- 日記
- 2025年6月18日
妄想映画日記 第201回
樋口泰人の「妄想映画日記」第201回の更新です。原因不明の熱と、突然の視野欠損に襲われ安静に過ごしつつ、やむなく会社の消費税納付で税務署へ提出する書類作りをする6月初旬の日記です。
朝から熱っぽくぼーっとしていた。全身の輪郭が微熱で拡張して外側に向かって漂い出しそうなぼんやりとした身体感は嫌いではない。このまま周囲と一体化してくれたらとも思う。もちろんそんなことが起こるわけはなく何もできず何事もままならず。夜には本格的に熱が出始めた。
6月2日(月)
熱は38度。猫のようにひたすら寝て治すしかない。熱のおかげで治りかけのぎっくり腰も痛むしめまいの不安もありいったいどうして今更こんな目にあわねばならないのかと嘆いてみたくもなるがどうもそんな気分ではない。熱のおかげで頭が働いていないせいだろうか。このままぼんやりと世界と交わりたいという欲望が人間的な嘆きを置き去りにしていく。外に出て散歩をしたらどうだろうとも思ったのだがさすがに体中がバキバキで痛い。おとなしく寝る。熱だからといって特別な夢は見なかった。
6月3日(火)
熱は続くが、昨日よりは少し下がって37度半ばくらい。目の奥が痛いので集中して何かを読んだり見たりすることはまったくできない。寝ていても退屈なだけである。ただ寝ているだけ。それでも長嶋茂雄さん死去というニュースは耳に入る。野球を観始めた小学生の頃はすでに長嶋さんの全盛期はギリギリ過ぎていて王選手が四球で出塁した後に内野ゴロでダブルプレーという印象が強く思い入れはほとんどないのだが、それでも亡くなってみると大きな時間の流れを感じてしまうのは昭和の高度成長期の日本の歴史と切り離せない存在だからなのかとも思う。長嶋さんの活躍を自らの未来を見るような視線で見つめた高度成長期の労働者の方たちの姿はおぼろげな記憶としてしかし確実に体のどこかに刻み付けられている。
6月4日(水)
そろそろ何とかなるだろうという希望ともに目覚めたもののそれは単に希望に過ぎない。年齢相応のゆっくりとした回復と思ってしまえば気分は楽になるのだが自分の気持ちがまだ自分の年齢に追いついていない。体中がヒリヒリとして倦怠感もひどくて気が付くと身体が固まっている。これでさらに悪くなったりするのかという一抹の不安が更に体を動かなくさせる。老人の低空飛行の在り方を体得していかねばと思うばかりである。この間の惨状が教えてくれたさまざまなことをいかに実践していくか、いよいよ8月のYCAM爆音の準備に火がついてきているわけだがもはや昨年とはまったく違う態勢で臨まないと大変なことになるという予感は十分で、ただそれをどうするか。行かない、という決断もあるのではないかと思い始めている。
そして中原に刺激されてアンナ・カヴァンをゆっくりと読み直し始めている。最初の短編集『アサイラム・ピース』はもう圧倒的な鬱と被害妄想の嵐なのだがギリギリのところで選民思想に踏み入れない。そこへの扉は開いているのに何によってか何かが止めるのかその先に行かない。鬱と被害妄想を差し出ししかし自身の特別さには触れない。傍迷惑なことには変わりないだろうが最後の一歩をスッと別方向に踏み出すあるいは踏み出さない。低空飛行の極み。
6月5日(木)
3日間まったく外に出ていないのでせっかくのいい天気に散歩をしないともったいないと気持ちは外へ外へと向かうのだが果たして体はどうか。昨日よりは確実に回復している。多分あとはもう回復するばかりだろうと確信も湧いては来ているが「ああ、ゆっくりとだよね」と体からの信号が送られてくる。ようやく音楽を聴く気持ちにはなれた。デイヴィッド・ラフィンがテンプテーションズ脱退後にリリースしたファースト・アルバム ”My Whole World Ended” のイギリス盤はジャケットの作り方がよくて湯浅湾の『港』でもやったイギリス盤ならではのもの。写真で見るとまったくわからないが、手に持って紙の薄さや裏面の折を見れば「おお」と思う方も多いはず。考えてみればこれまでモータウン系のレコードのイギリス盤て買ったことがなかったのだが、この手のジャケの作りのものは結構あるんだろうか。湯浅さんに確認しなければ。しかしこれもまた圧倒的な鬱なタイトルである。
6月6日(金)
つかの間の回復の後はひどい反動で1日寝たきり。猫のように寝て治すとは思っているもののこうやって長引いてくると猫はえらいなあと思う。わが家の猫たちだって具合悪い日や風邪ひいた日とかあったはずだと思うのだがこちらにはまったくわからない。ただ当たり前のように生きている。ところがこちらはちょっと具合悪いとつらいとか痛いとか泣き言の嵐である。寝て治すだけではなく生き方も学べたらと思うばかり。
6月7日(土)
食事をしていたら急に右目の上3分の1が見えなくなる。右目の視界の上を、濃度100パーセントの灰色のペンキで塗られたような感じ。脳に障害が起きると視野欠損が起こるとは聞いていたがまさか自分にこんなことが起こるとは。特に痛みもなくただいきなり灰色のパートが視野に現れただけなので間抜けな感じと言えば間抜けな感じなのだが、たぶん本人が感じる間抜けさとは程遠い一大事が脳の中で起こっているのだろう。3分くらいで欠損は次第に消えていき通常の状態に戻り何事もなかったかのような状態になったもののいったい今後自分はどうなっていくのかまったく予想もつかない。しかもだから今のうちにと思うような気力も体力もなくつまり欲望もなくそしてついには食欲もなくなってしまった。先日から食うものがすべて味気ないのであった。これは風邪の熱のせいなのかあるいは脳でやはり何かが起こっているのか。
6月8日(日)
ものすごい疲労感である。気持ちいいくらいの絶望的な疲労感と言ったらいいか。熱は37度と38度を行ったり来たり。
