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- 2025年6月21日
Horse racing watcher 第14回(最終回)
風元正さんが競馬の面白さや記憶に残るレースについて綴る「Horse racing watcher」最終回です。今回は皐月賞と日本ダービーを中心とする春のG1レースを振り返るとともに、ダービー当日に東京競馬場で不意に湧き起こった感慨について記されています。
《一身にして二生を経る》
文・写真=風元 正
2025年6月1日、東京競馬場。ダービーデイ。《一身にして二生を経る》という福沢諭吉の言葉が身に沁みた日である。私は江藤淳が頻繁に引用するから頭に入った。福沢は維新前と後、江藤は戦前と戦後を生きて、どちらも歴史の大変動を体験している。もっとも、私は当然、その激動を生きたわけはなく、お2人にとってどんな変化だったのか、ほんとうのところは実感できていない。しかし、スマートフォンのQRコードを意気揚々とかざして競馬場に入ってゆく若者たちに揉まれてみて、はじめて、どうやら当方も「一身二生」状態に入ったらしい、という感慨が不意に湧き起こった。
私がはじめて競馬場に足を踏み入れたのは40年ほど前。鮮明な記憶はないが、そもそも学生時代は場外馬券売場で馬券を買うだけでヒヤヒヤものだった。警官に補導されてしまうからで、憂き目に遭った友人は何人もいる。場内には作業着姿の高度成長を支えた方々が詰めかけて、酒臭くて罵声が飛び交う殺伐とした雰囲気だった。ゴミゴミしていて、窓口のおばちゃんに口頭で買い目を伝えるだけで一苦労。労務者に突き飛ばされて当たり前で、競馬場は敷居が高く、会社員になってからやっと辿り着けた。
穴馬メジロデュレンの4枠から流し、ほぼ負けないと信じた1番人気サクラスターオーが直線に骨折で消えて、44のゾロ目だけを持っていなかった有馬記念は1987年。ペーパーオーナーだったナルシスノワールがスプリングSを勝った時、一緒に走ってゴールしたのは89年。男臭い、煙草の煙がむんむんする野っ原。長年、昔話に耽るまい、と心に誓っていたけれど、ネット予約が必須で、場内のベンチすら「スマートシート」という名で売られてフリで入れないG1の日の競馬場にいると、つい昭和競馬を思い出してしまう。昔はよかったというのではない。ただ、目の前では別の国の競馬をやっている、という話である。
今年も皐月賞、ダービーと競馬場で観戦し、結局、クロワデュノールばかり注視していた。実質NO1種牡馬になったキタサンブラックの仔。キタサンブラックの馬主は北島三郎で、有馬記念を勝った日、武豊を従えて「まつり」を唄った瞬間は、まだ忘れられない。古き良き日本競馬が最後の輝きを見せた日。キタサンブラックはヤナガワ牧場生産で、父もブラックタイドだから高馬ではない。母系に、半世紀前の大種牡馬テスコボーイ系サクラバクシンオーの血が入っていて、社台系の牧場が生産する世界的名牝系の血統馬とは一線を画している。
不思議なことに、クロワデュノールも含めて、キタサンブラックの良駒はみんなしなやかな流線型の馬体をしていて、いかつくてデカかった父とは似ても似つかない。テスコボーイの血の助けにより、偉大な曾祖父サンデーサイレンスと似た馬が出るのか。近年、サンデーサイレンスの血は飽和状態で、活力が失われつつある。その救世主がキタサンブラックという突然変異的な馬であり、外国の名血を繋ぐためには土地と馴染んだ血を必要とするという現象が面白い。
皐月賞はボコボコの馬場で各馬ががんがんぶつかり合う熱いレース。”マジックマン”モレイラ騎乗のミュージアムマイルが不利を最小限にやり過ごし、末脚を爆発させて勝った。モレイラの、馬の背にぴったり張りついてスマートに追う技術はいったいどこで学んだのだろうか。似たフォームの騎手を見たことがない。モレイラが乗って勝った後、別の騎手が乗ったらほとんど敗けるのは、特別な技術を持っている証拠である。ヨーロッパやアメリカの騎手が武器にしている力感とはまた違う。ちなみに、ミュージアムマイルはダービーの日は馬が萎んでいて別馬のよう。狙ったレースに1戦必勝という令和競馬の厳しさを目のあたりにした。
