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  • 2019年2月18日

無言日記 第42回

三宅唱さんによる連載「無言日記」第42回は、主に旅先の台湾で撮影された2018年12月の映像日記を公開します。さらに、 第11回恵比寿映像祭 で展示中(2月24日まで、18日のみ休館)のインスタレーション「ワールドツアー」について、今回の展示会場である日仏会館ギャラリーの空間特性に合わせてどのような設計・演出がなされているかなど、詳しく解説してくれています。

映像・文・写真=三宅唱

12月は台湾に行っていた。10日ほど台北やその周辺におり、1日だけ高雄に行った。エドワード・ヤンが撮ったロケ地に行ったり、侯孝賢の映画館で映画をみたりした以外は、延々と古本屋を回ってとある本を探したり(結局見つからず)、喫茶店でダラダラしたり、非常に快適に普通の日常を過ごしていた。

ということを書こうと思っていたが、別のことを。

恵比寿映像祭で、YCAMと共同制作したインスタレーション作品「ワールドツアー」の展示が始まっている。

基本的には下の写真のように、可能であれば寝転がってみるのが楽チンだと思う。場合によっては目すらつぶって、ただ音と光に包まれて気持ちよく爆睡する、そんな過ごし方をしてもらっても嬉しい。

映像の中の季節の変化、外の光のゆっくりとした変化、他の鑑賞者の出入りを感じながら、ただぼうっとする。とにかくそれが理想だし、それができる空間を作れた気がしていて、とても気にいっている。

それで以下は、まあ理屈というか、どういう風に作ったかという話、それもスクリーンの中の話ではなくてあの空間について書きます。長いですが、興味ある人はぜひ読んでください。

自分のことを振り返ると、これまでは恥ずかしながら、自分は映画好きなのだという謎の自意識などのせいで、ついインスタレーションのような類の作品を軽視してしまっていた。そして手前勝手なことに、いざ自分が作ってみてはじめて、劇映画と同じように楽しんでもらいたいなあと心底思っている。自分でやらないとわからないあたりつくづくガキだが、しょうがない。

僕らが作って来た劇映画を楽しんでくれた同じ数の人に「ワールドツアー」を見てもらいたいと願っているが、なぜかハードルがあるのは、自分を振り返っても承知している(逆もまた然り、いわゆるアートファンも、なかなか劇映画を見てくれていない気もする)。まあ、好みはそれぞれだしそんなもんか。

とは思いつつ、アート教育らしいものを受けたこともなくインスタレーション鑑賞数もかなり少ない(いつも5秒くらいしか見ていなかった)、ごく初心者の自分が、どのように考えて作ったか、その経緯をちゃんと書くことで、少しでもハードルがなくなって、十分に楽しんでくれる人、あるいはまともに批判してくれる人が増えてくれることが楽しいので(あるいは、とことんインスタレーションをみた上でやっぱり映画でしょ、というのも多いにあり得ると思う)、なるべく全部書きます。

まず映画の場合は、映画館という問答無用の最高の空間がある。あの暗闇に合わせて映画を作る。だから、映画館よりいい場所なんかあり得ないじゃん、というのが出発点。

しかしインスタレーションは、映像と音に合わせてそれにふさわしい映画館を作り直す行為だということをYCAM滞在中に自分なりに発見してから、俄然面白くなった。映画の場合だって、あの映画なら歌舞伎町にかつてあったあの場で観たかったとか、六本木で深夜に観たいとか、色々自分なりに演出する。そんな感じ。

インスタレーションを作るという行為は要するに、映像プラス音プラス空間を演出することだ。おそらく、どっちかだけ面白いというのはつまらないインスタレーションになる(多分そういう作品はたくさんある)。言い換えれば、映像と音だけでなく、それがどのような空間で展示されているかも楽しんでほしいと思うし、自分も観客の時は楽しみたいと思うようになった。

まず、空間の演出ポイントはたくさんあることがわかった。

例えば、スクリーンの数、サイズ、質感(幕にするか壁にするかなど)はまあ色々あるだろうと予測していたが、スクリーンを地面から何ミリ浮かすのか、あるいは地面にべったりつけるのか、そんなところも工夫できると知った時は、今までいかに自分がインスタレーションをまともに楽しんで来なかったのか後悔の念に駆られた。

YCAM滞在中に両方試して、今思うと当時はバカみたいに延々と悩んで、地面につけることを選んだ。地面から浮かんでいると4隅のフレームが際立って「絵になりやすい」わけだが、今回は「絵になる」ことが重要なわけではなくて、日記映像なのだから、もっと地続きの体験ができるような風景が立ち上がって欲しいと考え、そう選択した。また、地面につけることで自然と鑑賞者の目線を下げる、つまり床や椅子に座ってもらうことを促せることもわかった。できればゆっくりみてもらいたいわけで、それも好都合だった。

