- 日記
- 2023年7月8日
ペテルブルグ印象記 第4回
ロシアのサンクト・ペテルブルグに留学した映画研究者・映画作家、小手川将さんによる「ペテルブルグ印象記」。3ヶ月ぶりの更新となった今回は、友人の帰省に同行してペテルブルグの北東に位置するセヴェロドヴィンスクを訪れた第3回の続編です。白海を見たあと、友人の地元の同級生や両親と酒を酌み交わしたり、観光したりして過ごした時間が記録されています。
わたしたちはみな子供時代出身である(セヴェロドヴィンスク2)
文・写真=小手川 将
白海から見るセヴェロドヴィンスクの町並み
白灰を塗したような曇空、気温はマイナス20度近く、氷雪に覆われた道を歩くには滑らないように細心の注意を払い続けなければならないというわけで、少しの散歩だけでも相当の気力体力を要するのだがせっかくの帰省となれば巣籠もりしてばかりではもったいない。熱いチャイを飲み、わずかばかり休憩を挟んですぐ友人に連れられて地元の同級生たちに会うというスケジュールが組まれている。
迎えに来てくれた車の運転席には栗毛を短髪に刈り上げた毅然とした風体の男性、黒のロングヘアでヒッピー風の男性、顔の半分ほどが隠れる派手なサングラスをかけた女性が乗っていて、そこにさらに成人男性が二人乗り込むと車内はおしくらまんじゅう状態となる。年季の入った車体が道路の段差に躓くたびに大きく左右に揺れた。
女は道中で降りていった。どうやら運転している方の男が最近結婚した相手のようで、6月には二人でペテルブルグに引っ越す予定とのことだった。僕にはセヴェロドヴィンスクとサンクトペテルブルグのあいだにある精神的な距離は計りかねるが、いわゆる上京みたいなものだと想像して良いのだろうか。車の目的地はその新婚の男の部屋だった。5階建てのおそらくフルシチョフカ。壁を塗り直したばかりだとかでちょっと油断すると服やリュックサックにクリーム色の粉がべったりと付着する。道中のスーパーマーケットで買ったビールを飲みながら、ここでようやくお互いの素性を少しずつ明かしあう。彼ら二人は工場勤め、長髪の方は2019年に反政府運動のデモに参加して一晩だけ留置場に入れられたことがあるとか。「ここで仕事するなら工場くらいしかない、給料は良いんだけどね」。ロシアの地方都市での厳しい生活条件に思いをめぐらす。長髪の彼は酒が回ると一気呵成に現ロシア政府への独自の批判を開陳してくれたが早口でうまく聞き取れなかった。
家にはシーシャが置いてあった。ちょっとやってみようか、と手際よくセッティングしてくれる。日本でシーシャ屋をやっている友人がいまのロシアでは水タバコがアツいと教えてくれていたのだが、町中のカフェだと高価なのでどうにも気が進まず試していなかった。いくつかの銘柄をテーブルに並べてくれる。JENT、ELEMENT、CHABACCO。その中からユーカリが混ぜ込んであるというフレーバーを選んだ。なかなか悪くない。冷蔵庫の奥からサマゴン(自家製蒸留酒)を振る舞ってくれた。思いのほか飲みやすく喉越しは柔らかで春の匂いのような甘味が口の中に残る。市販のビール瓶に注いであって、シーシャのホースとともに酒とトランプのカードを皆で回しあっているうちに自動的に打ち解けた気分になってくる。というよりも、そういうふうに感じる場面だろうと脳裏で考えている。手から手へと物を渡し合うとは異なる世界を融け合わせることである。なにせ言語とは関係ないのだから。
すでに酒精が胃腸をしたたかに焼いていたが、ヨルシュ Ёршというウオッカとビールを混ぜるカクテルがあると勧められたので試す。手っ取り早く酔うための悪質な混ぜ方ではないかと警戒したがけっこう飲みやすい。夜ふかしとアルコールと旅疲れのちゃんぽんで頭がくるくると回り続けている。キッチンで酔い覚ましにアボカドを食べているとき、家主にどうして結婚したのかと聞くと、家族を持ちたくなったからだと言う。そういうものじゃないのかと不思議そうな顔で、そういうものかと空返事する自分が情けないがまあ人それぞれである。深夜3時近く、タクシーで友人の実家に帰る途中、適量でアルコールを抑えていた彼が、あいつの政権批判よくわからなかったでしょ、話が飛び飛びで……まあファッションだよねと毒づいていた。