クロワデュノールはパドックから返し馬に至るまで観察し続けたが、体調も微妙で、どうしても2冠を勝つような強い馬に見えない。トモが淋しい。名馬イクイノックスも含め、キタサンブラックの仔は全身がパンとするまで時間がかかる。3角でスピードに乗った瞬間ぶつけられた不利が大きかったとはいえ、この日はトライアルの負けを挟んで万全に仕上げたミュージアムマイルには勝てなかっただろう。
ダービーはクロワデュノールが圧倒的な力を見せて勝ったのはご存じの通り。鞍上の北村友一は、皐月賞の時は観客でもわかるほどがちがちに緊張していたけれど、1度敗けて力が抜け、馬との信頼関係を築き上げていた。でも、オロカな私は、出来は抜群だけれどやはりトモが物足りないと難癖をつけて対抗。馬体がパンパンに張り、最高の仕上がりにまで磨き上げたマスカレードボールが勝つと信じた。
大外枠のサトノシャイニングもイレ込んでいた皐月賞の時とは大変身していて、返し馬まで落ち着いていた。大外枠からの逃げが実現したらどうだったのだろうか。サトノを邪魔してハナに立ったホウオウアートマンの田辺裕信に対して武豊は静かに怒りを表明していて、宝塚記念への伏線を張った。
クロワの北村は東京2400mでは3タイミング早く仕掛けて、馬が飛び抜けて強いから保った。ただ、全馬バテて止まっているわけで、自信が大切である。マスカレードボールは普通の年ならダービー馬だったが、武豊が作った魔法の先行馬有利のペースの中で、決して届かない位置からの豪脚だった。まったく勝つ気を見せなかったルメール騎乗のショウヘイが、先行馬だけ交わして3着。クロワデュノールは海外で本格的に出走を重ねられなかったイクイノックスと同じく体質は強くなさそうだけれど、レース毎の消耗は少ないようだ。久々にG1をいくつも勝つ名馬候補だが、また凱旋門賞が目標になるのだろうか。もうひとつ、クロワデュノールにはサンデーサイレンス系の共通の武器である狂気を感じない。キタサンブラックは、祖父とは別タイプの名馬を輩出する起点になりつつある。
私がグダグダ書いたのは、この3歳クラッシック戦線から、また世界レベルの名馬が出ると確信しているからである。1981年の第1回ジャパンカップ、日本代表のホウヨウボーイ、モンテプリンスの2頭が外国の2流馬に千切り捨てられてから44年。日本のホームコースで開催されるジャパンカップには、外国馬は敗けるのがわかっているので、もう元気な一流馬は来ない。逆に、日本のトップホースが経験を積むのは海外G1になった。自国のレースは世界の大舞台への踏み台なのだ。MLBが中心になった野球界でもほぼ同じで、野球も別の国の競技に変わっている。
大外枠のサトノシャイニングもイレ込んでいた皐月賞の時とは大変身していて、返し馬まで落ち着いていた。大外枠からの逃げが実現したらどうだったのだろうか。サトノを邪魔してハナに立ったホウオウアートマンの田辺裕信に対して武豊は静かに怒りを表明していて、宝塚記念への伏線を張った。
クロワの北村は東京2400mでは3タイミング早く仕掛けて、馬が飛び抜けて強いから保った。ただ、全馬バテて止まっているわけで、自信が大切である。マスカレードボールは普通の年ならダービー馬だったが、武豊が作った魔法の先行馬有利のペースの中で、決して届かない位置からの豪脚だった。まったく勝つ気を見せなかったルメール騎乗のショウヘイが、先行馬だけ交わして3着。クロワデュノールは海外で本格的に出走を重ねられなかったイクイノックスと同じく体質は強くなさそうだけれど、レース毎の消耗は少ないようだ。久々にG1をいくつも勝つ名馬候補だが、また凱旋門賞が目標になるのだろうか。もうひとつ、クロワデュノールにはサンデーサイレンス系の共通の武器である狂気を感じない。キタサンブラックは、祖父とは別タイプの名馬を輩出する起点になりつつある。
