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- 2025年6月2日
大音山の麓 第11回
湯浅学さんが過去に様々な媒体に書かれた原稿を発掘していく連載「大音山の麓」第11回。前回から、1998~2003年に漫画雑誌「アックス」(青林工藝舎)で連載された「昼も夜も眠れない盤で生きる。」の原稿を再録しています。今回は第12回~第23回、そして第12回の文章が書かれた当時――身近で殺人が起こった1999年末のことが振り返られた書き下ろし解説を掲載します。
昼も夜も眠れない盤で生きる。
文=湯浅 学
第12回
ローレン・マザケイン・コナーズ『Unaccompanied Acoustic Guitar Improvisations Vol.1-9 1979-1980』
日常生活の、めし食って風呂入って寝たり起きたり原稿書いたり子供と遊んだり妻と性交したりギター弾いたりくだらないレコード聴いたり探したりめし作ったり赤ん坊にミルクやったり猫をなでたりビール飲んだりするその空間の一部に突然殺人が登場したのは初めての経験だった。過去に殺人をしたことのある方とは何人か今も交流があるが殺人の行なわれているそのときその場から20メートルほど離れた場所に俺もいたと気付かされたときの感覚はフィクションの中に暮らしている感じではなく現実が非現実化した感じとも違うものだった。立っているのに膝から下がなくなってしまったような感覚だった。それが出会い頭の衝動的殺害や殺人に至らねば自己保全がままならぬがゆえの殺人ではなく、その人間の内側での考察によって導き出された結果の計画的行動としての殺人だったからだろうか。殺人者と死体と殺害行為そのものとの隣接関係をよりによって娘の通う幼稚園で持つなどと予期して暮らしているわけがない。わけがないからよけいに浮遊してしまったのか。アシッド・トリックに近いものだった。この世の何もかもが誰かに仕組まれていて、自分以外の全員が自分を担いでいるに違いない、と思えて仕方がない状態のことを思い出していた。こうして書いていることが作り事、妄想であってもそれを自分で実体験としてしか認識できないのかもしれないので、ふと笑ってしまった。虚妄と現実には夢と目醒めほどの差もないと、現実のほうがきちんと教えてくれたのだろう。ありがたいことである。しかしこの感覚を5歳の子供に伝えることはできるだろうか。何度か自分もおしっこをしたことのあるあのトイレでクマのプーさんのマフラーで隣の組のお母さんに殺されてしまった女の子のことをいつか知ることになる。
よりにもよって子供を手にかけるとは、脱線にしては念が入っている。当の母親(大人)に毒を盛ったりウンコを送りつけたりしてからでは効果がないと考えたか。気が済まなかったか。夢想を遂行したのではない。自分の所在を自分で確認したかっただけだろう。確かにあんたはあそこで子供を殺した。それは確かにそうだった。殺されたのはあの娘だけではない。あんたとその周囲でこれまでに過ぎていった時間や空気の大部分をあんたはプーさんのマフラーで絞め殺した。もう元には決して戻らない。戻れない。殺された空気を取り戻すことはできない。記憶は刻一刻と遠くなってゆく。無邪気が邪気に恐喝される。あんたは反省でも謝罪でもまた勝手にやるだけのことだ。勝手にやって勝手に苦しむ。それはもう変わらない。
おーいと呼んだその声が何倍にも大きく、いくつにも増えて帰ってくる。帰って来たおーいがおばけに思えておどろいていたら、はぐれてしまっていた弟も「おーい」と自分を呼んでいた。片山健さんの絵本『もりのおばけ』(福音館書店)はそういう話だった。自分で勝手に作り出し恐れていたおばけの正体は自分だった。そういう森を彷徨っている。彷徨っている原因も結果もすべて自分自身にあることを、あんたは知らなければならない。知ることがもしできないのならなおさら、あんたは楽器を手に入れるべきだ。ギターなら特にいいだろう。そのとき手本とするべきものはローレン・マザケイン・コナーズの演奏の数々だ。もしもあんたがギターを弾き続ける決意をしたならこの4枚組の箱を大竹伸朗の19のボックスと一緒に送り付けてやる。耳の穴からも尻の穴からもよくよく聴け。アコースティック・ギターがビヨヨンビョンと鳴っているのだ。塔婆を揺らす風のように。
(「アックス」Vol.12/1999年12月25日発行)

第13回
リベレーション・ストリート・バンド『Down on the Corner』
おにぎりが食べたくて仕方がないのに釜の中に飯はなく冷凍されたものもない。コンビニあるいは惣菜屋へ買いに行くか、飯炊いて握るか即座に食えるがコンビニのおにぎりは飯がへばっていてうまくない。惣菜屋は遠いしちょっと塩気が多い。やっぱり自分で炊いて握るかあ、と空腹に言いきかせながらおにぎりの具について考えるとき、そういえば漬物もあるといいなと思って冷蔵庫を開けてはみるものの、昨日の晩に食べてしまったことに気付く。そうか漬物も食いたいからやっぱり買い物に行くかあ、と心改めそうになったところで、しかし、やはり飯は自前が一番と反省しつつ漬物のことは忘れようと努めるのだがそれでも少々物足りなさが残ってしまう。どうしよう。しばし考えつつとりあえず何か聴こうじゃないかとレコードを選別し出すころには、漬物のことは忘れている。レコードはそこらへんの床にたてかけてあったり棚にてきとうに並べてあったり段ボール箱に入れて押し入れに積み上げてあったりするわけだがその中からなにか一枚をてきとうに探すのは実はめんどうなことだ。