- 日記
- 2024年4月19日
オランダ無為徒食日記 第11回
映画プログラマーの清水裕さんによる連載「オランダ無為徒食日記」が久しぶりの更新です。2022年9月から1年に渡ってオランダ・ロッテルダム国際映画祭(IFFR)で研修を受けてきた清水さんですが、修了間際になって間借りしていた部屋を退去せねばらない事態に(第8回参照)。アムステルダムの新居に引っ越し、独ヴィースバーデンで開催された映画教育プログラムやマルセイユ国際映画祭に参加、さらにオランダの60館以上の映画館で利用できるサブスクリプション「Cineville」のCEOに取材するなど、大忙しだった2023年夏の記録です。
2023年夏篇
文・写真=清水 裕
6月初旬、スーツケースを引いてロッテルダムからアムステルダムの新居へ向かう。第8回に書いた通り大家から散々な目に合い引っ越しを余儀なくされロッテルダムの町すら嫌いになりそうな勢いだが、行く先々で荷物の上げ下げを手伝ってくれる人たちに心洗われる。道行くオランダの人はとても親切で雨が降れば傘にも入れてくれる。私が現地の子供ほどの身長しかないからかもしれない。ロッテルダム中央駅からアムステルダム中央駅までは急行で45分、そこから公共交通機関を使って30分程のアパートで初対面の3人の男性との同居になる。家具とインフラは揃っており初期費用はデポジットのみのため引っ越し自体は気軽である。ロッテルダムで発送した荷物を受け取り住所変更はオンラインで行う(手続き上反映まで2〜3週かかるが変更を急ぎたい元大家からの脅迫は続く)。
もろもろ整い終え、夕方には世界屈指のアーティスト・イン・レジデンスであるオランダ国立芸術アカデミーことRijksakademieのオープン・スタジオに向かう。年1回開催の、50名近い在籍作家それぞれのスタジオで個展と言っていいほどの作品発表を見ることができる、国際的に注目される機会である。何日か通う中で尾﨑藍さんの展示が群を抜いて良かった。映像、陶器、ドローイング、アニメーション等のメディアを横断し空間を目一杯生かしたインスタレーション。五感を通して得たものを血肉にして生み出したような毎日の生活と創作が地続きにあり、彼女もこの地に来て9ヶ月しか経っていないのに誰よりもここでしか達成することの出来ないサイトスペシフィックな表出がある。その真剣で繊細な取り組みに凄みすら感じる。自ら加工したという磨り硝子状のスクリーンの向こう側から投影する、観客はプロジェクターと対面して鑑賞することになる映像作品は、数日前までカンヌにてシネマの装置の中で“映画”を連日見続けた後で、映像に自らが照らされ見つめ返される重要な体験となった。
2023年Rijksakademieオープン・スタジオ時の尾﨑藍さんによるインスタレーションの一部
6月上旬、研修の一環でドイツ・フランクフルトに行く。主な目的はドイツ映画博物館等の視察と国際的映画教育プログラムCCAJ(「映画、100歳の青春」)上映会への参加。来る日も来る日も雨もしくは曇り、しばしば強風のオランダから着てきた黒いジャケットが場違いな気候で、強い日差しに帽子とサングラスがなければ外を歩きづらく陽は22時まで出ている。7回風邪を引いた長く厳しい冬を経てついに夏がやって来た。パリ発祥のCCAJのプログラムには、ヨーロッパから南米まで世界各地から団体が参加し、日本でいう小学校〜高校の年次の子どもたちが同じテーマで映画制作に取り組む。その成果発表会として300名ほどが一同に集まる機会が2023年はヴィースバーデンのカリガリ劇場で開催された。
