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  • 2023年5月19日

オランダ無為徒食日記 第8回

ロッテルダム国際映画祭(IFFR)で研修中の清水裕さんによる「オランダ無為徒食日記」第8回は4月~5月前半の記録です。IFFRの繁忙期も終わり、サブスクを利用して映画館と美術館に通う平穏な日々を過ごしていたところ、突如、住居問題が発生。約半年に渡って間借りしていた家で起きたトラブルとは――。

2023年4月〜5月前半



文・写真=清水 裕


変わらず映画館と美術館通いの日々。誰でも購入可能な映画館のサブスクCineville(光熱費高騰のため1月に値上がりし月額22.5€)とオランダ国内400館以上の美術館で使える年間パスMuseumkaart(65€)があるので時間をいくらでも使ってしまう。しかし英語のスピーキング能力も上がらないし何より世界が広がらない。IFFRはオフシーズンでオフィスへは閉幕以降ほぼ行っておらず、映画祭通いも落ち着き誰とも口を利かない日が増えていく。映画と関係のない人ともどうやったら知り合えるか同僚に聞いたところヨガ教室やジムに通ってみたらとアドバイスされ、それを検討する口実で散歩がてらまた美術館に行ってしまう。1年に1回も風邪を引かなかった自分が自覚する限りオランダに来て5回目の風邪を引き終えた。医療関係者からはヨーロッパのウィルスへの耐性がないためと言われたが確かに症状が回を重ねるごとに軽くなる。体が丈夫になってきているかもしれない。3月26日からサマータイムが始まり、日照時間が長くなっていくのが気持ちが良い。質素倹約といわれるオランダ人は年に1度のバケーションにはお金をかけるようで、少し日が出ると半袖やノースリーブで過ごすひとが増え3月から水着が売られ始めている。気温はまだ10度前後だが春になって開放的になる気持ちは共感するので自分も何か新たなことを始める機運が高まるか。
 