そのへんにあるのをひょっこり聴くことのほうが仕事以外では多いしましてCDなんか山積みだからコレと決めて探しにかからないとたいへんやっかいなことになる。物探しで一生の6割を終えるのではないかという不安はある。それでも探してばかりいては何も聴けなくなってしまう。でもなんか聴きたいんだよ今はおっデレク・べイリーこんなとこにあったのかあでもこれはあとで聴くことにしてええとインストがよかったんだっけあっガボール・ザボーだこれもまぬけでいいんだよなあ『1969』。「ディア・プルーデンス」とか「イン・マイ・ライフ」をてろれんてろれんやってるの。ドラムズはジム・ケルトナーでマイク・メルヴォインのオルガンがいいんですよ地味で。これでもいいんだけどちょっと違うんだよなあ、えーとあのポール・モーリアがソウルの名曲やってるやつの「キープ・ミー・ハンギング・オン」がサイケで楽しいんだけどどこにあるのかわかんねえなあ。あっメルツバウのシングルこんなとこにまぎれ込んでたのかこれじゃ見つからないわけだわな。あーよかった。えーとなんだっけあっNRBQ『ヤンキー・スタジアム』も出て来た。あーよかったあとで聴こうっと。何だったかな。えーとインストか。そうそうそういえばこのへんにあったやつ、これこれこれ。中古屋でこのあいだ買ったやつ。ジャケットで中国人みたいな人がシンバルやってて、人種もバラバラな楽団の写真が載っているので気になってしょうがなくて2800円で買ったもちろんLP。CCRの「ダウン・オン・ザ・コーナー」に始まり、「ヘイ・ジュード」に「オクトパス・ガーデン」、「アクエリアス/レット・ザ・サンシャイン・イン」っていう選曲にやられませんか。これをブラス・バンド+ギターって編成の楽隊がアレンジしてやっているわけです。リベレーション・ストリート・バンドという命名もかっこいいじゃないですか。チャーリー・ヘイデンのリベレーション・オーケストラとそういえば色味も似ているなあ。B面では「ホンキー・トンク・ウィメン」ものどかにやっているんですが、これをカラオケにして歌うと気持ちいいんですよ春風に吹かれている山口いずみな心になれます。プロデュースはスティーヴ・ダグラス。なるほどロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャンの仕業であるわけだが、こういう青臭いのに職人技が活かされている盤は勉強になります。芯のある音楽は消費されながらも、何度でも生き返るものであると。このアルバムをおにぎり食いながら聴こうと思ってたんだよ。あ、そういえば飯。いかん米研いだままスイッチ入れんの忘れてた。
(「アックス」Vol.13/2000年2月29日発行)

第14回
ジョン・ローズ『Perks』
バドミントンを音楽だと思ったことはありますか?
演奏とは、音に反応しているという意味では自分が演っても他人が演っても同じことです。「音」対「自分」というコミュニケーション。行って帰ってくるという基本。
スポーツでも同じことで、自分と相手、砲丸投げなら自分と砲丸とか、自分本位ではありますが、その中で相手と自分との兼ね合いをとることによって関係は良好にもなればややこしくもなります。
スポーツの団体競技とバンド活動は似たところがあります。目指しているものがどこまで一致するかによって決まるわけです。ジョン・ローズがここで演っているのは、そうした実験です。サンプリングの音に対して音を打ち返したり、音楽の根本原理をあからさまに全面展開しているのです。例えば教会で牧師の説教に応えるような形のコール&レスポンスは日々我々のまわりで色々と行われているのではないでしょうか。このアルバムはそのことを呈示しているように思えます。
音でどれだけ楽しく遊ぶかをミュージシャン同志で発明しあう音楽がジャズです。ポップスはこのような遊びをある程度制御したうえで成り立っています。ヨーロッパ人やアメリカ人の一部は即興の遊びが好きなようで、当意即妙という伝統が確実にあります。例えばモーツァルトも、曲を生み出したのは即興です。形態は異なりますが、精神構造はフリージャズのミュージシャンと似通っているのではないでしようか。
音楽を、そこに向かう姿勢で捉えていくと、ジャンルにこだわらず色々なものを聴けるようになります。「音楽を一つに括るのは無謀である」と批判する人もいます。しかし、みな同じでいいのです。逆になぜ同じに聞こえないのかが不思議でなりません。音楽をジャンル分けすることは、差別にほかならないのではないでしょうか。メルツバウの出す「ビー!」という音と、オペラのソプラノの歌う「ア~」という声は俺には同じに聞こえます。そこだけ取り出せば同じなのです。なぜそこだけ取り出す必要があるのかと問われれば、その方が音の構造と音楽それぞれの基本姿勢がわかるからです。
音楽についてくどくどと小賢しいことをいう必要があるのでしょうか。音楽とは人間です。一般に「実験音楽」と呼ばれる音楽は、ジャンルによる差別の撤廃運動をしているように俺には思えます。
バドミントンの概念を音楽に当てはめたこのアルバムでは、実際にシャトルを打つ「バコン、バコン」という音も入っています。そういうバカバカしさに対していちいち理屈をこねたい人はこねればいいのですが、聴き手として情けないことです。例えばジョン・ケージが、4分33秒だったか、その間何もしないというのは、林家三平と同じことなのです。つまり「ドーモスイマセン」と手を頭に当てるということは、この場合「演奏停止という演奏」と同義なのです。
