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  • 2019年5月26日

ミッシング・イン・ツーリズム 第2回

7月から渋谷・ユーロスペースほかにて最新長編 『TOURISM』 が公開される宮崎大祐監督が、旅にまつわるあれこれを綴る連載「ミッション・イン・ツーリズム」第2回。今回は2013年の初訪問以来、少なくとも年に一度は足を運んでいるというタイ・バンコクが舞台です。昨年末、構想中の映画のシナハン&友人の結婚式に出席するために彼の地を訪れた宮崎さんはどのような時間を過ごしたのでしょうか。

文・写真=宮崎大祐

そんなこんなで一年に数回、多い年は毎月のように海外に出るようになって七、八年が経った。2018年の年末、わたしはタイで撮影したいと思っているノワール映画のシナハンをするためにバンコクに来ていた。今でこそ頻繁に通うようになったバンコクだが、二十代まではやはりアムステルダムと並びバックパッカーの聖地=安全に非合法なことが楽しめる青い若者用の場所というイメージが強く、フィッシャーマン・パンツを履いて、「ドラッグをキメてこそ見える、西洋的価値観や怠惰な日常の外部にある猥雑さや混沌にこそ人生の意味があるのだよ」といったオールド・エイジ思想になじめなかったわたしは、なんだかんだ言い訳をしてはタイを避けていたのだが、2013年のはじめに、「もう三十代なんだし、いい加減食わず嫌いはやめて、自分の目で見て実際のところを判断するべきなんじゃないか」という至極当たり前の考えに行き当たり、精神的に多少大人になれた喜びと、地下室的気質を少し失ってしまった寂しさを携え、はじめてバンコクを訪問したのである。いやいやしかし、実際に訪問してみるとタイは、気候から食事からなにからなにまで和製イタリアンの自分にぴったりの国だったので、これだけ人気があるのはむべなるかなと訪問初日にしてあっさりと認めてしまい、多い時には年に数回、少なくとも年に一回は訪問しないとどうも体が硬くなってしまったような気がするまでに、わたしはこの善悪の彼岸にある国の虜になってしまったのである。以下は2018年末にそのバンコクを訪問したときに記した日報である。

【12月22日】

最近眠りが浅くなった。特になにかちょっとした用事がある日の前夜は全く眠れない。こどもの頃からそうではあったものの年々悪化しているような気がする。心おどり眠れない夜がこどもの頃よりも増えたというのは喜ばしいことなのか、はたまたただの加齢による身体的症状なのかは不明。

戸塚から成田エキスプレスに乗って空港へ向かう。横須賀線沿いの壁には様々なグラフィティが延々と描かれていて、目を奪われているうちに眠りに落ち、あっという間に空港に着いた。近年流行のLCCは毎回毎回理不尽な追加料金を請求してくる上に、機内持ち込み荷物の重量に関し試合前のボクサーのような減量を強いてくるので、結局タイ・エアーで良かったのではないかと反省。LCCが一般航空会社に金をもらって、あえてネガティブな差異化を行っているのではないかという説は検証が必要だ。東京、バンコク間の六時間強、周囲の環境に意識を奪われないように読書に集中していた。ただの機内食の香りでもその独特の焦げ臭に吐き気を催すほど感覚過敏なわたしは、一瞬でも気を抜くとヤバい。特にLCC便の中で販売されている宇宙食にも満たない、密閉された嫌がらせの小箱のようなものの匂いは試合前から退場。

中心部の北にある古い方の空港であるドンムアン空港からホテルのあるエカマイ駅付近までUberを使おうと試みるも、空港の車止めが混雑しすぎていて、どの車を呼んだのか判別できず。仕方なく適当なタクシーを拾い、南下する。お馴染みの蛍光ピンク色のタクシーから見た一年ぶりのバンコクの夜景はフライデーナイトだというのに以前よりも明らかに静かで、諸々の政治情勢下で言語化できない緊張感に包まれているように思えた。

