妄想映画日記 その108

樋口泰人による2021年1月11日~20日の日記。細々とした事務仕事や『VIDEOPHOBIA』のリモートトークショーなどをこなしていたらぎっくり腰を発症。それでも新たに入手したフォノイコライザーを使って聴く音楽に導かれるように日々は続きます。2月公開の映画『春江水暖~しゅんこうすいだん~』(グー・シャオガン監督)や、ビー・ガン監督の『凱里ブルース』『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』についても。
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文・写真=樋口泰人


1月11日(月)
3連休の3日目。もう今すぐに隠居することを身体が願っているかのような、自分と世間との乖離ぶりに途方に暮れるわけだが、その暮れ方にも加速度がつき、いやそこまで途方に暮れてもいないのだが案外リアルな気持ちも沸き上がり、浮いたり沈んだり地にも天にも身体が落ち着かない浮遊感とともに本日も目覚め、一日が終わる。寒さの中五日市街道に沿って善福寺川あたりまで散歩。夜は久々にリュダクリスの2002年のアルバムを聴き直し、背景に置かれた細かい音に耳を傾ける。もう20年近く前の音だ。その後例によってまたもや観ようとした映画とはまったく違う映画を観ていたことにこれは映画の始まりで気が付いたのだが、後戻りはせずそのまま観ることにした。フィルムの巻の始まりごとに森繁久彌のナレーションによる映画製作時の銀座のリアルな解説があり、それが物語を繋いでいくという川島雄三の『銀座二十四帖』。あくまでも「映画」という強力なフィクションの枠組みがあることで成立するフィクションとリアルの交錯は観ていて楽しい。そしてそれ以上に登場人物たちの関係の混乱とその繋ぎ方の大胆さに目を奪われるのだが、どう考えても無理やりすぎる終わり方にも驚く。まあ、こういう物語には終わりはないですよ、ということなのだろう。観客の想像にお任せしますとか、そういうレベルじゃない。そんなわけで戦後10年の銀座を駆け巡っているうちにいったい自分が本当は何を観ようとしたのかよくわからなくなる。案外これを観たかったのかもしれない。

 
1月12日(火)
休みが続くといろんな調子が狂う。事務所での作業があれこれ細かすぎてつらい。先週金曜日にやった発送作業でトラブルも起きる。いや結果的にはトラブルではなくて、わたしの記憶喪失だっただけなのだが。日々が連続していないのでいろんな出来事が増幅されて心に響く。その増幅をコントロールするための踏ん張りがきかなくなった。ちょっとした物忘れがもう人生の一大事のような感じで胸を突きさしてくる。帰宅してもぼんやりするばかりだった。

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1月13日(水)
昼から歯医者。そして事務所。気が付くとboidのすべてが入った仕事用のノートパソコンを家に忘れてきた。どうも荷物が軽いと思った。データ類はクラウドに保管してあるので大丈夫なのだが、銀行関係など最重要なものはそれにしか入っていない上に本日は税理士がやってきて月に1回の報告の日。ダメな時は何もするなということなのだろう。とはいえやることはある。帰宅後仕事をしようとパソコンを手に取るとびしょ濡れである。犯人は黒いのか白いのか。幸い表側だけで済んだ。パソコンの掃除にもなったと思うことにする。
 
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「NOBODY」の2020年ベスト10を見る。大勢の筆者たちがいろんな作品を上げているので見ているだけで楽しい。全然映画を観ていないという実感だけがあるのだが、しかしこうやって見ると3分の2くらいを観ているので案外簡単に現役復帰できるのではとか思ってちょっとその気になってしまう。ちなみに私の昨年のベスト1は何かと尋ねられたら今は『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』と答えるかもしれない。あの映画の佇まい、空気の音がまさにそれぞれのわたしの物語としてざわめきつぶやく小さな声となって今後ずっと私の周りにまとわりついていく気がする。しかしまだ観ぬ『鵞鳥湖の夜』もあるし、樋口版『デッド・ドント・ダイ』というのもある(YCAM爆音で樋口の話を聞いた人だけがその秘密を知っている)。出会いという意味ではケリー・ライカート作品との再会が大きかった。『オールド・ジョイ』を買い付け、配給しようと画策したのはもう何年前のことか。でも今この時期にこうやってまとめて観ることができたことを思うと、あの時あの1本だけをやっておかなくてよかった。あとは降矢くんにも言ったのだが、ケリー・ライカートの本を作ることだけだな。「そして彼女だけが生き残った」というようなサブタイトル。やるべきことは見えている。