そう考えると、現代音楽はとても気楽に聴けるようになります。そういう聴き方をすることに不都合はないのではないでしょうか。
権力のピラミッドを作りたがるのは趣味の世界でもよくあることで、釣りの世界で海釣りと川釣りが反目しあったり、プロレスファンでも似たようなケースがあるものです。音楽をジャンル分けするのもこうしたことと同じで、大変ばかばかしいことです。実は俺がこのような考えを持つに至ったのは中学1年のときの恩師・前田憲佑先生の影響大なのですが、ジョン・ローズのアルバムを聴いて、なぜか前田先生を思い出したのでした。
(「アックス」Vol.14/2000年4月25日発行)

第15回
V.A.『ハワイアン二世ソングス』
事情はいろいろあるだろう。いろいろあるとしても、“あえて”いろいろを歩みかえるでもなんかといって何か楽しいことをやり出そうとも思えるわけがない。
仕事部屋の床にここまで書いて放置されていた原稿を発見した。いつ書いたものなのかおぼえがない。寝ぼけて書いたものだと思うが、なにについて書こうとしていたのかが思い出せない。俺は原稿をトンボのモノの4Bエンピツで書くのだが、発見された原稿は、最初の30文字だけがエンピツで後の44文字がサインペンで書いてある。ときどきそういうことをやるが、おそらく最初の30文字を書いていたらあまりにも眠かったので廊下でゴロ寝してしまいしばらくしてこれではいかんと起き上がり再び机に向かったものの頭は暗黒のままだったに違いない。
暗い心は寝ぼけやすい。寝ぼけた身は回復が遅い。ならばいっそ自分だけでなくまわりもみんな寝ぼけている場所へ行ってみちゃどうか、と考えたくなるときもある。
何国人だかどこのどいつだかわからないし知ろうとするやつもいない世界に果たして自律神経失調症なんてものがあるのだろうか。ああ予定伸ばして頭カラにしてくつろぎたいと思って、ここより他の場所を想像するうえで多くの日本人はシベリアよりもハワイを思い描くことだろう。白熊よりも極楽鳥のほうがゆるやかな気持ちになりはしませんか? 和泉雅子はちがうかもしれませんが、やっぱりバカンスっていったら南国の海のほうが、極寒の氷より大衆文化ではなかろうか。それにしても「アップダウン・クイズ」。10問正解すると“夢の”ハワイへ行けたのもそんなに昔のことではない。ハワイが“夢”とはこれいかに、と思う若人もいるだろうが、10問正解した人にレイをかけに階段を上がっていく女の子がスチュワーデス姿でそれがミニ・スカだった時期があり、正解者の首にレイをかけるために前かがみになるのだが、ちょっとかがんだまさにそのときのパンチラは格別であった。それが、ものすごく楽しみだった中学生の俺。10問正解者が出なければ見ることのできないスッちゃんコスプレパンチラにハワイの冠たる“夢”を二重写しにしていたのも、南の島より近くのパンチラとは思うものの、同じパンチラでも“スチュワーデスのパンチラ”となるとやはり“夢”のほうに近く思える70年代前半の日本少年。中華街(地方では南京街)も遠くなく小学校の窓から米軍の補給ヘリコプターの上下降が見え市電でトロトロ行くと米軍家族が芝生の上でバーベキューやっているのが見えた。そういう環境だったので、細野晴臣の『泰安洋行』と『はらいそ』は幼少年期の遠い記憶と現実にまだ生きている無国籍というより雑国籍なものへ魅かれる性質を喚起するものとして俺を熱くさせた。日本の中の日中韓朝のゴチャマゼ、同居した感覚がまた呼び出されたという楽しさ。さらにそれらをアメリカと結びつける場所、それがハワイだった。ハワイに行ったことはないけれど、ハワイと日本、東洋との結びつき溶け合ったデフォルメ部分は、夢と幻と現実と過去のゴチャまぜになった世界を俺に思い描かせた。
マーティン・デニーは空想から現実のハワイへ移住した。我々の耳にはこうしてハワイの二世(三世)による歌声が届けられる。このCDのいくつもが細野作品のヒントあるいはモトネタとなっている。日本の特に沖縄もまた、ちょっと前まで“夢”の一部だったことを思い出しつつ、酩酊しながら口ずさむ「安里屋(あさどや)ユンタ」のイントロは俺の場合ここに入っているテッド島袋ヴァージョンでありマッスムニダ。
(「アックス」Vol.15/2000年6月25日発行)

第16回
ハンク・クロフォード『モア・ソウル』
あー辛気臭い。せせこましくってくだらねえ。ジャズのこと書いてる人、ジャズ・ライターだかジャズ評論家だかって人たちは「スイングジャーナル」か「ジャズライフ」かに二分される。「スイングジャーナル」のほうは同誌にミサオ立ててる人じゃないと書かせない。ジャズを独占して商売したいだけか。ジャズってそんなにエラいんですかね。どうでもいいやそんなこと。技術はあるけどスリルがないジャズが日々新譜として出されているわけだが、それを紹介している人がまた茶坊主みたいなのばっかりじゃしょうがないでしょう。まあそういうジャズなんか聴いてるヒマないし、そういうヘッポコな原稿は読まないようにしてるのだが、文字の場合、まちがって勝手に目に入ってきちゃうことがあるのはシャクにさわります。内容で原稿料が決まるわけじゃないから、なお悲しい。「スイングジャーナル」なんて原稿料の安さじゃ定評あるけど、しぶしぶ皆さん書かせていただいてるわけでしょ。やっぱりエライんですねジャズとその周辺の人たちは。