昨年に始まった戦争は当事国に暮らす若者たちにとって無関係であるわけがなく、むしろ密接に関係しているはずなのだが同時に実のところはるか遠くの出来事のように感じられているのかもしれない。旧交を温める集まりに闖入した見知らぬ日本人を自宅に招き、いっしょに酒を煽りながらトランプゲームに興じて談笑する光景に剣呑な匂いは感じられない。しかし、直視し続けているにせよ無意識に落としているにせよ、あの出来事がこの地に住む各人の生に押した烙印を想像しないわけにはいかないだろう。
シーシャを囲む
遅寝早起き。2月4日、午前中から家族に連れられて車で小一時間、アルハンゲリスク州にあるМалые Корелыという観光地に行った。ロシア北西部の民俗や歴史を展示する博物館があったり、古い教会や鐘楼、納屋などを見ることができたりする。ポモールの文化である。いうまでもなくロシアは多民族国家であり、家族たちと話していると自分の生まれ育った地域に対する矜持というか祖先とのつながりやアイデンティティの意識がじんわりと感じられる。カズーリ Козулиというポモールの伝統的な焼菓子を母親が売店で買ってくれた。見た目と味はジンジャーマンクッキーで、聞けばクリスマスのお祝いに食べられていると言うのでやっぱりジンジャーマンクッキーではないかと思ったがここにも独特の歴史と伝統があるわけだ。未知の名前の焼菓子を買ってもらい、楽しそうに説明してくれる風俗習慣をうんうんと聞きながら口内で甘味を楽しんでいる自分はまるで子供みたいだ。そんなふうに伝えると、そうよ、子供のようなものよと返されてどうにもむず痒い。自分はたいして若くもなく、ましてや子供扱いされるような齢ではとうにありえないと自認しているが、それでも自分の中にある子供時代と断絶されていない何かを撫でられているような感覚。僕の友人でもあり父母の息子でもある彼が幼かったころの世界に、いまの僕がほんの少し混ざってゆく。
家族旅行は夕方には終了。帰宅後すぐに僕と友人は実父の家に行く予定である。帰路の車中でその話になり、離婚はしたけどわたしたち家族はめずらしく全員仲が良いんだよと破顔する母親、楽しそうに相槌を打つ息子、いちおう会話に参加はしているが本心の読めない微妙な表情と声色の義父は運転に集中しているのかどうか、俯瞰にならざるをえない立場から僕は家族の会話に耳を傾ける。
父母の後ろ姿
実父の家に入るとテレビで北野武のドキュメンタリーを見ているところだった。僕が客人として来ることを一週間前に知っていたから部屋を片付けられたけど普段はめちゃくちゃなんだ、と大笑いで出迎えてくれた。小柄でお腹がぽっこりと出ていて、張りがあるわけではないが聞き取りやすい声調で話す好々爺という印象。こちらの食卓にもすでに豪奢な料理が並んでいる。あと、たくさんの酒。独身っぽいよね、と友人が笑っていた。好々爺はウイスキー、ワイン、コニャックと次々にコルクを開ける。引用やことわざ、アネクドートを織り交ぜた会話が途切れることなく続く。例えばこうだ。いつものように僕が盛大にくしゃみをするとすかさず「Будь здрав боярин!」と言われる。ロシアではくしゃみをした人に「Будьте здоровы!」と声をかける習慣がある。God bless youと同じニュアンスである。さてこれはどんなアレンジなのかなと思ったら、どうも映画からの引用らしい。レオニード・ガイダイ『イヴァーン・ヴァシーリエヴィチ、転職する Иван Васильевич меняет профессию』(1973)。要するに、僕が映画好きだと知っていて、おどけてそう言ったのである。あるいはこうだ。「Доска, треска, тоска」というフレーズがある。「板材、鱈、憂愁」というような意味で、この三つの語でアルハンゲリスクという地域を表せるというジョークらしい。兵役に就いていたとき、たまたま隊列で隣にいた男がアルハンゲリスク州の出身で、このジョークで意気投合していたら上官が近寄ってきて怒られるかと思ったらその男も同じくアルハンゲリスク州生まれで……と実体験かどうかは不明だがそんなことはどうでもいい、実に詳細で興味深い物語を話してくれた。事実、1986年から1988年のあいだに従軍経験があるという。その二年のあいだにほとんど荒野のようだったセヴェロドヴィンスクには多くの建物が造られ、整備され、まったく景色が変わったらしい。ソ連崩壊前夜の話だ。
