- 日記
- 2023年3月6日
ペテルブルグ印象記 第2回
ロシアのサンクト・ペテルブルグに留学中の映画研究者・映画作家、小手川将さんによる「ペテルブルグ印象記」。今回はロシア正教の暦においてクリスマスにあたる1月7日に参加した晩祷、通っているシネクラブで観た作品やシネクラブ運営者との会話など、太陽がほとんど姿を見せない1月の空の下で綴られた日記です。
別の日常、一月について
文・写真=小手川 将
年明けすぐにマイナス20度近い極寒の日があった。三が日のあいだは「明けましておめでとうございます」と「С прошедшим Новым годом」のメッセージをいくつかの宛先に送ること以外には特に何もせず、惰眠を貪っていた。ロシア人相手に、日本では仕事始めが1月4日とされているから「三が日」という言葉があるんだよと伝えると、ロシアでは公式的にはクリスマスは1月7日だからロシアのほうが休暇は長いねと返された。そういうわけで、1月7日まで怠けつづけることにした。
18世紀末に建てられたロシア正教の寺院
ロシアの公式的なクリスマスというのはロシア正教会が採用しているユリウス暦に基づいている。日本に暮らしているときにはまったく意識していなかった日付である。この日の直前、ロシア側からクリスマス時期は休戦しましょうという宣言が出されていた。こんな一方的な宣言を俟たずとも、プーチン政権とロシア正教会の癒着は清々しいほど明らかである。目抜きのネフスキー大通りをはじめ、11月末頃からずっと大規模なイルミネーションに装飾されてきらびやかに輝いていたペテルブルグの町にいて、この浮かれた光をどう受けとめればいいのか分からなかったが、にわかに宗教、というよりも聖なるものという文字が意識の内で明滅しはじめた。ナショナリズムと聖なるもの。ロシア思想には「Соборность(ソボールノスチ)」という、一般的に「全一性」と訳される言葉がある。「Собор(ソボール)」とは聖堂を指している。宗教哲学やユーラシア主義などにも流入する語で厳密な定義を拒むのだが、遠大な概念史を棚上げして短絡を恐れずまとめると、一堂に会して祈りを捧げるという行為と信仰心によって信徒たちは有機的に一体化する――神の身体である教会が一つに調和してあまねくすべてを包み込むがごとく、というわけである。わけであるなどと書いてみたがよく分かっていない。とまれ、せっかくロシアにいるのだからと、1月6日夜、寮から徒歩20分くらいの教会に足を運んで、晩祷 Всенощное бдениеという奉神礼に参加した。僕は信徒ではない。教会に通う習慣もない。とある有識者から誰でも参加してだいじょうぶだと言われていたものの恐る恐るの気持ちで堂内に足を踏み入れた。すでに二十人弱の人が集まっていて、それで少し窮屈に感じるくらいの小さな教会。両隅には赤羅紗張りの小さな長椅子が四脚ほど置かれており、個性豊かなヴェールで頭部をくるんだ老女たちが座っている。聖堂の中央付近に設けられた台座にイコンが置いてある。
初めてロシア正教の聖堂に入ったわけではなく、堂内におそらく一人しかいないアジア人に対してお咎めも奇異の視線もないが、どうにも場違いだという感覚が強く、身体が浮ついていた。夜22時、典礼開始。事前にホームページを確認したところ、聖金口イオアン聖体礼儀というものらしい。たくさんの蝋燭が灯っているのに天井の電灯はつけっぱなしなのかと思っていたら、何事かのタイミングに合わせて電気がついたり消えたりする。周りの信徒たちを空真似して機械的に何度も十字を切る。イコノスタス中央の門前で司祭が誦読を行っている。「主、憐れめよГосподи, помилуй」、「アーミン Аминь」という言葉が繰りかえし聞こえる。入口右脇に仕切りで隠された空間がつくられていて、そこで複数人の女性が歌う聖歌が束となって響く。神品などを運ぶために至聖所と聖所を行き来するのだが、一人の輔祭がスマートフォンで一連の動作を撮影していて内心仰天してしまう。いまだに2000年代初頭で時間が止まったようなデザインのウェブサイトを使っているというのに、何かのSNSの広報にでも用いるのだろうか。撮影には誰も気にする様子はなく、堂内は厳粛な宗教的気分で満たされている。ほのかに甘い香気が漂っていたように記憶している。Господи, помилуй... Господи, помилуй... 祈りの音、美しい典礼音楽が響いている。間近で領聖を見る。尊体と尊血、パンと葡萄酒。正教徒ではないので遠慮して、横目でじっと観察する。金属製の杯に注がれた葡萄酒に浸されたパンの欠片を、司祭が匙で掬い口に含ませる。信徒たちは用意された布で口元を拭い、杯の脚部に口づけをする。