- 音楽
- 2025年7月14日
大音山の麓 第12回
湯浅学さんが過去に様々な媒体に書かれた原稿を発掘していく連載「大音山の麓」第12回。3回にわたって掲載してきた漫画雑誌「アックス」(青林工藝舎)の連載「昼も夜も眠れない盤で生きる。」の最終回までを再録します。連載当時のことを振り返って書かれた解説をあわせてご覧ください。
昼も夜も眠れない盤で生きる。
文=湯浅 学
第24回
ポール・マッカートニー『ドライヴィング・レイン』
今までいったい何やって来たんだろう俺はと思い山になった紙資料や雑誌や郵便やカセット・テープやCDや自分の書いた原稿やノートがザザザと音を立てて崩れるのを聴きながら廊下でゴロ寝をしていた。金がない。腰がいたい。子供が泣いている。一匹の蚊が冬なのにこの寒い部屋の中に飛んでいる。明日電話料金を払わなければ明後日午前10時1分から電話とFAXが止まってしまう。金がないのに本やレコードやカセット・テープや何を録ったか忘れたヴィデオ・テープなどがたくさんあると虚しくて窮屈でただでさえやる気がないのによけいにやる気がなくなってくる。気持ちですから。俺に夕飯おごってくれよと闇に向かって叫んでみたよ。「サザエさん」見ていると自分がマスオさんになったりナミヘーになったりカツオになったりノリスケになったりイササカ先生になったりしてしまう。みんなそんなにやる気あるんですか。ああやだやだやだと思いながら『オール・シングス・マスト・パス』を聴いていたら。ポール・マッカートニーから電話がかかってきた。
「全日空と俺とどっちがいい?」とポールは俺にたずねた。
「そりゃ全日空ですよ。だってあんたより飛行機いっぱい持ってるじゃないですか」
「俺のことを飛行機いっぱい持っていないからって差別してるんだな! 俺はビートルズにいたことがあるが全日空はないじゃないか‼」
「でもあんたスチュワーデス何百人も雇ってんですか」
「くそう。馬鹿にしやがって。じゃあ俺のキャッチフレーズは何だよ。あんた音楽評論家だろ。俺のキャッチフレーズぐらいつけてみろってんだよ!」
「ロック歌手ベーシスト」
「そんなんじゃだめなんだよ!」
「じゃあ英国人音楽家」
「それじゃフレディ・マーキュリーと同じじゃないか。じゃあ俺はペソに換算したら何ペソぐらいだ?」
「1億ペソかなあ」
「たったそれだけかよ」
「じゃあ10億ペソ」
「そうだろう。それぐらいの価値はあると思うよ俺も。じゃあ俺の新曲『フロム・ア・ラヴァー・トウ・ア・フレンド』聴いてくれよ」
言われなくたって聴いてますよ、と言おうとしたら電話が切れた。
安部慎一先生の『悲しみの世代』を毎日読んでいたころを思い出した。『ドライヴィング・レイン』を聴いていたら。そして安部先生の『迫真の美を求めて』を読んだ。悲しみは想像力を鍛える。しかし悲しみに慣れてはいけない。
死んだやつの肩を持つのは生きているやつの話を聴いてからにしろ。生きているやつの話はもちろんたちが悪いものだ。しかしその“たち”と付き合うことが詩だ。
確かなものなんて何もないないないないない。外は雨だよ。
と遠賢さんは歌っている。
『ドライヴィング・レイン』のジャケットを見てその歌「外は雨だよ」を思い出した。見た、あるいは感じたという実感そのものが実はモザイクに覆われている。自分以外の誰かと誰かによって自分のようなものが勝手に流れ出してゆくことを止める術は今のところない。ならばそのモザイクの内側は真に迫り続けていたい、という安部慎一先生に似た決意を俺は今のポール・マッカートニーに感じているのである。迫真の美の道はなだらかではない。そんな当たり前のことについてあえて考える。それもまた迫真の道。美はまぬけな昼下りに突然やって来ることもある。このアルバムで、静かにパンツを脱いで歌っているポールのチン毛に白髪増えているのが見える。雨の日に。
(「アックス」Vol.25/2002年2月28日発行)

第26回
ロウエル・フルスン『The Complete Kent Recordings 1964-1968』
しとしとと雨の降る日は天気が悪い、と世間ではよくいわれる。晴れの日は天気が良くて、雨の日は〈悪い〉と決めたのは誰だ。雨がまったく降らなかったら困るやつらが雨の日を悪者扱いしたのではない。しかし雨は〈必要悪〉ではない。良い悪いで天気を判定するなどふとどきである、といいたいだけである。
雨は天の恵みに決まっているでしょう。水なくして人間はもちろん生きられません。それを知りながらなぜ雨降りを〈悪い〉とするのでしょうか。濡れるとうっとおしいとか洗たくものが乾かないとか、外で遊べないとか、雨の〈悪い〉ところをあげつらう晴天賛美派は雨の恩を都合よく忘れていい気になっている。
雨の降る日は天気が良い、とアマガエルは思う。人間にしても、雨好きは決して少数派ではなかろう。雨が降ると涼しげであり、しとしとと音もないのに気配が耳の奥にゆっくり響き、空気がしんなりとしおらしく落ち着いた風情を持つ。ザーザーと激しく落ちてくる雨の滝状のありさまは、まるでみそぎを受けているような身の引きしまる思いをかもし出す。
ブルースマンといえば、雨を受けても晴れの陽をあびたとて、どちらにしても不動というイメージはある。身のまわりの不幸を別に不幸とも思わない。自分の身の不幸を娯楽だと思えるような気丈なんだか鈍感なんだかわからないような不敵さを持って歌がパターン化をものともせずに押してゆく様は、たたずむのではなく、雨に向かって立っている力強さを持つ。人生をあきらめるでなく、不平不満をべらべらと他人になすりつけるでもなく、自分の不幸を他人の責任にするのでももちろんなく。
