ミッシング・イン・ツーリズム 第5回

『TOURISM』が全国公開中の宮崎大祐監督による連載「ミッシング・イン・ツーリズム」第5回。第2回から続く2018年末のタイ・バンコク旅行記も今回で最終章を迎えます。この旅で知り合った女性・ピムに誘われて出かけたクリスマス(第4回参照)から一夜明け、胃痛で目覚めた12月26日からタイを出国する29日までの出来事が綴られています。
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文・写真=宮崎大祐


「ミッシング・イン・ツーリズム」の連載を開始してからはや半年、あっという間に映画『TOURISM』の全国公開も終盤をむかえ、その間こちらのMITはというとわたしの筆不精がゆえに2018年末のタイ編から遅々として進んでいないという事態に陥っているのだが、本当は公開中にこのあとのカンボジア編、フィリピン編と経て、韓国編までといわずとも、せめてスペイン編くらいまではたどりつくはずだったというのを今のうちに告白しておこう。今回が恐らくタイ編の最終章になる、はずだ。



【12月26日】

昨日も遅くまで屋台で暴飲暴食していたためか、異様な胃痛で目を覚ました。まるで胃袋が鉛球になってしまったかのような重み、痛みで。実はわたくし、病弱ではあるものの胃腸の強さには結構な自信を持っていて、今まで中近東やら東南アジアのさまざまな国を渡り歩いて同行者が辛い目に遭っているのを目にすることはあっても自分が腹痛で云々ということは一度もなかったのだ。それが年のせいかなんなのか。頭上で今日もゴーゴー音を立てている、基本18度のエアコンのせいなのか。大事をとって今日は一日部屋で寝ていよう。そう思った矢先、わたしがひとり孤独なクリスマスを過ごしたことを懸念した新婚ほやほやのポン夫妻がホテルまで迎えに来た。こんな善い人たちにノーとは言えない。
胃痛を我慢しながら夫妻と牛ソバを食べていたら、そもそもわたしはバンコクに何をしに来たんだろうという存在論的な問いにふと行き当たった。そうだ、わたしはシナハンをしにバンコクに来たのではないか! そう思うといてもたってもいられず、食後すぐにトンローにある日本人街をシナハンしはじめた。暇を持て余している蠱惑的な日本人妻はいないか。現地のトゥクトゥク運転手は普段一体どんな暮らしをしているのだろうか。ポンとポーに聞きながら排気ガスくさい道を歩く。シナハンに集中すぎてペンキ塗りたての壁に突っ込み、買ったばかりのアシックスの靴をダメにしてしまうなどのハプニングもあったが、充実したシナハンであった。日が暮れてからはヨッシーと合流し、スクンビット通り沿いにあるいつもの海鮮中華料理屋で食事をした。さまざまな種類の脂っこい炒め物が運ばれてくるのと同じようなペースで絶世の美女を連れたナードクラスターの青年たちが来店するので、「ああいうやつらは何でもててるの?」とヨッシーに聞くと、「今まで生きてきて一度も彼女が出来たことのない俺にそんなことを聞くな」と言われ、ばつが悪い思いをする。コミュニケーション全般にオープンに見えるタイでこんなに面白くてクリエイティブなやつがその手の孤独を味わっているという世の噛み合わなさに首をかしげる。


【12月27日】
 
こういう症状を胸やけというのだろうか。内臓から火柱が喉を上がってきて常に顔をだしているようだ。しかし、腹は減っているので何かを食べなくてはならない。いや、そもそも腹は減っているのだろうか。起きたら必ず何か食べなければならないのだろうか。それはただの義務感であって必ずしもしなければならない行動ではないのではないか。そんなことを考えていても胸から次々とあつい空気がこみあげてくる。冷却するにも部屋にはコーラしかない。困ったものだ。気分を切り替えるためにプールサイドで来月の仕事の整理をすることにした。何を隠そうわたしは大の日光浴好きで、それはほぼ中毒と言ってもよかった。夏はもちろん、冬も春も一年中、日差しを求めて方々をうろついている。草食系男子を卒業し、今では植物性男子と呼ばれるわたしにはピッタリの趣味だった。何故日光が好きなのかはわからない。聞いた話では日焼けは大量の脳内麻薬を分泌させる効果があるという。それだけとは思えない、生の実感がそこにはあるからか。だが、タイの暴力的な直射日光を考慮してであろう、このプールは常時ホテルのメインタワーの日陰になっていて、待てども待てども陽が差すことはなかった。こんなことだったら部屋にいればよかったなと思いつつ、肌寒さを誤魔化すために背筋を伸ばして腹式呼吸で台本を朗読することにした。台本に登場する新宿に根を下ろす顔役になりきってしばらく朗読していると、プールサイドに中国人の親子がやってきた。頭頂部にフキの新芽のように髪の毛を残し周りを白々と刈り込んだ四歳くらいの息子は明らかに大きな水たまりに若い動物的な抵抗を示していたが、父親はそんな息子に一切目もくれず、純金の腕輪とネックレスを光らせながらプールに飛び込んだ。水辺でおろおろする息子と秘教の儀式のように黙々とプールを往復し続ける父親を見比べていたらなんとなく集中出来なくなったので、部屋に帰った。
バンコクは日が暮れると一気に空気が悪くなるような気がする。排ガスと闇が一体化するような。そろそろ帰国も近づいているのでエカマイの駅前モールで適当なお土産をみつくろい、正月も行ったプラカノンにある沖縄料理屋でドンとヨッシーとオリオンビールを飲みながら、ありとあらゆる油ものを食べた。そしていつもの飲兵衛広場にはしごし、抱き枕サイズのタワーピッチャーからビールを注ぎ続けた。当然のことながら、その夜は胃痛で寝ることが出来なかった。単純な自壊願望ではなく、今まで一度も音を上げなかった胃腸を試している。お前らはこんなもんなのか? 今まで涼しい顔して一緒にがんばってきたのに、こんなもんなのか? それにしても身体の中心が痛いことがこんなに辛いなんて。身体の要は腰ではなくて胃でしょうよ。


