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- 2025年6月9日
アヒルノイエ漫録 第12回
闘病中の中原昌也さんの言葉をもとに編集者の風元正さんがテキストを構成する連載「アヒルノイエ漫録」。今回は、とある酒場の陽のあたるテラス席で語られた、行きつけの蕎麦屋の店員さんとの交流、いま観たい映画などについてのお話です。
ある晴れた日に
文=中原昌也/風元 正
写真=風元 正
Episode 1 蕎麦屋とシュルリアリズム
最近、何も特別なことはないです。夢も見ないし、小説も思いつきません。
いつも寝てばかりですけど、よく眠れません。むしむしして、暑いからですかね。
近所のよく行く蕎麦屋で働いているねえちゃんが、一度、部屋に遊びに来てくれたんです。日大の文学科に通っている大学生。「何を習っているの?」と訊いたら、「シュルリアリズムの歴史」という答え。
ヘンな先生に教わっているらしくて、「先生はどんな映画を勧めてくれるの?」と訊いたら『悪魔のいけにえ』(1974)だという。もう、訳がわからない。おねえちゃんは、まだ観ていないそうです。『悪魔のいけにえ』は、50周年記念のサントラ盤が出ましたね。
楽しかった出来事はこれだけ。
Idle talk 酒場でグダグダ
そういえば、boidマガジンが休刊になるんですか。樋口さんは元気? 例によって調子悪いのか……。ちゃんと病院に通っているんですか。いつも具合の悪い人ですから。
近頃は節約だなんだといって、あまりお店なんかに行けません。世間の風は厳しいです。といいながら、今日はわざわざこのお店まで来てもらってすみません。でも、場所、よくわかりましたね。来たことあるんですか? え、ない。でも、最近、気に入っていて、毎日でも来たいと思っています。
ここは豪徳寺の近くですけど、近所にだれが住んでますか? 保坂和志さんですか。風元さんは、彼と羽根木公園でキャッチボールしたことがあるんですね。へえっ。今年、僕も羽根木公園で花見をしましたよ。
ここは部屋から歩いて15分くらいですから、割と近い。道に面したテラス席があって、しかも歩道なので車が入ってこない。散歩する犬や自転車が前を通ったりして、その姿も見えます。今、ジョギング中の人が通ったでしょう。面白い。晴れていればぽかぽか暖かいし、いるだけで楽しいです。サラミが美味いですから、食べて下さい。
今、『101匹わんちゃん』みたいな黒ぶちの犬が前を通ったんですか。いいな。
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最近は雨ばかりで、ずっと外に出てなかったので、気が滅入っていました。映画も観に行けません。とにかく、『パディントン』の新作(『パディントン 消えた黄金郷の秘密』)が観たいな。興味があるのは『パティントン』だけ。でも、もう公開が終わりそうなんですか。最近は、ほんと早いですね。一か月も保たない作品も多い。
何をするのか、まだよくわかっていないんですけど、来月、東北芸術工科大学の石川忠司さんから講演に呼んでいただき、山形に行くらしいです。晩飯はすき焼きだとだけ聞いています。温泉にも入れるという話です。
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ピンチョンのことはよく考えます。
ポール・トーマス・アンダーソン監督の新作は『ヴァインランド』が原作(映画題『ワン・バトル・アフター・アナザー』)なんでしょう。あの面倒臭い原作で面白い映画が撮れるのかどうか、心配です。だれか観た人いないかな。
甫木元空くんもピンチョン読んでいるんですか。彼はピンチョン好きなんですね。いい話です。
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今日は店に来ていますけど、酒はあまり呑まないようにしています。すぐ寝てしまうので、やっぱり弱くなった。むしろ、甘い物が欲しくなります。
そういえば、生まれてはじめて母の日に花を贈ったんです。他の家族も自分も、どっちも病気になったので、その気になったんです。
時間がたっても、やっぱり何の話も出てきませんでした。boidマガジンの休刊に相応しいと思います。
2025・4・28
中原昌也 / 風元 正
中原昌也
1970年生まれ。Hair Stylistics名義での音楽活動と並行して、小説や映画評論の執筆を手掛ける。絵画やイラスト作品も多数。著書に『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』(河出書房新社)、『あらゆる場所に花束が……』(新潮社)、『名もなき孤児たちの墓』(同)、『エーガ界に捧ぐ』(扶桑社)、『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(boid)、『二〇二〇年フェイスブック生存記録』(同)など。2023年に糖尿病の合併症による脳梗塞を発症。現在、自宅で介助スタッフのサポートを受けながらリハビリに励んでいる。近著に『偉大な作家生活には病院生活が必要だ』(河出書房新社)、『焼死体たちの革命の夜』(同)。
風元 正
文芸評論家、編集者。1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年以上続けている。『死んでも何も残さない―中原昌也自伝―』(新潮社)筆記者。著書に『江藤淳はいかに「戦後」と闘ったのか』(中央公論新社)。