- 日記
- 2024年2月12日
ペテルブルグ印象記 第8回
ロシアのサンクトペテルブルグに留学した映画研究者・映画作家、小手川将さんによる「ペテルブルグ印象記」。第8回は、昨年5月にサンクトペテルブルグ大学で小手川さんが監督した映画『籠城』の上映会が開催された際の記録です。旧制第一高等学校(現在の東京大学教養学部の前身となった旧制高等学校)の歴史を調査する活動の一環として制作された『籠城』を、ペテルブルグの学生たちはどのように受け止めたのでしょうか。
歴史の時間、映画『籠城』をめぐって
文=小手川 将
開かなくてはならないものは場である、そのように習ってきた。思考の場、対話の場、ささやかでも、ほんの一時だとしても。そして、そうした場は、完全な密室のように閉ざされているところでも、いやむしろそうであればこそ――たとえば若松孝二作品の空間のように――過激に開けていく可能性があるというのが持論で、ほとんど妄執じみたこの想念とは無関係ではない方向性において監督したのが映画『籠城』だったのだが、それはさておき、作品にとって大切なのはいうまでもなく人の耳目に届き、未来の観客からの問いを迎え入れるような場の開けを保つことである。あれは5月12日のことだ。サンクトペテルブルグ大学にて『籠城』の上映イベントを開催する機会に恵まれたのだった。
少し長くなるが、本作の制作経緯について簡単に説明しておきたい。制作の端緒は、東京大学東アジア藝文書院(EAA)にて2019年に発足した「一高プロジェクト」である。このプロジェクトは、旧制第一高等学校の資料を繙き、東大の駒場キャンパスにいまなお残存する当時の建築物、とりわけEAAの駒場オフィスが所在する101号館が中国人留学生の学舎だったという発見を通じて、学校の歴史を調査するというものだった。しかし研究が進んできた頃、2020年に起きたコロナ・パンデミックにより、その成果を公開する場を見失ってしまう。展示を行うはずだった駒場キャンパスに入ること自体がきわめて困難になるという例外状態ゆえに――それにしても、たかだか4年前の出来事だが、早くもあの衝撃を生々しく思い出すことは難しくなっているように感じる。それほどコロナ禍以降の社会の変化は実に急速だった。
当時、大学のみならず美術館や博物館の役割やあり方もまた変化を迫られていた。そうした状況下で、それでも何とか外部に成果を発信せんとする「一高プロジェクト」が選択した手段が映像だった。つまり、101号館という建物そのものを映像作品にして、キャンパスに足を運ばずとも調査の成果を発信できないかというアイディアが出たのである。そうして映像制作のためのプロジェクトが立ち上げられた。EAAスタッフの一人が声をかけてくれたおかげで私はこのプロジェクトを知り、この時点からEAAにかかわることになった。
当初より映画をつくるという計画があったわけではなかった。立ち上げ時のスタッフには誰も本格的な映画制作の経験がなく、暗中模索しながらディスカッションを何度も重ね、どうにかこうにか制作の目処がたち、しかし本当に映画が完成するのかどうかわからぬ不安のなかで有難くも協力してくれる人たちに集まってもらい、およそ1年半の期間を経て『籠城』というタイトルの作品が生まれた。本作は、結果的に、多数の歴史資料を画面に捉えながら、オフの声や一高寮歌をアレンジした楽曲、さまざまな音響を用いて現代の視点から駒場時代の一高史を描くというもので、フィクションとドキュメンタリーの領域を横断するような映画となった。
それから様々な場所で上映イベントを行なってきたが、あたう限り上映後にディスカッションの時間を設けるようにしてきた。映画をともに観るという行為を通じて、その都度その場に集まった人たちのあいだで生まれる考えを聞き、言葉を交わし、そうして一つの作品をめぐってつくられる一回きりの場に意義があると信じているからである。
ロシアでも上映する機会があれば、とずっと密かに考えていた。間接的ではあるが戦争について扱う本作がいまのロシアでどのように受容されるだろうか。しかしなかなかチャンスはなかった。
チャンスは人との出会いとともにやってくる。このたび、ペテルブルグ大学東洋学部の協力のもと『籠城』の上映イベントを行うことができたのは全くの僥倖である。この町での出会いの数々が偶然にも結びつき、本作を大学で上映する意義を認めてくれた人たちの協力を得て、あれよあれよという間に具体的に詳細が決まっていった。東洋学部の教員も好意的に企画を受け止めてくれた。その中でも、イベントの組織委員として開会挨拶も務めてくださった日本学科の荒川好子先生には――私が担当する日本語授業の進め方に多くの助言をしてくれたことも思い出す――感謝しかない。