歌は生活の糧であり、人と人をなんとなくつなぐ体液のようなもの、というただそれだけのことでそれでお金をかせぐにあたって、その日暮らしで何事か不都合のあろうはずもないという。大義名分などをわざわざ掲げる馬鹿でなし。世界やら宇宙やらは音楽の中ではネタにこそなるがそれで自分がどうなるわけでもなし。
かといってあきらめてああやんなっちゃってばかりいるわけでもなく、人類はいずれ滅亡すると深沢七郎先生のようなことを思わせる人もいなくはなかろうが、どうせ人は人、くだらなくてどうしようもないから、まあ一応愛すべきものではなかろうか、てなことを重く軽くかましながら人々を踊らせもする、と。別段深刻ぶることもないでしょう、もともとたいして恵まれちゃいないんだから、とのかまえぐらいはきちんとあるのが大人のブルースってもんだ。
ロウエル・フルスンは「トランプ」で有名だが、いかしたリフレインがグルーヴィーで、唸りも深い。しかも顔がカエルっぽい。64年から68年にかけて、ケントに残した全作品がCD4枚に収められているセットが日本で制作された、このブツである。雨の日にも晴れの日にも。ブルースがいちいち天気を選んでいられるか。重いからといって悲劇的というわけではない。ロウエル・フルスンは誰にも似ていない。そもそもよろこびやら悲しみやらに分類できない感情が人の心を迷わせるのではないか。心なんてそんなに信用できるものなのか、とさえ思わせる歌が雨の中でゲロゲロと。
(「アックス」Vol.27/2002年6月30日発行)

第27回
ジョーイ・ラモーン『ドント・ウォーリー・アバウト・ミー』
路面の照り返しだけではなく、ビルとビルの間の熱がビルどうしの焼けたコンクリートの放熱を混在させて降り注ぐので風のほとんどが熱風である。打ち捨てられたゴミの山にたかる蚊や蠅さえも暑さに鳴りを潜めている。ゆらゆらと陽炎におおわれたような午後1時30分のマンハッタンのヴィレッジをふらふら歩いていると、なんとなくピザ屋に入ってしまう。ニューヨークにはピザ屋が多い。だいたい大きめの一切れか二切れをコーラで流し込むように食う。小腹のスキを埋めるようなものだ。マクドナルドよりも手軽で安い。ファースト・フードとしてのピザはポピュラーだが、ニューヨークのマンハッタンのように店数の多い街は他にないだろう。クソ暑い日でもめまいのするほど寒い日でもピザ屋に入るとなんとなくホッとする。
「おまえ、中国人のくせにピザなんか食ってうまいのかよ」
よく行っていたピザ屋のオヤジに言われたことがあった。俺はよく中国人にまちがわれた。 「チャイナタウンはどっちですか」と中国人によくきかれた。
「私たちは日本人だからピザも食べるのよ」
と一緒にいた妻がピザ屋のオヤジに答えた。
「だったらスシだろう。スシ、スシ。俺は好きじゃないけど」
ピザなんか食ってうまいのか。
他に食いたいものが思いつかなかったからピザにしていたときのほうが多かったかもしれない。
おまえらスシなんか食ってうまいのかよ。
とスシ屋で日本酒飲んでいる白人に対して問いかけたい気分になったことは確かにある。別に食いたきゃ食えばいいというだけのことなのだが、どんな人間に対してもニコニコ受け入れる人というのはどうも噓臭い。心の底では人を陰気に値踏みしているのではないか、と思えてしまう。
おまえらこんなの聴いておもしろいのかよ。
と言われているような気が初めてラモーンズを聴いたとき、した。おもしろいというよりなんかよくわかんなかったなあ、という感じでしたが、素早くカウントしてどの曲もいさぎよく終わる、その姿勢はかっこいいと思った。何度聴いても後くされがない。どの曲もみんな同じようなのもよかった。あれからラモーンズを聴いて来た。別に毎日欠かさず聴いていたわけではないが、なんとなく聴きたくなること、その気持ちは変わらなかった。ニューヨークのピザ屋のようなものだった。
ラモーンズはもうない。ディー・ディーもこのあいだ死んだ。ジョーイが死んでから1年余が過ぎた。このアルバムが遣作になってしまった。至極普通に、落ち着いてロックをやっているコクのあるヴォーカル・アルバムだ。サッチモの「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」やストゥージズの「1969」のカヴァーも堂に入っている。クールな哀愁、ひずんだポップはせつないが、それが人間の性 (さが) なんだから、との思いひしひしと。暴力はここにはない。簡素に詩は刻まれてゆく。ゆっくりと歳をとるゆっくりと死に近づく。その意識にとらわれる必要などない。いつまでもこの世にいられるなんてもともと思っていないのだから。気に入らないことが身のまわりにあるうちが華なのかもしれぬ。
(「アックス」Vol.28/2002年8月31日発行)

第28回
ガース・ハドソン『The Sea to the North』