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【12月28日】
 
明け方まで胃の痛みに耐えていたらいつの間にか眠っていた。八時頃ドンからの電話で起こされる。わたしの企画の参考に見せたい景色がいろいろあるという。エカマイ駅前のツルハドラッグでパステル色のかわいい袋に入った胃薬を買ってスカイトレインに乗った。ドンに指定された駅は千里ニュータウンとジャングルが合体したような奇妙な駅で、ちょうどバンコク中心部と郊外の境目にあるような駅だった。まずは駅の西側に広がる線路沿いのゲットーを案内してもらう。タイにおいて公共交通機関は基本的に豊かな人々しか使えず、格差がなくなることを「防ぐ」ために=富が再配分「されないように」、交通機関を「増やさない」政策が支配層によってとられてきた歴史があるという。一聴しただけではなんのこっちゃよくわからないかもしれないが、平たく言うと世の中には自分だけがリッチでいたいので、物資を行き来させ経済を活性化させるような交通機関は使うな、自分だけが金持ちでいいんだ、という金持ちが実在しているということだ。誰もが平等で、誰もが幸せにという価値観が絶対だと思い込んで育ってきたわたしのような人間にはにわかには信じがたい価値観ではある。
線路沿いの貧民窟からタクシーを拾い、訪れたウォンエンヤイはちょうど中国のお祭りの真っ最中で、ものすごい人ごみだった。人の流れに乗って、何かの記念広場の周りを歩き、相変わらず国王だタクシンだやってるなあと思っているとハード目のスコールが降ってきた。逃げようにも身の回りはラッシュアワーの井の頭線のような状況なので仕方なく大きな雨粒にうたれ続けていると、高校時代に行ったよみうりランドの波が出るプールの思い出が鮮やかによみがえってきた。あの日もこんな風に蒸し暑くて、ぎっちぎちに人が埋まったプールはもはやプールというよりも具沢山の冷おでんのようだった。無心でぐるぐるぐるぐると回って、どんどんどんどんびしょびしょになっていき、結局ここに来た意味も生きている意味も分からなくなってきて、それが心地よかったりもする。そこへポンの運転するねずみ色のニッポンの車がやってきて、わたしを現実界に連れ戻してくれた。今日は早めに寝ないと本当に死んでしまうだろう。明日帰国だというのにパッキングをする余力もなかった。
 
