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  • 2023年5月13日

オランダ無為徒食日記 第6回

ロッテルダム国際映画祭(IFFR)で研修中の清水裕さんによるオランダ滞在記「オランダ無為徒食日記」。今回は1月25日~2月5日に開催されたIFFR2023会期中の記録。清水さんがコーディネーションに携わった実験映像とビデオアートの配給会社による国際的コレクティブ「DINAMO」の上映や、会期中に出会った中国の新鋭監督のことなど、長い伝統があるからこそ変化も求められる映画祭の運営に立ち会って考えたことが記されています。


IFFR2023会期編



文・写真=清水 裕

 
会期中ゲストは5000人を超える。普段おっとりとした同僚たちもひっきりなしの問い合わせに表情がなくなりつつある。しかし苛ついた顔や大きい声を出す人は皆無なので、こういう時こそオランダの人たちのeasy goingな性格が好きだなと思う。中短編部門で『とおぼえ』がワールドプレミアを迎える川添彩監督も到着。彼女のように過去自分が仕事をさせていただいた作家の参加は当初の予想に反し海外勢含めても数えるほどになった。新人作家の登竜門ともいわれたIFFRだが今回日本からの参加監督は総勢14名、平均年齢は51.4歳と様変わりした。レセプションではロッテルダム拠点のキュレーターによるプログラムへ『Book and Knife』を出品するアーティスト佐藤未来さんともご挨拶する。オランダでは日本に比べて映画と美術の垣根が低く、佐藤さんのように映像を扱い美術やパフォーミング・アーツ分野にまたがって活動するかたには出会えるが、言い方を変えれば映画のみの活動をするひとにはそう出会わない。開会式は2000人ほど入る会場が満杯で3年ぶりの"フル・スイング"こと対面開催に熱気が溢れる。フェスティバル・ディレクターの開幕挨拶中、全上映作品のスチルが5分間のスライドで流される。プログラミング体制の変更点の一つはフェスティバル・ディレクターが全作品の最終ジャッジをすること、つまり上映作品は全て彼女が見ている。自信を持ったセレクションのお披露目ということであろうし、全作品を瞬きよりも短い時間でも見つけることのできる演出に感激している参加者が多い様子。オープニング作品『Munch』は裏で800名のボランティアスタッフ向け上映も平行して実施。各作品は多くて4回上映といったところ。やっと始まったがきっとすぐ終わる。気を抜かず過ごしたい。
IFFR2023チームフォト

 
コーディネーションを担当する、実験映像とビデオアートの配給会社による国際的コレクティブDINAMOの短編集上映は会期前半の週末に行われた。IFFRプログラマーが掲げる2つのテーマ「Blues」と「Displacement」に呼応して各配給会社がIFFRに短編作品を提案、その中からプログラムとして構成したものである。各プログラムは1回ずつの上映しかないため劇場運営スタッフさんと映写技師さんと慎重に素材や段取りを確認する。全19作品のメディアは製作年がばらばらかつデジタルとプリントが入り組む。物事を実行する際に結局必要なことは詳細だといつも感じる。こちらに来てから日常生活においても仕事においても大雑把さに不安になることが多いが、やはりここでも現場では細かい情報を丁寧にコミュニケーションしていた。見えづらいけれどそういうプロフェッショナルたちが必ずいると思うと安心する。
大きくはない会場だが2回ともチケットは事前に売切れとなった。実験映像を扱うプラットフォームの一つとして認知されていたことからも、新体制IFFRがDINAMOとどのような関係性を今後築いていくかはコレクティブメンバーにとっても関心が低くはないはずである。今期扱われた実験映像のプログラムやインスタレーションも前プログラミング体制の時代に実施が決定されていたものがあり、次期以降ますますIFFRの特色のゆくえが見られるポイントになる。上映後のトークは通常作家をゲストにむかえるが、本プログラムはイレギュラーで各配給会社のかたたちによってコレクティブの説明から実験映像を取り巻く状況についてまでの話がなされる。思い込みかもしれないがメンバーにも観客にも緊張感を感じる。今期の個人的ハイライトは3時間近くに渡ったDINAMOによる内部ミーティングだった。IFFRに何があったのか、これからどうなるのか、DINAMOとしていかに向き合うか。いままで一番聞きたかった議論を外部のひとたちが話し合っている。IFFRでもきっとそういう話を出来る信頼関係はある。けれど私はまだ率直に話をできる相手が内部には居ない。
 
DINAMOプログラム上映後、コレクティブメンバーによるQ&A
 
 
プログラマーがアドバイスをしてくれるとはいえDINAMOの作品の一部を選んだり順番を決めるのは自分で正直どきどきしながら取り組んでいる。IFFRでは作品権利元とのやり取り、各作品広報スチルの選択、メディア対応、SNS担当など、インターンに任される責務は想像以上に大きい。日本では学生さんによるお手伝いという感覚かもしれないがここではインターンを経なければ雇用とならない就職に向けた必要なステップとして見られる。低賃金のため考えるべき点はあるが実務体験を通したすり合わせになるうえ社会的にも実績とみなされる。だから短い期間でも海外から移り住んで参加する人たちがいる。
日本映画の関係者に会うと懐かしい感覚に出くわす。食事に行っている間ホテルのロビーで荷物を見張っていてくれと頼まれた時は別件のため断ったが、私がアテンド担当であったとしても頼めることではない。スタッフは業務に対する報酬もしくは目的を持って参加しているという認識が薄いのであろう。言語の壁など日本は他国に比べゲストのケアが必要だが特別予算がついているわけではない。IFFR2023のクオリティとして出来ることを提供するまでとしなければ最悪搾取が発生してしまう。オランダに日本のやり方を持ち込むべきか否かと複雑な思いを抱く。
 