今回のテーマは「中心化/脱中心化」。各チームは映画の抜粋を通してテーマを理解し、映像でそれを体現しながら5~10分程度の作品として成立させていく。CCAJが提示する抜粋はジャン゠リュック・ゴダール『彼女について私が知っている二、三の事柄』、マノエル・ド・オリヴェイラ『家路』、レオス・カラックス『汚れた血』等から引用された。各チームの取り組みが多様で似たものがひとつもない。上映後は制作にあたった子どもたちが登壇し、他団体の子どもたちを相手に説明や質問に応じる。表現の意図についての質問に対して問い返したり答え合わせや名言を避けるなど一問一答でないやり取りが行われる。イベントは仏英バイリンガルで実施され、ティーン以上はほぼ英語で受け答えする。この場で共通認識される映画教育とは映画製作者を育てることが目的ではなく、映画を通した他者との関係性構築や協同による定められた目標達成を経て、辿り着く先は子どもたちに委ねられる。参加者の年次に開きがあるからこその違いも見え、このイベントのあらゆる面において幼少からどの姿勢で何に取り組むかが大きな差となって現れると信じて疑わない。
日本からはこども映画教室の8名の学生が現地参加した。他国ではたいてい教育機関の授業の一環として行われ同一の学級であることも多いが(そのため気が進まない様子の子がいるのも面白い)、こども映画教室は公募を経て集まった、期間内に初めて出会う参加者同士が共に取り組む。カリガリ劇場での3日間の上映会を子どもたちと過ごすなかで全員の色が作品に表れていることが伺えるうえ、こども映画教室スタッフさんと講師の五十嵐耕平監督のファシリテーションが絶妙なのだろう。2週間のうちに出会い完成させたとは思えないような出来に、休憩時間に各国の子どもたちが彼らを取り囲みどんどん話しかけてくる。参加した学生たちにこの体験がどのように残っていくだろうか。
2023年CCAJ発表会におけるこども映画教室の舞台挨拶
7月上旬はFIDマルセイユ国際映画祭へプログラム調査のため参加。バスマ・アルシャリフ『Capital』や、山形国際ドキュメンタリー映画祭2023でも紹介されたダミアン・マニヴェル『あの島』やグスタボ・フォンタン『ターミナル』もワールドプレミアがここで行われた。草野なつか監督が演劇カンパニーのマレビトの会で取り組んだ企画「広島を上演する」内にて作成した短編『夢の涯てまで』もFlashコンペティション部門に選出。フィルモグラフィーを通じて取り組む不在という主題と、強いコンセプトを映画として実現する草野監督の力を改めて感じさせてくれる。FIDへは恵比寿映像祭勤務時代の2019年に来たことがあったのだが比較して規模が小さくなった印象。もちろん大きくなっている映画祭はそうないうえ2019年時点で縮小し始めていたとも聞く。実験性の強い作品を扱うことが特徴といえるが、割合として全体からすると減っている印象で、これもFIDに限らず全体的な状況といえるかもしれない。2019年は5日間の滞在中に2回暴動(サッカーのチュニジア戦と革命記念日)に遭遇したこともありワイルドな町という印象が強かった。今回のメイン会場の一つは街の中心部に新設されたシネコンで、6月下旬よりフランス各地で暴動が続いていた時期にしては、街全体が整備され落ち着いた印象。出品していないレオス・カラックスも足を運び観客と同じ場所で歓談している様子からも、気取らない映画祭としての魅力は引き続き感じられた。変わらない先鋭的なプログラムと地元客の取り込みを今後も期待したい映画祭である。
『夢の涯てまで』草野なつか監督と、本作で助監督・出演を務めた住本尚子監督の舞台挨拶
帰国まで1ヶ月を切り、とにかく上映イベントや美術館に通い人に会う毎日。この日記で何回か言及したCinevilleという映画館のサブスクと、Museumkaartという美術館の年間パスがあるため時間はいくらあっても足りない。客目線でありがたいことはもちろん映画館や美術館の経済的基盤となる仕組みで、特にCinevilleは日本での実装を想定した議論の余地がある、個人的にオランダで最も関心を抱く案件である。何ヶ月かかけてついにCinevilleの創設者でもあるCEOへのインタビューを取り付けた。準備万端で迎えた当日、本社へ向かうため乗車したバスで接触事故が発生。こういう緊急時はオランダ語一色になるため状況の詳細がわからないが車内であちこち痛いと申告する乗客が多数。不幸中の幸いか自身に異変は思い当たらなかったためバスを降り高速道路を走ってメトロへ飛び乗る。ちなみに翌日はエスカレーターで上から人が転げ落ちて来てもろとも倒れた。フィジカル面でどう考えても劣るゆえ社会的に立場の弱い外国人は保険に入るべきだ。