最も頻繁に行くアートハウスKINOのカフェにはニコケイ顔圧クッションが並び、新文芸坐さんを思う

 
4月半ば、大家のスーザンから私の住所登録と家賃収入があると退職金を満額もらえないため翌日市役所で住所を抜き、契約書のことは忘れ、リーガルオフィスには行かないようにと言われる。真正面からの違法行為だし断る権利はもちろんあるが、同じ屋根の下に暮らすことは続けられない。住居不足のオランダでは家探しに数ヶ月かかり、高収入でも他人の家のソファーに寝泊まりするひとが毎月増えているとのこと。ギリギリの助成金額で暮らす外国人の自分が短期契約で住所登録可能な家を探すのは難易度が高く、民泊や誰かの家に泊まらせてもらったとしても住所なしでは滞在許可が取り上げられてしまうためなかなかの事態だ。パニック状態のスーザンは鍵のない私の部屋に(これも事前の条件と異なる)入ってきては大騒ぎしている。言うまでもなく議論が成立しない相手と暮らしてはいけない。スポンサーも研修先も組織として助けてはくれないため、知る限りの友人知人に連絡をする。こういう時頼りになるのは深刻さを理解してくれる外国人が多いことで、自分がいままでマジョリティとして日本に暮らしていた時に困っている外国人に対しどのくらい想像力を抱くことが出来ていただろうなどと思い返す(スーザンも外国人だが)。
スーザンは勤務先の弁護士と話したようで、数日後には6月下旬までに住所を抜けば良いと要求を変えてきた。契約違反に変わりはないこととこの間も言いがかりが増えるなど、引き続き一日も早く家を出るべき状況。対立せず極力穏便にやり過ごすしかない。日本と逆でヨーロッパは建物が古くなるほど価値が上がったり、景観保護の観点や建設に伴う廃棄等による二酸化炭素排出をおさえる政策のため新築が建ちづらい。特にこれだけ住居不足であると大家と借り手に圧倒的な立場の違いが生まれてしまう。部屋を探す側は自己アピールを行い、多数の候補者の中から「大家さんに選んでもらう」という言いかたをよくする。家があるから映画やアートの仕事を続けられるという会話もよくするし、日本の興行はシマビジネスでもあるし、なんだか最近不動産について考える時間が長い。しかもこの事態になって1週間後には重要な締切をむかえようとしていた。40年積立てた退職金があわや減額されると憤るスーザンが引越し先を探したりそれにまつわる費用を出してくれるはずもなく、物件サイトやFacebookでルームメイトを募る投稿を探してはメッセージを送る。周りの経験談では100件メッセージを送って手ごたえがあるのは数件程度とのことで、評判通り多くの時間と労力が割かれる。5月半ばから研修の一貫でカンヌ国際映画祭への参加、6月上旬はフランクフルト行きが決まっており、動ける期間は実質1ヶ月弱。家賃相場は東京の約1.5〜2倍、助成金は定額で日本円支給だが14年半ぶりに1€が150円以上の安値で全くもってついていない。やっととりつけた内見では写真と実物の違いが大きかったり、外国人同士ここに至るまでの境遇を話し込んだりと、家事情にまつわるオランダへの理解には繋がる体験だが住まい探しは思うように進捗しない。
気が気じゃない状態で3週間ほど経った頃、親身に助けてくれた人のおかげで運良く部屋が決まった。翌月空きが出る予定があったところへ早いもの順の要領で6月からアムステルダムに住むことが決まった。数日で入居者が決まるほどの売り手市場のため大家は特別急いで情報を出す必要がなく、幸いにもここは募集開始前だった。可能な限りの早い段取りでカンヌ出張前ギリギリのタイミングで契約書を交わすことができた。ロッテルダムは昨年9月に到着した日、駅からタクシーで家まで向かう道すがら街を眺めて(一年で飽きるなんてことはまさか無いよね)と思ったこともあるほどコンパクトな街。映画館は複数あるがクラシックの上映機会が少なかったり、英語字幕が無いために見逃した作品もいくつかある。アムステルダムで関心のある上映やイベントがあっても帰りの時間を鑑みて諦めたりしていたためこれから見られる映画の幅が広がるのは嬉しい。この機会を前向きに捉えるしかないし、短い夏が始まるので新生活では活動的になりたい。ちなみにトラブル相手と同居し逃げ場のない私はすぐに利用することが出来なかったが、不動産に関する相談窓口は存在するためトラブルがあったかたは可能であれば駆け込んでいただきたい。
 

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 自分のペースで鑑賞できる美術館は気分を落ち着かせるにもちょうど良い。写真は入居先の物件を内見に行った帰りに寄ったEye Filmmuseumで開催中のSaodat Ismailovaの個展。ウズベキスタン出身の作家が中央アジアの女性像をヴェールや髪の毛、眠りをモチーフに表していく。新作含め大規模で充実した映像展示が約4ヶ月半行われ関連した上映プログラムも組まれる
 
 
映画は学問領域や批評ではない体系にもあるはずと信じ一般層であることを立脚点に取り組んできたがそれを仕事とすることが許されるのか考えている。専門家をリスペクトしたいし、自分より遥かに目の肥えた観客に向けプログラムを提示する畏れ多さといったらない。映画を意識的に見るようになったのは仕事を始めてからで量を見られるようになったのは劇場の仕事を離れてから。最低限見なければならないと自分が考える線を達成できたことはなく、時間的にも経済的にもそれを叶える環境はどう実現したらよいのか。都心の家や財産を持たなければ選ぶことの出来ない仕事ということだろうか。誰にとっても前情報なく自由に語ることの出来る千差万別の"映画像"があるところこそがポテンシャルで専門家だけが評価を定めたり正しい見かたを持っているということではないはず。見たひとに煮るなり焼くなりしてもらうため受け取ってもらうことが仕事と思ってやってきたが、これからいかにすべきか、残り数ヶ月考え抜かなければならない。

 
『Who Am I?』でジャッキー・チェン演じる主人公が滑り降りるロッテルダム市内のビルWillemswerf