以下に掲載するのは、上映後に行われたディスカッションの日本語訳の記録である。上映後、まずは自分が監督として挨拶した。その後、およそ一時間にわたる観客との質疑応答は、作中で描かれるような軍国主義や学校制度、共同体のありかたの是非について問われ、いかに国家の伝統や歴史を批判的に検討するべきかを考える時間となった。もっとも、いま読み返してみると、もっと突っ込んだ議論ができたかもしれないという後悔を感じないわけではないが。
ところでディスカッションの大半はロシア語で行われたのだが、ときに英語や日本語、トルコ語でも質問が飛んできた。そこで、モデレーターを務めていたサーシャこと扇アレクサンドラめぐみさん――東洋学部でトルコ史を学んでいる――が機転をきかせて、複数の言語が飛び交う議論の内容を会場全体が理解できるように適宜翻訳してくれた。いや、翻訳だけではない――4月某日の昼下がり、宮殿橋(ドヴォルツォヴィ・モスト)近くの公園を彼女と散歩しているときに本作が話題にあがり、この映画はいまのロシアで観てもらう意味があると思うし、本気でやる気があるなら先生や友人に話を持ちかけてみるわと言ってくれたのだった。力強い一言だった。企画書の作成から当日の運営まで全面的に協力し鼓舞し続けてくれた大切な友人であるサーシャに、この場を借りて心からありがとうと伝えたい。
(ロシア語版はこちら)
* * *
【上映後の挨拶】
本日はご来場いただき本当にありがとうございます。また、本上映会の開催にご尽力いただいたスタッフの皆様に心より感謝申し上げます。映画『籠城』の監督を務めました小手川将です。
この映画は、戦前日本における旧制第一高等学校に関するアーカイヴ調査をもとに、現在の視点から過去を捉えようとする作品です。1935年、旧制一高は本郷から駒場に校地を移転しました。その当時の生徒たちの最大の関心事は、旧制一高の伝統と歴史をいかにして駒場の新しいキャンパスに引き継ぐかということでした。一高生たちは寄宿寮で共同生活を送り、学校内で自分たちの学生生活を運営し、代々受け継がれてきた厳しい校則や規範の中で「一高生」としてのエリート意識とアイデンティティを育んでいました。このような閉鎖的な雰囲気が旧制一高を特徴づけていたのです。しかし、次第に激しさを増す第二次世界大戦の最中にあって、学校のアイデンティティと伝統を維持することは困難になっていきます。
本作の制作にあたって、私は貴重な歴史資料を所蔵する駒場博物館のアーカイヴに触れる機会を得ました。東京大学の駒場キャンパスでは旧制一高にかんする膨大かつ重要なアーカイヴにアクセスすることができます。私はアーカイヴ調査を通して当時の歴史的な雰囲気を感じました。学校の伝統の崩壊と維持、エリート主義、ヒトラーユーゲントとの交流、日本軍国主義の影響、中国人留学生との複雑な関係、等々……こうした問題含みの過去を全面的に肯定することはできませんが、他方で、戦前の歴史を安易に批判することもまた間違っていると私には思われます。いかなる場合であれ自国の歴史を忘れ去ってはならないし、また自国の過去を美化して記憶してはならないのです。自分たちの国の歴史を問い続けることによってこそ、私たちは自らのアイデンティティについてより深く考えることができるのではないでしょうか。いわば歴史的主体として自分を捉え直すのです。
この映画の主要な問題のひとつに「声」および「私」があります。この「私」とは誰でしょうか。この「声」はどこからやってくるのでしょうか。素朴な観客であれば、常識的に考えて、映画のスクリーンに登場する主人公、その「私」のことだと思うかもしれません。しかし、注意深い観察眼をお持ちのあなた方は、この問いに対する答えがそれほど単純でないと気がついていることでしょう。この問いについて、簡潔にですが私が思うところを述べてみます。これらの声は特定の人々の声であり、ある種のメッセージでもありますが、しかしまた特定の誰かに属しているわけでもありません。特定の人々がいて、その声は個々の歴史を語るのですが、同時に、この声は歴史的な時空間において生じている非人称的な声でもあるのです。この「私」には観客であるあなた方一人ひとりも含まれています。この映画を観ることを通じて、あなた方が歴史的な旅に参加し、遠い歴史の出来事が身近な体験となり、現在の文脈の中で過去を理解するプロセスそのものを経験することができたならば嬉しく思います。
