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  • 2023年3月18日

オランダ無為徒食日記 第4回

ロッテルダム国際映画祭(IFFR)で研修中の清水裕さんによるオランダ滞在記2022年12月編です。2023年のIFFRのプログラム発表を前に行われた内部イベント「Preview Night」での出来事、そしてオランダで初めて迎えたクリスマスと年越しの様子が綴られています。

2022年12月編



文・写真=清水 裕

 
プログラム発表前の12月上旬、会期中に使用する会場の一つWORMを貸し切って一部作品をプログラマーが解説し予告編を上映する内部イベント「Preview Night」が行われた。冒頭挨拶では3年ぶりの対面開催を控えてマネジメント・ディレクターが時おり感傷的になりながらスタッフの尽力を称える。ほとんどのスタッフにとって初めてプログラム内容に触れる機会であり業務上の携わりが薄かったとしてもチームメンバーとしての尊重が感じられる。Previewのあとはバーでドリンクと食事が振る舞われる。IFFRは私が合流してからもささやかではあるが月に2回ほど内部イベントがある。もてなしつつ交流を促すファシリテーションが自然なのは職場としての器と言えよう。もちろん上司に御酌する文化もないし、同僚同士が友達のような関係性で気遣うことなく進んで参加しているように感じる。この規模の組織でこれだけフラットな空気なのは仕組みが功を奏しているだけではなく個々のマインドのありかたが構造に反映されているのだろうと想像する。
IFFRは会期に向けスタッフがどんどん合流し、現時点で120名以上の体制で互いに名前と顔が一致しないことが当たり前になる。フードの列にいたところ後ろに並んだ20代前半くらいの女性二人組に声をかけられる。初めて見る顔だ。私の役割や経歴等について次々と質問してくるので答える。ここまでは良くあるやり取りだが、話をしているうちに次第にこのイベントが何なのか、そもそもIFFRが何かすらも彼女たちが理解していないことがわかり違和感を抱き始める。誰かのゲストということはあり得る。彼女たちについて話を聞いてみたところウクライナ出身だという。二人はオランダに来てから知り合っており移住時期は8ヶ月前、つまりロシア軍による侵攻が始まった後だ。それを踏まえると信頼関係が無い間柄で何をどこまで話してよいのか、一瞬話題を選びかねてしまう。そして彼女たちがなぜ今ここにいるのかという疑問もある。言葉につまった絶妙のタイミングでPreview Night担当の同僚に声をかけられる。同僚は彼女たちにどの部署で働いているのか、なぜここにいるのかと質問する。二人は私の友達として招待されており内部イベントとは知らなかったと驚いた様子で答えるが先述の通り事実は異なる。結果的に二人は追い出されることになったのだが、どうやら彼女たちは以前からいろいろなパーティーに顔を出し、毎回頼りにできるパートナーを探している様子だったそう。連絡を取り合おうと別れ際に言われるが、私の名前を使ってIFFRのイベントに出入りをする可能性があるためSNSをブロックするよう同僚から助言される。状況は彼女たちに落ち度があるわけではないはずで、しかしIFFRはスタッフや交流の場を守る責任がある。的確にフロアを見ていた同僚に感謝しつつなんとも言えない感情になり会場を後にする。
帰宅して大家のスーザンに今起きたことを伝えると似たような話を聞いたことがあると言う。オランダ政府からの難民支援金が足りず生活に苦労したウクライナ人が食事会に紛れ込んだり今夜と同様の行動に出ている件が頻発しているとのこと。さっきまで一緒にいた彼女たちは年相応のおしゃれをしてSNSも華麗な印象だった。ごはんをおかわりして、いま思えばドリンクは2人で1つだけ買っていた。うち一人が学生時代に航空学を専攻したからと飛行機の絵がデザインされたビール缶だった。学業を続けたかったけれど途中で辞めなければいけなかったとも言っていた。本当にお腹が空いていて、だけどそうとは言えなかったのかもしれない。私の頭で考えたものを超える状況がオランダにもあることは確かだ。
 