中身がカラッポなほど個人的怨念は社会から宇宙へと飛翔しつつちょっとした接触が周囲の不快や苦悩をしばしばカラッポな力の下で非難の対象に変える。そこでは理解することはまず同情から始まらなければゆるされない。自分の都合とは天の都合である、ということを人々に知らしめたいがために社会正義が転用される。人を利用する、という認識が正義の名の下に消減する。あらゆるコネや根回しエコひいきサーヴィスが正統な謝罪のための行為として善行であるのはもちろんのこと教義遂行の業となり、祈りとなり啓蒙となるような、カラッポな世界に疑義は通じない。
意図など問うても無駄である。意図はほんのちょっとしたことだからである。縮めていえば“淋しいから”、それだけだ。毎日うちの庭を横断しにくる猫になぜそこを通るのか、と問うようなものだからだが、人間は「あんた淋しいんだね」と問われるとついホロリと楽になってしまうことがあったりもする。
ザ・バンドの音楽は聴く者をついホロリとさせることも多かったが素朴であるがゆえにこころを探求へと向かわせることも少なくなかった。ザ・バンドを聴いたばっかりに大衆音楽の歴史を19世紀に遡って今日に至るまで調べてみようという気になってしまった人は世界中に何千人かいる。調査研究をアカデミズムとは無関係なところで因果として勝手に行ないその成果を人知れず墓に連行する者は数知れぬ。ザ・バンドは自分たちの好きなロックンロールの素がどのような分子構造なのかを当てずっぽうで解明しながらそれを歌にしたバンドだった。なんだかんだで40年ほど昔、バンド稼業の苦楽は、その道を選んだ以上しかたがないと納得できるのは音楽そのものに希望が見いだせたからかもしれません。
地味だけど各々妙な人ばかりだったザ・バンドが“アメリカン・ロックの良心”と日本で呼ばれることが多かったのは、浮いたところも激越なところも特になくボブ・ディランに近い位置にいたからとりわけ生まじめな印象を与えたからなのかもしれませんが、中でもオルガン他を担当のガース・ハドソンは昔からその容姿がおじいさんそのもので、ザ・バンドの年寄り臭さを一身に背負っていたところはあります。メンバーに音楽を教えていた、とさえいわれる音楽博士ぶりが伝説化していますが、なにしろこの人は話が長い。しかもしゃべるのがものすごおおおく遅い。話の最初と最後が別の世界を描くのはもちろんのこと、なぜ話をしていたのかその理由をそこにいる全員が忘れてしまうこともしばしばです。今までインタビューをした人の中で一番しゃべるのが遅いだけではなく、意味がある(とても勉強になる)のにまるで何もないようなふわふわとした気分にさせる話芸の持ち主として随一でした。音楽をやるには基本がなにより大切だから、いつでもガースさんは子供の頃家にあった賛美歌集を持ち歩いて繰りかえし頭の中でメロディをなぞっている、とそのときおっしゃっていました。ザ・バンドにおけるプレイもその基本から大きく外れたことはないという。在米カナダ人だからではなく、未来の伝統音楽を求め続けたがゆえに誰もやらなかったロックを生んだか。そんなガースが40余年の音楽活動の中でやっとソロ・アルバムを出した。去年の秋のことだ。ゆるやかなグルーヴはさまざまな光を放っている。分類は既存のワクではことごとく難しい。しかしこの音楽はやさしい。これも現代の伝統音楽でしょう。ジャズ好きにもぜひ。
(「アックス」Vol.29/2002年10月31日発行)

第29回
V.A.『越天楽のすべて』
この木なんの木気になる木見たこともない木ですから見たこともない花が咲くでしょう、と歌う曲がありましたが、漠然と知っているからといってそのことについてそれ以上知らなくてもいいということはないはずなのに、人はよく既成事実や暗黙の了解事項については知っているつもりのまんまにしがちです。また知らないということと興味がないということもたいした吟味もないままそのまんまにされている傾向がこのところ強まっているように思います。それを知らないのは知らなくてもべつに困らないし興味ないし興味ないってことは興味湧くようにしてくれる人がいないのがわるいんだし興味ないことにエネルギーそそぐなんてばからしいなどということはたくさんあるでしょうが、しかし、そのまま歳取っちゃうと子供育てるとき反撃されるぞ、知らなかったことに。興味はなんだかんだいっても能動的なもんなんじゃないの? 自分とはカンケーないってあんたそんなにエラくて何でも知ってんのかよ、といいたくなるやつっているでしょ、よく。若くしてそうなりたがっているやつっていつの世にもいるけど、森羅万象、宇宙や全生物に対して謙虚になれないやつはだめですねいくつになっても。水たまりでおぼれそうになっている蟻を踊りながら「おうちへお帰り、気をつけるんだよ」と助ける心は失せないはずでしょう頭ハゲても。いやハゲたらなおさらかもしれません。
知ってるつもりの曲というのもまたたくさんありますよね、日本に。キングレコードではどういうわけだか日本の超有名曲の成り立ち、変遷について調査研究したたいへんすばらしいコンピレーションのシリーズがあります。あるものとして何も語られないままにしておいてよいはずがない。しかしそれにはきちんとした資料がなくてはならぬ。音楽ならば聴けなければ話にならない。聴けないのに語られるばかりの音楽というのもこの世にはたくさんありますが、そういう音楽は音楽というより妄想になってしまっているわけですし頭の中でイメージをふくらませていくことも大事ではありますがそればかりでは、音楽もかわいそうじゃありませんか。音楽は演奏されたり聴かれたりしてなんぼのもんなわけでしょう。というわけでキングからはこれまでに『君が代のすべて』、『軍艦マーチのすべて』、『螢の光のすべて』というCDがリリースされています。明治時代以降の日本の文化状況、他国文化との交わり、交わりの中からの解釈、その後の変容などこれらのコンピレーションからは日本人の思考回路や創造力の基本型のなんたるかが、ほんのりと時にくっきりと見えてきます。