僕は見よう見まねで十字を画いたりお辞儀をしたりを続けていて、いつの間にか三時間、四時間と経っている。立ちっぱなし。塗油を受けて、イコンに描かれたキリストの御御足にキスするときには随分と緊張した。司祭に「良い祝日を С праздником」と言われ、ははあ、という気持ち。最後に十字架接吻の列にも並ぶ。祈祷が終わると堂内の緊張感がふわっと解けて、信徒たちが笑顔で談笑しはじめて、そこでようやく自分が非日常な空間にいたことに気づく。そう、確かにそうなのだが、自分にとっては教会に行くこと自体が文字通りに日常的ではないのであり、五時間の直立による疲労で気分が高揚しているだけのような気もする。額に塗られた重い油滴が揮発していく。身体はずっと浮ついている。信徒たちは共同性を、あるいは一体化を求めてここに来るのかどうか。周囲の人たちと自分を区別したいわけではないのだが、同じではないことは間違いなく、しかしその懸隔がよく分からない……よく分からないままそそくさと退場しようとすると、教会の人間と思しき女性に声をかけられる。どこからいらっしゃったのですか。ええと、日本からです。どこで勉強しているのですか。ゲルツェン大学です。なんとまあ、私も同じ大学でした。歴史学部です。この教会にはいつでもいらっしゃってください、どなたでも歓迎いたします。こういう手合いの慈悲深さにはいつも少し狼狽してしまう。曖昧に肯いて、舌先で慣れない「С праздником」の音を発して、鐘が鈍い金属音を響かせる教会を抜けでる。時刻は3時過ぎ、道に大型バスが停まっている。聞くと、町の中心部まで送迎してくれるとのことだった。僕はひとり歩いて帰寮した。高密度の儀礼から離れて、大気に満ちる雪を吸った。Господи, помилуй... Господи, помилуй... 耳奥にはまだ余韻が残っていたが、ほんの少しだけ世界の軸が自分のほうに戻ってきたような気がした。
ロシアのシネクラブで上映される東映ポルノ作品
あっというまにイルミネーションが撤去されていく。レニングラード包囲が解放された1月27日までに飾り付けを一掃することになっているらしい。莫大な電気代を食っているに違いない光源が町を照らしていようがいまいがどうでもいい、僕は太陽の光が恋しくてしかたがない。1月13日付のネットニュースの記事に、ペテルブルグでは長い雪どけ продолжительная оттепельが始まったと書いてあるのを読んだ。実際、零度を上回る日も少なくなかった。しかしほぼまったく太陽は姿を現さない。垂直に光が差す、あの正午という刻限が恋しい。靄のような薄明ばかりが空間を覆っている。長らく影を見ていない。
折にふれて通っているシネクラブのART LAIRでは、1月12日に石井輝男『ポルノ時代劇 忘八武士道』(1973)を、1月18日にジャン・ルノワール『大いなる幻影』(1937)を、1月21日にヴェルナー・ファスビンダー『悪魔のやから』(1976)を観た。ロシアで東映ポルノにお目にかかることになるとは思わず、しかも初見の作品で心から楽しんだ。ポルノ描写も良かったが時代劇としても本格的な作品だった。上映後にはいつも小さなディスカッションがあり、そこで僕は、時代劇らしい人工的な演出と演技こそが本作の官能性の本質だ、などと適当なことを言った。あの奇妙に動き回るカメラワークが良いか悪いかで議論が白熱していた。僕は素晴らしいと思う。最後、主人公がアヘンに溺れていくシーンは少し冗長だったよね、と話したのはほとんど毎回参加しているというシネクラブ運営陣のひとり、フーコーと映画にやたら詳しい男で、初めて出会ったときに日本人なら深作欣二が大好きだと伝えてくれた。日本とロシアといえば黒澤明の『デルス・ウザーラ』(1975)だよね、増村保造の『からっ風野郎』(1960)の三島由紀夫はとてもかっこいい、菅原文太は最高の俳優だよ、などなど立て板に水の勢いで矢継ぎ早に紡がれる日本映画についての語りはとめどなく、興奮気味のまま果てには五所平之助の名前が出てきて、いや僕は観たことないよと降参した、そんな思い出のある彼に、ソ連時代にはポルノは禁忌だったと思うけどそれでも何かセックスにまつわる作品はあったのかと訊ねると、ちょっと考えた末に『帽子をかぶった裸の女 Обнажённая в шляпе』(1991)という作品を教えてもらう。後日、YouTubeで視聴したが一見の価値ありだと思う。その彼は『大いなる幻影』上映後の感想戦で、これはフランス映画らしい理想主義的な作品だ、30年代にはこういう作品がつくれたかもしれないけど40年代にはもうだめだっただろうし、いわんや現代の戦争の時代にこんなものは何の意味もないと痛烈に批判していた。戦争が友情を育むことなんてない!