最後になりましたが、本上映会のためにご尽力くださった関係者全員にあらためて心からの感謝を申し上げたいと思います。
【Q & A】
観客1:この映画を上映していただき、たいへんありがとうございます。とても興味深く勉強になりました。旧制第一高等学校の時代の資料を活用しているという日本の教育機関に関連して質問があるのですが、現在、こうした学校の伝統を何らかのかたちで活かす計画は他にもあるのでしょうか。あるいは、あなた方にとってこの学校伝統は単なる歴史に過ぎないのでしょうか。つまり旧制一高と同じような教育機関や大学は存在しているのでしょうか。
現在、日本に旧制一高のような教育機関や教育システムは存在していません。ただし、いまの大学は旧制高校の教育システムの延長線上にあります。また、本作に用いた旧制一高に関する資料は、本映画の他に東大の駒場博物館での展示に使われるなどしました。
観客2:映画を上映していただきありがとうございます。私からも質問させてください。(本作の一高生のように)理想を追い求めることは私にとって素晴らしいことですが、これは現代の日本社会にも息づいているのでしょうか。それともすでに過去のことになっているのでしょうか。理想とは常に大きな犠牲を伴うものですよね。理想を追求することは、あらゆることや個人的な生活を犠牲にして、社会的な意味である種の自由も捨てることになります。非常に厳しい規律です。でも、こうした犠牲の結果、大きな見返りが待っているかもしれない。それは高度な専門性かもしれないし、自分自身を成長させて何らかの水準に到達することかもしれません。このような理想を追い求める気風は、現代の日本にもあるのでしょうか。
いまの日本には旧制一高の時代と同じ意味での理想を志向する意識はないように思います。逆に訊きたいのですが、ロシアにはそうした理想への志向、あるいは何らかの理想はあるのでしょうか。
観客2:ロシアについてお訊ねなら、たとえばソ連の時代に、レーニンが私たちにこんな言葉を残しています。「学べ、学べ、なお学べ」。全くの皮肉なしに、実に美しい言葉だと私は思います。なぜなら知識こそが何よりも大切だからです。憲法には教育は義務であり、誰でも無償で受けられると書かれていました。その結果、私たちの国には偉大な科学、偉大な芸術、偉大なスポーツ選手などが生まれたのです。音楽やクラシックバレエもそうです。人々はレーニンの精神のもと――現代のような娯楽はなかったかもしれませんが――懸命に働きました。そうして素晴らしい土台が築かれたわけで、もし専門家になろうとするならそのような生き方を続けることができました――これは基本的にいまのロシアでも同様です。私の知る限り、いまの日本ではこのような精神はもはや存在せず、何かで一番になろうとか非常に高いレベルに到達しようとか、そういった志向を期待することはないのでしょう。しかし、私たちにはこうした伝統が根強く残っており、もし偉大な翻訳家、言語学者、科学者、芸術家になりたければ――ダンサーになりたければワガノワ・バレエ・アカデミーに行けばいいし――大学や音楽院で勉強すれば良いのです。娯楽に時間を費やすことなく、朝から晩まで読書をし、そしてより優れた人間になる。ロシアではソ連の伝統が生きているからそういうケースもあります。日本ではそうした伝統は完全に失われてしまったのでしょうか。
そうですね……思うに、日本は戦争に負けたことで戦前の伝統や社会は失われました。あるいはこう言ってよければ「戦前」と「戦後」という時間の断絶が生まれたのです。つまり、日本について言えば、敗戦によって歴史的な伝統が途切れ、失われてしまったと言えるでしょう。そして、第二次世界大戦での敗戦が日本社会に与えた喪失の影響はいまでも続いているように思います。
観客2:では、たとえば、この理想が特定の人々のためのものではなく、誰もが手に入れられるものとなり、社会全体が理想に生きるようにするというのはどうでしょうか。エリート主義ではなく社会全体の財産とするのであれば、この理想をファシズムと結びつける必要はないように思います。社会全体において無償で教育を受ける権利があり、全員が高いレベルを目指す権利を持つようにするんです。そうすれば必ずしもファシズムと結びつかないでしょう。あれ(一高生の生活)は共産主義や社会主義のようなものでした。なぜなら彼ら(一高生たち)は寄宿寮に住んでいましたから。でも、彼らがファシズムと結びつくのは、彼らが少数であり、一種のエリートだったからで、それゆえに失敗したわけです。さて、こうした理想を国家全体のものとすること、つまり無償で教育を受け、学生が共同生活を送るということは日本で可能でしょうか。