ここに御紹介いたしたいのはそのシリーズの中でこの秋(02年9月)にリリースされた『越天楽のすべて』です。この曲も大もとは1000年以上前に中国から輸入されたものだという。雅楽の中で「越天楽」は唐楽というものに分類されているという。それがメロディはほぼそのままに今日もなお親しまれているのはなぜなのでしょう。明治期には西洋式なオーケストラ用に編曲され海外のオーケストラでも演奏されています。このCDは1937年に録音されたフィラデルフィア管弦楽団の演奏が収められています。近衛秀麿の編曲、レオポルド・ストコフスキーの指揮によるものですが、これが実にすばらしい。深山の朝を思わせる透明感と美しくしっとりと香しい音のたゆたいにうっとり。幽玄とはかくもさわやかなものか、と思いました。「黒田節」が「越天楽」の“カヴァー”だったことも、このCDで改めて知らされました。スパイダースの「越天楽ア・ゴーゴー」と寺内タケシ大将軍の「越天楽」も併せて聴いて、うーむと唸る師走かな。
(「アックス」Vol.30/2002年12月31日発行)

第30回
シカゴ『Chicago at Carnegie Hall Vol.1-4 (Chicago Ⅳ)』
ああ一億円落ちてないだろうかとマサオは思うのだった。もし一億円拾ったら横浜駅西口岡田屋の中にあるレコード屋すみやヘ行って輸入盤をあれもこれも買ってそれから東横線の急行に乗って渋谷へ行き西武のB館地下のビーインの中にある輸入盤屋シスコで見たこともないやつやジャケットがいいやつあれもこれもたくさん買って持ち切れなくなったらカバンも買ってそれから道玄坂のヤマハへ行ってイギリス盤をたっぷり買って一回家に帰って翌日は古本屋巡りだな。久々に神田へも行ってみたいな。「ガロ」の抜けてるやつ買いたいし。カセット・デッキも買わなくちゃな。15日ほど前渋谷に行ったときシスコでレコード見てたら岸部シローがLP50枚ぐらいいっぺんに買っていくのを目撃したマサオは、いつか俺もあの野郎みたいに、いやあんなやつよりももっとたくさんLPを買ってやるんだやるんだやるんだやるんだと夜寝るときも昼にたぬきうどんとライス大盛にラーメンも食っているときもそのことばかり考えていた。そういえばニール・ヤングの『過去への旅路』ってサントラ聴けば聴くほど映画が見たくて見たくてたまらなくなるなあ。なんだかわけのわからない映画だっていうからなおさらだよなあ。『過去への旅路』はLP2枚組だった。マサオにとってはマンガ数冊を我慢しなければならないちょっとした買い物だった。高校生の一ヶ月の小遣いなんて五千円がいいところだ。 1973年になってもその状況は変わらなかった。
「長い夜」とかヒットさせてたシカゴは日本にも来て、大人はすごいすごいっていうが、 マサオにはサンタナのほうがよかった。シカゴはブラス・バンドのロックだったので、なんだか音楽部のような印象がとても強かったからだ。しかしシカゴはジャズが好きな人にもウケているらしい。そんなもんかなロックにしろジャズにしろ知性がどうしたとかいわれてもよくわからんからなあとマサオは友人のカズヒロと話したりしていた。兄がバンドでレッド・ツェッペリンやクリームの曲をやっているカズヒロはギターが弾けた。赤いグレコのギブソン335のコピー・モデルを持っていた。ブルースはいいよとカズヒロは言った。どういうやつよ? BBキングとかマディーなんとかっていうやつでさあ、ストーンズもそういう黒人の真似してるんだよ。カズヒロは「スプーンフル」のリフレインを弾きながらマサオに教えてくれた。
シカゴはブルースに影響を受けているんだろうか。ブラスの入ったブルースなんてあるんだろうか。よくわからないがもっといろいろな音楽を聴いてみたいものだとマサオは思った。吉沢の家にあった「ヘイ・ジュード」のシングルと自分の持っているキャロル・キングの「イッツ・トゥー・レイト」のシングルを交換したいと考えていたマサオは駅前のタナカ楽器ではっぴいえんどの大滝詠一のソロ・アルバムを昨日買った。たいそうおもしろくて友人みんなに話そうと思って学校へ行ったら、立山くんがおじさんからのアメリカみやげにもらったと言ってシカゴの『シカゴ・アット・カーネギー・ホール』を持って来て中身を出して見せていた。なんだよこれ、でかすぎるぞポスターが、とヨシオがいって拡げたシカゴのポスターはタタミ一畳分より大きいほどだった。LP4枚組にポスターが3枚にシカゴの写真集まで付いていた。すげえだろと立山くんは言ったが、きっと岸部シローは持っているにちがいないという思いにマサオは胸の奥を熱くしていた。それから30年後マサオはLP4枚組をディスクユニオン池袋店で中古で見つけた。たったの300円だった。新譜のときは7800円だったのに。マサオはそう思いながらそれをレジに持っていった。家に帰ってポスターを拡げた。そのときマサオは、これをディスクユニオンに売り払ったのは岸部シローである、と思った。
(「アックス」Vol.31/2003年2月28日発行)