Cineville CEOのThomas Hosmanはアムステルダムのアートハウスのスタッフとして働いていた23歳の時、2009年に、アートハウスどうしの風通しの悪さと観客の高齢化に問題意識を抱き、ハリウッドや商業映画に占領されたマーケットを取り返すため、別々のアートハウスで働く他3人の仲間と共にこのシステムを発足させた。自分たちがたくさん映画を観たいから思いついた仕組みだとも話してくれる。つまり創設者らのようなアートやカルチャーへ関心のある若年層観客をターゲットに始まった公的資金の関係ない映画館を横断した取り組みは、約15年前の設立以降年々規模が拡大。コロナ禍でも一時的なオンラインプラットフォームの導入を経て成長し続け、2023年夏時点で75000人の会員、今や国内最大の映画コミュニティへと成長した。社会文化として「透明性」「革新性」「合理主義」が市民の誇りとしてあるオランダはどこをとっても日本と異なってみえてしまうが、新たなビジネスモデル確立に長けているのは自己分析・批判能力が伴ってこそと感じる。そしてThomas曰く、生き残るための唯一の方法が連帯であったという。
調査は今後も個人的に継続し日本で議論もしたいが関心を持ってくれる人がどの程度いるかはわからない。ちなみに近隣諸国ではベルギー、オーストリアでローンチ済み、他3か国で準備中とのことで、Cinevilleが国外営業をしたことは一度もなくいずれも複数の映画館が一緒になって相談をしてきているとのことだった。台湾出身の友人は自分たちの国にはすでにほぼアートハウスが無いため、理想的な仕組みを知ったところで導入は間に合わないとも言っていた。
2022年9月、オランダに来る前は1ユーロが148円と追い詰められる心境でいた。1年後には164円を超え、もはや何も感じない境地に至りそうだ。この30年で日本円の価値は半分に落ちた。海外ではまだまだ日本が豊かな国だと信じている人もいるが、日本人を主語にしたリアリティのアップデートや文脈の提示を求められることは少なく、むしろエキゾチシズムやオリエンタリズム由来の消費を感じるばかり。IFFRにもアジア系プログラマーはいない。日本に戻ったら二度と出られなくなる、外貨を稼がなければ生きてはいけないと思い詰め、オランダの滞在許可を可能な限り維持することに決めた。こちらでは大家でなくても住居のサブレット(また貸し)が合法で、住居不足が深刻ゆえ売り手市場である。これにより研修計画通り8月末に日本へ帰国し再び戻るまでの2ヶ月強、代わりに住んでもらう人を見つけその間の家賃を払わずに済むことが可能になった。
自分にはたった1年だが日本社会から離れた生活は無菌状態みたいなものともいえ、戻った時のショックを想像するだけで恐ろしい。数えるほどの日本人と交流する機会でも瞬時にSeniorityが発生する場面に高確率で出くわした。逃げ場があることが重要。無理をしてでも拠点を残そう、見つからないかもしれないが日本の外で仕事の機会を探してみよう、その時々で判断しよう…。こうして完全帰国しないで済むための準備を通し自分なりの保険をかけることが1年間の助成金生活の終わり方だった。
清水 裕
映画上映者。オーディトリウム渋谷、ユーロスペース勤務を経て、第10~12回恵比寿映像祭映画担当。あいちトリエンナーレ2019映像プログラム・アシスタントキュレーター、Sheffield Doc/Fest(2020、2021)プログラムコンサルタント、第14回恵比寿映像祭ゲストプログラマーなど、国内外の上映企画に携わる。2022年9月より文化庁新進芸術家海外研修制度を利用してオランダのロッテルダム国際映画祭で研修中。