- 映画
- 2025年7月7日
mud vacation 第11回
猪股東吾さんによる連載「mud vacation」は梅雨が明けた沖縄の6月の日記です。猪股さんが暮らす地域にオープンするテーマパークの住民向け説明会、LAでの移民・関税執行局(ICE)へのプロテスト、イスラエルとアメリカによるイラン攻撃、石垣市長の失職、80回目の「慰霊の日」などについて書かれています。
漁港の子どもたち
文・写真=猪股東吾
あたまの中で静寂が暴走している。
映画は完成したが配給会社からのGOサインを待つもどかしい日々。
ノンアルコールビールを飲みながら、ひとり夜の海辺をドライブする。
一応、合法、だけど絶対に体に良くない。笑
ラッパーのJJJの曲を爆音で流してる。
彼は先ごろ若くして亡くなった。憂鬱な楽園、川崎のラッパー。
まだ東京にいた頃だから10年ほど前、恵比寿の小さいクラブで彼らFla$hbackSと対バンしたことがあるが、その時は彼らのことなどまったく眼中になかった。
東京にいた頃の自分は、いつも自分のことで精いっぱいで視野が狭かった。
あたまの中の静寂を爆音の音楽でどうにかコントロールする。
呼吸は煙草でリズムを作る。
若い頃から30歳ぐらいまでそんな感じだった。
そんな所在ない気分が今、久しぶりに戻ってきている。
何かを生み出すための通過儀礼なのかもしれない。
でも、本当はもっと健全に創作ができるようになりたい、と心のどこかで思っている。
でも、本当はもっと健全に創作ができるようになりたい、と心のどこかで思っている。
沖縄の梅雨が唐突に明けた。例年より2週間も早かった。
「おれは信じないぞ、気象庁!」なんて言っていたが、どうやら本当に明けたらしい。
あまりに突然で、夏への準備ができていなかった人たちが体調を崩している。
自分もそのひとりだ。エアコンをつけないと寝られないが、つけたままだと寒くて悪夢を見る。数日、ぐったりしていた。
自分もそのひとりだ。エアコンをつけないと寝られないが、つけたままだと寒くて悪夢を見る。数日、ぐったりしていた。
沖縄に住んでもうすぐ9年になるが、唐突な夏にはまだ慣れない。
映画は完成した。タイトルは『私がまだ知らない沖縄』。
関係者試写では、タイトルやテロップなどに違和感が見つかり、修正作業に追われた。
タイトルの書体に最後まで悩み抜いて、ようやくまとまった。
反省も後悔も山ほどある。しかし、これはまだ一作目。完璧なはずがない。
関係者試写では、タイトルやテロップなどに違和感が見つかり、修正作業に追われた。
タイトルの書体に最後まで悩み抜いて、ようやくまとまった。
反省も後悔も山ほどある。しかし、これはまだ一作目。完璧なはずがない。
そう自分に言い聞かせる。
うちの近所では、あの「ジャングリア」がいよいよオープン間近。
オーバーツーリズムやジェントリフィケーションを考えると、地元民としては喜べない。
その気持ちを綴った記事が、大きな反響を呼んだ。
オーバーツーリズムやジェントリフィケーションを考えると、地元民としては喜べない。
その気持ちを綴った記事が、大きな反響を呼んだ。
最近の報道では、名護の単身者向けマンションの家賃がこの2年で43%も上昇したという。
「観光開発」は誰のためのものなのか。「開発独裁」という言葉が頭をよぎる。
「観光開発」は誰のためのものなのか。「開発独裁」という言葉が頭をよぎる。
いまだこの島は植民地主義の延長線上にある。
6月7日
LAで大きなプロテストがあった。
ICE(U.S. Immigration and Customs Enforcement/米国移民・関税執行局)に対するものだ。
私がBLMで渡米取材した2020年頃もトランプ政権だったため、このICEがまるでトランプの私兵かのような横暴を繰り返し、激しいプロテストが起きていた。
路上や職場などで突如、車に押し込み、親と子を引き離し、非人道的な環境で長期拘束し、死者を出すなど大きな問題になっていた。
第二次トランプ政権になり再びその横暴が始まった。
難民申請中の者や在留資格があるものに対しても、容赦ない拘束が行われた。
さらにサンクチュアリ・シティと呼ばれたリベラルな都市、LA、NYC、SFでもICEが強権を発動し始め、その軋轢が今回の大規模な抗議運動に発展した。
LAのリトル・トーキョー付近、大谷翔平の壁画があるあたりで、抗議する市民たちが車を燃やし、そこに催涙ガスが飛んだ。
プロテスターがメキシコ国旗を降るのは、一見、奇異に映るが、この土地が180年前までメキシコの領土だったことに由来する。
トランプ大統領はこの抗議者たちを「動物」と呼んだ。
These are animals, but they proudly carry the flags of other countries. They don't carry the American flag. They only burn it.”