 
【12月29日】
 
あっという間に帰国日となった。昨日あまり食事をしなかったからか、胃痛は幾分かマシになった。とりあえず荷物をまとめチェックアウトする。今日もポン夫妻が迎えに来てくれた。結婚したてで忙しいであろうこの年の瀬に、返す返すもなんていいやつらだろう。彼らと再び乾燥雑炊を食べ、サイドメニューで頼んだタロイモの春巻きの甘味、旨味に舌を巻き、その多幸感が持続したおかげでその後数時間つづくことになるバンコク名物の大渋滞にも耐えることができた。
最終日だからとポンが彼の隠れ家だというクローントイにある廃ビルの屋上に連れて行ってくれた。まさに『TOURISM』のラスト・シーンのようなシチュエーションから見下ろすバンコクの街並みとチャオプラヤー川は透き通っていて、格別だった。今この屋上から見える人という人、窓という窓、灯りという灯りのまわりには何らかの生活があり、人生がある。赤レンガのようなアート・エリアでお茶をしてから小舟に乗り、チャオプラヤーの対岸にある中国人観光客向けの高級モールを覗いた。内装は徹底的に金ぴかで昨日のお祭りのごとく店内は大混雑。またも人の波に流され自問自答が始まる。しかし、せっかくの最終日にさすがにこれはToo muchだと思い、早々に退散した。チャオプラヤーの漆黒の川面に沈むフロリダンな夕陽を見ながらひとりたそがれていると、ポーから「ピムが空港に行く前にうちに寄っていきなよと言っている」という嘘だか本当だかわからない情報がもたらされた。先程合流したドンは「フライトまでもうほとんど時間がないからここで食事でもして空港に直行したほうが賢明だ」という。たしかに、残された時間はほとんどない。だが、ここまで読み進めていただいた読者の皆さんはもうお分かりのように、わたしの行動原理は常に「面白さ>リスク」というものである。
クリシェになりかけている自己説得術で嬉々として車に乗り込み出発したものの、結局またいつもの渋滞に巻き込まれ、ピムの家には20分くらいしかいられないことになった。ピムの部屋にはわたしの憧れYo La Tengoとピムのバンドが対バンしたときのポスターが貼られていて、改めてその事実を考えると下腹がキュッと引き締まった。お茶を淹れにピムが立つとポンは「気がない相手を家に呼んだりしないでしょ。俺らも初めて呼ばれたもん!」とはしゃいでいたが、タイ女性の心理が分かるはずのポーはいつも通り微笑むばかりだった。たわいもない話をしているうちにあっという間に20分が経過した。正直言うと、ピムとの物語はもう先日で終わっていてもよかったのだけれど、思わぬアディッショナル・タイムを誰かに感謝して別れを告げようとすると、「空港まで一緒にいく」とのこと。「え? どうして?」と期待含みで聞くと、「ポン夫妻とあまり話せなかったから」ということで……この調子は最後の最後まで変わらないようだ。
実際、後部座席に隣同士で座ることになったわたしとピムだったが、終始運転席と助手席に座るポン夫妻と何やら話していて、わたしと話すことは道中ほとんどなかった。車は高速道路に入り、空港が近づいている予感がした。すると、ピムがわたしに向かってこう語った。「今度総選挙があるんだけど、タイはとても恐ろしくて野蛮な国で、まったく微笑みの国なんかじゃないの。今ずっとその話をしてた」ええ!? この期に及んで政治? いやーたしかに普段わたしは若干社会派寄りの映画監督見習いとして活動しているけどさー、もう日本に帰っちゃうんだしさ、もうちょっとロマンチックな……とはいわずとも、ヒューメイン(人間的)なコミュニケーションがあってもいいんじゃないの? こうちょっとエモーショナルなさぁ。そこでポンが「ぼくはこの国が滅びる瞬間に立ち会うつもりだよ」とか半泣きでいいはじめるので、わたしもなんて言っていいのかわからなくなって困っている内に車は無情にもドンムアン国際空港にたどりついたのでした。車を降りたわたしはどうにか場を盛り上げようとして「みんな、世話になった! 最後に、お別れのハグをしよう!」と、ポン、ポーと勢いにまかせハグしていったのだが、三人目のピムはサッと身を引き、微笑みながら右手を差し出した。「……なんだよ、ノリわりーなー!」と、オールラウンドサークルに所属している大学二年生のような奇声を発したわたしは、不貞腐れている芝居をしながらスーツケースを手にし、その微笑みがあればいいじゃんかよと思いながら、彼らに軽く右手をあげ、足早に国際線ターミナルの中に駆け込んだ。




宮崎大祐

映画監督。大学卒業後、『トウキョウソナタ』(2007年、黒沢清監督)などの作品に助監督として参加。また2011年には筒井武文監督の『孤独な惑星』の脚本を担当。同年、長編デビュー作『夜が終わる場所』を監督。同作はサンパウロ国際映画祭などに出品され、トロント新世代映画祭では特別賞を受賞。2015年にアジア4ヶ国によるオムニバス映画『5TO9』のうちの一編『BADS』を永瀬正敏主演で監督。2018年に公開された長編第2作『大和(カリフォルニア)』はタリン・ブラックナイト映画祭を始め多くの国際映画祭で上映された。シンガポール国際映画祭とシンガポール・アートサイエンスミュージアムの共同企画で製作された『TOURISM』が全国順次公開中。次回作『VIDEOPHOBIA』は来年公開予定。
11月30日(土)に「TAMA CINEMA FORUM」で『TOURISM』と短編『ざわめき』の上映、また併映作品『ひかりの歌』の杉田協士監督とのトークもあり。