エカマイ通りから少し入った暗い裏通りにあるExpedia会員限定40%OFFセールでGETした、ホテルというよりも高級賃貸アパートのような宿にチェックインし、サンタのコスプレをしたお姉さんたちに少し目を奪われながら、LCCの機内に充満していた悪夢を振り払おうと、エカマイ駅前にある明らかに観光客向けの屋外レストランで遅い夕食をとった。フレイムツリーの間に架けられた、クリスマス・デコレーションのような色とりどりの電飾の下をせわしなく行き交うバドワイザーの水着を着たお姉さんたちを見ていると、なぜだか『ディア・ハンター』を思い出した。わたしは一瞬ニックの真似をして、銃弾の代わりにゲーン・キャオ・ワーン(グリーン・カレー)の中に潜んでいる緑唐辛子をひとつひとつ取り出し、東南アジア独特の軽い皿の隅に積み重ねていった。何年か前、スクンヴィットのオシャレ・レストランで獅子唐と間違えて唐辛子を食べてしまった結果、絶命こそしなかったものの、サングラスで隠せないほどに顔の各部位が膨れ上がり、酷い目にあったからだ。

腹もふくれた。しかしこのままフライデーナイトに何もせずに寝てしまうのはもったいない。そこで、現地の友人に「今夜何か面白いことはないかね?」と聞くと、早速、「運河の近くにあるLe Communeというクラブに行けばまず外れはないよ」とのこと。Google Mapで検索をかけると、歩いて行けない距離ではなかったので、レストランからそのままエカマイ通りを南に向かって歩き始めた。

タイの通りはとにかく汚い。謎の液体を避けながら、更には原付やら車やら屋台やらがランダムに停まっているので、結果として道の両側を行き来しながら迂回を繰り返し、歩くことになる。横断の際も車から道を譲られることはないどころか、横断者を見ると、餌を見つけた鮫のごとく車両が加速してくるので、縄跳びをやっているように、タイミングを見て覚悟を決めて、えいやー!と渡るしかない。また、左折車が一旦停止することなく横断歩道に侵入してくるので、油断しているとあっという間に巻き込まれてしまう。歩道を直進していても横断歩道のたびに一旦停止すべきなのは歩行者なのだ。ゆえに、これはアジアのほとんどの国にも言えることだが、歩きだとどこへ行くにしても日本とは比べられないほどに時間がかかり、たった一キロ歩くのに三十分以上かかることはザラである。そんな常識をようやく思い出した頃には夜も更け、車の往来もまばらになっていた。タクシーも拾えず、歩道を直進できない道の左右への横断を繰り返すうちにカンボジア人肉体労働者のゲットー飯場に迷い込んだり、体長15センチほどの巨大ゲッコー(トカゲ)がウロウロする真っ暗な工事現場の中を駆け抜けたりしながら、ようやくLe Communeが入っているという立体駐車場のような建物に入った。これによく似た飲み屋ビルが六本木の駅前にあるのは知っているのだが、こういったビルをどう形容していいのかはいまだにわからない。

ビルの中には身体を鍛えてキレイ目な恰好に小さなピアスをしたような、騒ぎたい大学生用の大箱が幾つか入っていて、EDMやパーティー・ラップが漏れ聞こえてきた。真冬の日本から来てすぐに粉塵の中を一時間以上歩かされた上に(全くもって自分の選択ではあるが)まさかこの中の一つがLe Communeではあるまいなと軽く動揺したが、期待と現実のギャップにこそお前の人生はあるんじゃなかったのかと自分を奮い立たせ建物の中を散策していると、一階の片隅に小さな「Le Commune」という看板を発見した。大学生くらいのストリート系の若者たちが談笑する小さな宇宙船のようなデザインのロビーに入ると、メインフロアから808の低音が聞こえてくる。ふと見ると、宇宙船の窓の外を流れる運河沿いには安普請のバラック小屋が立ち並び、薄汚れた洗濯物が真夜中の風を受けてたなびいている。いよいよタイに来たのだなという実感が深まり、少し悲し気な笑みを浮かべて受付のお姉さんに手信号を送ってみたら顔パスさせてくれたので、メインフロアに入った。小さなライブハウスくらいのフロアでは、顔までタトゥーと偽ブランド品で固めた20代前半と思われるヒップホップクルーがトラップ系のビートに乗って、「アイアイ」とか「ギュンギュン」とか「スクスク」と歌っていた。明らかに日本のBAD HOPなどの影響も感じられる。その大本がなにかという話はここではしない。とまれ、トラップの曲であればタイ語をほとんど理解しないわたしでもタイガー・ビール片手にノルことができる。真冬の東京から乗り込んだ低温乾燥状態の飛行機の中で大量の宇宙線を浴び、化石のように固まっていたわたしの身体に南国のアルコールはあっという間に染み渡った。