会期半ば、咳と全身の痛みが無視できないレベルになってきた。いよいよ朝布団から起き上がれない。またしてもコロナの簡易検査は陰性で、風邪であれば自覚する限りこの冬3回目。生まれてはじめて風邪薬を服用し自分をごまかし出かけていく。今回どうしても会ってみたいひとがいた。新人を取り上げる部門Bright Futureに『White River』を出品するMa Xue監督だ。北京近郊のベッドタウンを舞台にコロナ禍自宅で隔離生活を送る夫婦の話。台詞が少なくミニマルなストーリーテリングに端正な画が映えるが性的な描写が多い点でも中国での上映は難しいであろうことが容易に想像つく意欲作。プロデュースを手掛けたShan Zuolongは恵比寿映像祭で協働して以来連絡を取り合っていた。Zuolongはビー・ガン監督と製作会社Dangmai Filmsを立ち上げ10年間共に活動してきたが昨年ビー・ガンと離れたと聞いている。彼にとって初めて他の監督と取り組むプロデュース作で、新たな映画製作方法を模索し取り組んだ第一弾となる作品。外国資本を得て中国で撮影し、海外での劇場公開や配信を想定し中国での展開は予定していない。気合いが感じられチケットも全回事前売切れとなっていた。Zuolongは多忙のため渡蘭が叶わなかったが、監督に会いたいと連絡すると時差を越えた華麗な手配で翌朝帰国する前の監督との対面を急遽アレンジしてくれた。以前彼のチームと仕事をしたときも迅速かつ正確な仕事と若いチーム編成に感銘を受けていたので今回もそれに感謝しながら熱で痛む体を引きずって強風のなか出かけていく。
中国出身のXueは韓国で映画製作を学び、韓国のテレビ製作会社でビッグバジェットのTVシリーズや映画のプロデューサーとして10年間活躍、今回インディペンデントでアートフィルムとして長編監督デビューをした。2作目は既に撮り終えており近々3作目を撮影するため『White River』も早く世界へお披露目したかったとのことで、マーケットのないIFFRでワールドプレミアを迎えつつ別ルートでワールドセールスを取り付け、ベルリン国際映画祭期間中の業界向け試写を仕込んだとのこと。2作目や3作目の題材を聞く限り今回と全く異なることになりそうな作家としての勢いと幅がある。プロデュース経験があるからこそ監督を出来るのだと本人は言うがそこでクリエイティブを発揮できるところが只者ではない。彼女は子育てもしている。圧倒されつつIFFRのセレクションに対する意見などヒアリングさせてもらう刺激的な1時間を過ごす。
 
 
アルベール・セラ監督トーク
 
 
プログラムへの評価を会うひと会うひとに地道に聞いていく。ネットワークは広げようとしても所詮自分のものに過ぎないということでもあるが多くは見解と一致した。数字で見られる客観的情報と質的に読み込んだ結果を相対的にみて、かつてIFFRの特徴と言われた実験映像、新進作家、東アジア映画のプレゼンスが下がった。商業、ナラティブ、アニメーションの割合が増え、トピック志向という見かたも強い。いっぽう東欧ルーツのプログラマーが増えたことや社会情勢を鑑みて、東欧とクイアの声をより取り上げた特徴が新たに生まれている。欧州における大規模プラットフォームとして新たな方向へ舵を切ろうとしていることは明らかだった。
組織改編の理由は公式発表通り予算減が間違いなくあった。長編本数は2割減、一般上映も試写の回数も減少しプロフェッショナル向けプレスルームやビデオライブラリは無くなった。プログラマーはおそらくみなフリーランス契約になった。何かを変えるためには全てを変えなければ実現が困難という状況は想像できる。意図されたにせよそうでないにせよそのとき丁寧なコミュニケーションがなされなかったという事実もあったのだと思う。改編に伴いプログラムにおいて優先順位の変化があった。映画祭の顔であるフェスティバル・ディレクターが良いも悪いも評価を一身に引き受ける覚悟は目に見える。なぜいまこのように変えなければならなかったかはすぐに理解されることではないかもしれない。
言うまでもないが国際的に見ても映画祭の労働環境は総じて良くないと思う。低賃金や不安定な労働契約に支えられた開催であることと予算縮小は聞く限りどこも共通している。IFFR2023のプログラマーも限られた人数と期間で6000近くの作品を選考した。通年スタッフは全体の1割程度、うち雇用は更に限られる。コアスタッフに情報と責任が集中し会期中もデスクを離れられない状況になる。現場の事情が少しでも認識できる立場としては作品もしくはプログラムに対する評価も環境や構造問題抜きに語れないのではないかと考えざるをえない。現時点の社会や業界からの価値評価が絶対ではないという信念のもと改革が行われたはず。規模は縮小したが観客はコロナ前と同等数に戻り開催は成功したとも言える。いずれにせよ必要なことはプログラムに対する活発な議論と批評でそれは離れていても継続して取り組めることだと思っている。