第31回
ロバート・アシュリー『In Sara, Mencken, Christ and Beethoven There Were Men And Women』
雨の日に庭の濡れた枝葉を見つめるのは私小説家には極常識的な行為である、と中学、高校時代に文学を読むことが日常だった者は認識しているがでは雨の降らぬ日に枝葉や樹木を見つめることはどうなのかといえば別段異常とはいえぬものの飯も食わずにじっと木の枝や葉や幹などを見ている者は少々変わっていると他者が印象を抱いても無理からぬことである。雨の日が好きだという者で、水たまりを長グツでピチャピチャやるのが好きというのではなく、晴れの日には生じない音が聴ける、ということを好きな理由に挙げる者がいる。確かに雨の振りそそぐ音、石や壁やトタン屋根に雨粒の当たる音や自動車が道路を走り去るときの水しぶきの音など雨の日でなければなかなか聴けるものではない。雨の日になると軒下にマイクを吊す人がいる。雨の外気音を自室に引き込んで増幅再生して楽しむためである。その人はミニマル・ミュージックも好きだが、持続音、ドローンが大好きである。雨は自然による演奏である、というわけである。その人は台風が来るとワクワクするという。夜通し雨風の音を家の外と内とで堪能する。時にはもちろん録音したのちエフェクターかけまくって作品化もする。
この世に起こる音ならなんでも聴取したくなるとそれはそれで困るだろう。しかもそれを保管したくなったりしたらたいへんだ。自分の出す音だけでも完全に収集しておくことなど不可能だがそれでも、何もかもすべてとは申しません。できるだけイイ音立ててください森羅万象様と神社にお賽銭あげに行く人は少なくない、こともない。
音はなにがしかの存在を示している、あるいは存在を主張するために発生させられもする。物と物との関係が音によって提示させられる。空気だって物質と物質の因果によって鳴りもすれば動きもし、消える。それは実は無限の運動ではない。そもそも音は、それが音である、と誰かに認識されなければ、“音”ではないという考え方もある。人が死に絶えたら“音”は消滅するとでもいうのだろうか。てなことを考えながら大型CD屋のいわゆる現代音楽やら今どきのアヴァン・ポップだのノイズだののコーナーをうろうろするのは精神の安定にとてもよろしい。知った名もあれば知らぬ名のようなそうでもないような、どっちつかずの知識しかこちらにはない名もある。もちろん横文字だけだとどのように発音するのかわからぬ名もある。いつも気になるけど買うには至らぬ名というのもある。いわゆるハズレ率は低くないのだが、そういうものなのだと自分を納得させねば、前衛の人たちの営みを楽しむことなどできない、と俺は思っている。雨だれを聴く。そういうことなのだ。しかし、実際に聴いてみると、これが、おもしろいんですよ、みなさん。
ロバート・アシュリーのレコードは23年ほど前に二度買い、一枚はヘンテコ、もう一枚はなんじゃこりゃてなものであった。テレビ・オペラをずっと作っている人で、ゴードン・ムンマ、アルヴィン・ルシエ、デヴィッド・バーマンとともにソニック・アーツ・ユニオンを作った(66年)人というのは知っていたが、これはジョン・バートン・ウォルガモットの著作の40分54秒間のとめどない朗読のバックにとめどない電子音が流れる(ときどきオナラっぽくてグー)名作で73年の録音のCD化である。平板で早口な語りは音と意味を血液のように押し出し続ける。人類の営みのハレとケを同等にする偉人たちへの賛歌のような個人的事情との溶解。スキのなさに酔う。ラップとして聴いてもすごいんです。朗読テキスト自体がそぼ降る雨のようなものだからこそこうなったのだ、と気づいたときには、こういうものはポップなだけの頭じゃ作れんと深くカラッポの心を願うカラダになっているのであった。
(「アックス」Vol.32/2003年4月30日発行)

第32回
リー・スクラッチ・ペリー『The Compiler Vol. 1』
GS及び50 ~60年代の日本のポップス他の研究家として著名な黒沢進さんは、何かイヤなことがあったり、最近の流行歌や日本のロック(いわゆるJポップなど)を聴いて腹が立ったりすると、プレイボーイの「シェビデビで行こう」 (67年 7月1日発売)を聴く、とおっしゃっていた。
それはこういう歌である。
シュビデビ I LOVE YOU
シュビデビ I LOVE YOU
やさしくささやく
シュビデビ I LOVE YOU
君かいるから何もいらない
シュビデビ I LOVE YOU
軽快なロックンロールでこのパターンが5番まで淡々と進む。”シュビデビ I LOVE YOU”以外のところが“はげしくもえるぜ”とか”ぼくのすべてを君にあげるよ”とか"こころをゆするよ”とか”殺したいほど君にあげるよ”に入れかえられるだけで、構造は強固である。それがこの世の虚しさに立ち向かうまぬけなひたむきな勝敗なき勝負の根を表現している。どんなに自愛に満ちたオシャレをしようとも、どんなに珍稀な美食にまみれようと、どんなにモデルのような女と気持のいいセックスがやりまくれても、どんなにカッコイイ男を養子にできても、どんなにスカッと殺人できても、結局この世はシュビデビじゃねえか。でもやるんだよ。何を? カッコイイも悪いもない営み。どうしようもないこととかくだらないことを。スカしていようと結局精子と卵子ざんす。うひょー。シェーのひとつもかませばいいざんす。理屈の百や千べラベラしゃべろうがシュビデビだろうが、てめえら。クレイジー・キャッツの「ホンダラ行進曲」も同じようなことを言っているわけで、どうせこの世はホンダラッタ・ホイホイだからみんなでホンダラッタ・ホイホイ、と歌っているうちに多少気分は楽になるざんす。シュビデビのホンダラのくせに外人みたいなこといったりやったりするやつはバカざんす。どうせやるならウルトラ恥ずかしいほどくだらなくてエーカッコしいじゃなきゃつまらんざんす。
