妄想映画日記 その85

boid社長・樋口泰人による2月前半の妄想映画日記。なんばパークスでの爆音調整のため、東京ー大阪を2往復して、お台場での爆音調整もこなした半月。新作は『ジ・アリンズ』(サミ・サイフ監督)、『王国』(草野なつか監督)を。もっと身軽になるための今後のboidの打ち合わせも。

文・写真=樋口泰人

2月1日(金)

大阪の中央市場というところに案内され、その場外にある寿司屋でのランチを。1皿1,000円は安いとは言えないが、うますぎる。11月に広島で食った極上すぎる牡蠣もそうだったが、うまい水を飲むようだと、最近はいろんな人に伝えている。すべては喉越し、ということか。味とか香りとかすべてはるかかなたに置き去りにして、するりと喉を通り過ぎていく感じ。身体を貫いてさらにその先に導いてくれる何かと言ってもいい。とにかく3皿食った。土居くんなら一体何皿食うだろうと、思わず土居くんに電話してしまった。

夜はboid大阪支社長の家で鴨鍋を食い、その勢いで深夜の爆音調整を。爆音も究極は爆音なのかどうかもわからない、するりと身体に入ってそのまま宇宙の果てまで連れ去って、終わった時にはただ単にスッキリ感だけが残ってちょっと寂しい物足りない、くらいな感じが着地点ではないかと思っているのだがどうだろうか。その意味では今回のなんばの爆音は、まだ爆音感が残りすぎている。というか、つまり、いわゆる爆音を求めてきた方には大満足の爆音上映になっていると思う。『ファーストマン』は冒頭からびびった。『メッセージ』や『ダンケルク』や『ブレードランナー2049』以降の、微妙にフィルターがかけられた音の重なりが、脳髄をビリビリと刺激する。とはいえ物語は、60年代から70年代にかけてのホームドラマで、前半だけで葬式のシーンが3回もある、決して華やかとはいえないアメリカの影の物語だった。

2月2日(土)

帰宅するとモスクワからロシア菓子セットが届いていた。2ヶ月分くらいはある。

2月3日(日)

送られてきたサンプルの中から『ジ・アリンズ』を観た。GGアリンのドキュメンタリーなのだが、主役は本人でも兄でもなく、完全にお母さんだった。『ツインピークス』の丸太おばさん役の方が亡くなってしまったらしいのだが、アメリカにはまだまだその代わりはいる。アリン母が丸太抱えて登場しただけで、おそらくその場は完全に『ツインピークス』になる。アリンの歌に貼り付いている50年代的なスウィートなポップさと暗い影は、このお母さんそのものだ。ひとりのミュージシャンのドキュメンタリーとしてだけではなく、20世紀後半のアメリカをひたすらぼんやり眺める映画として十分に楽しんだ。

2月4日(月)

爆音でしばらく留守にした後の月曜日は、事務作業でめいっぱい。気分が変わってそれはそれでよし。

2月5日(火)

寝坊した。まあ、疲れているわけだ。PASMOのチャージをしようとしたのだが、ぼーっとしていて、切れていた定期を買ってしまった。2月は週に2、3日しか事務所に行かないのだが。事務所のCDレシーバーが壊れCDを読み取らなくなって寂しかったので、新しいものを購入したのだが、セッティングしてみたら、フォノ入力がないことに気づいた。つまり、レコードプレーヤーから入力しようとすると、フォノイコライザーを仕入れる必要がある。機種にもよるが、フォノイコはCDレシーバーどころじゃない値段。調べてみたら、6,800円から500万円くらいのものまである。この広すぎる値段の幅にクラクラする。もちろん何も踏ん切りが付かない。

夜、バスタブに読みかけの本を落とす。風呂に入りながら本を読むので、1冊読み終わると本はだいたいこんなふうになってしまう。

2月6日(水)

ワンメコン・チームが先日タイから招聘したCLEO PのPVを見る。

昼から事務所に来客あり。今後に向けていろんな話をする。冬はもしかすると外より寒いんじゃないかと思われるboid事務所の引越しも考える。ただ、まだ今は仕事も引越しも、じっとおとなしく時期が来るのを待つ感じかな。わたし自身にそこまでエネルギーがない。成り行きまかせ。いつものことなのだが。

そして夜はお台場に向かい、深夜の爆音調整5本。なんばの爆音と違い、どこか「うまい水」な感覚が出てきた気がする。その分、普通には音量が物足りないように感じられてしまうのか。まあ、ここまで来ると、他人の反応はどうでもいい。