日本ではそのような理想にもとづく教育システムをファシズム抜きで実践しようとする取り組みはないように思います。教育の無償化も実現しているとは言えません。ただし、たとえば本作を制作した教育組織は「書院」と呼ばれるもので、いちおう教師や学生が共に学ぶ共同体をつくるという理想を掲げています。これは中国の教育制度を参考にしています。とはいえ両者のあいだに違いはありますし、日本で完全に実現しているわけでもありません。
観客2:ということは、あなた方は「中国のように」と望んでいて、その場合、日本は共産主義になるかもしれないということでしょうか。
いやいや、私たちは共産主義国家になろうとしているわけではありません。
観客3:最前列にいる女性(観客2)、あなたの疑問に答えたいと思います。私は高等経済学院の東洋学部のプログラムとして、社会学、とくに社会人類学を専攻しています。あなたは社会における具体的な個人と人格の観点から求められるある種の理想についてお話ししていました。しかし、私が思うに、日本における理想の問題は個々人ではなく、社会において大衆に向けられる公共的な利益と密接な関係があります。質問へのお答えとしてどれだけ役に立つかわかりませんが……私はあなたが個人的な理想について考えているような印象を受けました。
観客2:私は《一人一人》が共通のイデオロギー、理想に従えば、その社会が理想的なものになるという方向で考えたんです。ある社会で生活するすべての人がひとつのイデオロギーで結ばれている――それが理想だということです。たとえば、何を学ぶべきか、どうすればプロフェッショナルになれるか、というルールがあったとして、各々がそのルールに従えば最終的には専門家になれるし、国家の科学、芸術、スポーツがトップレベルになります。私は個人の話をしているのではありません。個人とはまったく別の次元の話です。私が言っているのは集団のことで、ロシアと東洋についてです。この考えを日本において社会の中のある集団だけではなく社会全体に広げることが可能かどうかを知りたかったんです。
観客4:「理想に応えようとして生まれる言葉が理想をつくる」というようなセリフがありました。現在の日本では国民の目標となる集団的理想はあるのでしょうか。
現在、日本社会に何らかの大きな理想、あるいは大きな物語は存在していないと思います。この欠如もまた、敗戦による日本の歴史の断絶、いわば歴史の穴をいまだに埋められていないことと関連しているのではないかと思います。
観客5:まずは素晴らしい映画だったと伝えたいです。私はYouTubeの動画で日本が戦争などによってどのように変化したのか、戦後日本の歴史を調べたことがあります。自分の調べた限りですが、第二次世界大戦の時代と現代との関係は、日本の教育システムでは十分に扱われていないと言われていました。YouTubeの動画では日本人の先生が出演していて「私たちはこの時代の歴史を十分に教えていない」と言っていたんです。そこでお聞きしたいのですが、そうした観点からこの時期とテーマ――つまり第二次世界大戦という時代――が選ばれたのでしょうか。もしそうであるなら、他に選ぶに値するような歴史的時間軸はあるでしょうか。
まず、私たちがこの時代を映画の題材に選んだのは、当時の非常に貴重なアーカイヴが見つかったからです。旧制一高に関連する資料です。私たちはこの歴史的な資料に目を通しました。これらの資料は、私たちの苦難に満ちた複雑な歴史の一部を物語っています。旧制一高に関連して、いままさに第二次世界大戦下の日本の歴史を再考することが重要だと思えました。そうしたアーカイヴ作業を経て、この映画をつくることにしたのです。
観客6:映画に出ていた学生寮はいまどうなっていますか。
2001年まではキャンパス内に映画に出てくる学生寮が存在していましたが取り壊されました。いまはサンクトペテルブルグ国立大学のように大学の校地とは離れたところに古汚い寮があるだけです。
観客7:映像がとても気に入ったのですが、インスピレーションを受けた監督はいますか。