「こいつらは動物だ。しかし、誇らしげに他国の旗を掲げている。アメリカの旗は掲げない。ただ燃やすだけだ。」
そして、州兵2000人以上と海兵隊700人をLAに駐留させた。
私もLAに飛ぼうかと考え始めた。
催涙弾、ゴム弾が飛び交う様を見ると、どうしても自分の出番のような気がしてしまう。そわそわする。
ニュージーランドの女性記者がLA市警からゴム弾で狙い撃ちされた映像がSNSで拡散されていた。いよいよ記者さえ狙われる。まるで2019年の香港のようだ。
翌週、LAに沖縄県知事の玉城デニー氏が訪れることも発表されていた。
荷造りを始めた。ESTAの申請サイトも見た。
沖縄からは台北経由で安い航空券があることもわかった。
ただ、米国に入れるかわからないという情報があった。
第二次トランプ政権以降、ESTAであっても「反トランプ的な人間」は入国拒否の危険性があった。
私は迷ってしまった。まだ映画の配給が決まっていないことも頭をかすめた。
もちろん、銃や警察の暴力、混乱が怖いこともあった。
6月9日
嘉手納基地で不発弾が爆発、ややこしい。
車を飛ばして嘉手納基地に駆けつけたが、爆発があった場所が基地の奥の方だったので、
ほとんど写真も撮れず、取材は空振りだった。
自衛官が数名負傷したが命に別状はなかった。
戦後80年、いまだに不発弾が爆発する沖縄の現実。
そして、その不発弾を自衛隊が「米軍基地の中」で処理しているというのも、奇妙な構図だ。
気づけば、渡米のタイミングを逃してしまった。
翌週、トランプ大統領の誕生日に合わせてプロテストはNO KINGS を掲げ、全米1500箇所に拡大した。この規模に政府側は逆に規制を緩め、マーチは平和的なものとなった。
玉城デニー知事は予定通り、LAで米国沖縄県人会の会合に出席。
ドジャースタジアムで始球式を務めた。
メディアではほとんど報じられなかったが、中国のスパイなどとめちゃくちゃなデマを流されまくっているデニー知事が米国で、人間らしく手厚く迎えられている姿には、涙が出そうになった。
「始球式に臨む玉城知事 大リーグ」JIJI.COM
「始球式に臨む玉城知事 大リーグ」JIJI.COM
あまり知られていないが、現在、大谷翔平選手が所属するロサンゼルス・ドジャースのロバーツ監督は、米兵の父と沖縄人の母の間に那覇で生まれた人物であり、
この生い立ちはデニー県知事とも重なる。
彼は昨年、那覇市議会を訪れ「ウチナーンチュ」として那覇市民栄誉賞を受賞。
そして今回、デニー知事によって県民栄誉賞を授与された。
私はこの瞬間に立ち会うべきだったと、今になって後悔している。
少しばかりフットワークが鈍くなった自分を反省した。
6月13日
イスラエルがイランへの攻撃を始めた。
ガザでの虐殺で国内での支持率が低下したネタニヤフは、他国への攻撃を続けることで緊急事態を作り出し、政権を維持しているという見方がある。
イスラエルは現在、右翼と極右の連立政権だが、この連立にヒビが入り始めている。
ネタニヤフは首相の座を降りれば、収賄や詐欺などいくつかの容疑で逮捕される可能性があるため、どんな手を使ってでも首相の座にしがみつきたいのだろう。
今回のイラン攻撃で、ネタニヤフの裁判での証言は延期された。