2月7日(木)

昼に起き、そのままお台場へ。本日は、夕方までに3本、そして本番、さらに本番終了後に3本の爆音調整。前回までのスクリーンの倍の広さになったので、調整は完全に肉体労働になる。前の座席から最後方の座席まで上がったり下がったりしながら音を確認していく。腹も減る。耳は割と快調。苦労しつつもご機嫌な音になっていく。

2月8日(金)

昼に起きたがぼーっとしている。事務所での作業はやり残しがあり、急ぎで片付けなければならない。それなりに緊張して、いろんな作業をやった。そして慌てて恵比寿に向かい、恵比寿映像祭で上映される草野なつか『王国』を。本来ならその前に三宅の『ワールド・ツアー』の展示を見ようと思っていたのだが間に合わず。まあこれは会期中やっているので、次回。

草野なつか『王国』は、密室の会話劇でもありしかし窓の映画でもあった。冒頭1度だけ、カメラが外に出て窓の外から室内を写すあのシーンが、この映画の密度を高めると言ったらいいのか、この映画自体の存在証明のようなものとなっている。画面に映らない殺された子供の声はおそらく監督の声で、このシーンはその事件の調書の確認が行われているシーンだったわけだから、つまりまだ完成していない映画を残して死んでしまった監督の、その映画がいったいどんな映画であったはずなのかを探るシーンとも言えるのだった。その後は、失われた映画の完成をめぐっての試行錯誤。あったかもしれない可能性を形にして「調書」を作り上げていく。調書から声を浮かび上がらせる試みと言ったらいいのか。残された調書という事実の断片から真実の「調書」を、残されたものたちの力で「内部」から作り上げていく試み。その扉が開かれる重要なファーストシーンの一部が、密室の中にあるカメラの切り返しではなく、1回だけカメラが密室の外に出て外側からそれを写したのである。不在の監督の視線をまず初めに示したと言ったらいいか。その視線があるからこそ、これが「映画」として成り立つ、その支えとなるような視線。窓はその不在の監督の視線が外側から見つめるためのものだと言えるかもしれない。密室の外側にある映画へと向かって、未完成の映画の可能性たちが、密室の中でざわめき立つ。この映画の窓はそんなことを思わせる。だがだとすると、最後、窓のない扉がバタンと閉まるシーンは、少し形式的すぎないか。何か大人がこっそり爆笑するような仕掛けはないのだろうか。

2月9日(土)

急な寒さで、我が家はふたりともぐったりで、いろんな予定をキャンセルした。せっかく家にいるのだから、調子の悪かったマックを初期化してシステムを再インストールしてみた。なんとなくすっきりと動くようにはなったが、ワードやエクセルやはり死ぬほど遅い。文字変換も余計な作業をあれこれして面倒臭い。ワードがいろんなものを積み込みすぎているのだろう。もっとシンプルに生きられないものか。もちろんエンジンさえ最新の物になればそんなことは考えなくてもいいのかもしれない。つまり金持ちになれば良いということである。本日は一歩も外に出なかった。

2月10日(日)

本日も予定をキャンセルして夕方までずっと自宅。さすがに2日連続一歩も出ないのはということで、ちょっと散歩した。高円寺の古着屋で万引き騒ぎがあって、万引きの主らしい女性が、店員たちに囲まれながらも電柱にしがみついて騒いでいた。いろんなことが起こる。久々の高円寺「RARE」にて、何枚かレコードを買った。100円コーナーにスリー・ディグリーズのアルバムが。高校生の頃、いや中学だったか、とにかくこの内ジャケットの写真を使ったポスターにやられたのだった。

2月11日(月)

昼まで寝ていた。そのままお台場へ。シークレット爆音の『ネバーエンディング・ストーリー』を観るのと、その後のトークのために。そして何度見てもあの沼に沈んでいく馬の目にやられる。CGで何でもできる今なら、撮影の際に馬をあのような状況に追い込まず、じっとしている馬だけ撮ってあとはCG処理で、画面上はリアルな映像を作り上げることが可能だろうし、迷わずそうすると思う。だが当時はそんなことはできないので、ギリギリまで馬を沈める。馬の背丈に合わせて沼を作り、台座に載せた馬が完全に沈まぬようにはしているのだろうが、馬はそんなことは知らない。いったい何が起こっているのか、ここで暴れていいのかどうしたらいいのかと何も知らず困惑しているに違いないと、こちらが思わざるを得ないような何とも言えない表情をする。馬が沈んでしまうという少年の悲しみと、現実に目の前に映る馬が本当に沈んでいく、しかも馬はそのことを知らず通常なら何とかしようともがくものを映画の撮影だということは何となく把握しているのか飼い主から動かぬよう仕込まれているのか、だから動かないもののそれでも不安は1秒ごとに増す、というまるで撮影現場にいるような、あるいは本当に馬が抵抗もできずそのまま沈んでいく現場にいて助けてくれという馬の訴えを聞いているような胸が痛くなる現実感とがクロスして、ただひたすら運命の残酷さを心に刻み付けるしかない。

