妄想映画日記 モスクワ編

boid社長・樋口泰人による妄想映画日記、今回は特別編をお送りします。モスクワで開催された「第52回日本映画祭」の一環として企画された初海外爆音上映のためモスクワを訪れた樋口。会場での爆音調整もうまくいき、食事も美味しく、とにかく居心地がよく楽しんだようです。

文・写真=樋口泰人

しかし成田は遠かった。成田を使うのは10年ぶりくらいだろうか。朝も早くほとんど寝ていなかった。気がつくと霧の中、どこか違う場所へ連れ去られるのではないかとさえ思う。クローネンバーグの『クラッシュ』を思い出す。カーペンターで言えば『マウス・オブ・マッドネス』あたりか。

モスクワは当たり前だが寒かった。予報では連日昼間でマイナス10度前後、最低気温はマイナス17度くらいが示されていた。道に迷ったら凍死である。言葉もわからない、キリル文字に至ってはまったく見当もつかない。しかも直前まで尼崎での爆音映画祭なので準備というか、地下鉄の乗り方さえも調べられないまま。このままではおそらく空港からも出られない。そして初めての海外での爆音上映。国際交流基金の主催で海外に日本映画を紹介する日本映画祭の中の一企画としての参加である。したがってアテンドが付くというのが唯一の救いで、というかそれに頼って、寒さ対策だけしてあとはまったく何もわからぬまま飛行機に乗った。直前に、同じ日本映画祭の枠の中でモスクワを訪れていた黒沢さんから、食い物はうまい、地下鉄は呆れるほど奥深い、寒さは案外大丈夫という情報があり、事前に把握していたのはそれくらい。まあ、観光しに行くわけではない。基本的にほとんど映画館の中だ。飛行機の窓からのシベリアは、森と川だけが広がっていた。

ドモジェドヴォ空港はモスクワの南35キロのあたりにあるという。モスクワへ車で40分くらい。30年近く前にアエロフロートでパリに入った時はシェレメーチエヴォ空港で乗り換え、うんざりするほど暗かった記憶があるが、こちらは明るかった。あの時も初めてのパリでわけも分からず、もちろんフランス語もわからぬまま飛行機に乗ったのだった。カラックスの『ポンヌフの恋人』の撮影現場に行って花火のシーンを現場で見たり、アボリアッツの映画祭でマイケル・チミノやヘルムート・バーガーを間近に見たりしたのもその時だった。91年の冬だったはずだ。あの時のパリやアボリアッツの身体の芯から凍えるような寒さに比べるとモスクワのマイナス10度は案外耐えられると思った。最初から覚悟していったからだろうか。確かに顔はむちゃくちゃ痛い。だがそれさえ心地よく感じるのは、こちらが歳をとりここで凍死してもまあ仕方ないかと思えるくらいには覚悟が決まったせいなのかと、覚悟などどこにもない弱々しさのまま生きてきた自分をここにきて何か違うものに仕立て上げたい欲望にもかられる。

ホテルは会場であるシネコンから歩いて10分ほどのところだった。モスクワの中心地ということなのだが、シネコンの敷地が広い。モスクワの中心地でも土地は十分にある、ということか。例えば東京や大阪などの中心地のシネコンでこのような敷地はあり得ない。中は3層構造になっていて、10スクリーンくらい、最大スクリーンは1600席というこれまた日本では考えられないスケールの大きさだった。中を見せてもらったのだが、オペラハウスのような円形構造で、ひたすら気持ちよかった。確かパリで『シェルタリング・スカイ』を観たときに、やはり1000席をはるかに超える大スクリーンの、今のようなシネコンではないまさにオペラハウスそのもののような映画以前の空気が会場全体を満たしている木の椅子でリクライニングではなかったか、そんな映画館で観たことがある。どこまでが本当の記憶なのかすべてが曖昧でぼんやりとした風景の中にあるのだが、あの古いヨーロッパの空気が、モスクワのシネコンにも確かに漂っていた。しかし一体これだけの座席が埋まることがあるのだろうかと疑問は残るわけで、尋ねてみると大作のプレミア上映などのイヴェント会場として主に使われているとのこと。この日もロシア映画の新作の完成披露試写が行われていて、ロビーは人で溢れていた。