私がグダグダ書いたのは、この3歳クラッシック戦線から、また世界レベルの名馬が出ると確信しているからである。1981年の第1回ジャパンカップ、日本代表のホウヨウボーイ、モンテプリンスの2頭が外国の2流馬に千切り捨てられてから44年。日本のホームコースで開催されるジャパンカップには、外国馬は敗けるのがわかっているので、もう元気な一流馬は来ない。逆に、日本のトップホースが経験を積むのは海外G1になった。自国のレースは世界の大舞台への踏み台なのだ。MLBが中心になった野球界でもほぼ同じで、野球も別の国の競技に変わっている。
春のG1戦線は、ピンポイントで狙いを定めた伏兵の勝利が目立った。京王杯2歳Sを勝った後は、東京競馬場への適性を見抜いて、途中で余分なレースを使わずにNHKマイルCで大穴を開けたパンジャタワー。キタサンブラックを頭においてブラックタイド/サクラバクシンオーのニックスで配合し、東京2400だけを狙ってトライアル(フローラS)とオークスをぶっこ抜いたシュタルケ騎乗のカムニャック。管理する友道康夫調教師の仕上げの技も光る。そして、1年レースを完走せず、調教だけで仕上げて安田記念を勝ったジャンタルマンタル。
掉尾を飾る宝塚記念では、メイショウタバルに騎乗した武豊の魔法の逃げが決まった。逃げたら若手の競りかけを封じるレジェンド武豊は、メイショウをドバイのレースで「調教」してG1勝ちに結びつけた。騎乗2戦目で天皇賞3着という結果を出したショウナンラプンタなど、武豊は平場はあまり勝てなくとも、重賞戦線ではノーザンFの生産でない個人馬主の馬でエース級の活躍をしている。
杉山晴紀調教師の管理馬は人気薄での好走が目立ち、安田記念のガイアフォースは在厩10日間で安田記念2着、ディー騎手の起用で変化をつけたジャスティンパレスの宝塚記念3着。ちなみに、杉山師は皐月賞4着になったジョバンニの致命的な不利に怒っていて、つまり渾身の仕上げを施した狙いのレースだったのだ。ジョバンニはダービーの時、伏兵視されたものの、パドックでは馬がヘコんでイレ込みも激しく、ああ、これは、と馬券から外した。逆に、同厩舎のサトノシャイニングはダービーに狙いを定めて武豊の逃げを使ったわけで、リーディングトレーナーの意識は極めて高い。
園田の名手・吉村智洋の息子の誠之助はガイアフォースやランスオブカオスに騎乗してG1で存在感を示すピカピカの騎手2年生19歳。私が春G1シリーズで馬券的中したのはノーザンF生産馬が1着だったレースだけ。タガノアビーとシランケドを拾えたのは快心だったけれど、平成競馬に適応すべく編み出した馬券術はもう通用しない。去年、大怪我をしてから精彩のないルメールはすでに引退を視野に入れていて、後釜になるべくレーンが日本移住を狙っているという噂である。調教師も騎手も、平成末期の安定からまるで別の、若い世代の戦国時代に入った。
フタをしていた長嶋茂雄さんが亡くなり、ついに名実とも「昭和」のもろもろが完全過去に追いやられた。現役時代のプレイを見ていて、東京ドームのベンチで同席したこともある私も昭和仲間である。とはいえ、現役世代にとって長嶋さんは単なる「リハビリをしている人」だろう。追悼番組の視聴率も低かったようで、「背番号3」不在の寂しさは、もう広く共有されなくなった。