ところで、日本語では「憂愁」と訳すことができるかなと思うのだけど「タスカー Тоска」はどういう意味なんですか、故郷を離れたノスタルジーみたいな感じなんでしょうか。いやいやノスタルジーってのはまあ誰にでもあるけど、タスカーはこの地域とかまあロシア特有のものでね、未来がなくて時間が止まったような感じさ……。
宴席、左手前にあるのが鱈
いわゆる地元という場所はかつての時間が凝固して動かない空間だと思う。甘美で懐かしくもあり、どんよりと沈殿した思い出に嫌気がさしもする。2月5日、友人の案内でセヴェロドヴィンスクの町をゆっくり散歩する。ここが僕の通っていた学校で、この道をいつも通っていた。近所のこのアパートでは十歳のときに喧嘩があって、七階の階段から人が落ちて死ぬ事件があった。あのたばこ屋では幼なじみが働いている。
夕方には家族ぐるみで付き合いのある友人たちが客人に来るという。聞いてみると、先日に車中で聞いたラジオDJの夫婦とのこと。地元は狭い。いっしょに夕餉を味わいながら日本食について訊かれる。ふぐってどんな味なの? どうなんだろう、高級な料理でほとんど食べた記憶がない。一度くらいはある気がするけど、これといった味なんてあっただろうか。なんというか高級な味がします……あまり納得のいっていない様子だ……あと、そう、歯ごたえを楽しむんですよ、などと言葉を足してみようとしたのだが「歯ごたえ」にあたるロシア語が思い当たらない。なんというか、コシがあって……いや、コシが何なのか、日本語でさえ適切に言い換えることができない。言い淀んだ末に、食べたときのテクスチャが良いんですと伝えた。ふぐのテクスチャ。ははあ、なるほど。納得したようなしていないような感じだったので、まあ醤油やレモン果汁を付けて食べますから大体そういう味ですと付け加えたのだが、話題が移った後にスマホで調べてみるとたいていはポン酢を付けるようだった。まあおおよそ間違っていないだろうが正確ではない。翻訳はかくも困難である。
これまでに家族で行ったという旅の写真をたくさん見せてもらう。冬の景色も良いけどロシアにはやっぱり夏に来るべきだよ、今度はいっしょに行こうと自然豊かなウラルへの家族旅行に誘ってくれる。次があるのだろうか。それはいつ来るのだろうか。そんな日は来ないかもしれない。遠くない未来、いま以上にわたしたちのあいだにある国境は実際の距離よりも遠くなってしまうかもしれない。しかしささやかな約束に心が揺れる。きっと次が来たら幸せなことだろう。
セヴェロドヴィンスクで育ったあの工場勤務の若者たち、あの二人とはまた会う機会はあるだろうか。インスタグラムやツイッターのアカウントも聞かなかったから、もう一生会わないかもしれない彼らの日常を互いに定期的に知ることができるというネット中毒的な幻想はわたしたちのあいだには存在しない。それで良い。また会えたら素敵なことであるし、会えずじまいだとしても一夜の思い出が心中に残っている。結局のところ心を揺さぶられたものにしか本当の意味はない。言葉、風景、芸術作品、人。瞬間の感動を愛するべきである、そう思っている。
ロシアに来てはじめて休息の時を過ごしたような気がする。気づけば留学期間も半分近くが過ぎようとしている。
友人が悩みなどあったときに立ち寄る場所だという
小手川 将
主に映画を研究・制作。2022年に監督作品『籠城』が完成。大学院での専門は映画論、表象文化論。現在の研究対象はロシア・ソヴィエト映画、とりわけアンドレイ・タルコフスキーについて。論文に「観察、リズム、映画の生──アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』の映画論における両義性」(『超域文化科学紀要』26号、2021年)。