どうでもいいけど、ジャズもどきもジャズのうちなのは言うまでもない。正統も邪道もあるもんか。マイルスだって邪道じゃないの。だからおもしろいんでしょ。正統派とか伝承派とか、そんなことどうだっていいじゃん。やるほうは音を出すだけだ。音を出しながら理屈こねてるやつもたまにいるけど、音より理屈のが勝ってりやそれはそれでジャズになっちゃったりするもんだ。出した音に責任持つのは、うんこしてケツを拭くのと同様。しかしうんこひり出しっぱなしでもそれが芸になってりゃそれもジャズのうちだ。
ジャズらしくないジャズが飽きないのは、そのときの気持ちでやってても何も文句のない世界をきちんとそれぞれが提出しているからである。ジャズにだっていろいろな時代があったことぐらいわかってやらなきゃいかんでしょう。
「アウト・オブ・ザ・オーディナリー・ジャズ」と銘打たれたシリーズがイーストウエスト・ジャパンから展開されていた。
60年代末から80年代前半にかけてのアトランティック原盤の作品がドバドバとこのシリーズによってCD化された。
ソウル・ジャズ、フリー・ジャズ、ファンク・ジャズ、ジャズ・ロック、ラテン・ジャズ、ひょろひょろジャズ。実に楽しめるシリーズである。皆ジャケットがいい。ジャズやってんだ、という風情ではなく(そういうのもあるが)わしはわし、あんたはあんた、という主張が陽気にうかがえるものばかりだ。
エディ・ハリスのエレクトリック・サックスがたんのうできたり、ソニー・シャーロックの唸るような妙なギターがさくれつしたり、ドン・チェリーが世界をふらふらしていたり、スティーヴ・マーカスはロックを吹いているし、ジャック・マクダフのオルガンはねとねとだし、チャールズ・ロイドもこのころのは頭でっかちじゃないし、ハンク・クロフォードの『モア・ソウル』のジャケット見てちょうだいよ、これがソウルでなくてどうすんだよって面してそのまんまのR&Bブバブバだし、ハービー・マンがいい湯加減のプロデュースきめているロイ・エアーズの『ストーンド・ソウル・ピクニック』もあるのだ。60年代後半に音楽やっていたこと、それ自体が特別なことなのではないか、と思えてくるほど、ジャズもロックもソウルも皆飢えていたのだ。何か別なことをやりたくて仕方がない人が地球上にあふれていたことを改めて思い知ります。
(「アックス」Vol.16/2000年8月31日発行)

第17回
ロッキン・エノッキー『Rockin’ Enocky And His Guitar』
ジャッキー&ザ・セドリックスってあまり大きい会場には向いてないな、と今はなきクラブチッタ川崎でやったイヴェントに彼らに出てもらったときにふと思ったんだけど、それは音が十二分に伝わってこないから、という理由だけで、ヴィジュアル的にはあのイナたさとパンク根性の合体したガレージの心突っ走るアクションはあそこですごく映えていた。いつもはもっと小さいライヴ・ハウスで見ていたので、それに耳が慣れていたせいだと思う。PA通した音よりもアンプから直の音がビリビリ感じられる場所でシビレていたからであります。ステージの上と客席の音に差のないハコがいい。暴れるとそのまま客にぶつかってダンゴ状に転んでいって塊になってしまうようなところ。エレキ・ギターも今はステージ上(通称なか音)は小さめでお互いの音はモニター・スピーカーからきちんと聞こえるように、バンド内でバランス取れているのがPAのミキサーにほめられる“いいバンド”ということになっている。あんまり注文が多いバンド(その場合PAの人は「はい、わかりました」といって愛想笑いを返しておいてその実注文のほとんどを無視することで自己保全と精神の安定を図ることが多い。心中はもちろん「こいつらバカじゃねえの」である)、バンド各自がやたらでかい音を出し合って張り合っているバンド(その場合PAの人は「ケッ、どうしようもねえや」と無言で過ごす)、ただガーガーピーピーいっていておまけに始まりも終わりもわからないので誰にも手のほどこしようがないバンド(その場合PAの人は「この店に来るんじゃねえよバカタレが。機材壊しやがったらただじゃおかねえぞ、コラ」と思いつつ脳内をできるだけカラにしてこいつらは幻なのだ、ここにはいないのだ、と思うよう努める)のような“悪いクズ・バンド”は出られるだけありがたいと思わなければならないらしい。先日とあるイヴェントに幻の名盤解放同盟としてとあるクラブに出演しとあるヴィデオを上映したら、進行係だか舞台監督だかの方によって上映途中に勝手に音を消されたことがありました。
そうしたモヤモヤは誰にでもあるでしょうが、そういうものを吹き飛ばす爽快なエレキが聴けるんです。ロッキン・エノッキーはジャッキー&ザ・セドリックスのリーダー(だと思うのだが)の、俺にとって日本人6大ギタリストのひとりであります。他の5人は水谷孝、寺内タケシ、木村好夫、遠藤賢司、ナポレオン山岸です。このアルバムはその初のソロ・アルバム。もちろんギター・インスト集です。選曲が見事な渋さであるばかりか、サウンドのほうはビーフ・ジャーキーあるいはスルメに緑茶に豆大福とらくがん、窓の外はそよ風あるいはイワシ雲の下のデート、各駅停車の旅に駅弁、コクがあるからあえて軽音楽と申しのべておきたくなります。ジャケットでエノッキー氏が持っているリッケンバッカーは58年製カプリ#360でしょうか。ちょっとそこらでお目にかかれる代物ではありません。セドリックスはジェリービーン氏のアグレッシヴでベンベン鳴るベースとのコンビネーションも魅力のひとつですが、このソロ作では小技のそっと出しの連続攻撃にやられまくります。肩のコリほぐす、カントリー・スウィンギー・ブギー・R&B・ロッキンでゴキゲンさん。エノッキーとストリング・ア・ロングス共演を夢想しつつ。エレキの心は母心、弾けば命のノイズ湧く。