たとえばソクーロフです。彼の作品群、たとえばアーカイヴ素材へのアプローチが好きです。セルゲイ・ロズニツァの映画も気に入っています。
観客8:映画の中の足音はどういう意味ですか。
足音は単に足音です。ただ、足音に限ったことではありませんが、音は空間に響くものです。空間にレゾナンスする。残響です。空間に残っている音だと思ってもらえたらいいなと思います。
観客9:サウンドトラックが素晴らしかったです。この映画のために音楽をつくったのですか。
本作のために寮歌をもとにして音楽をつくっていただきました。編曲と演奏は久保田翠さん、サウンドデザインは森永泰弘さんという方です。
観客10:この映画を観て、当時の学生が考えていたこと、そしてその当時の考えを現在の若者が踏襲しなければいけない、というところに私はかなりの不安を感じました。当時は戦中で全体主義であり、今の若者が当時の学生のことを考え直そうということですが、私の考えたところによると、それは全体主義への回帰を彼(主人公)がもう一度考えていることを意味するのではないかと思いました。それでは、これから先の日本の若者は窮屈になるのではないか。これは作品の中で監督が描こうとしていることと繋がっていますか。
まず言わなければならないことは、この映画は軍国主義や全体主義に賛成するものではありません。私個人の見解も同様です。いま日本で軍事力強化につながるような政治的な流れがあることは事実として見られます。それが危機感をもって感じられるのは、戦前日本において、この映画で見ることができるような軍国主義が存在していたからだと私は思います。何の理由もなしに現在の日本に対する軍国主義化批判が発生しているわけではありません。戦前の日本の歴史を見ることは、いまの日本および世界の状況を考えるために必要不可欠なことだと思っています。私たちは負の歴史を忘れるべきではないし、また賛美するべきでもありません。しかし、すくなくともそれを記憶するべきではないかとは思います。
観客11:映画に出てくるあの長く持続する木々(銀杏並木)のシーンには何か意味があるのでしょうか。
意味ですか……そうですね、いわばタイムトラベルのようなものです。
観客12:作品内で女性の声がしばしば使われていました。彼女たちの声は誰のものなのか知りたいです。
ご覧いただいた通り、画面に登場する主人公は男性であり、また、旧制一高の生徒たちも男性だけです。しかし本作は、現在から見た過去という視点から制作されており、すべての声は現在と過去の狭間に位置しています。もちろん、いまは旧制一高を研究する女性の研究者もいるわけです。
観客13:映画をつくるときに「もののあはれ」の原理を用いましたか。
特に意識していなかったのですが、そうした雰囲気を映画の中に感じたということでしょうか。
観客13:非常によく表れていると思いました。日本古来のあの伝統的な美意識がこの映画に感じられたんです。
観客14:映像だけでなく音響も含めてとても雰囲気のある魅力的な作品だったと思います。技術的な質問になるのですが、この映画を制作するのにどのくらい時間がかかりましたか。また、制作で最も困難だったことは何でしょうか。
撮影期間はおよそ一ヶ月半でした。制作期間全体だと一年半弱くらいです。制作で難しかったことは、そうですね……ご質問に真面目に答えるなら、どのようにアーカイヴ資料に向き合うべきか、どのように旧制一高の歴史とかかわることができるのか、どのように資料を選別するべきか、ということをずっと考えていました。もちろん技術上の困難も多々ありました。
観客15:とても興味深い映画で気に入りました。小手川さんがこの映画で一番伝えたかったテーマは何でしょうか。
さまざまな方法で過去の出来事を記憶することがますます重要になってきていると思われます。アーカイヴは歴史を記憶する方法の一つです。また、映画を撮ること、観るということも記憶し、想起する方法です。つまり、歴史、記憶、過去と現在のつながりを見つめることがこの映画の主要なメッセージの一つだと言えるでしょう。
小手川 将
主に映画を研究・制作。2022年に監督作品『籠城』が完成。大学院での専門は映画論、表象文化論。現在の研究対象はロシア・ソヴィエト映画、とりわけアンドレイ・タルコフスキーについて。論文に「観察、リズム、映画の生──アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』の映画論における両義性」(『超域文化科学紀要』26号、2021年)。