1月14日(木)
相変わらずの昼起床。自宅作業。夕方事務所に行こうと思って家を出たのだがどうも気分がすぐれず高円寺駅前上島珈琲店に変更、作業を続ける。周りでも似たような、というか本来なら会社で行う仕事をやっている人々がちらほら。平日の昼からほぼ満席という状態である。今後テレワークができるカフェ、つまりおいしいお茶やコーヒーやデザートを味わえる共有の作業スペースのような場所のニーズは増えていくのではないだろうか。シェアオフィスではなく、あくまでもカフェでありつつ仕事が付いてくるような場所。そういえば空族のプロデューサーでもある笹本さんが甲府で運営している場所はまさにそれ。でもあそこは人と交わることも目的とする場所だから、人と交わらずという今の状況とは主旨が違う。
夜は21時過ぎから富山ほとり座での『VIDEOPHOBIA』上映後リモートトークを宮崎くん、それからほとり座のスタッフである樋口さんと。キーワードは「コンティニュイティ」。独立したひとつのショットとショットを何がつなぐのか。厳密にはまったく違う時間に撮影されたひとりの人間の姿をひとりの人間がまさにそこに存在している、連続したひとりの人間だと思わせるものとは何なのか? わたしは「信頼」という言葉を使ったのだが、そのもとにはまさにこの映画の主人公の名前である「愛」があるのだと思う。愛と信頼が作る世界。日々の仕事も結局そこにかかわってくる。当たり前の話なのではあるが。
その後半分眠りながら『凱里ブルース』、ビー・ガン初体験。ラース・フォン・トリアーやソクーロフを始めて観たときのことを思い出しつつうとうとは最後まで、これはもう一度観なければと思いつついつか爆音でとも。そしていつか湯浅さんが「(ふたつの)スピーカーの間に頭突っ込みながら聞くと気持ちいいんだよねえ」といっていたことを思い出しつつまさにその気持ちよさに音が身体中を駆け巡るJENNY LEWIS『On The Line』。1年以上前にリリースされたのを聴き逃していた。ある音量以上の音で聴くとメインの音にかけられたエコーや聞き取れないくらいに小さく鳴っている弦楽器やらが見事に立ち上がってきて、身体の隅々までをざわつかせる。この胸騒ぎとともに生きていきたいと思う。こんな縦長ポスターもついてきて最高である。そしてそうこうしているうちに朝になる。

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1月15日(金)
目が覚めると昼過ぎ。各所連絡して税務署に。今日のように寒くて曇りの日は何をやっても鬱々とする。税務署に来たときはたいてい西新宿から新大久保まで歩くわけだが体を動かしても気持ちは盛り上がってこない。事務所でも各所連絡と諸々の精算作業。少しずつ仕事は片付いていく。しかし銀行の海外送金手数料が高すぎる。しかも手続きに必要な書類もこの間でさらに増えた。1か所送金手数料6,500円って、バカじゃないだろうか。狂ってるとしか思えない。ということで別の送金システムに登録準備を。
帰宅後は『恐怖の映画史』の再度の読み込み作業。かつてのPDFから文字データを抜き出す際に、PDFに使ったフォントの問題なのか、いくつかのエラーが出ていて、ある箇所だけ文字間が空いたり、濁点が文字とセットではなく濁点だけ独立したものになったりしている。それらを全部探り出し通常の文字に置き換えていくわけだ。読んでいくうちにこうなったらトビー・フーパ―映画祭をやらないではいられない気分になる。どこかに金持ちはいないだろうか。3000万~4000万円くらいあればできるのではないか。案外商売にはなると思うのだが。
そして昨日の続きで『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』。毎晩こんなことをしていてはどんどん寝るのが遅くなるので途中で切り上げようと思ったのだが、つい最後まで観てしまう。ビー・ガンに関してはその手法がまず圧倒的に目に付くし語られもしているのだが、案外そこではなくガス・ヴァン・サントのような、そこにはいない誰かの話を静かに聞きながら映画を作るタイプのひとではないかと思えた。舞台となっている迷宮のような場所がそう思わせるのだろうか。そしてそれを観ていく、聞いていくうち人にわたしもまたそこにはいない人としてみずからの映画の語り手となっていくわけである。その後もう何年も前に死んでしまったジェイソン・モリーナの歌を聴いた。