この土地では小柄なほうなので座ると前が見えなくなることがあり、最後列で立っていたら映写さんがものすごい高さのスツールを出してくれて登る時に足がつる。ふくらはぎをさすりながらPreview Nightを見下ろしている状況
 
 
氷点下が10日ほど続く。ロッテルダムでは雪はあまり降らないが慣れない路面凍結が恐ろしく関東平野育ちには厳しい寒さ。業務は佳境でスタッフに疲労が溜まり、満席のオフィスではあちこちから咳き込む声が聞こえる。対面で額を寄せ合い会議をしているがマスクは誰も使わない。自宅は光熱費高騰のため暖房の使用が管理されている。日本から持ってきた服では太刀打ちできないが買うにも経済的な限界がある。ということで条件が揃い、重たい風邪を引いた。近年なかったほどの喉の痛みと咳。体温計はないが高熱ではなさそうだ。コロナの簡易テストは2回とも陰性。話すのもやっとの状態で何軒か医院に電話するも滞在許可が無いためオランダの医療保険に入れておらず、それゆえ診療不可と断られる。滞在手続きは弁護士さんと地道に続けているが許可が降りるのは年明けになる見込み。救急医療では命に関わらない状況かつコロナ感染者に似た症状がある人は受け入れない。日本から持ってきた使えそうな薬はマイルドな解熱鎮痛剤くらい。自力で治すしかないがなかなか改善せず普段いかに抗菌薬等に頼っていたのかがわかるし、滞在許可申請過程における市役所での手続きで躓いたことが悔やまれる。この忙しい時期に担当業務もストップして10日ほど寝込むことに。オランダは12月25・26日がクリスマス休暇で家族と過ごすのが一般的で、スーザンは既に家族の元へ向かった。友人に親切に招待いただいたディナーはお断りする。信仰はないが欧州で体験するクリスマス文化を少し楽しみにしていたので残念。具合が悪いときに見た映画はだいたいトラウマになるため漫才などを眺めて冷たい部屋のベッドで過ごす。
 

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公園の池でスケートをする人たち。パソコンリュックを背負ったまま滑る人も。 氷が薄いところもあるが誰か管理している人がいるのだろうか
 
 
大晦日は友人が泊まりに来て一緒に夕飯を作って食べる。年越しの瞬間は市内の橋で花火が上がるから見逃さないようにとスーザンから聞かされていたため先に就寝した友人を残して外へ出る。音楽の鳴る方へ人の流れについていくとカウントダウンが始まり花火が上がり始めるのだが、想像していた様子と少し異なる。一般市民と思われる人たちがその辺りで爆竹並みの音が鳴る花火を打ち上げている。火の粉が降ってきたり設置の不具合で人だかりに火が向くときはみんなでぞろぞろ移動する。橋の対岸や近隣を見ても同様の規模の花火が多数上がっている。無法地帯にも見えるが警察官は配置されている。ロッテルダム市がプロフェッショナルに依頼して花火を演出するのではなく、誰でも花火を打ち上げても良い日なのだと理解する。おおらかな雰囲気だが大きい音が苦手なのと万が一のやけどをしたくないので早々に退散する。その後も朝7時頃までひっきりなしに音が鳴っていた。
後日聞かされて知ったのだが、強風のため予定されていた市による花火演出が急遽中止になっていたということと、人種差別を示すメッセージが橋にゲリラ投影されたと報道されている。白人の権利を守るべきという意味のスローガンがおそらく一般の船から投影され、実行犯特定のため警察が捜査しており、ロッテルダム市長も元旦に抗議の声明を発表している。来月は映画祭本番。改革を行ったIFFRについての活発な批評と議論を期待すると共に、参加する人しない人それぞれがIFFRとこの土地に何を期待しているかにどのくらい迫ることができるだろうか。
 

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オランダでは年末年始のタイミング以外は基本的に花火は禁止。特にコロナ禍の2年間は年越しにおいても中止されていたため市民にとっては3年ぶりの花火となった