- インタビュー
- 2025年5月4日
『朝の火』広田智大監督インタビュー&作品レビュー
4月26日からシアター・イメージフォーラムでレイトロードショー中の映画『朝の火』は、約5年をかけて完成された広田智大監督の初⻑編映画です。元号が変わる”時代の節目”を、閉じられた場所で生きる人々の姿を通して描いた同作について、広田監督が語ったインタビュー、そして樋口泰人が書いた作品評を特別掲載します。
広田智大監督インタビュー
聞き手・構成=樋口泰人
――広田監督はこれまでどういう音楽を聴いてきたんですか? 『残光』『ひこうせんより』でのオルガンという選択は珍しいなと。
ほとんど音楽を聴いてこなくて、どちらかというと音楽が嫌いなほうなんです。率直にいえば映画で音楽を使うのが好きではない、ということにもなりますが、それでも使うとなった時には「音楽」ではなく「音」として捉えていました。つまり環境音の一部として存在していて欲しい。
『残光』でオルガンを使ったのは、宗教を描く作品で登場するパイプオルガンに自分の映画体験の原風景を感じていたのかもしれません。個人的に欧州の作品ばかり観ていたので、耳にする機会が多かったんです。ただ、日本では日常的にオルガンの音に触れる機会は多くないので、映画音楽として使うのは浮いてしまうのではないか? という懸念がありました。なので、楽器自体も画面の中に登場させて視覚的にもオルガンの情報を与えた上で鳴らしたんです。
――『朝の火』ではハーモニカが出てきます。その音と、ラストシーンで流れるピアノの音というのが対照的に使われている気がしました。ハーモニカやオルガンは空気を通すことで音が出ますが、ピアノは打楽器としてあるというか。
あまり深くは意識していませんでした。ハーモニカの音は呼吸がダイレクトに伝わってしまう生々しさがあって、祐一(山本圭将)の声を代弁する道具として面白いんじゃないかと思っていました。ピアノの音はラストシーンで踊る小磯松美さんが鳴らしている鼓動のようなものというか、小磯さんの身体が動くとピアノの音が鳴るべくして鳴ってしまうというか。登場人物がそれぞれ持っている音を当てはめていきました。
――水槽が破壊されるシーンが象徴的でした。ほかにも、傘に雨が当たる音が焚き火のようにも聴こえましたがが、水の扱い方はどう意識していましたか?
音としての効果より、意味合いの方が大きかったですね。火と対極のものを出そうとは最初から考えていました。火の残酷さと、水の吐き出すイメージというか、水槽のガラスが割れるような暴力的なシーンでも優しい水の音がする。暴力だけじゃない優しさみたいなものを画面の中に置いておきたかったんです。水のピチピチと、焚き火のパチパチといった短音の似ている部分は、さっきのオルガンのように好みが出ていたのかもしれません。
――これまでどの作品も閉じられた空間を描いていますが、どのようなアイデアなのでしょう?
まず、僕自身がクローズドな人間だということがあります。現代のグローバリズム的な風潮からしたら真逆で、半径1メートルの内側だけでも十分世界が広がっていて、それより外側を自分の作品では出す必要がないと思っているんです。カットとカットの間の黒味や、直接的には描いていない部分に外側の世界がある。映画は、人に観てもらうという行為自体が外へいくものなので、そのぶん内省的な映画をつくってきました。
――そういった考え方も含め、中国映画的だなと思いました。国家的な問題もあって、自分たちが閉じ込められたところにいるという意識が必ずある。政府の目を気にしながら、見せないことで世界の広がりを見せていくってことをしているのかなと。
普段から窮屈さというものに関しては「映画づくり」という環境自体に対しても強く感じていました。映画関係者たちの中でつくられている映画。そもそも日本での映画づくりの環境がクローズドで、世界に広がっているように見せているだけなのではないかと。そういうことにも息苦しさを感じて映画から離れていた部分もあるので、日本映画という枠組みから外れるべき映画をつくらなければ意味がないと考えながら作業をしていました。しかし、それが実験映画になってしまってもいけない、そのバランスに苦心しながら完成までの5年間を過ごしていましたね。社会という大きい目で見るより、隣人同士の壁というのが僕にとっては大きくて、それで閉じた映画になっていったと思います。

――スタッフとそういう想いを共有するのは大変だったのでは?
そうですね。大部分のスタッフには詳細を共有せず、カメラマンにだけは伝えていました。脚本も、周囲の意見を聞いて幅を広げていくということも大事ですが、自分の勘違いで物語を進めてもいいと思っているので、なぜこの作品をつくるのかってことから共有せずに自分と純粋に向き合っていました。当然、それに付いてきてくれるスタッフは少ないので(笑)、短編・中編映画を制作していた頃からの信じられる、僕のことを人間として理解してくれる人に声をかけて、スタッフもクローズドで撮影していました。
――"わからない”ままで進めるという点で撮影には時間がかかりました?