レゲエってアホなことをアホなまんまやったり歌ったりするから強いのだが、頭使いすぎたなあと思ったらエコーたっぷりかけて脳ミソに風吹かせたり揺すったりして遊ぶのもしつかりやる。だからどうしたってえのよ。と反問を忘れない音楽なので時々柄悪い。結局この世はシュビデビだからということを音で表現している人がとてもレゲエ人には多い(多かった)。俺が今までに会って話を聞いた人の中でも図抜けてシュビデビ度の高かったのも、レゲエ人だった。リー・スクラッチ・ペリーさんである。
わしゃどうでもいいんじゃ。と言いつつ決してじっとしていない。じっとしていないだけでなく、何やってるのかよくわからんことをしている。変人とかそういうのではなく根本的に別の座標に生きている人だからである。大量の音源が残されてきたし、今もずんずん歌ったりダブったり飛び跳ねたりしているので、やたらたくさんCDやLPがある。いつの録音だかわからないのはもちろん、どこにペリー先生がかかわっているのか不明のやつや、単なるインスト集(ダブ風の手が何も入っていないやつ)もたくさんあるし、他の盤と少しだけしか違わないのにタイトルもレーベルも別なんてものもある。レコード作っているやつもシュビデビにしてしまうわけですね。先日見つけたのは、フランスの珍レーベル=レクタングルから出ていたペリー先生のコンピ。新旧ゴチャマゼ。編者の中にノエル・アクショテの名があったので即買いましたが、音質もムラっ気があって、好きな曲集めましたってな気軽なおフランス仕事がシュビデビざんす。ジャケのイラストと内容がバッチリ合っております。
(「アックス」Vol.33/2003年6月30日発行)

第33回
メルツバウ/パン・ソニック『V』
何故腹は減るのだろう。腹が減ると何故何かを食いたくなるのだろう。空腹感がなくてもなんとなくめしを食ってしまうときもあるのは空腹感が惰性になってしまっているからではないかと思うこともあるのだがそんなことを考えながら空腹を覚えることはよくあるものだ。ハングリー精神というのは常に満たされていないと思うから食い物を積極的に求めずにはいられぬ前向きな心根のことだというが、いくら食っても不満足な食欲中枢の持ち主ということなら欲の深いやつということになる。しかし単に強欲な人のことを成り上がりというわけではない。成り上がった人は常人(世間的平均)よりも欲の深い人が多い、らしいからというおおかたの感覚によるところが大きい。パブリック・イメージをぐにゃぐにゃにするのはかなり難しいのだが、とりあえずハングリーです、といっておくと「ああ、あいつはやる気があるんだな」と認定してくれる世間の一部というものがいる。いる、と断定してもそれがどいつとどいつとどいつなのかと問われても、こいつとこいつとこいつです、と俺は差し出すことがたぶんできない。世間は、20年前よりもさらに最近顔がおぼろ。俺はパソコン使ったことないからインターネットもメールもやれないし人を使ってやってもらおうと思うことも滅多にない。ホームページも好きじゃない。ネット上の発言はうさばらしや愉快犯みたいなやつらの雑音の中から自分に都合のいいものや遊べるものだけをみなさん選別しているわけでしょう? そういう暗黙の了解があるわけでしょう? もともと自分が外野だと思うからそれぞれ勝手なことぬかし合える場になっているのだろうから、それらの文字はタダなんでしょ。腹が減ったから誰かに大声で「メシ!」と言えば、自動的に目の前に食い物が並ぶのが当然だと思っているやつらにとって空腹とは身体的システム反応のひとつでしかない。人体も機械の一種と考える人だってたくさんいるもの昔から。
空腹に関する感情や想像を音で表現すると、いろいろなビートや音色が出現する。ロックンロールもファンクも満腹の状態では生まれにくい。満腹の悲恋歌謡というのは娯楽としては当然ポピュラーなんだろうけど、聴いているほうとしては気が抜けるだけだ。えらそうなこといっても腹が減れば誰だっておにぎりのひとつも食いたくなる。しかしその空腹者が集ってさあおにぎり食おうよ、という一点で喜びをわかち合おうとしてる場でもひとりでグチグチネチョネチョうらみつらみそねみを言い続けねば気の済まない人というのもいるわけよ。他人のおにぎりの味をわざわざ悪くするような不平不満をくどくどくどくど唱えながら食われるおにぎりがかわいそうじゃないか。おにぎりの身になって考えたことがあるのか、と問いたくなりませんか、そういうとき。