食い物はどれもうまかった。スープにパンにペリメニやサラダその他、それに飲み物を頼んで一人2,000円くらいだったはずだから、とくに高いレストランに行ったわけではないのだが、普通に美味しい。特別なものが出てきたわけではなく、ベースになっているものがうまいという感じだから、ロシアには一生住めるという予感が身体を満たす。つまり一夜目にしてアウェイ感ゼロ、しかし言葉はまったくわからない、おそらくこのままでは地下鉄にもバスにも乗れない。アテンドがいる安心感が居心地をよくさせているのだろうか。

爆音調整は朝7時から。機材チームは深夜2時からセッティングを始めるというスケジュール。これも日本では考えられない時間感覚なのだが、こちらも時差ボケやら、初めての場所で気持ちは高ぶっているのであまり気にならない。しかし朝、会場に行ってみると機材のセッティングはできているものの電気技師が来ておらず、つまり電気を引くことができないのだという。電気が来なくては音も出せない。これも日本では考えられないことなのだが、とにかく技師待ちで4時間。ゆったりと時間が流れる。その間何をしていたのか、カフェでのんびりと時間の経過を楽しんでいたのだと思う。世界が明るくなったのは9時過ぎくらいだったか。北国の冬時間。普段こんな時間は確実に寝ているから、その光の変化をたっぷりと堪能した。11時くらいにようやく連絡が来て、会場に向かった。

本番は30日の20時からの『寝ても覚めても』が最初で、1日目は調整のみなので4時間遅れてもなんとかなると思っていたら、14時前から映画祭とは関係ない別の通常の作品の上映があるのだという。そうなると、『寝ても覚めても』を調整するだけで目一杯である。しかも爆音と通常の上映の音の切り替えを初めての場所で、初めてのスタッフたちがうまくやることができるのか。もろもろ不安は湧くがまあ、なんとかなる。すべてが北国のゆったりとした時間の中で進んでいく。というのはこちらの勝手な思い込みで、皆さんなんとか時間に間に合わそうと走り回ってくれている。何れにしても『寝ても覚めても』からはそれまで思いもしなかったさまざまな音が聞こえてきて、画面を観ているだけでは見えてこない主人公のストーリーを語り始める。なんだろう、ただただ彼女はこれらのさまざまなざわめきと街の音とが作り出す川の流れに沿って、ひたすらそこを懸命に歩いていく。行き着いた家の窓の外を流れる川の音が、この映画で唯一彼女だけがこの川の音を聞き、そこに向かってひたすら歩んできたことを告げる。ふらふらとふたりの間を行ったり来たりしたように見えたのは、われわれや周囲の人がその川の音を聞いていなかったからだ。彼女だけがまっすぐと彼女の道を歩んでいたのだ。そんな風に思えた。

(c) Mark Servy

昼食に食った蕎麦の実とマトンのおじやのようなものがうまくて、さらにホッとする。何があっても大丈夫な気しかしないのも気のせいか。そして、地下深い地下鉄に乗り、赤の広場に行った。地下鉄はマジで深かった。いざという時の防空壕ということなので、そういえば東京の霞ヶ関あたりもめちゃくちゃ深い。しかしこちらはその倍くらい深い。もちろん赤の広場も同様に果てしない。そして広場前になるデパートのGUMへ。ここには絶対に行くようにと妻から言われていた。中はデパートというよりパサージュで、ぼんやりとそれを眺めているだけで楽しかった。

