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  • 2021年7月11日

ミッシング・イン・ツーリズム 第10回

宮崎大祐監督による旅行記「ミッシング・イン・ツーリズム」第10回は、スペイン・マヨルカ滞在記の完結編。8日間にわたった滞在の最終日の記録です。講師と一対一で行った脚本の直しをめぐる問答や、お別れ会の様子が綴られています。
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文・写真=宮崎大祐


マヨルカン・デイズ8
 
朝から隣のログハウスでは財布がなくなったのどうのという騒ぎが起きていて、なぜか自動的にフィリピンのシージのせいにした人がシージにもう一度荷物を調べるようにうながしていて胸糞が悪い。結局なくした本人が自分で持っていたそうだが、シージに謝罪すらしなかったそうで。気のせいかもしれないがここに来てから夕食のおかずが一品少なかったり、「あなたたち肌の暗い色のひとたち」と呼ばれたりと、日本の外に出ると必ず遭遇するいまだ根深いそういうものが存在していることを思い出す。多分心からの悪意も悪気もないのだろうし、どこかのサッカー選手よろしくこれは文化や生活の一部であり翻訳や表現の問題だとでもいうのだろう。
午前中はギュラというハンガリー出身でいまはサンダンスの脚本ラボの責任者をしている脚本家とギリシャ風のテラスで一対一の脚本直しであった。これがまたも脚本の直しというよりも表現や作品とどう向き合うか、つまりは映画作家の倫理について徹底的に問答する時間で、「お前は本当にやりたいことをこれまでの作品で貫徹出来ていない」「いやいや、俺がやりたいことを一回見たくらいでなんでお前はわかるんだ」「もしも脚本の中にひとことでもお前の血が通っていない箇所があるならば、そんな脚本はすべて偽物だ」「お前はどうやって俺の脚本の一言一句に血が通っているかどうか調べるんだ?」などというやり取りが一時間近くつづき、心身ともに疲弊した。映画に限らず完璧な理想や潔癖さに生涯殉ずることが出来る人などいるのだろうか。わたしはそれを全力で目指しつつも、頂の手前にあって絶対に埋めることが出来ない深淵に何か汚れたやわいものを投げ込みながら生きていきたいなあ、しかし教育は最初に理想をかかげないといかんのかなあなどとつぶやきながら冷たいプールに沈んだ。
午後はパエリアを囲んでのお別れ会だった。シナリオ合宿に全然関係のない近所の人々も老若男女集ってきてあまりお目にかかれないほど大きなフライパンに海老だムール貝だレモンだ入れて、ちょっと時間かかりすぎじゃない?というほどパエリアを煮込んでいる。そしてようやく地元のおばあさんから笑顔で渡された本場のパエリアは米が硬かった。米が立っているというか、硬くてジャリジャリしてる感じ。本場はこういうものなのかしら。それとも鍋が大きすぎて火が通り切らなかったのかしら。米硬めを赤ワインで流し込み、参加者全員で記念写真を撮った。それからひと休みしていると、宿舎から見える小高い岩山に登らないかとフレデリックに誘われた。先日のハイキングでこりているわたしはあまり気が進まなかったが、まあ最終日だしまた会うことがあるかどうかもわからない謎メンバーなので参加することにした。
参加者はわたし以外にデンマークのフレデリックとクリスチャンのコンビ、そしてウクライナのエリザベス。特に会話もせず、ただただ四人で頂を目指し歩く。羊の糞だらけの牧場を抜けて何度か木製の柵を乗り越え、低木がしげる薄暗い斜面を一時間弱のぼると山頂にたどりついた。ちょうど水平線が赤と青の光に染まりはじめるくらいの時間だった。そしてそこから見えた景色はなぜかわたしにこの先の未来への良い予感をもたらした。われわれはその後エリザベスの提案でつつましい記念写真を撮って、ぐっと暗くなりはじめた低木の森の中を下りはじめた。登りと比べ下りは道がずっとゴツゴツしているように感じて膝が痛みはじめた。うしろを歩いていたエリザベスが独り言のように語りはじめる。ずっと学生運動に身を投じていたこと。それがロシアの最新兵器によって一瞬にしてこなごなにされたこと。圧倒的な暴力を前にしたときの実感としての「民主的」な抵抗の無意味さ。以来、抗うつ剤や精神安定剤が手放せないこと。それでもわたしは同じ時代に地繋がりの世界で起きているそれらの現実がはっきりとは想像できなかった。いや、ぼんやりと想像はできるのだが、具体的な像は結ばない。この断絶とつまずきをこれからどう生きられるのか考えていた。「マヨルカに来て数年ぶりに調子が良くなったから、キエフに帰ったらまた学生向けの映画の授業をはじめようかな」とエリザベスは笑った。
それからわたしたちはみなであつまりワインを空け、夜をこえてそれぞれの飛行機の時間まで飲み明かした。初恋の話、恋愛論、そこに差し込まれるマックスの革命論。世界のどこにいっても人間は愛について語るのが好きなのだなと思う。こうしてマヨルカでの長いような短いような奇妙な生活は幕を閉じた。


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