戦争が友情を育むことなんてない! ……ところで1月18日にはレニングラード包囲の解放80周年を記念する式典があって、プーチン大統領がペテルブルグに来ていたらしい。また、1月27日にはレンドック Лендокというシアターや映画学校が併設されたスタジオで包囲戦にまつわる特集上映が組まれていた。一本目は『戦下のレニングラード Ленинград в борьбе』(1942)。あからさまなプロパガンダ映画だが、それにしても時局も天候も過酷極まりないなか飢える町の様子を淡々とフィルムに収めた人々がいた事実を思うと心中粟立つ。その貴重なアーカイヴ素材を用いた作品が二本目、セルゲイ・ロズニツァ『包囲戦 Блокада』(2005)。セリフはないが言葉に溢れている。両作品ともに「敵は門前にいるврага у ворота」という文言が映っていたのが印象に残る。すぐそこに敵がいる。80年前、日常と非日常は門を隔てて地続きであり、戦地は目と鼻の先だった。三本目のマリヤ・ポプリツァク『女性たち Девочки』(2015)は、そんな時代に生きていた六人の女性が自らの記憶を語るドキュメンタリー作品だった。砲撃を受ける町でテニスを楽しんでいた少女時代について、工場に行って武器をつくっていた日々について、たった一日をいかに生きるかという問題について。ところでこの日の朝、僕は悪夢に声をあげて飛び起きた。ペテルブルグに来てから何度か見る夢、小型冷蔵庫サイズの黒塊が部屋の隅の壁をのっそりと動くのをぼーっと知覚しているような感じ。この夢が抑圧の解除された欲望の現れかどうかはどうでもよい。ちなみに、これは寸法こそ違うが実際にあったことで、ごくたまに寮のキッチンで豆粒大のゴキブリが視界を横切るのである。しかしまあ冷蔵庫くらいの大きさのやつがいると言ってもおかしくない。なぜなら夢は現在時に事実として起こっている出来事だからであり、やつは現にそこにいるのである。実際、僕はやつを頭に抱えて最悪の気分で三つの映画作品を観ていた。包囲戦という歴史が顔から心臓を貫いて本当に吐き気がしていた。かつてそれがあった、そしてまた、とうとうもうじき終わるかもしれなかったのに2023年という破局的な現在にほとんど接続されかけている。
レンフィルムに展示されている大祖国戦争に関する展示物の一つ
(「ファシズムとの戦いに歿した親衛隊の英雄たちに永遠の記憶を捧げる」とある)
(「ファシズムとの戦いに歿した親衛隊の英雄たちに永遠の記憶を捧げる」とある)
1月下旬、ロシア語の授業でレールモントフ『現代の英雄』の最終章「運命論者」を読んで、いつだったかのシネクラブにて、客入りが少なくて上映後に僕と運営人の二人しかロビーに残らなかった日、何を観たのかもどういう会話の流れがあったかも忘れたが、ブラックティーを片手に二人で、運命を信じるかどうかについて話したことを思い出した。僕はこんなことを言った。どうしようもない運命があって自分や世界のすべてを決定しているような気分になるときがあるんです。それに対して運営人は、運命は信じていないと答えた。というか、好きな考えではないんだ、自由を大切にしているから。それから僕がなぜだか、映画や絵画みたいな芸術はいちど作品として完成して一つのモノとして目の前にあるのにそこから受ける感覚は個々人によって違う、これは自由かもしれない云々と拙いロシア語で話したのを覚えている。そうかもしれないね、何だか難しい話になったと一段落ついて、そのあとで彼は、ロシアの郊外ではマスメディアを信じる人が多いと悲観していた。ペテルブルグみたいな都市ではそうでもないけど、やはりテレビの存在感はけっこう大きいんだよ。どこかで何度も読んだような情報の一つ、それを初めてこの耳で聞いた瞬間だった。僕は数多溢れるロシアについての情報と目の前で発せられた言葉とを聞き分けられただろうか。自由が制限される。人間の自由が標的になっている。マスという全体的な単位を通じて個人の自由が問題になっている。なんとなく暗い雰囲気になったので、苦笑でも誘えればと思って僕はこんな言葉を付け足した。まあ、幸運なことだけど僕は自分の自由でこのシネクラブにたどり着いたよ……しかし、いま思えば、自由というより偶然と呼ぶのが適切だったかもしれない。