3面スクリーンであることは最初から決めていた。インスタレーションを自分もやってみたいと思うきっかけになった空族とYCAMの「潜行一千里」は4面(プラス1面)だった。4面だと中央がないというのが素晴らしい特徴になるわけだが、あえて今回は、中心が絶対に生まれてしまう3面展開において、しかし編集によって左右に視線をふることで中心を作らない(=フレーム外の世界を作りだす)ことにチャレンジしようと考えた。

空間に対してどうスクリーンを置くか。入り口から入って正面に映像を展開する案もあったのだが、入るとまずスクリーンの裏面が見えて左右からぐるりと回ると映像が見えてくる、という位置にした。簡単に言えばツアー感と、そちらの方がゆっくり時間を過ごせる気がしたからだ。背後から人がくるのは、自分はなぜかあまり落ち着かない。左右どちらか回るか特に決めていないが、スクリーン裏面の作品タイトル位置を中央に置くとどうやってもダサかったのでやや左下にしてもらい、そのことで時計回りに動くのが自然な流れになったかもしれない。

また、YCAMでは3面スクリーンを密接させたのだが、今回の日仏会館ではスクリーン間に隙間(スリット)を作ることにした。というのも、今回の会場内には窓がふたつあり、カーテンを閉めても細い光線が会場に入る。そして外に出ると、吹き抜けと大きなガラス窓と柱が、光のスリット空間を作り出していることもわかる。夕方には光が空間に差し込む。そうしたスリットを全て隠す、つまり壁を新たに作ることも可能ではあった。実際これまでの同会場での展示は壁で窓と外光を隠していた。映像なのだから、ごく当たり前だと思う。

今回、そうした日仏会館という建築そのものの特徴を、展示作品によって照らし返したいと考え、スクリーン間を開けることにした。「ワールドツアー」をみた後に、日仏会館のそうしたスリット空間に目が向けば面白い体験になると思うからだ。

スクリーン間の幅調整はやや悩んだ。まず隙間があることによって、スクリーンの裏側を歩く人はスクリーンを見ている観客を見ることができる。隙間が狭いと「覗き見」感が強調されるのだが、つまり、観客は覗き見られていることに気がつかないのだが、それは嫌だった(実は映像そのものも、覗き見や隠し撮りのように撮られたものはなるべく排除している)。そこで隙間を少し広げると、覗いている人の姿がスクリーンの間にちゃんと見える。この方がフェアだと思った。広げすぎると通路になってしまうので、人が通れず、かつ覗いている人がちゃんと見えるような幅にした。

ちなみに、こうした設置の諸々や専門的な設計は、YCAMではインハウスのスタッフ(常駐の職員)が担うわけだが、恵比寿映像祭ではHIGUREさんと映像祭スタッフに担当していただいた。映画と同じでアート現場にも職人的なスタッフが当然いるわけだが、初めて彼らの仕事を目にして、とても面白かったし、かっこよかった。

これはただの自慢だが、そんなHIGUREさんのお一人に、今回の設営が終わった後「床置きスクリーンの作品でこんなかっこいい空間になるのは初めてみました」と言われて、「あ、床置きって割と避けるんだ」と初めて知ったのと同時にかなり嬉しかった。

スクリーン位置が決まると、その壁に白とグレーの間のような絶妙な色のペンキを塗り(詳しく聞き損ねたが、おそらく映像を適切に反射する特殊塗料なのだと思われる)、プロジェクターの位置や投影を調整する。少しでもずれるとスクリーンの上下左右に投影されてしまうわけで、かなり細かいテクニックが要求されるようだし、そもそもかなりいいプロジェクターでなければならないらしい。今回はキヤノンさんの提供で、単眼レンズの素晴らしいプロジェクターを3台展開しているとのこと。

空間全体について、YCAMでは真っ黒な空間にすることで(壁も床も全て作り直している)、日常とは違う空間へのツアー感を演出しようと考えた。また、YCAMの建築自体にウラオモテがないように感じることからヒントをもらい、YCAMでは3面のスクリーンをもう1セット、線対称に置き、1時間ごとに映写面が交互するようにプログラムを組んでもらった。地球の公転ツアーのようなイメージ。他にも壁に開けた小窓や、天井から吊るしたガラスフレームなどを加えたが詳細は控える。

