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  • 2023年1月16日

オランダ無為徒食日記 第2回

ロッテルダム国際映画祭(IFFR)で研修中の清水裕さんによるオランダ滞在記2022年10月編。オランダに長期滞在するうえで必須となる住民登録番号(BSN)取得のために見舞われた試練や、10月中旬に行われたIFFR主催のイベントで『やまぶき』(山﨑樹一郎監督)が上映された際のことなどが記されています。

2022年10月編



文・写真=清水 裕

 
オランダでの長期滞在に必要な滞在許可は個人事業主として申請している。1912年制定の蘭日通商協定(DJTT)に基づいた日本人に許された特別な優遇措置を用い、この手続きに特化した弁護士さんに依頼。申請の初期段階に住民登録番号(BSN)取得がある。これは居住地の役所で手続きすることになるが、まず市役所のアポを取るのにロッテルダムでは最短6週間待ち。観光ビザで入国し3ヶ月以内に手続きを終了させるため、日本にいる時から住居を定めたうえで市役所のアポ取りをする必要があった。BSNは全てに紐づきこれが無ければ銀行口座の開設も出来なければ行政サービスはもちろん、多くの民間サービスも受けられない。ちなみにオランダでは買い物等の支払いはほぼ現地銀行のデビットカードで行われ、クレジットカードや現金が使えない店も少なくない。つまりBSNは文字通り市民権でありこれがなければ日常生活で不便する。
ということで待ちに待った市役所アポの日、結論から言うと登録してもらえなかった。窓口にはオランダに来て初めて出会うようなあからさまに不機嫌な人が。私を見るなり「書類」「全部」「早く」と単語をシャウトする。書類確認中は同僚と談笑しているが私と話す時は眉間にしわ。そして書類に不備があると突き返され背を向け帰り支度を始める。その場で弁護士さんに電話をして問題がないことを確認し、再度掛け合うも対応してもらえず、運が悪いことに閉館時間に。準備に2ヶ月以上かけたのに10分でシャッターを下ろされてしまった。この短時間でなぜそこまで嫌われたのか理由がわからず、これがアジア人もしくは日本人であることの現実かと考えざるを得ない。大家のスーザンに事のいきさつをテキストメッセージで伝えると怒り狂った返事が。今から市役所に乗り込むというのでおさえつつ彼女も各地で経験してきたであろう外国人ゆえの事情を共有してくれることはありがたくもある。弁護士さんもアポを取り直すと励ましてくれるし次回はスーザンが一緒に行くと言ってくれている。とにかく今回は運が悪かったと思うしかない。
今月から通う医療機関ではドクターを選ぶことができたため、3年前オランダへ移住したという南アフリカ出身の人にしてみたのだがその判断が自分には合っていたようだ。受付スタッフが「あのひと保険とか言葉とか大丈夫なのかなぁ」と言っているのが丸聞こえしているがこのドクターが事務面までフォローをしてくれている。オランダは医療システムがかかりつけ医制で、登録する総合診療医に診てもらってからでないと専門医への紹介も受けられない。後々わかったことだが、救急等は別として、オランダ国内の保険がなければ患者の受け入れをしない医療機関が一般的であり、保険は滞在許可がなければ加入ができない。移住早々に診療を開始できたのはこのドクターが配慮をしてくれたのであろう。治療費は保険加入でき次第払い戻しをしてくれることになっている。
弁護士さんが再度BSN登録のため市役所と交渉し、約2週間後のアポ取りに成功。今度は鼻息を荒くしたスーザンと一緒に向かう。市役所勤めはヒンドゥー系が多いようで何人か額の中央に赤いティーカを付けている。今回も険しい表情の窓口の人を相手にスーザンがオランダ語で粘り強く交渉し、かろうじて登録が完了。ロッテルダムには約170の国籍の市民が暮らし、外国のバックグラウンドがある市長が選ばれたりとインクルーシブな土地のはずなのだが、私においてはどう考えても自力でここまでたどり着けない。担当者のさじ加減に左右される不安定さに疑問を抱かざるを得ないが、仕組みはあれどわずかに余地もあるため、融通を利かせようとしてくれる理解者や協力者が現地にいることが局面によって肝心であるということはよくわかった。2~3週後に封書でBSNが届くとのことでまずは一安心。
 
 
第二次大戦で激しい空襲にあったロッテルダムはオランダでは比較的新しい街と認識され現代的なデザインの建築が多い。写真のロッテルダム市役所は築100年以上で、戦火を免れた数少ない古い建物のひとつ