(「アックス」Vol.17/2000年10月31日発行)

第18回
小野瀬雅生『小野瀬雅生ショウ』
座ぶとんは、あってもなくてもいいようなものかもしれないが、寝具のふとんで代用はできない。座ぶとんは丸めて枕にできるが通常のふとんは丸めると抱き枕になり、眠気を誘いすぎる。六畳間(和室)に青年男子一名、そこに美貌と豊満な肉体を有する女性が訪れまあ座って下さいと敷ぶとんが押し入れから引き出されドバと延べられたならば女性は身の危険あるいは欲情を感じてしまうのがいわゆる普通でありましょう。それはそれで楽しいですけど『笑点』だって敷ぶとんではたいへんです。
座ぶとんは真四角であることが風情であり、敷ぶとんは大きいことで安心感や種族保全欲や単なる性欲あるいはゴロ寝欲あるいはもうどうでもええもんね欲あるいは気絶への誘惑をかもし出すのです。
しかし世の中には座ぶとんと敷ぶとんを兼ねることのできる特ぶとんがあるものである。それは大きめの座ぶとんのことではないのか? と問われる方もおられるかもしれませんが、それは違います。では小さめの敷ぶとんか、というとそれも違うのであって、どちらでもありどちらでもなしではなく、あくまでもどちらでも良好である。主役ではないが脇役でもない。準主役というのともちょっと違う。フロントマンだが脇にもひかえることができる。ピンで立てるが助っ人も得意という人であり、奥床しいが華もありアクもしっかり強い人、そういう人が支えるものというのはとても大きい。
クレイジーケンバンドの素晴しさは、うまくて安い早い焼き肉屋の如きものである。
たらふく食えてしかも栄養価も高く、野坂昭如先生のバックがこんなにハマッているバンドは世界中で他にはあり得ない。と思わせる男臭と助平臭が保たれつつ、愛もある歌謡ファンキン・ロッキンロール・ソウルで、これは音楽内通俗的意味ではない、もとからの意味するところのプロぐれっしぶ・ロックである。ということを、さらに深く強く感じさせるのだこの『小野瀬雅生ショウ』ったら。ギブソン・ファイヤーバードやシタール・ギター聴かせる聴かせるクレイジーケンバンドのギター&キーボード担当の小野瀬雅生のソロ・アルバムである。クレイジーケンバンドの中で、見た目がもっともプロレスラーを感じさせる感じさせるこの男はバイオレンスな族か? さにあらず間口も奥も広く深い音楽家です。ダーティーなブギもスウィートなソウルも高速弾きブルーグラス・シンフォニックなロックの片鱗も見せつつフュージョン、トロピカルなリラクゼーションてんですかそういう風な横丁の風は運河から吹いて来るんだったなあ、野毛やら黄金町慕情な俺。実はこのアルバムは俺の郷愁だったりもする。あれもこれも聴きたいから散歩そぞろ歩き道端のゴミに愛がはぐくまれるしおやじは笑いながらひっくり返り怒りながら俺に150円貸してくれと懇願してくる昼下り。おしゃれな人たちに隣接している終戦直後とアジアの流民出稼ぎろくでなしの群に付ける薬は焼酎とモツ煮込み時々中華まんじゅうや春巻き。未来都市幻想に飽き飽きしながら囲むスキヤキ闇なべのポップ。疲労回復によろしく雨の第一国道あるいは鎌倉街道の逢い引きしけこみ。水がつめたすぎる元町プールにはまるやついるけ? 心もひろけりゃいいってもんじゃないけど、知ることだけが理解ではない。タラバガニと毛ガニの詰め合わせもらったようなおもてなしに感謝の名盤。
(「アックス」Vol.18/2000年12月31日発行)

第19回
バーズム『白昼夢(Hvis Lyset Tar Oss)』
その音楽が誰に向けられているかということが聴いて即わかるものは実は今の世ではかなり少ない。全人類、あるいは自分以外の悪人全部、あるいは自分を貶めようとする者/物みんな、あるいは故郷、あるいは東京都民全員(自分を除く)、あるいは自分の頭の中にあるこの世のほとんど、あるいはまごころ、あるいは犬や猫、あるいはありふれたイメージの中の青年、あるいは政治、あるいは戦争、あるいは平和、あるいは人間。とはいえそれらがある日の感情やあるところの風景などを漠然と描写しているような技法に支配されてしまうとたちどころに歌の中の対象としての“それ”はぼやけてしまう。あるいはまたその“ぼやけ”について歌う場合もあるが、あいまいさの中で生き延びるための明確さを思い描くか、あるいはまた思いつく言葉を自分の作ったレコードに合わせてただ吐き出すだけで済ませても商売にはなんのさしつかえもない場合も少なくない。
うらみやねたみに支配されると曲ができてしょうがないという体質の人もいるから、その曲の向けられる相手になるのは決してうれしいわけではないが、そうした対象の絞り込みは曲やサウンド、歌に訴求力を与えることが多い。たとえ曲がありふれていても、サウンドが気の抜けたものでも、言葉がどうでも、聴く者のどこかに何らかの痛みやら気を引く衝撃やらぬくもりやらがもたらされることは少なくない。それは音楽がなんだかんだ言っても直接的なものだからだと思うが、音だけではない何事かを作用させてしまうことでは念力やら波動やらのほうに近い定めにあるのか、と思えてしまうことが、あなたにはありませんか?