メルツバウ=秋田昌美は空腹になることの原理そのものをずうっと表現して来た。音は誰にでも出せるが、それを肉体に効かすとなるとハードルは一気に高くなる。作るだけなら象にだってできる。秋田は、たとえばおにぎりに関する感情の多くを同時に喚起させる音を作り出してしまう。喜びからうらみねたみ、無感情まで音像化する。それを短時間で一斉に呼び出して一つの音の束にすることができる。音の中身は当然様々だがメルツバウは常に強靱で激しく明瞭である。めしならば一粒一粒が米でなければならぬ。あやふやのままでは意識は交歓できない。複眼であると同時に一つ目でもある。一点に焦点を定めていけば空腹の背骨が見えてくる。疲労の素をあっという間に解明したり、地図を立体化したり。誰とやろうとも相手の欲望の形がつまびらかになるようにメルツバウは存在し続ける。人類がねたみつづける以上、空腹はとめどないからである。
(「アックス」Vol.34/2003年8月31日発行)

第34回
突然段ボール『抑止音力』
蔦木栄一の営みを俺は尊敬していた。心の底から信頼していた。生きていくことがそのまんま表現活動である人間はたいしていやしない。ほんとうに数えるほどしかいないその中の貴重な一人である蔦木栄一がこの世を去ったのは、ほんとうにほんとうにほんとうに残念でならない。残念であるが本人は死ぬことをどう思っていたのだろう。死んじゃうこともあるんじゃねえの、と思っていたのではないか、と俺は思う。蔦木栄一は身体の具合が悪いからといって酒を飲むのを控えたりはしなかった。身体にいいから、といってなにがしかの食品をすすめても食ったりしなかった。
パンクだった。生きることに対してポーズも演出もなかった。そのまんまのフルチンだった。だから死んじゃったのだが、作品が残されたことは幸いだった。蔦木栄一、俊二の突然段ボールほど不変の創作を続けて来たユニットもここ25年間の日本では、実は少ないのだ。ライヴ活動ももちろんだが、音盤作品化されたものが多数世に出され続けた。蔦木栄一は一度見切りをつけたものを何度も反芻するようなことはなかった。だからライヴで演奏され歌われただけで録音されていない曲もたくさんある。録音さえされていないものも無数にあるだろう。
かつて蔦木栄一は金魚を絵の具にひたして(天ぷらのころもを付けるように)、何匹も河に放すというパフォーマンスをやった。河に何色もの絵の具を流す作品もあった。数多くの作品が生み出されていった。
蔦木栄一の言葉は発作的に記述されることが多かったらしいが、ほとんどが歌詞として作られた。弟俊二は栄一の言葉を音楽に翻訳する天才である。どのようにも聴こえるから音楽はおもしろい。だからわかりにくい、ともいえるが、そのどちらでもあるので音楽は鳴りやまないのだろう。
蔦木栄一は蛍光燈やハンダ、鉄琴やラジオなどを使った即興演奏もやった。音はどこまでも音であるからこそ勝手な空想を生み出したり断ち切ったりする。後生大事にされたって演奏は生きているんだから録音物は単に記録でしかないではないか、との思いもする。しかし記録として聴く者の耳具合によって理解やら感応の仕方は大きく変わってしまう。変わることをとがめるのはおろかである。不変とは流動的であることやくだらないことや当てにならないことを承知のうえで根性据えてこそなんとかなるものだと、蔦木栄一は生きていることで教示し続けていたのだ。
しかし、蔦木栄一の作品、突然段ボールの音楽を見たり聴いたりしたことのある者ならば、 「ツタキさんは死んでも教えは生き続けるじゃないの」と身体感覚としてわかるのだった。 蔦木栄一がこの世を去ってしばらく俺はやるせなく悲しく虚しかった。突段の録音を聴くと、この声が生で聴けないのはなんてつまらんのだ、と思った。とはいえ声は作品となって残り続ける。言葉は生き続けてゆく。聴いたことのない人たちに蔦木栄一という偉大なパンク野郎のことを伝える義務が俺にはある。虚しいのは個人的なこと。人類にはいろいろなことがあるもんだ。くだらないことが空気になって充満しているんだから、闘いに終りはないわけよ。それはわかっていたはずだろう、と『抑止音力』を聴き直して思うわけである。
「私は、現行の世界の営みとそれを動かす力の質が大嫌いです。はっきり言って経済破綻、天変地異を望む程です。大方がいやでいやでたまらない」とこのアルバムのライナーに蔦木栄一は記している(91年4月1日付)。その後”現行”はさらにどうしようもなさを増した。安住の地はさらにさらにさらに奥の奥の奥に行っちまった。蔦木栄一の言葉と歌、突段の音楽は今後なおさら重要になる。忘れんな、くだらねえ価値ども。くだらねえ主義ども。くだらねえ事実ども。蔦木栄一はそこら中にいるぞ。いつでも。
(「アックス」Vol.35/2003年10月31日発行)

第35回
遠藤賢司『にゃあ!』
飯を食わねば腹が減る。腹が減ったら仕事をやらねばならない。しかし飯も食わず腹が減って仕事もせずに聴かねばならぬ、と全身が反応してしまう音楽がある。聴いていると自分の中の欲望の多くを忘れてしまう歌がある。俺はどうすればいいのだろう、などという疑問など消えてなくなるギターの唸りがある。それでも消えずに残る欲望こそ信じよう、と思う。腹が減るよりも強い欲望とは何か、と自分に問え、と感じる音楽がここに刻み込まれている。
自分の欲望に順番をつけてそれを上から満たしてゆけ、というのではない。そうではなくて、これだけは他の何事/何物とも代えられない、自分の中のそれ以外にない、というものを叫ばせてみろ、ということなのだ。それには名称がないことだってめずらしくない。食欲だの性欲だの金銭欲だのといった言葉に置き換えられない欲望、他人に説明するのが難しい欲望、自分でも何なのかよくわからない欲望、でもとても大きくそれが消えたら生きている甲斐がないと思う欲望、そういうもののほうが実は人間のエネルギーになっている。そもそも名称など後から生まれたものだ。