 
2022年1~2月にオンラインで開催されたロッテルダム国際映画祭(IFFR)の振替上映のような位置づけで、10月14~16日の3日間、コンペティション部門だけの小規模な対面上映イベントが開催された。山﨑樹一郎『やまぶき』も上映され、初長編『ひかりのおと』(2011)出品以来10年ぶりに監督も渡蘭。『やまぶき』上映後は演出の意図に加えて何が今の日本のリアリティであるかをこの映画から能動的に掴もうとする観客の反応にリテラシーの高さを感じざるを得ない。開閉幕時には内部スタッフ向けの上映とパーティーが行われ、マネジメント・ディレクターよりスタッフへのねぎらいが語られた。3日間とはいえ上映作品は35本、労力はそれなりにかかっている。今回使用する劇場で一番大きなシアターを貸し切ってスタッフが開催を受け止める時間を設けることは、働くうえでモチベーションに関わるであろう。おそらくこのタイミングでしか映画を見られないスタッフもいる。こういった機会を省かないことが重要なのだと頭で理解しながら、個人的には職場にもてなしてもらうような経験が初めてで馴染むのに時間がかかってしまう。スタッフ向け上映会はオープニングが南アフリカを舞台にした多国籍ゆえ多様な文化やSNSに振り回される皮肉を語るモキュメンタリーBrett Michael Innes『Daryn’s Gym』、クロージングは性別違和の主人公を当事者が演じ企画にも携わるAdrián Silvestre『Mi vacío y yo (My Emptiness and I)』。いずれも日本で上映することを考えると丁寧な文脈づくりが必要なことが想像され、議論が一歩も二歩も進んでいることを体感する。
IFFRは2022年1~2月のオンライン開催後、4月に組織改編が行われたため、この10月の3日間で上映される作品を選定したプログラマーのうち一部しか今は残っていない。つまり今回の招聘作家にとっては自作を選んだプログラマーたちとはここでは会えない。観客がまばらな上映回も複数ある。コロナ禍以降映画館に客足が戻りきっていないという状況はあるようだが、組織改編について話しづらい雰囲気も否めず、いまひとつ盛り上がりに欠ける後味に。こちらに到着してからも『やまぶき』日本公開準備に追われながら2回のQ&A登壇を終えた山﨑氏の帰国日、そろそろロッテルダムを出ようとしたところへ航空会社からフライトキャンセルのメールが届く。理由は明かされず振替は2日後の便。航空会社へ問い合わせるも電話は通じず、一方的な通知にあっけにとられるがどうすることもできない。こうして有無を言わさず時間が出来たので、4月にIFFRを去ったプログラマーのジュリアン・ロスに会いに行くことにした。作品選出に関わった彼と監督が対面で会うことができたのはフライトキャンセルという不幸中の幸いではある。退職から半年ほど経って元気な顔を見せてくれたが、彼の生の声を聞いてIFFRに起こった変化が小さくはないことを改めて受け止める。中にいる人とこのことについて私はまだほとんど話を出来ていない。
 
山﨑樹一郎氏による『やまぶき』上映後Q&A 。山﨑氏はSave Our Local Cinemas のTシャツを着て登壇
 
 
オランダでは食は合理的に済ませるという考えに見える。同僚のランチもサンドイッチやクラッカーにフムスやチーズを乗せたような簡素なもの。オランダ食で人気があるのはポテトフライやコロッケで、外食するとしたら中華やエスニックが定番。IFFRには完全菜食主義者が何人かいて、公式の食事会でも必ずヴィーガン料理が出されるしオフィスのコーヒーマシンのミルクも豆乳。それと、こちらの人はあまり化粧をしていないと思う。したとしてもアイメイクやリップなどでファンデーションはおそらく日常的には使っていない。日本社会でよくある相手のためのマナーとしての化粧ではなく、華美ではないが自らのために化粧しているような姿は気持ちが良い。服装や持ち物も至ってシンプル。文化芸術は豊かな土地なのに食とファッションの優先順位が高くないのは意外でもあるが、固定費が高いうえインフレなので合理主義のオランダ人と考えると納得もできるがこの解釈は妥当なのだろうか。
 
 
市中心地の広場では毎週土曜日9~17時にオープンマーケットが開催される。出店が100軒以上並び、食料品から日用品まであらゆるものがスーパーより安価な値段で売られている

 
オランダの大学進学率は10~20%で、IFFRスタッフはおそらくほぼ全員学士以上の学歴であろう。教育システムにより大学への進学可否は12歳までの初等教育時代にほぼ決まるらしい。IFFRのインターンも欧州の様々な土地から集まるがみな英語が堪能で、自国でもそうかと聞くと世代や人によるとのこと、本人たちは小さい頃から英語教育に力を入れた学校に通ったり英語圏への留学も経験している。このように幼少から学術分野を念頭においた教育を受けた層がIFFRの運営を支えているという想像がつく。農業が盛んで経済的に安定した国といわれるが、そろそろ気温10度を切ろうかというロッテルダムにも路上生活者が見受けられ、EU内では少ない方である貧困層は市内に約55,000人(人口の約5.4%)、うち5人に1人は18歳以下といわれている。自宅向かいのオフィスビルには2、3日おきに22時頃になると清掃スタッフがひとり来ている。ある時は清掃中に周りをうろついて遊ぶ子供を見かけた。ご自身のお子さんを職場に連れてきたのだろうか。スーパーの品出しの仕事は10代であろう人も多い。IFFRを支えると聞く一般層の観客とはどういう人たちなのだろうか。家とオフィスの往復では限られた人にしか出会えない。早く市民権ことBSNが欲しい。