さて恵比寿でも真っ黒の空間にする選択肢は当然あったわけだが、先述したように、スリットから漏れる外光を積極的に活かす方向にした(晴れた日の夕方のある時間だけ、綺麗に夕日がソファに差し込み、また消えるらしい。それを「アタリの時間」と呼ぶことにした)。最初の状態をなるべく生かすことにしてグレーの床面もそのまま、スクリーン以外の壁も日記展示用の壁のみを新設することに留めた。

さらに書けば、ただでさえメイン会場とは違う箱でもありすでにわざわざ足を運んでもらっていることになるので、むりやりに非日常の空間を演出するよりも、なるべく日常的な気配の中にポンと東京ではない土地の映像が流れる方が楽しめるのではないかと考えた。公共性というか、外の世界を感じたままの方が、この作品にあうだろうとも考えた。

写真美術館に床面と同じ色の長イスがあったのでそれを借り、合わせて同色のクッションを購入して配置してもらった。立ったままスクリーンを見るより、下からの目線の方が、間違いなくこの「ワールドツアー」は楽しい。

スクリーンの反対側には新たに壁を作り(モニターを埋め込む必要もあった)、中央には「ワールドツアー」の全素材を早回しにした映像をモニターで流し、その左右には滞在中の日記を展示している。日記本文自体は boidマガジンにもすでに転載 している。この日記を照らす照明器具も、4つの選択肢から選ばせてもらった。おそらくディレクターやスタッフが違えばこの照明(種類と数)も違うわけで、その辺りも、自分が観客の時には目を向けてみようと思った。

音については、YCAM中上さんに出張で来てもらい、再度この空間に合わせて整音してもらっている。最初、壁面がコンクリートなので角に立つと音の反響がややきつかったのだが、そのあたりも快適になるようにしてもらいつつ、デートなんかで来た二人組がおしゃべりしながらでも集中できるようなボリュームを保ってもらった。

基本的には以上が空間内の演出である。

入り口外には、恵比寿映像祭の田坂さんが長いイントロダクションを書いてくださった。長い時間軸で、そして映画や写真など幅広い軸で、僕らの仕事を捉えてくださったことに感謝したい。また、YCAMでの展示と同様、僕がiPhoneカメラをこちらに向けている写真をレイアウトしてもらった。なぜこれにしたか、この写真にその場でカメラを向けてもらえれば一発でわかるとは思う。その下に、YCAMと京都アンテルームでも設置していた「感想日記ノート」をここでも置かせてもらった。ぜひ日記を書き残してくれると嬉しい。この日記も、複数人で撮った「ワールドツアー」の作品の一部だ。

その反対側には、これまで撮ってきた『無言日記』シリーズと『やくたたず』を並べてモニター上映している。前後の脈絡の無いただの映像と、一応は劇映画を形作るために撮られた映像を同時に見ることで、両方の映像の捉え方に変化をおよぼすかどうか。<トランスポジション>という今回の恵比寿映像祭が掲げるテーマを、新たに自分なりに考えてみたいと思い、アイデアを出した。

写真美術館で展示されているほかの作品も、そしてもちろんあらゆる美術館の展示も、常に、作品に合わせて様々な空間演出が施されているわけで、それも楽しめるのだ、というのが自分がインスタレーションをやったことで得た最大の発見だった。

これまで本当に、ろくに何もみてこなかった。

楽しめるものが目の前にあったことに気がつかずに通り過ぎていたかもしれないと後から気がつくことほど、悔しいものはない。

インスタレーションは展示が終わると廃棄され、サラに戻る。もう二度と同じ空間は生まれない。演劇と同じだ。そういう意味でも、ぜひ期間内に足を運んでもらえたら嬉しい。

最後になるが、中身のこと。当たり前だが、前菜やデザートでなく完全にメインディッシュとして作った。悔しいことに「片手間でやっているんだよね」とか「器用だねえ」くらいに言われたりすることがあって(はっきりいって「無言日記」は片手間ですけど! でも片手間なりにじぶんでもひくくらい超真面目に編集している!! 今年の正月からほぼ毎日『無言日記2018』を編集していた!!)、劇映画を期待してくれていること自体は嬉しいのだが、心の中では「お腹でもくだせ、風邪でもひけ」とつぶやいている。

いろんな人の日記なんて、作る前はやや不安だったが、誰が撮ったカットも余すところなく面白かった。正確には、面白いと思えることができて、良かった。自分は自分の視点でしか生きられないことを改めて感じつつ、この作品を編集している間に延々と誰かがとった映像を見ながら、まるで役者のように、他の人の生を束の間生きることができたような気がした。改めて、たくさんの日記を撮ってくれた全ての参加者(主にYCAMスタッフ)と、映ってくれている全ての人に感謝します。

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