ちなみに2019年にもネタニヤフは収賄等で起訴されたが、その裁判もハマスとの戦闘を理由に延期されている。
現在のイスラエルのトチ狂ったような暴走は、第一次大戦からのこの100年の侵略や対立とは別の観点で、ネタニヤフ個人の独裁的暴挙に理由があるとの見方もできるだろう。
まったくもって嫌になる話だ。
ちなみにネタニヤフは、累積17年、イスラエル史上最も在任期間の長い首相となっている。
6月18日
石垣島の中山市長に不信任案が可決され、解任された。
理由は公文書改ざんなど。今まで支えてきたはずの自民党市議も不信任案に賛成に回った。
自分の映画の中で、この流れをある種、予言していたので驚く。
自衛隊配備後に市長が逮捕された宮古島市を想起する流れだ。
自衛隊基地ができたから、お役御免でトカゲの尻尾切り、、、
そんな風にも捉えられるが実際はどうなのだろう。
「不信任案に賛成してくれ」と市長自身が自民党議員に頼み込んだという話も聞こえてくる。
ようは、市長選挙を1年前倒しすることによって、野党候補の調整がつかないうちに選挙をしようという算段のようだ。
まったくあきれてしまう。
石垣島に自衛隊基地を誘致した中山市長、彼の任期も現在15年。
次の選挙で当選すれば、石垣市史上最長任期の市長となる。
8月の市長選は石垣島に行かなくてはと思う。
6月22日
アメリカがイラン攻撃に参加。核施設3ヵ所を「MOP(Massive Ordnance Penetrator)」と呼ばれる超大型バンカーバスターで攻撃した。
この爆弾は、地中80mまで貫通すると言われている。
この爆弾は、地中80mまで貫通すると言われている。
ネット上には「第三次世界大戦」の文字が駆け巡った。
ホルムズ海峡は? ガソリン価格は? 中国は?
世界は、静かに混沌へと引きずり込まれている。
ホルムズ海峡は? ガソリン価格は? 中国は?
世界は、静かに混沌へと引きずり込まれている。
6月23日
イランがカタールの米軍基地への報復攻撃をした頃、奇しくも沖縄は80回目の慰霊の日を迎えた。
私は慰霊の日の戦没者追悼集会の取材のため、那覇のホテルに宿泊していた。
朝起きると、窓の外には広大な米軍基地があった。
戦争になるとまず、米軍基地が攻撃される。
15%が米軍基地となっている沖縄島に暮らすものとしては、イランの攻撃が他人事とは全く思えなかった。
80回目の慰霊の日としては最悪の世相だった。
茹だるような暑さの中、会場である平和祈念公園、糸満市摩文仁の丘の臨時駐車場はどこも満車で長蛇の列ができていた。
式典に間に合うのかという焦りもあったが、これだけ渋滞になるほど、戦没者慰霊式典に多くの人が訪れていることに、少しの安堵感もあった。
駐車場を待つ間に式典が始まり、それをライブ中継で眺めた。
子どもたちの合唱を背に政治家や軍人たちが献花していく。
「もしもこの頭上に 落とされたものがミサイルではなく 本やノートであったなら 無知や偏見から 解き放たれてきみは戦うことを やめるだろう」
広島の子どもたちが書いた「願い」という曲の一節がちょうど、ミサイルを配備している自民党政治家の献花の映像と重なる。誰かが計算したのだろうか?