好むか嫌うか、いずれにしても音楽は空間に漂い、空間に効いてしまう。肉体の機能そのものに影響する。音楽は呪い喜び悲しみ憎しみ愛し疲れなごませる。かつてデス・メタルとスウィート・ソウルとを交互に収録したテープを作ってみたことがあったが、激昂と静かな欲情のアップ/ダウン、メリハリが刺激となってデザイン仕事等にはたいそう良好なBGMとなり大韓旅行のバス移動の際にも好作用を生んだ。怒りなごみ怒りなごみ憎悪情欲呪いほのぼの、いったいどっちなんだと問うよりも、人は怒りのみ、欲情のみに生きるにあらず、との当たりまえの結論がぽっかり浮かんで消えた。
俺が北欧の特にデス・メタルが好きなのは、デスなのに音にスキ間、穴ぼこがあるからである。ガベガゲゴベと歌いながらもギターはシンフォニックで格調を下げずに朗々とメロディアスなフレーズを弾いてしまったり、よく聴くとベースがフュージョンぽかったり。音が薄っぺらなのに悠然とした曲を長々とやっていてしかもその内容が黒魔術の実践である、このバーズムというノルウェーのメタル(こういう黒魔術系のをブラック・メタルと呼ぶ)は実はバンドではない。カウント・ガリシュナックが1人で多重録音でやっている疑似バンドだ。2作が日本でも出たが、エンピツ画のジャケットを見たとたん、かつての片山健先生を想起し、気に入ってしまいました。このガリシュナックという男の叫びはすごく孤独な響きを持っている。背後で霧のように鳴るキーボードのせいもある。この男、本気でこの世のすべてに呪いとして音楽を向けている、そのことがわかる音であり歌だからである。死にかけの犬のような、レジデンツのスカル氏にも通じる虚しい絶叫。この男は現在殺人とテロで懲役21年の判決を受け、シャバにはいない。闘いは長い。長く終わりはない。なおこの『白昼夢』は94年発表の3作目のアルバムです。
(「アックス」Vol.19/2001年2月28日発行)

第20回
オークランド・エレメンタリー・スクール・チルドレン『Big Music, Little Musicians』
人の頭の中味がわかってしまう、なんてことは完全にはありえないが予想通りのことしか言わず行わず常にわかりやすい生活を送っている人というのはいるものだ。実際にその人がまったくの一人でいるときにどのようなことを行うかはわからねど人前では常に裏表を感じさせぬ行為と会話で通し、まるで頭蓋骨が透明のように思えてしまう人は決してめずらしくない。
馬鹿正直というか無邪気というか、そういう人は時に大人気ないとかわかりやすすぎるとか単純とか言われて、冷笑をあびたり、ときには軽蔑の対象となってしまいがちだ。大人の社会というものはそういうものなのだ、という定見を持っていると錯覚している(思い込んでいる)人々が世間では“大人・おとな・オトナ”と呼ばれる。子供・ガキ・ジャリ・ワラベは未大人であり考えが薄いということにこの大人はしたがる。子供はなにするかわからない、という大人は少なくないが、おそらく大人とは自分の型/形を作り上げた人であるべきだ、との考えがその大人にはあるのだろう。
いくつかの卒業やら完結、区切りを持つことによって子供は大人へと成長あるいは成熟してゆくのだ、とそういう大人たちは考えているように思われる。家族を養っている者の中には、子供は自分の分身ではなく、犬や猫に近しいペットのようなものと考えている者ももちろんいるだろう。「パパ、人間はどうして生きてるの?」などと問う子供はペットのくせに生意気だ、とそういう人は思うだろう。子供は自分の型/形がない危険分子かというと、そうとも限らないのではなかろうか、と最近思う。まったくの無秩序で生きていける子供などいない。秩序を作り上げようとする傾向はむしろ大人より強い。大人の多くは、あやふやで身勝手なルールを世間に通じる秩序だと強引に思い込んでいるだけだ。子供は自分の中の秩序に即さないとダダをこね、秩序の外の事象に出会うと心をカッチリ閉ざす。そのやり方が大人よりも大胆で乱暴で騒々しいというだけなのかもしれぬ。
かつては誰でも毎日何かひらめいていたのではないか、ということに気づかせる録音がこれだ。小中学生たちが合奏中に作った、あるいはでき上がってしまった曲を集めたものだ。上達するためのおけいこの記録ではない。天然の作曲実践による結果発表の趣のあるものだが、誰か指導者に寄り従ってやらされた、という印象がまったくない。無垢とはいえないだろうが、音楽を演ることの驚きがたくさん発見できる。即興演奏は自分の引き出しをひっかきまわすことではない。自分になにができるのか考え直してみろという場であり、身につけてきた多くの秩序の中から自分で血肉化したものの濃度と強度を認定し提出するための修練場である。
先人のありがたい“名作”を学ぶことはお勉強の一種ではなかろうか。音を身に付けることはまず自分の頭の中を常に開き音楽の中で生きているものをつかまえることではなかったかと思わせるものがここには詰まっている。
犬の尻尾をふみつぶしたときに鳴る悲鳴やら人の叫び声などは入っていない。そのかわり楽器と向きあっているそのことの喜び、ただそれだけのことの厳しさがあふれ出ている。小さな気のゆるみが音はもちろん作曲にも大きく作用してしまうのも、そのせいである。誰かの考えに即し続けることのつまらなさに、ズンドコズンドコというリズムで反論している。つたないのでも思慮が足りないのでもない。わがままでいることの楽しさを作曲と合奏によって表現し明るくもあり暗くもあるだろう“自分”を発見する旅の記念でもある。
(「アックス」Vol.20/2001年4月30日発行)

第21回
古謝美佐子『天架ける橋』
なにかによらずブームにしたほうがわかりやすいやつというのは世の中にたくさんいる。自分の中の好き嫌いと世の中の傾向とが合っていると思えないと不安になる人というのもたくさんいる。みんなが好きなら俺も好きといいたいがためにそれを好きになるやつがいる。多くの人が好きなのに自分がそれを好きになれないからといって自分は変なのかと思うやつもいる。そういう変さを誇らしく思うやつもいる。