【12月23日】

翌日、ホテルで目を覚ますと妙に気分がよかった。ただ、ベッドの真上にエアコンが備え付けられていることだけが気になった。今夜は親友のタイを代表する美術監督であるラシゲット(通称:ポン)の結婚式だ。それまでバンコクを散策しようと海外でしか穿かないベージュの短パンに細い足を通し、エカマイ駅からBTS(モノレールっぽい列車)に乗り、サイアム駅(日本でいう渋谷)に向かった。目的もなく渋谷に出ると選択肢が多すぎてなにをすればいいのか迷ってしまうように、サイアムでもいつもなにをしようかと迷ってしまう。それだけ人と情報が圧倒的に多いのだ。そんな時はまず駅前のバンコク芸術文化センター=BACCに行くことにしている。この日は折しもビエンナーレが開かれていて、ものすごい混雑模様だったので、海外に出て前のめり気味になっている自分を正す意味も含め昼食をとることにした。現代的で巨大なモールが連なる駅の北側と違い、南側には元は市場であったであろう、竹下通りのような商店街がのびていて、商店街を抜けた突き当りには小さなマンションがあり、その一階部分が小奇麗で手ごろなレストランになっていた。なかなか物事を決められないわたしは、選択に困るといつもそこで食事をとることにしていた。今日もここで広東料理の影響を受けたであろうタイ風の釜めしを食べる。

年末のタイはセール・シーズンでほとんどのお店が信じられないほどの割引率で在庫一掃セールをしていて、日本では2割引きでも眉をしかめそうなハイ・ブランドの商品が5割どころか7割や8割引きで売っていたりする。だからわたしはここぞとばかりに洋服を買って帰るのだが、不定職者だというのにハイ・ブランドの商品を廉価で買うことにグローバル・キャピタリズムやポストモダニズムに対する高度な批評精神があるのかと言えばまったくそんなことはなく、単に品質が良くデザインがイケているものを身にまとえるのならば、それは苦学生面してアーティストとしての矜持とやらにしがみつくファイトスタイルよりも何千倍も一般性も説得力もあり、総合芸術たる自分の作品を一人でも多くの方に届ける一助になるのではないかと思うからである。ということでこの日は偽物感たっぷりのゴーシャ・ラブチンスキーによるガチャ・ベルトを買って帰った。ガラス製の陳列棚から恐る恐る取り出される「ただの」ガチャ・ベルトを見ていてゾクゾクした。

結婚式に行くためにスーツに着替えた。ホテルの部屋で。このスーツは今日の新郎新婦が来日した際に新宿の百貨店で選んでくれたものである。新郎新婦に選んでもらったスーツを着て彼らの結婚式に参加することになにか神学的な意味を探ろうとしたがなにも思いつかず、むしろスーツ用のベルトを日本に忘れてきたことに気づいた。ここぞとばかりに買ったばかりのガチャ・ベルトを白い小箱、さらにはその中にあった白い布袋から取り出す。ガチャガチャ。この形状のベルトを示すのにわたしは先程から、「ガチャ・ベルト」という幼少期からつづく呼称を用いているわけだが、心のどこかで実はこのベルトにも正式名称があるはずだと思っている。いや寧ろ願っている。しかし、つい先日同じ形態のものが「ガチャ・ベルト」という正式名称でヨウジ・ヤマモトから販売されていることに気づき、暗澹たる気分になったのと同時にどこか許されたような気分になった。サブカルがハイカルに接収された瞬間だった。