 
1月16日(土)
目が覚めたら春のように暖かく気持ちも緩む。午後から事務所にてとある仕事の話でまったく想定外の依頼だったので驚くが、まあそれもまたよし。その後友人たち、そして土居くんがやってきて、みんなで土居くんに占われる会。1対1の占いだともっと深刻な話になるのかもしれないが、友人たちとともにだと、それぞれの人生が相対化されるというか自分の人生に距離を置きながらしかし目の前の具体的な話をするという具合になるので、次第にそれぞれの具体的な人生が混じり合い始めもして、人生を得した気分になる。相変わらず私はいいことと悪いことが同居しているという診断。すでに霊化してるのかもしれないとも言われたが、まあとにかくこのひどい状況の中を何とか生き延びられればそれでよし。
帰宅して聴いたのは、ジョン・レジェンドとザ・ルーツのアルバム。もう何年も前のものだが歌や演奏へのエコーのかけ方が絶妙で、ときどき背後から、そのエコーに不意打ちされるような感じ。今ここの音を誰かに伝えようとしているのではなく、この空間のそこかしこにいるはずのゴーストたちに何とか歌を歌わせようとしているかのようだ。

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その後ドゥニ・ヴィルヌーヴの『灼熱の魂』。公開時に観たはずなのだがそのころはドゥニ・ヴィルヌーヴが何ものかもわかっておらずそれっきりになっていて、まさかまたもや観たこと自体を捏造しているのではないかとこの2、3年ずっと気になっていた。ほぼすべて忘れていたが、たぶんやはり公開時に観たものと同じ映画である。今こうやって観てみると音楽の良さに心ときめくのだが、近年のアルノー・デプレシャンの音楽をほとんどやっているグレゴワール・エッツェル。黒沢さんの『ダゲレオタイプの女』もそうだ。今度会ったら話を聞いてみようと思い配信で観直せるかと思って調べたらリストにはなかった。デプレシャンの作品もほとんど観られない。結局ソフトが出た時に買わないとだめなのか、とも思うのだがそれは絶対に間違っている。こうやって配信で観られる時代になったのだから共有の財産は一元管理で世界中どこでも観られるように整備するのが文化事業というものなのではないか。

 
1月17日(日)
日に日に起きるのが遅くなり本日は13時前。さすがにこれではまずいと思うのだが、いったいどうしたらいいのだ。とりあえず散歩はする。夜になって急に身辺整理を始めた。あまりにものだらけになったのと、パソコンからDAコンバータを通して聴くとアマゾンミュージックの音がCDの音よりいいことに気づき、これならCD持っていてもただ持っているだけではないかという根本的な疑問に立ち返ったためだ。もちろんジャケットやライナーなどの問題はあるし、果たして配信だとどれだけ製作者たちへ売り上げが戻るのかという問題もある。だが、Kindle版の書籍を発売してはっきりしたのは、読み放題プランの毎月の売り上げ(読まれた歩合によって料金がバックされるシステム)が想定以上にいいのである。音楽の場合はどの程度の歩合で戻されるのかわからないのだが。いずれにしても必要なものは買うしレコードだってある。
そしてそうこうしているうちに深夜3時。6分の1くらいは整理できただろうか。先は長いし、整理した割にはまだ全然すっきりしていないのに呆然とするが、今夜はコーヒーがおいしく淹れられたのでそれでよしとする。フィル・スペクター死去。

 
1月18日(月)
最近のグダグダな暮らしを少し立て直そうと、10時に目覚ましをかけ世間の皆様からは確実に怒られるだろうが「早起き」をしてみた。法務局で書類をもらいそのまま大久保で昼食をと思っていたのだがまだ目覚めず、あきらめた。事務所で様々な事務手続き。早起きのせいかとりあえず落ち着いてやることができた。やるべきことは無事完了。
帰宅するとフォノイコライザーが到着している。早速設置、あれこれ聴いてみるとやはり全然違う。たぶんこれはこんな音ではないはずだと保留していたレコードが俄然いい感じに聴こえてくるので止まらなくなり、観ようと思っていた映画は明日に持ち越し。80年代ど真ん中のスモーキー・ロビンソンの時代感丸出しのシンセの音にときめいた。まだ40代半ばである。そしてカートリッジをモノに替えスペクター祭。もはや死のうが生きていようがほとんど変わらない幽霊ぶりだったので、不意を突かれたくらいで特別な思いはないのだが、しかしライチャス・ブラザーズのこのアルバムのA-1「EBB TIDE」とA-6「HUNG ON YOU」、B-1「FOR SENTIMENTAL REASONS」の狂った音は今更だが信じがたい。そこら中から幽霊が出てきて密になってそれぞれが勝手に歌い上げて何が何だかわからないその中でかろうじてライチャス・ブラザーズの声が聴こえてくる。でもこれをバカでかい音でかけると気持ちいいんだよねえ。早くアナログばか一代、再開したい(実は2月9日にやる予定で発表直前に緊急事態宣言、それも今回はモノ盤特集で必然的にスペクター祭になる予定だったのだけど)。