こんなにいいのにどうしてわからないの、と他人を叱るやつがいる。人の好みをとやかくいうことを商売にしているやつがいる。何によらずとやかくいってないと気が済まないやつがいる。とやかくいわれていちいち気にしないと納得できないやつがいる。とやかく、いちいち、あれこれ、とりあえず、一言ないと自分がだめになったような気がする、というやつがいた。そいつとはもう10年以上会っていないけど、今もあれこれ言っているのか。
て、いうか。
このフレーズを息継ぎに使う者は多い。“て、いうか”は“しかし”とか“と、おっしゃいますが、私はそうではなくかくかくしかじか”という意味で使われることが今は多くない。て、いうか、そんなことどうでもいいじゃねえかというやつのほうが目立っているだけなのだろう。60歳以上で“て、いうか”を連発するおじさんやおばさんにはあまり出会わない。自分たちはマイノリティだから声高に発言しようという人たちもいるが、実はそいつらはマイノリティ気取りの多数派志向、流行の舵取りたがりだったりするのはよくあることだ。マイノリティという自覚によって連帯しようと呼びかけたりする。連帯しようと呼びかけたりする。連帯して権力を持ちたいだけだったりする。
自分が一番可愛いに決まってる。決まっているから他人にやさしくしたりもできるわけで、そんなこといちいちいわなきゃわからねえ世の中は疲れる。
ブームはどうでも、沖縄はずっとあそこにあったし、あるし、あるだろう。俺には年に一度行くことがあるけれど、行くたびに普段よりたくさん空気を吸っているような気がする。去年の12月はだいぶ違っていたけれど。歌は生きていようが死のうが、至るところに生まれるということがそこいらじゅうで感じられるのは、こちらがそう思いたがっているからなのだろうか。古謝美佐子さんのこのアルバムは、どこが特別か、といって、少しも特別な構えがない。こういうものを、聴かせてやるぞ、という風情など一かけらもない。かといって、やったらこうなっちゃったというものであるはずもない。
心をこめる、ということが当たり前の人が歌っている。それが記録されている。いろいろな人が楽しめるようにとの当然の配慮がある。
それが特別に思えてしまうのも情けないことだと思うのだが、そんなことさえ、別にいいじゃないか、と思える美しい音楽だ。清く、愉快だ。陽気で、ふわふわしていて、芯が太い。別に他の何かと較べることなんてない。そんなことは忘れる。お風呂のような。子供と一緒に行った海水浴のだらんとした心地よさを思い出したりした。無理に死ぬことはなかろう。やりたけりゃやればいいというだけのこと。命は誰が授けてくれたのだろう、とこのアルバムを聴いていてふと思った。ふくよかな歌と音。千台の空調機に勝る。ここにはひとかけらの“て、いうか”もない。
(「アックス」Vol.21/2001年6月30日発行)

第22回
シスター・ポール『ハウル!ハウル!』
髪の毛を切らないことが快感だったのかもしれない1973年のある日俺の髪は胸ぐらいの長さになっていた。最近読んだサエキけんぞうの文章によるとマーク・ボランという芸名(本名はマーク・フェルド)のボランBO LANとはボブ・ディランBOB DYLANのBOとLANを取ってくっつけて作ったものだという。マーク・フェルド17歳のころ(1964年頃)にはフォーク・シンガーにあこがれトビー・タイラーと名乗り弾き語りでボブ・ディランの「風に吹かれて」、ディオンの「ザ・ロード・アイム・オン」、ベティー・エヴェレット「ユー・アー・ノー・グッド」の3曲をアセテート盤に吹き込んでいる。マークにボランと“名乗らせ”たのは65年にマークのマネージャーになったマイク・プラスキンだといわれている。プラスキンがボとランをくっつけてみたのだろうか? しかし改名後死ぬまでマークはボランだったのだからもし与えられた名だったとしても「意義なし」との心は感じられる。ボブ・ディランのファンだった節はうかがえなくはないが、でもなんとなくほほえましい話ではある。だいたいT・レックスってブリティッシュ・フォークとロックンロールとR&Bの合体したものでしょう。少なくとも70年代中頃俺はそう思っていたし、だからこそ、その後パンク期にも聴けたしピンとくるもの多数だったのだろうと今にして思う。グラム・ロックはケバいんじゃなくて、まとものようでまともではない美、人によってはできそこないの美、ゆがんではいるけどカッコイイ美、おしゃれすればするほど世ずれているのに麗しいロックで、だからこそ忘れ物を思い出したんだが今さら取りには帰れない切なさがあるのだ。シスター・ポールはそれがソリッドに体現されている、ほんとにものすごくカッコイイバンドです。
初めて見たときの一曲目はボブ・ディランの「風に吹かれて」のカヴァーだったのだが、これが「愛の嵐」を思い出させるほどのいけない夜の空気漂うもので一気に持っていかれてしまった俺。
シールドはベース(クリスタル)もギターもアンプに直結。それだけでもボンクラのナマクラ・ギターしか弾けない俺にとっては尊敬のまなざしの対象になってしまうのだが、リード・ヴォーカルはファルセット(男)でドラムズ(女)とデュエットするのだからまいります。
お化粧の風情が暴走してゆくこのたたみかけているのに優雅さを失わない攻め手は爽快で怪しく妖しい。突き放した詩情には甘えがない。様式としてのグラマラスな振る舞いなどここにはまったくない。どうやってもこうなってしまうどうしようもなさが見事に鋭い。まねっ子をまねっ子と思えないやつらを無理矢理持ち上げる世界的傾向はもはや喰い止める気にもならないが、しかし、ダメなものの毒を吸い込むわけにはいかんわけだからおっとどっこい、やさぐれたふりしてりゃそれですむほど甘くはない。シスター・ポールは、どこからやって来たのかわからないけれど、誰も「どこから来たの?」とたずねない、たずねさせない突き放し力がある。気取っているのではなく、音楽に針や刺やイガイガがあるからだ。うかつに触れると痛いのもまた美。退屈がしばしば暴力の素になるのも人の道。結論と意味だけで事足りるならば歌など無用であり音楽も絵画もなくてよい。グラム・ロックが生きているのではなく、そういうロックは昔からずっとある、ということだが、誰もがシスター・ポールのようにイカすわけではない。それもまた当然のことだが。