あるいは運命なのだろうか。運命的に僕はロシアに来た。勇ましく窮屈な響きだ。僕は偶然ロシアに来て、たまたまこのシネクラブにいる。ロマンティックかつ倫理的なニュアンスを感じる。だが、運命にせよ偶然にせよ、ともかく自分はここにいる。その事実があって、そのあとで運命論だの偶然性だのといったものが召喚されるのではないだろうか。いずれも事実と折り合いをつけるために時間に打ちこむ軛のヴァリエーションの一つに過ぎないように思う。「私がこの人生に足を踏み入れたのは、思考の中で人生を経験した後のことで、それで私は飽き飽きして嫌気が差してしまったのだ」とペチョーリンは語る。思考もまた生ものの事実であり、人生そのものであり、しかし大抵は考え抜く時間を待ってはもらえず、不可解なものが詰まっている頭部の形をした抽斗がぐらぐらと揺さぶられて、好き勝手に開いては言葉と情報が襲いかかってきて僕は輪郭を失う、このペテルブルグの町にいながら、ネットニュースを読むたびに、Twitterのタイムラインを眺めるたびに、会う人電話越しの人と話すたびに、日々授業が行われる小さな教室で、行き交う人の群れとすれ違う街路で、セントラルヒーティングの効きが弱い学生寮の部屋で、私の記憶、他人の記憶。
長い雪どけ――とけた雪が凍って道が滑りやすくなることがよくある
「わが民族の最も高くきわめて顕著な性格とは、公正の感情とその渇望である」(ドストエフスキー『死の家の記録』)、そのすぐ下にピョートル大帝に帰属する「ロシア人とはロシアを愛しロシアに奉仕する人のことである」という言葉が引用された印刷物を授業で読まされる。公正、愛、奉仕。レニングラード包囲戦の前線で兵士たちがしばしば朗誦していたという歌、マルク・ベルネス「黒い夜」が歌う声がスピーカーから流されている……「君の愛が僕を迎えてくれるだろう/たとえこの身に何が起きようとも/死は怖くない/この荒野で何度も見てきた」……感傷的で過剰なロマンチシズムではないかと思うがこれもまた現在へと瞬く間に飛び込んできて、僕は納得いかず、電飾を失った町を歩きながら自由連想法的にアルセーニ・タルコフスキーの詩を読み……「どれほど戦前に戻りたいと願ったか/殺さねばならぬ者に警告するために/あそこの人間に言わねばならない/〈ここに来ると死が傍らを瞬時に過ぎ去る〉」(「六月二十一日土曜日」)……いま自分の目の前の具体的な現実を観察してみると、いつも乗っている三番のバス、いつものスーパーで一度に買うのは、泥つき人参2本、大根半分、玉ねぎ3個、砂肝500グラム、卵1パック、米あるいはグレーチャ、たまにはディルとマッシュルーム1パックずつ、それで約800ルーブルくらいになって、いつものように無人レジを使ってズベルバンクのデビットカードで支払いを済ませ、定期的に行きつけのカフェに寄っては毎回飽きもせずに一番安いアメリカンを頼み、一服し、いろいろな誘惑に負けながらも同じような事物に囲まれて好ましいとさえ感じていた世界の、日常的だと見做していたことがらが疎遠でよそよそしくなっていく感覚になって今更ながら自分自身の環境が不慣れなものだと忘れかけていたと気づく。ある夜、200ルーブルくらいで買ったクリミア産の赤ワインを一本半開けて酩酊がどろどろと餅雪のように頭に降り積もったあたりで、寒さと雪泥に覆われた道路のせいで思うように散歩ができないのが最大の不満だと思った。恋しいのは太陽というよりも散歩であり、この足が地面を踏み歩いているという思考の即物的な実感だと思う。今のところまだ足は僕の監督下から離れかけたままである。
たまに行くカフェの一つ「KGallery Book Cafe」
小手川 将
主に映画を研究・制作。2022年に監督作品『籠城』が完成。大学院での専門は映画論、表象文化論。現在の研究対象はロシア・ソヴィエト映画、とりわけアンドレイ・タルコフスキーについて。論文に「観察、リズム、映画の生──アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』の映画論における両義性」(『超域文化科学紀要』26号、2021年)。