その映像に思わず涙が出た。
デニー知事の演説は今年も丁寧で、聴衆の心に染み込むようだった。
米兵の父を持ちながら、英語の発音があまり得意ではないその姿に沖縄の歴史が重なって見える。
こんなに才能あふれる知事が日本政府のデマや圧力によって、めちゃくちゃな悪人のようにもしくは怠惰な人間のようにイメージ付けされていることに本当に腹が立つ。
それは国家による人間の抹殺というか、紛れもない弾圧であり、この延長に戦争があることを肌で感じる。
水筒の中身を飲まされるほどの過剰なボディチェックを終え、どうにか式典に間に合った。
会場には慰霊式典と思えないほどの数の、警官が配備されていた。
それが今の沖縄と日本の距離感なのだろう。
石破総理の演説は、今までの安倍、菅、岸田に比べれば幾分、まともかのように思ったが、しかし、聴衆を見ず、心のこもっていないものだった。
聴衆がそれに飽き飽きし始めた頃、今年も奥間さんが声を上げた。
X(@oogesatarou)
「総理、約束しろ、沖縄を戦場にするな」
80回目の沖縄慰霊の日、
戦没者追悼集会で石破首相に抗議の声が飛びました。
拍手は抗議者へ向けられたものだったと思います。
#沖縄
X(@oogesatarou)
「総理、約束しろ、沖縄を戦場にするな」
80回目の沖縄慰霊の日、
戦没者追悼集会で石破首相に抗議の声が飛びました。
拍手は抗議者へ向けられたものだったと思います。
#沖縄
「総理、約束しろ、沖縄を戦場にするな!」
帰れでもなく、バカヤローでもなく、この言葉が総理へ約束を求めるものだったことに奥間さんの知性を感じた。
彼が警察に連れ出される時、会場に拍手が巻き起こった。
撮影に夢中で、その時はこの拍手の意味を判断できなかったが、後にこの動画に対して、「私は現場で奥間さんに拍手しました」との声がいくつも寄せられたことで、この拍手喝采がこの抗議への共鳴の証であったことがわかった。
首相への抗議者に拍手が起きる。
それが戦後80年目の沖縄慰霊の日だった。
この瞬間を撮影した動画が様々なSNSで150万回以上再生され、大きな反響を呼んだ。
昨年の岸田首相への抗議の動画の10倍ほど拡散されていた。
社会の変化を感じる一方で、参政党などの極右政党支持者もこの動画を無断で拡散しており、また新たな厄介ごとの気配を感じた。
世界を混沌が包み込んでいく。
私に何ができるか、濁流に流されぬようにしっかりと立ち続けたい。
地域の夏祭り
夏の雲
慰霊の日の朝に見た米軍基地
石破総理のスピーチ
声を上げる奥間さん
排除される奥間さん
一人で帰る中山石垣市長
摩文仁の丘
魚の煮物
猪股東吾
ジャーナリスト、ラッパー。
2000年代に吉祥寺バウスシアターに勤務、爆音上映などに関わる。
ラッパー、人力車夫として活動していたが、2016年、沖縄北部、高江のヘリパッド問題の取材を機に沖縄へ移住。ヤマトンチュという加害側の視点から高江、辺野古など米軍基地問題の取材を続け、オスプレイ墜落現場や森友学園問題の籠池邸内部などからの発信で「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。19年は香港民主化プロテストを100日に渡って現場から生配信。20年は米国でBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。脳卒中で倒れるもリハビリの末、復帰。
2022年には辺野古のゲート前でひろゆきと対峙した。現在は沖縄の復帰50年をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作中。
ドキュメンタリー映画【Buridii 50_沖縄「本土」復帰50年の証言】
2000年代に吉祥寺バウスシアターに勤務、爆音上映などに関わる。
ラッパー、人力車夫として活動していたが、2016年、沖縄北部、高江のヘリパッド問題の取材を機に沖縄へ移住。ヤマトンチュという加害側の視点から高江、辺野古など米軍基地問題の取材を続け、オスプレイ墜落現場や森友学園問題の籠池邸内部などからの発信で「規制線の中から発信する男」と呼ばれる。19年は香港民主化プロテストを100日に渡って現場から生配信。20年は米国でBLMプロテストと大統領選挙の取材を敢行した。「フェイクニュース」の時代にあらがう。脳卒中で倒れるもリハビリの末、復帰。
2022年には辺野古のゲート前でひろゆきと対峙した。現在は沖縄の復帰50年をテーマにしたドキュメンタリー映画を製作中。
ドキュメンタリー映画【Buridii 50_沖縄「本土」復帰50年の証言】
制作支援プロジェクト※達成済み