面倒だがものが食えないよりはましと思うしかない。その他あれこれ連絡三昧。夜は映画をと思っていたのだがその時間も体力もなし。愕然とする連絡も入り、もうみんな若くはない何が起こっても不思議ではない年齢であることを思い知る。


 
5月27日(木)
そろそろ公的な告知をということでエクスネ・ケディのライヴ・アルバムのリリースを作り、サンプルも含めて第1弾の発送を昨日したのだが、ここにきてどうやらレコードのプレス作業が遅れているのではないかという疑惑が高まり、いったん告知を延期することにした。今回は安全を期して、あまり遅れのないドイツのプレス工場にお願いしたのだが、間に入ってくれた人間によると先方からの連絡が止まってしまっている状況。コロナのせいというよりも世界的なレコード需要で、プレスが追いつかないというのが実状らしい。レコードのプレス作業はカッティングなども含め経験と技術が必要なため、プレス工場は簡単には作れない。簡単に増やすと事故も起こるしもちろん音質にもばらつきが出る。技術を引き継ぐための時間が必要である。1年や2年で身に付くことではない。こういったもどかしい時間とともに、われわれは失われた時間の重さを知る。ゆっくりと待つしかない。
いずれにしてもサンプルとリリースを発送してしまった方たちに、告知開始日時も発売日も延びそうだという連絡を入れる。発送前にちゃんと確認しておけばよかったとは思うものの、送付先の方たちとは久々のやり取りとなり途絶えていた連絡が復活したりもするわけで、悪いことばかりではない。仕事の効率、ということを考えるとまったく無駄な時間ではある。ということで半日以上がつぶれ、ひどい雨ということもあり本来なら事務所に行って到着する荷物を受け取らねばならなかったのだが、あきらめる。まあ、今日で地球が終わるわけではない。

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5月28日(金)
整骨院の後事務所。たまっていた事務作業を。こういった細かい作業が年々しんどくなってくる。やれないわけではない。やれないわけではないのだが、すぐに飽きてしまう。そしてしばらくほったらかし。そのくせに常に気になっている。厄介である。
しかし緊急事態宣言またもや延長ということで、今後の予定がどんどん怪しくなっていく。結局今年前半は、爆音上映2日しかできなかった。昨年に比べても今年のほうが被害は大きいのだが、補償は昨年の半分以下。皆さんいったいどうやっているのだろうか。
夜は青山の日記でそういえばと気になった『ドミノ』を。10年ぶりくらいに観たのだが、それまで複数回は観ているはずなのにほぼまったく内容を忘れていた。主人公がキーラ・ナイトレイだということもエンドクレジットで気づき愕然とするという、恐ろしい忘却ぶり。ああ、金魚のタトゥー。途中、ルーシー・リューからは「それは金魚じゃなくて鯉」といわれるのだが、首筋に彫られたこの金魚が要所要所で映るので気になって仕方がない。現実の金魚も同様でドミノの人生の各所で映り込んでくる。「愛しすぎてはいけない」という人生の教訓を学んだのも金魚からである。そういえば青山の『金魚姫』はどうだったか。再度見直してみると「金魚映画」独特の語りが見えてくるかもしれない。フライシャーもヴェンダースも見直さないと思い始めると、この1本の映画の中に含まれる映画の歴史の広がりにめまいがするが、しかもそれらの歴史の重さを振り切るようなカメラの動きとショットの重なり合いがこちらを置き去りにするわけだから、アメリカ映画の最前線は過酷というほかない。すごすぎる。『デジャヴ』も見直さないと。

 


5月29日(土)
気が付くと11時。ここ何か月かは自然に早起き(わたしとしては)の日々が続いていたのだが、再び調子が狂ってきた。まあでも眠れないよりいい。ぐずぐずしつつ阿佐ヶ谷で買い物。その後坂本安美の家に。こんな時期だが久々に友人たちが集まる。まあマスク会食となるのだが、それでもこうやって顔を合わすことができる喜びは何ものにも代えがたい。気のせいなのか、みんないつもより顔がほころんでいる。帰宅するとまだ21時前なのにやたらと眠い。どうやらノンアルコールワインにかすかに残るアルコール(皆からは気のせい、絶対にアルコールは入っていないと言われる)にやられたか、最後に食したケーキにアルコールが使われていたか。ソファでうたた寝、気が付くと12時前ですっかりペースを崩す。というか、昨年前の生活ペースに逆戻り寸前。身に付いてしまった生きる習慣をそのままに生きるか少しずつ変えていくか、いずれにしても厄介なことである。しかも問題は、どっちにしても気持ちいいわけではないということなのだ。

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5月30日(日)
結局寝るのに失敗した。うまく眠れぬまま7時過ぎに起き上がる。朝食、ボーっとしてきたので掃除。わたしの部屋は猫たちのトイレにもなっているので、いくら掃除してもすぐに猫砂だらけになるのだ。とりあえずさっぱり。するとさらに眠気がやってきて、たまらずソファで横になる。気が付くと11時30分。昼寝しても午前中、というのはなかなか気分のいいものである。午後からは原稿書き。再び眠くなりとろとろしつつ原稿も書きながら夜になる。途中、すごい雨が降った。雨後、外に出ると夏の空だった。

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5月31日(月)
boidの決算報告で午前中から税理士と面談。昨年からのこの状況により、今年はなんと消費税が還付されるとのこと。一瞬喜んだのだが、状況が復活したらすぐに徴収されますからその時使ってしまっていると大変なことになりますと言われる。消費税の徴収システムを理解していないと、いろんな局面で愕然とすることになる。とにかく気持ちというか妄想上は、そんなこと気にしなくていいくらい儲ける、という一点なのだが。
午後は井手くんたちがやってきて、エクスネ・ケディのライヴ・アルバムのジャケット作りの準備。今回のジャケットはかつての海賊版風に、デザインが印刷された紙を無地のジャケットに貼り付ける、という手作り。印刷もハンド・ソー・プレスのリソグラフ印刷を使ってのもの。いい感じにできたのだが、とにかくどうやって貼り付けたら早くきれいにできるか。スプレーのりが一番なのだが、換気が悪いといろんな意味で危ない。ではその他ののりでやるとどうなるか。あれこれ試した結果、やはりスプレーしかない、と言いたくなるくらい断然のスプレーのり。しかしboidの事務所でやれるのか? さらにその前にレコード盤はいつ届くのか? というわけで、不安は払しょくできないまま次回は本番。
夜は井手くんから受け取った井手健介と母船のセカンドアルバム(昨年4月発売)のアナログ盤を。聴いてみると印象が全然違う。いや、考えてみればこのところエクスネ・ケディをずっと聴いていたので、曲の印象が全部そっちになっていたのだ。それでもCDとは聴こえ方が違うのでは? そこまで試せなかったのだが、中音域の張り出し方がレコードのほうが強いのではないか? いや、エクスネ・ケディのライヴの中音域がふわっとライヴ会場全体に広がるような感じなので余計そんな印象を受けるのか。しかしこのゆったりとしたうねり。変態と言えば変態的な曲の流れ。CDでは感じなかったこのアルバムの裏側を流れる闇が、当たり前のように聞こえてくる。わたしの気分の問題なのかもしれないが。6月半ば、P-VINEより発売。その後にVoice Of Ghostからエクスネ・ケディのライヴ・アルバム発売なのだが、まだレコード盤発送の連絡がない。テスト盤までは順調だったのに。というところで5月が終わる。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。オンライン映画配信ウェブマガジン「GHOST STREAM」をオープン。