6月9日(月)
熱があまりにつらくてまずは近所の内科医に行った。いや、行こうとしてなかなか起き上がれずようやく何とか起き上り家を出たのがすでに16時過ぎという状態である。医者ではコロナやインフルエンザなどの検査をされたがいずれでもなし。薬をもらい、帰宅して寝る。
6月10日(火)
漢方医に行く。6月に入って初めての電車である。まだ熱はあり苦しいが致し方なし。しかし車内で咳き込み周りの方に迷惑をかけた。漢方医といろいろ話す。メニエールのこと、熱のこと、そして今回の右目のこと。それらを含めた処方をもらった。帰り道、蕎麦を食ったのだが味がよくわからない。味覚はまだまだ当然食欲もない。もちろん体力も落ち放題だから帰り道はつらい。鼻水もずるずるでティッシュがなくなりかけ立ち寄ったコンビニでポケットティッシュを買ったのだが出がけに傘立てを見ると傘がない。ビニ傘なので間違えられないように離れたところに立てかけておいたのだが一体どういうことなのか。勝手に持って行かれたか間違えられたかのどちらかなのだがいずれにしても都心は世知辛い。仕方なくコンビニで傘を買おうかとも思ったがあまりにばかばかしくて雨の中をそのまま外に出た。こんな時のためにということでもないのだがゴアテックスコーティングのパーカーを着ていたのだった。駅の階段がしんどすぎた。疲労困憊。
6月11日(水)
ぐったりしていた。
6月12日(木)
熱は少し下がってきたように思うのだが気分はまだまだ悪い。とはいえ税務署。昨年度分の消費税支払いが『BAUS』製作の関係でとんでもない額になり、税理士からはその分を確保しておくようにと言われてはいたがそんなことができるようなら今頃こんなことはしていないということで1回ではまったく支払いきれず分割納付のお願いである。分割納付にしたところで果たして支払えるのかどうかという額ではある。とにかく数字上は何とかこれでという話はついた。着いたのだがそのための書類がいくつも必要でその場で書けるものは担当者の力を借りて何とか書いたが書いているうちにどんどん気分は悪くなる。疲れ果てて帰宅後、体温を計ったら今度は35.2度で何度計っても同じである。わたしの体の中で何が起こっているのか。とにかく仕方ないので寝た。起きて計ったら37.5度であった。体温の乱高下。コントロール不能である。しかしまだ37.5度のほうが気分はいい。
6月13日(金)
全身のヒリヒリした傷みがとれた。体内に巣くっていた菌がようやく退治された感じでもある。あとは回復を待つだけというところまで来た気がする。税務署の書類づくりと原稿書きで1日が終了。
6月14日(土)
ようやく平熱に戻る。2週間かかった。いったいこれは何だったのか、検査では反応しなかっただけで実はコロナかインフルエンザだったのではないかという疑惑もある。以前も似たようなことがあった。あれはまだコロナ前、そのときも嗅覚味覚がまったくなくなり、しかしインフルエンザ検査では引っかからず、結局自力回復。山口でのアナログばかがあったのだがそれにも行けず皆さんに迷惑をかけたのだが、本人はそれどころではなかったのだ。嗅覚が戻るのに半年以上かかった。コロナが話題になったのはその1年か2年後のことだった。
とにかく今は、漢方医から出してもらった脳の血流をよくする薬のおかげなのか、めまいも止まり耳もすっきりとしてきている。このところ大抵土曜日に何かが起こっているので不安満載ではあるが荻窪まで買い物に出かけた。食欲も戻りつつある。1週前はもう何も食べたくなくてとにかく薬だと思って無理やり食っていたあの味気無さは抗がん剤治療中を思い出したくらいでもう2度とこんな目にはあいたくない。この歳になってこんなひどい目にあうなんてありえないとかぶつくさ文句を言っているときっとまたその「ひどい目」が更新される日が来る。言わずに我慢しても来るときは来るのでとりあえず言っておく。夜、サーフィン映画を観て元気を出した。原稿は来月発売のキネ旬に掲載予定。
6月15日(日)
あまりに空気がじめっとしているので体もこのまま蕩けそうになるが熱が下がったこともあり気分はいい。まだ咳は出る、喉と鼻の調子は悪い。税務署用の書類づくりを終日。果たしてこのやり方でいいのかどうかまったくわからないのだが、まったくわからないままやりましたと素直に提出するしかない。自分としてはこの細かい作業をしてもめまいがしなくなったという現状のほうに少しの希望が見えて晴れやかな気持ちでもある。これくらいはっきりと梅雨の気候になってくれた方が楽、ということでもある。
しかしこの間全然中古レコードあさりもできなかったのでついネットで購入してしまった中古盤が海外から届いたのだが、久々にジャケットも盤も見捨てられた感満載のものが届いた。カビと埃で再び咳が活性化する。とにかく掃除。盤面を拭き何度か回し、針先にも汚れがこびりつき1曲ごとに針掃除をして片面が終わると再度クリーニング液をかけて掃除、そしてまた回す。ようやく何度目かでクリーンな音になるのだが、残念ながらもともとの録音もカッティングもよくない。CDではどんなことになっているか、今度聴いてみようと思う。なかなか思うに任せない。
樋口泰人
映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『そこから先は別世界 妄想映画日記2021-2023』(boid)、『映画は爆音でささやく』(同)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。boidマガジン連載中の「妄想映画日記」の3年分をまとめた書籍『そこから先は別世界 妄想映画日記2020ー2023』が2024年12月に発売された。