(「アックス」Vol.23/2001年10月31日発行)

第23回
ヨーコ・オノ『ブループリント・フォー・ア・サンライズ』
前作『ライジング』のときに作られたリミックス・アルバムで、オノ・ヨーコ、YOKO ONO、小野洋子の存在はやっと、かなりの部分がビートルズ馬鹿たちによる否定的囲い込みから抜け出たのだと俺は思う。
ビートルズのメンバーだったわけではないのにビートルズ・ファンからこれだけぼろくそに言われ続けた人はいない。むしろ叩かれれば叩かれるほど強くなってしまったので、叩くほうもムキになっていただろう。ビートルズのファンの多くは“ビートルズ的”なもののヴィジョンをすでに固定されたものとしてきちんと神棚に乗せているからつける薬はない。世紀の毒婦であり、ジョン・レノンの才能を蒸発させた悪魔と言われ続けてきたヨーコ・オノは、30年近くこの地球上でも有数のババだった。俺はこれまで何度かオノ・ヨーコに関する賛辞を書き記して来た。それはむしろ世間に「あいつがほめているんだからやっぱりヨーコはゲテモノなんだ」との認識を高める効果をもたらしてしまったのではないか、と思う。しかしなにゆえに俺のところに原稿依頼が来たかというと、いわゆるロック系の音楽評論をやる人たちでヨーコの作品をすすんで聴いてきてしかもそれについて原稿を書こうという人がほとんどいなかったからだ。もっと高名な“いわゆるビートルズ系ライター”はたくさんいらっしゃるのに、俺のようなウツケ者がヨーコさんについて語るなんて申しわけないと思えてならなかった。
しかし、ヨーコさんのようなアーティストが世間にひょいひょいと受け入れられるなんてこともまた妙であり、世間は間口を広げているとはいえ、アートはアートであり、いやがらせと背中合わせは宿命だ。
『ライジング』のリミックス・アルバムに入っているサーストン・ムーアの作品は、日本のノイザーたち、メルツバウ、マゾンナ、インキャパシタンツ、暴力温泉芸者、CCCC、ハナタラシ、AUBE、モンド・ブルーイッツ、ゲロゲリゲゲゲ、灰野敬二の音を紡ぎ合わせヨーコさんのヴォーカルと結合させたものである。その文脈のなんという鮮やかさ。日本がノイズ大国であることの歴史の中では、小杉武久や刀根康尚はもちろんだが、小野洋子という巨星が北極星の如く光を放っている。まさかそれを忘れたわけではなかろうに、とサーストン・ムーアは告げたのであった。
ショーン・レノンはヨーコ・オノの音楽仲間のひとりである。『ライジング』から6年を経たこのアルバムでもショーンはイイギターを聴かせてくれる。「マルベリー」は昔ジョン(ギター)とヨーコ(ヴォーカル)でやった曲で、そのときの録音はCDの『「未完成」作品第2番 ライフ・ウィズ・ザ・ライオンズ』にボーナス・トラックとして入っている。今回はそれをショーンとヨーコでやっている。このアルバム全体が戦争と人間をテーマにしているが、「マルベリー」は第2次大戦中に疎開先で腹をすかせた弟のために何か食料を、と桑の実を探して野山をさまようヨーコの心を描いたものだという。
愛と平和という言葉が闘争に支えられているならば、夢はどのような色彩を持つのか。大量殺人の夢、爆撃の夢、いかなるヴィジョンにせよ夢は持たれてしまう。それぞれの夢と夢とが闘争の種子となる。勝ち取るのではない。戦いは長い。勝利も敗北ももはや無縁となる地平が出現するほど長い戦いの中で、それでも平和を想像し創造することのできる者に幸あれと祈る。戦争は産業である。感傷は邪魔である。耳が無限の大宇宙に向けて立っているヨーコ・オノの無意識は9月11日のニューヨークをはるか以前にとらえていた。それを思い知らされるこのアルバムは薄墨色の未来へのささやかで冷徹な夢の束。
(「アックス」Vol.24/2001年12月31日発行)
書き下ろし解説
ローレン・マザケイン・コナーズの回は心にどんよりと動かしがたい悲しみと怒りによって書いたものである。殺人をこれほど身近に感じていた時期は、それ以前も以後もない。今後あるかもしれないが、この時はやるせないというよりは、心が前に進まない日々が続いていた。自分の至近距離で事故ではなく、因果による意志を持って行われた殺人と出会った。風景が変わる。変えられた。俺の周囲の多くの人がいくつもの変化にさらされた。子供を育てるということは子供を守るということだ。それを以前よりも強く意識させられた。それまでがゆるかったとは思わないが。いや、ゆるさに甘んじではいなかったか、と無理矢理問われたのだ。だからといって規律を新しく作って新しい反省の下に新しい正しさを求める気にはなれない。外からの規律ではなく、自覚だと思った。
20数年が経ってもそれは変わらない。音楽は規律を解くものだ。音楽は人を縛るものではない。技術を高めようと努力することが、規律をもって人を定めることになっては苦しみが増すだけだと思う。努力は各々が勝手にするものだ。その事件と遭遇したことでそれ以前よりもさらに、流行歌の歌詞が虚しく感じられるようになった。さらりと歌われる歌詞を求めるようになった。一人称で心情を説明している歌がどんどん嫌いになっていった。そういうとき、音は正直に直接身に響いていた。歌は意味ではなく音そのものであればいいのに、と思うこともよくあった。目的や意義、理由や価値を音楽に求めるなんてつまらないことだ。感応があればいい。言葉にするためには、障害がある。それを乗り越える努力はいくつかしてきたし、今も少しはしている。音楽を聴くことがときどき勉強になってしまうのはそのためなのです。