日本競馬は紆余曲折を経て令和に至り、世界に類のない繁栄を達成した。貴族の遊びではない形でも金満の、「戦後民主主義」が到達した最適解のひとつ。馬も人も馬券も知らぬ間に別物になっていて、気づけぬ者は置いてけぼり。最近、花盛りのYouTuber予想を見ていると、奇妙な詳しさに接して頭がクラクラしてしまう。90歳にして現役の矢野誠一さんは、昭和天皇が逝去された時、仲間と「もう昭和のことしか書かないね」と誓ったという。ずるずる時代についてゆこうとした私は、気づくのが遅すぎたか。しかし、昭和の「貧しさ」を活かす手もまだ残っているはずだ。諭吉先生に学びます。そして、デムーロは破産したデットーリと一緒にアメリカで騎乗するという。そういえば、今年は昭和100年/戦後80年の節目の年だった。
夕焼けて駿馬が消えし3コーナー

掉尾を飾る宝塚記念では、メイショウタバルに騎乗した武豊の魔法の逃げが決まった。逃げたら若手の競りかけを封じるレジェンド武豊は、メイショウをドバイのレースで「調教」してG1勝ちに結びつけた。騎乗2戦目で天皇賞3着という結果を出したショウナンラプンタなど、武豊は平場はあまり勝てなくとも、重賞戦線ではノーザンFの生産でない個人馬主の馬でエース級の活躍をしている。
杉山晴紀調教師の管理馬は人気薄での好走が目立ち、安田記念のガイアフォースは在厩10日間で安田記念2着、ディー騎手の起用で変化をつけたジャスティンパレスの宝塚記念3着。ちなみに、杉山師は皐月賞4着になったジョバンニの致命的な不利に怒っていて、つまり渾身の仕上げを施した狙いのレースだったのだ。ジョバンニはダービーの時、伏兵視されたものの、パドックでは馬がヘコんでイレ込みも激しく、ああ、これは、と馬券から外した。逆に、同厩舎のサトノシャイニングはダービーに狙いを定めて武豊の逃げを使ったわけで、リーディングトレーナーの意識は極めて高い。
園田の名手・吉村智洋の息子の誠之助はガイアフォースやランスオブカオスに騎乗してG1で存在感を示すピカピカの騎手2年生19歳。私が春G1シリーズで馬券的中したのはノーザンF生産馬が1着だったレースだけ。タガノアビーとシランケドを拾えたのは快心だったけれど、平成競馬に適応すべく編み出した馬券術はもう通用しない。去年、大怪我をしてから精彩のないルメールはすでに引退を視野に入れていて、後釜になるべくレーンが日本移住を狙っているという噂である。調教師も騎手も、平成末期の安定からまるで別の、若い世代の戦国時代に入った。
フタをしていた長嶋茂雄さんが亡くなり、ついに名実とも「昭和」のもろもろが完全過去に追いやられた。現役時代のプレイを見ていて、東京ドームのベンチで同席したこともある私も昭和仲間である。とはいえ、現役世代にとって長嶋さんは単なる「リハビリをしている人」だろう。追悼番組の視聴率も低かったようで、「背番号3」不在の寂しさは、もう広く共有されなくなった。
日本競馬は紆余曲折を経て令和に至り、世界に類のない繁栄を達成した。貴族の遊びではない形でも金満の、「戦後民主主義」が到達した最適解のひとつ。馬も人も馬券も知らぬ間に別物になっていて、気づけぬ者は置いてけぼり。最近、花盛りのYouTuber予想を見ていると、奇妙な詳しさに接して頭がクラクラしてしまう。90歳にして現役の矢野誠一さんは、昭和天皇が逝去された時、仲間と「もう昭和のことしか書かないね」と誓ったという。ずるずる時代についてゆこうとした私は、気づくのが遅すぎたか。しかし、昭和の「貧しさ」を活かす手もまだ残っているはずだ。諭吉先生に学びます。そして、デムーロは破産したデットーリと一緒にアメリカで騎乗するという。そういえば、今年は昭和100年/戦後80年の節目の年だった。
夕焼けて駿馬が消えし3コーナー
風元 正
文芸評論家、編集者。1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年以上続けている。『死んでも何も残さない―中原昌也自伝―』(新潮社)筆記者。著書に『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』(中央公論新社)。