そして翌朝は9時くらいに集合で残りの作品の調整をということだったのだが、今度は映写担当がやってこず、90分待ち。スタッフたちは心配してくれたのだが、わたしはこの時間の流れにひたすらホッとするばかり。これくらいでいい。なんとかなる。そしてやはり爆音本番前にも通常上映があるために本日中に3本の調整を終わらせるのは無理、明日の朝も本番前に調整をということで、『CODA』と『夜明け告げるルーのうた』の調整をした。

『CODA』は整音の確かさに驚いた。整音作業にどれだけ時間をかけているのかわからないのだが、さまざまな場所、さまざまな状況の中でその場の音をその場にある機材で録音していくしかないドキュメンタリー作品において、それでもこれだけ音を安定させられる。これは以前ヴィンセント・ムーンの『友川カズキ 花々の過失』を上映した時にも思ったことなのだが、どのように録音、整音をしているのだろうか。もちろん、現場の起伏のある音やノイズをそのまま生かしつつ、信じられないような音の空間を作り出すソクーロフの『精神の声』のような作品もあるわけだから、一概にこれがベストとは言えないのだが。いずれにしても、冒頭の津波で被災したピアノの音、氷河の氷が溶けた水の音、シンバルを擦る音などなど、「音」と「音楽」の間の果てしない広がりの中から聞こえてくる音が、身体に染み入ってくる。アルバム『async』の発想の元にタルコフスキー映画の音があったという事実とその意味が、説明抜きに伝わってくる。しかもここはロシアである。

『夜明け告げるルーのうた』はこれまで何度か爆音上映してきたのだが、これほどベースの音がぴったりとはまったことはない。確実にロシアの240ボルトの電圧のせいだと思っているのだが、機材の担当者は会場の作りの問題だと言う。確かに壁が日本とはちょっと違う。もちろんどちらが正しいのかはわからない。とにかくこれまでで最もロックっぽい音で上映ができるはずだ。

調整後は、会場から少し歩いた場所にある、学食のような感じのレストランへ。パン、スープ、サラダ、肉、飲み物で800円くらいだったか。毎日ここでも大丈夫なくらい美味しかった。高田馬場にどうしてこういうレストランがないのか。事務所をモスクワに移したいくらいである。ロンドンの自然食レストランもこんな感じのところが何軒かあって、どこもうまい。多くの人がロンドンの食の不味さを言うが、わたしは嘘だと思っている。あれらの店は今もまだあるのだろうか。 そして本番。『寝ても覚めても』。上映前に挨拶を。5分くらいの予定が10分超えてしまったはずだ。海外で話す場合、どうしたって日本のように、「樋口泰人」というキャラを含めての話、というわけにはいかない。通訳しやすい言葉で、そしてその言葉だけで説明をしなければならない。どんな言葉を選び、どんな順番で話すか。私の場合常にその場しのぎでこういったトークをしてきたので、さすがに緊張した。上映後のQ&Aも同様。ひとつの質問に対しての答えに時間がかかった。あくまでも明快な短い言葉で語ることのわかりやすさを避けようとする常日頃の思考が、こういう時は邪魔をするのだが仕方ない。回り道をしながら、答えていった。

(c) Mark Servy

本番2日目は、まず『いぬやしき』の調整から。思った以上にいい音が入っていて、苦労はしなかった。それよりセリフの強弱、俳優たちの声質の違いがかなり極端で、その調整に苦労した。後ろの席まで声を届かせようとすると、前の方ではかなり極端な音に聞こえてしまうのである。どこに落としどころを見つけるか。なんとかなったとホッとしているところに、次の上映を観にきた方たちが入ってきて、調整は強制終了。ギリギリだった。

『夜明け告げるルーのうた』のQ&Aでは、アニメということもあって、日本のアニメ状況に関する質問も出て、やはりここでもいくらわたしがアニメを大して観ていないといってもわたしなりの答えをしなければならない。しかも答え方によっては、日本のアニメは今こうなんだと、その場の人たちに印象付けてしまうわけである。慎重にならざるを得ない。ただ、とにかく一度新千歳国際アニメーション映画祭に来てみるといい、思わぬ作品に出会うことができるからと、わたしが分かる範囲での答えをした。もちろん音に関しては、アニメも実写ももはや区別がつかない場所に向かっているのではないかという話をした。