遠賢さんはいつでも基本を強く優しく柔らかく時に激しく清く歌い演奏してきた。生きろ生きろ生きて悩んだり喜んだり泣いたりする、そこにゆとりなんかない、と伝え続けている。ゆとりとゆるやかな心とは別のものだ。いつでも心ははちきれる寸前というわけではないけれど、名前やキャッチフレーズをおぼえただけでわかった気になることは欲望を薄めてしまう、くだらないことだ、と遠賢さんを聴いているといつも思う。
お互いの宇宙を認めて叩き合えば、わからなかったことがわかるようになることがある。でもそれは知らなかった名称が自分の知識の中に増えるということではない。新しい感覚を体験することだ。それはとても気持ちがよくて楽しいことだ。たとえそれが悲しいことであっても。遠藤賢司はいつでもあけすけだ。だからいつでも厳しいし、いつでも謙虚だ。それがわからないのは、その人の中にいくつか嘘があるからだ。
人に負けたくないのは誰しも同じだ。しかし勝つことは負けることよりも正しいのではない。負けることがまちがっているのではない。相手を消してしまいたくなるような欲望と勝負することは虚しい。破壊と消去が創造にならないとき、我々の中に憎悪は起きる。
「宇宙を叩け」といわれて、「どこを叩けばいいんですか」と人に訊くよりも自分でいろいろ探してみよう。このアルバムはたとえば他の誰みたいな感じですか、なんてさぐり入れたりしないで、気になるなら手に取って、何か感じたなら買うべきだと思います。失敗は成功の素、成功は未知の欲望の素。無駄になる曲なんてひとつも入っていない。何故この人はこういう歌を歌うのだろう、と考えることも本当に楽しい。喜びと悲しみと怒りと慈しみと悔しさと平安と混沌が紡ぎ合って音楽になっている。素っ裸の遠賢さんがものすごく清明だ。このアルバムを聴くたびに自分の中でいろいろな動物が鳴き出し唸り出しさえずり出す。にゃあは、わんでありぱおうでありちゅんちゅんでありひひいんでありぶうぶうでありもぉうであり、ぎゃあである。
(「アックス」Vol.50/2006年4月30日発行)
書き下ろし解説
子供(自分の)を育てていると(在宅であることがほとんどの仕事のため育休はなく兼業というより共稼ぎの手分け育児)、音楽の中味や外味よりその腹の中とか背骨について考えることが子育て以前より多くなった。今から25~30年前は毎日のように真昼間に公園その他で子供といる男というのが少なくて、たまたま公園の遊具や砂場で一緒になった知らないおかあさんに「こんにちは」とあいさつしても、プイと横を向かれたり無言で無視されたりすることはしょっちゅうだった。俺が見ためコワイとかがたいが巨大とか全身タトゥーとかいうわけでもないのに、毎日幼稚園の送り迎えをしている父親というのもめずらしかったらしく、同じ組のおかあさんが、よその組のおかあさんから「あの人なんなんですか」といぶかしげに訊かれた、と俺に教えてくれた。職場で育休とって育児している男性が、家でおこられ会社で白い目で見られ、園や公園で怪しまれたりもしたら、そりゃ気持よくはならないだろう、と俺も思いました。俺の場合、こちらからおかあさんや園の先生に話しかけるようにしていたので問題はありませんでした。特に園の行事には積極的に関わるようにしていたので、先生たちから喜ばれることも少なくなかったです。そもそも自分が幼稚園生活をまったく楽しめなかった(体が弱かったため)ので、娘と一緒に幼稚園を楽しんでいたようなものです。娘は二人いますが、下の娘が卒園するときに自分も卒園する気がして、淋しかったです。しかしその後も、園の行事の助人に呼ばれることが何年か続いたのは少々うれしかった。
というわけでこの連載は、音楽について書くこと、言葉と音楽について、何度も再考する過程で書いていったものだ。その点では拙著『音楽が降りてくる』と『音楽を迎えにゆく』に収録した原稿に直結している。ミュージシャン(今だったらアーティストさん)の履歴や音楽の周辺情報だったら他の人の原稿をお読み下さい、という姿勢がますます強くなっていた。ライナーノーツを頼まれて、小説を書いたことが何度もあったのはこの後のことだ。解説ではなく感応の実例が、ちょっとした手引きになったらいいな、と思っていた。その気持は今でもほとんど変わらない。しかし、世の中は解説を求める人がCDを買い求めることがまだまだ多かったりもしたので、時々陰で馬鹿、難解、高校生の作文、金かえせ、くだらない、つまらない、と文句をいわれていた。今もそれは一部で続いているのだと思う。今は、そういう世の中そのものがクソ世の中だと思って暮らしています。谷岡ヤスジ先生の書名そのものは改まるどころか加速して悪くなっていると思います。その書名は『シデー世ですこと』。1983年9月10日発行です。発行したのは青林堂。この連載をさせてくれていた『アックス』の青林工藝舎の源流です。
湯浅 学
音楽評論家、ロックバンド「湯浅湾」リーダー。近著に『ライク・ア・ローリングカセット: カセットテープと私 インタビューズ61』(小学館)、『大音海』(Pヴァイン)、『ボブ・ディランの21世紀』(音楽出版社)、『アナログ穴太郎音盤記』(同)など。