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1月19日(火)
先日から腰のあたりが靄っとしていたのだが、顔を洗っている時だったか、一瞬ほんのちょっとだけ腰のあたりがカクンとなり昼ぐらいからどんどん痛みだし終了。以降、何をやっても上の空。昨夜からのモノ盤祭はバーズの『Turn! Turn! Turn!』A-4「Lay Down Your Weary Tune」で極まる。カキーンと響くギターの金属音と低すぎずでも太い音で腰のあたりを攻めてくるベースの音との絶妙なバランスにうっとりする。夕食前後はひたすら横になる。

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夜はグー・シャオガンの『春江水暖~しゅんこうすいだん~』。2月公開予定のサンプルをオンラインにて。これがデビュー作という88年生まれの若者で、出演者のほとんどは監督の親族だったり知り合いだったり。高校時代に映画に目覚めるという晩熟だが、それゆえにインタビューには岩井俊二、『フォレスト・ガンプ』『ショーシャンクの空に』、パラジャーノフ、『アバター』、小川紳介、『山河ノスタルジア』、ホウ・シャオシェン、エドワード・ヤンという固有名が並列に並ぶ。作品は大家族の3代記ともいえる構成になっていて、大勢の登場人物たちのそれぞれの小さな時間によって作られていく。それぞれの人物たちの描かれ方はまだ不安定だが、とにかくそれでも川が流れる。この映画の川は多くの映画のように生き物の生と死を引き受ける場所というよりも人々の暮らしの断片を見つめながら延々と流れ続ける時間そのもののような、つまりこの映画の語り手でもあるようなものとしてある。川沿いの舗道を歩くカップルの姿を横移動で延々ととらえそして彼らがフェリーに乗り込み甲板からブリッジの屋根まで上り同時にフェリーが動いていくのをワンカットでとらえるシーンなど、それだけで100年くらい経過しても不思議ではない時間の流れを示す(インタビューではそのシーンの音についても言及があって音も映像に匹敵する「ワンカット」の録音がされていて驚かされる)。いずれにしても、日本の監督たちには目の毒としか思えない。こういうことをどうやったら日本のこの状況でやれるのか。もちろん『寝ても覚めても』のいくつかの移動シーンの光と音の変化や『TOURISM』のどこにつながっていくかわからない空間の接続などを思い出すと、別の新しい動きが映画の中で始まっていることも実感する。ショックだったのは、家の取り壊しのシーンで取り壊される部屋からその住人宛に来たものと思われる手紙が出てきて、それがまるで遥か時間の彼方からふと顔を出した人間の記憶みたい描かれていたことだ。まるで『A.I.』の最後のほうですでに人類がいなくなった2000年後だったか3000年後のアメリカの残骸の中、ぬいぐるみに張り付いた髪の毛からその髪の毛の主であるAIの「お母さん」の映像を作り出すように、その手紙が読まれることである。わたしの中では1989年なんてすぐ隣にあるのだ。いや、たとえ3000年前だったとしても、それは隣にあるのだと言い張りたいと思っている。だからこそこの流れが大切だとも言えるのだが。

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『春江水暖~しゅんこうすいだん~』
2月11日(木・祝) Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開


1月20日(水)
ぎっくり腰2日目。昨日より俄然ひどく、まともに歩けない。すべての予定をキャンセルする。落ち着いて何かができるかと思ったのだが、立っても座っても寝ても腰がうずいて何にも集中できない。あきらめる。前回のように車いす騒ぎにならなかっただけでもましだと思うしかない。昼寝をしているうちに一日が終わり、アメリカでは新大統領が就任した。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。boid配給作品の『VIDEOPHOBIA』(宮崎大祐監督)が公開中。