『CODA』と『いぬやしき』はQ&Aの時間がなかったので挨拶のみ。上映後はなぜか日本語で多くの人から声をかけられた。国際交流基金が運営している日本語学校に通っている方たちも多く来場されているとのことなので、おそらくその学生たちなのだろう。爆音にはみなさん感動してくれたようだ。「ボクオン」とも聞こえる発音で、いろんな方が「爆音」「爆音」と言い合っていた。多くの方が日本語で話しかけてくれた。日本映画祭なので日本と日本映画に興味のある方たちが集まっているから当然と言えば当然なのだが、ロシアでロシアの人たちに囲まれて日本語で話しかけられるという不思議な感じ。みんなニコニコしている。

(c) Mark Servy

帰国日はフライトまで時間があったので、フリーマーケットに連れて行ってもらった。雪だった。まさか外でやってはいないだろうと思ったのだが、屋根があるだけの場所だった。寒くはないのだろうか。レコードをチェックする手もかじかむ。ソ連時代のレコードやSP盤があれこれあった。探していたレントゲンレコードはなかった。ソ連時代は西欧のバンドのレコードは発売禁止で、海賊盤が流通していたわけだが、ちゃんとしたレコード盤ではなく、ソノシート的なもの。しかしそれさえまともに作れなかったらしく、病院で不要になったレントゲン写真を仕入れてきて、それに溝をトレースして刻んだのだという。以前のアナログばかの時に都築響一さんがもってきてくれて流したのだが、あれが忘れられずせっかくロシアに来たのだからと。音楽好きのアテンドのスヴェータに尋ねてもらったのだが、このマーケットにはないという。ひとりの売人は明日、東京に行って中古レコードを仕入れるのだと言っていた。考えてみれば60年代以降の洋楽のレコードはソ連盤というものが存在しないわけだから、ようやく今、こうやって本物を聞くことができるわけである。レントゲンレコード聴いてる場合ではない。

その売人の店で、何枚かソ連時代の終わりのレコードを買った。本気のジャケ買いである。帰国後聴いてみたら打率5割。しかし洋楽のレコードが売られてなかったとはいえ、ソ連時代の終わりはもういろんな形で音も情報も入っていたことが、それらのレコードを聴くとわかる。当時の最先端の洋楽も日本のわれわれと同様に浴びるように聴いていたのだろう。しかも日本でも簡単には手に入らなかったヨーロッパのインディー・レーベルの音楽も吸収していたのだろうと思われる。スヴェータの情報によれば彼らは今もまだ活動中とのこと。どこかで新作を仕入れてみよう。

ロシアでの最後の食事はオリーヴの実やレモンが入った酸っぱいスープと黒パン。サリャンカというスープである。これだけで1年は生きていける。もはや「ホーム」と呼びたいくらいにゆったりと過ごすことができた数日間。もう2度と来れないかもしれないが、いつでもロシアに住んでいる気分が身体に巡り始めている。したがって、日本から同行した音響担当が使い残したルーブルを日本円で買い取った。再訪へのおまじないである。というか、当たり前のように再度ロシアで爆音をと思っている。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。
『遊星からの物体X』全国ロードショー中。 1/25(金)-27(日)「爆音映画祭2019 特集タイ|イサーン VOL.3」、2/7(木)-11(日)「爆音映画祭 in ユナイテッド・シネマアクアシティお台場」、2/15(金)-17(日)「爆音映画祭 in なんばパークスシネマ」「マクロス爆音映画祭」は新宿ピカデリーにて1/24(木)まで、なんばパークスは2/1(金)-14(木)、109シネマズ名古屋は4/5(金)-18(木)に開催。