上着を着ているには少し蒸し暑い夜だった。慣れない革靴を滑らせて、ホテルから歩いて五分ほどの結婚式場に向かう。タイの高級レストランに多い、密林風に設計された前庭を抜けると、ワイン工場のような木造の建築物が姿をあらわし、その二階のイベントスペースが結婚式の会場だった。頭上からは新郎ポンの助手たちが数日かけて飾り付けたという蛍光灯ライトを使った大がかりな美術作品がぶら下がっている。会場に駆け付けた数百名の関係者による催眠術のようなタイ語を耳にしながら、ビール・サーバーが壊れたため渡されたおちょこのような容器でビールを繰り返し飲んでいるうちに、わたしはすっかり楽しい気分になってしまい、ハイ・トーンが効いたタイの伝統的なダンス・ミュージックが場内に流れる頃には、友人知人入り乱れ、お互い汗だくで重なり合いながら、絶命寸前のゴキブリの痙攣のような踊りをおどっていた。タイ・アート映画界の主要どころがそれぞれに微笑ましい醜態をさらし、大笑いしたり、泣いたり、嘔吐していた。とにかくアットホームであたたかく、素晴しい結婚式だった。

式のあと、前庭で休んでいると、新郎のポンから紹介したい人がいると言われ、細身の日本人風の女性を紹介された。普段は有名なバンドでベースをやっていて、映画の女優もやっているという。その女性→ピムは知り合ってすぐに、先日ツアーで訪れたという日本の保守的政治情勢の批判をはじめ、現状に異を唱えない日本の人々、特にリベラルなアーティストたちは本当に臆病だといいはじめた。普段ならばそういった圧倒的な正しさに異を唱えてしまう天邪鬼な性格のわたしも、酒と東南アジア的なピースな雰囲気にやられ、反論する気も起きず、打たれるがままになっていた。彼女の日本批判はしばらく続き、いや、むしろこういうとりあえずゴリゴリ来る、かましてくる系の女性が本当は好きなのかもしれない、などとわたしが遠いところに意識を持っていくと、彼女は突然、「ところであなた、音楽は好き?」とこの上なく一般的な話をふってきた。わたしが、「実は音楽が一番好きで、昔は自分でも演奏したりもしていたんだよ」という話をすると、「どうしてやめちゃったの?」と来る。才能がなかったから。人と比べて? うん、この世は天才ばっかりで嫌になったんだ。でも、自分が好きならつづけたら良いじゃない? 天才が多すぎて、その勇気がなかった。本当に好きなものとはいつも一緒にいないとダメよ。それはそうだね。あなたも人がどうとかじゃなくて、好きなものと一緒に生きなさいよ。そうしたいけどね……。わたしのバンドはコードがふたつしかないような曲でも自信をもって演奏するし、完成度とかそんなのは、好きなことを楽しむってことの前では無意味でしょ。そりゃそうだ。日本人は真面目すぎるから云々という一般的な日本人論に戻った彼女の会話をわたしはここでフェードアウトした。

その後、二次会にとスクンヴィット通り沿いにある名店5050へと向かった。真夜中過ぎてアルコールでビヨビヨになっている頭に強すぎる真っ青な蛍光灯がキツかった。タイの人たちはおおむねさほど太っていないが、年がら年中なにかを食べていて、一緒にものを食べること自体が重要なコミュニケーションのようだ。この時も結婚式でさんざん食べたあとだというのに普通の夕食コースが出てきた。わたしも無理をして、卵焼きだかなんだか色々とつまんだのだが、この無理がのちのち大きな悲劇へとつながる。ともあれ、〆の梅干し鍋?がとても美味しく、珍しく自分でも作ってみようと思った。

二次会も終わり、泥酔してわたしへの罵詈雑言と奇声を発していた友人の映画監督ヨッシーを緑色のタクシーに詰め込み、自分は歩いて帰ろうとしていたら、例のピムが、「車で送って行ってあげようか? っていうか、もう一杯飲む?」とか言ってくる。なんだなんだ、タイにもツンデレ女子なる概念があったのかと思っていたら即座に、「いやいや、そういう意味じゃ全くないからね。ただの一杯。友人としての一杯」とくぎを刺される。そしてわたしはそういう意味じゃない夜こそがもっともわすれがたい夜になることを知る程度には歳を重ねていた。迷うまもなく彼女のRV車の助手席のドアを開けた。

(つづく)

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