不自由だったからこそそんなシーンが撮れた。今これは無理だ。そしてもちろん意図して撮れるものでもないし、このシーンは成功しているのか失敗しているのかもわからない。沈んでいく馬のリアルな描写という意味では「失敗」ということになるのだろう。しかしこの馬の判断不能な目の悲しみが、その後の物語を厚く覆っていく。映画のリアルとはこのようなことを指すのではないかとさえ思う。

物語の結末も同様な曖昧さを残す。果たして少年は自身の役目を果たしたのかどうか、仕事は成功したのかどうか。もちろん女王は「それでいいのだ」と語り掛けるわけだが、そして確かにそれでいいわけなのだが、われわれに刷り込まれた「成功」の感覚とは、それは程遠い。しかしそれでいいのだと、『レディ・プレイヤー1』は語っていて、だからぜひこの映画とセットで『レディ・プレイヤー1』を観てほしい、2018年は何が何でもスピルバーグの年だったのだというトークをした。

2月12日(火)

この日の朝10時まで、という原稿の締め切りを忘れていた。久々に焦った。

夕方は宮崎大祐くんと今後の打ち合わせ。

2月13日(水)

事務所での打ち合わせを済ませ、夜は大阪へ。すでに今年3回目。エネルギー補給のため某所で参鶏湯ほか。身体じゅうが温まる。しかしこの日は、相手を間違えてのメールを2通(YCAM杉原くんに送るメールの途中でboid大阪支社長に送るメールが接続されて杉原くんに送られ、YCAM広報の某に送るしょうもないバカメールがboid大阪支社長に送られた)、そして更に、貰い物を店内に忘れるというもはや人間としてコントロール不能な1日であった。

夜はなんばパークスシネマにて爆音映画祭用の調整3本。『ブレードランナー』新旧2本と『マッドマックス 怒りのデスロード』。別に郷愁に浸りたいわけではないのだが、『ブレードランナー』の2作を覆う郷愁には、ときどきやられる。そんなものは幻影にすぎないとは思う。しかしどこかで『2049』のハリソン・フォードのような老後に惹かれる自分の中の何かを愛おしいとも思う。そんなねじれた哀しみが、爆音の中に紛れ込んでくれないか。

2月14日(木)

朝3時過ぎに爆音調整終了。明け方に寝たのだがホテルの部屋が寒くて目が覚め、その後はまどろむばかり。ぼんやりと起き上がり、5月の同志社大学での爆音上映の打ち合わせを。内容は思いのほかあっさりと決まる。問題は果たして実現できるかどうか。いくつかの障害がある。その後夕食は焼肉。焼肉もだがスープがうまくて身体が喜ぶ。昨夜の参鶏湯にしてもそうなのだが、もはや固形物より液体。養分が身体の隅々まで浸透していく感じ。)

そして23時からは爆音調整2日目。『ラ・ラ・ランド』『セッション』『グレイテスト・ショーマン』。さらに前回調整した『ファーストマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』の再確認を。終了午前2時30分。爆音調整後はなかなか眠れない。

2月15日(金)

寝不足が続くが、何となく寝たことにして東京へ。その前に新大阪駅で、boid大阪スタッフたちと、boidのデータ共有やメールのシステムについてなどの打ち合わせを。「boid」という名前自体が「仮想の鳥」という意味であることだし、いよいよboid自体も仮想化されていく、実体の希薄化が求められている。今年はそんな希薄化したboidが、しかし気が付くとなぜかいろんなことをやっていた、みたいな感じになってくれたら。アイディアはあれこれある。

夜は、パソコンのハードディスク内にたまり放題だったboid関係の資料、さまざまなデータをすべてクラウド化するという作業をやった。途中、早まって一部の資料を消してしまうなどしたのだが、なんとか復元してハードディスク内にあるのと変わらない感じで使えるようにした。ネット環境が悪いところだとどうなるのかはまだよくわからないのだが、とりあえずしばらく使ってみる。とにかく荷物を軽くしたい。身ひとつで生きていけたら。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。