僕にとっては現場で起こったこと全てが自分の想像を超えたことで、役者がそのシーンのカットをしっかり理解できなくて顔に出ているとか、迷いのある演技が出てしまっているようなことも含めてその瞬間をカメラに収めようという気持ちがありました。テイクを重ねることも少なくて、カメラが揺れたとしてもダメってことではなく、映画に活かせるなら十分OKテイクになり得るものだなと思いながら臨んでいました。画角で悩むことはありましたが、お芝居で時間がかかることはなかったです。
――現場ではカメラマンや俳優たちにどのくらい指示をしていましたか?
結構細かく、指で目を閉じるカットでは指の位置とか、仕草的な部分は口うるさかったと思います。立ち位置含めた動きだけ指示をして、その時の感情やセリフの捉え方はお任せしていました。脚本には書いてないけど笑うとか、涙を流すとか。
――カメラマンとのやりとりはどのように?
今回の撮影は鈴木余位さんという詩人の方で、この映画を撮る前から「人為的じゃない画角ってなんだろう」という話をしていました。電源を切り忘れたカメラが捉えたものを見た時に、とんでもない瞬間があるなと思っていました。空間があって俳優がいてカメラをどこに置くか考える、そういうことを超える無意識のフレームの美しさがあって。カメラを孤独にするというか、それを人為的につくるわけですが、それをどうしたらいいか試行錯誤していましたね。納得いくけど不完全なフレームを目指して、色々なことを現場で試しながらやっていました。
――照明はくっきり陰影の付いている部分と、遊びのような部分がありました。現場で決めていたのですか?
現場で決めていました。照明部も、僕が普通に撮るつもりがないと気がついてくれて。最初の数日間はぎこちない体制でしたが、後半は様々な意図を感じ取ってくれたのでお任せしながらやっていました。電子レンジを勝手に光らせてくれたり、演出に大きいイメージを与えるような照明を組んでくれて。ありえないことの連続が画面上で起きたらいいなと思っていました。
――カメラの位置もそうですが、どこで撮影するかというのも大きいのでは?
撮影地は、僕の生まれ育った埼玉県の桶川市です。大学時代に青山(真治)さんが「長編一作目は生まれ育った場所で」と話されていて、映画をこれからもつくっていこうと考える中で自分の出自と向き合った方がいいんじゃないかと思い始めました。本来実家ってあまり撮りたくないものではないかと思いますが、それを中心に置く必要があるんだろうなと。嫌でも実家を出して、自分が通っていた道などの見慣れた、強い思い入れがあるわけではない場所をロケ地にしていこうとしたときに、愛情があるのかないのかわからないような土地という矛盾は嫌悪感も含めて写ってくれる気がしてきたんです。
――ゴミ処理施設を選んだのは?
色々な時代のものや、人との繋がりを感じるもの、壊れているだけでまだ使えるものが集まって、ゴミとして一括りにされてしまう捻れた空間があるからです。次郎(福本剛士)がゴミの山から登場するシーンは、見方を変えれば人もゴミのようなもので、焼却炉の丸窓の内と外とで区別はされているものの、様々な「生」が混ざった場所から始まりたいと考えていました。

――時間が直線的に進むようで進まないというアイデアはどこから?
現実の時間が進んでいないように僕自身が感じでいるんですよね。もともと『朝の火』の時間感覚のモデルは自分自身の生活にあったんですが、ほとんど寝ているような時間を過ごしていた時期があって。ほとんど夢の中で生活をしていたので夢を現実と捉えながら生きていました。日付や数字を意識しているから時間が進んでいるのであって、孤独な時間の中では時間が進んでいませんでした。そんな体感を持ちながら脚本を書いていたことが大きいです。
ちょうどそのタイミングで平成から元号が変わるというニュースを見て、自分の都合とは関係なく元号は変わっていくのかと思いました。平成が終わると聞いても、どこかで終わらないと感じて、そのときに込み上げてきた寂しさの理由を考え始めました。それまでも違う物語で脚本は書いていましたが、初めて焦って書いたというか、今しかないという気持ちが生まれたんです。
――色々な夢の泡のような繋がりが映画に湧き出ているようなイメージなんですかね。普通に映画をつくろうとしたときに説明が難しそうです。
めちゃくちゃ感じています。でも僕は人と映画がつくりたい(笑)。シナリオや企画書だけでは伝わらないものがあって、それを説明する技量も持ち合わせていないのでまずは撮りました。こういうことだと説明ができる映画があれば、この先新しいシナリオを読む人の印象も変わってくれるのではないかという希望も込めて……。自分のスタイルというか、剥き出しのフレームを押し出したかったんです。言語を映画で獲得しようともがいている最中です。
――色々なことが繰り返されていく物語ですが、その繰り返しはどういう意識のなかから生まれてきているものなのでしょう?
社会を見ていると繰り返しながら変化していく構造があって、平成から令和に変わるように昭和から平成に変わることを経験している人がいて、繰り返しの中でまた違う繰り返しが生まれるような大きな渦に入っていくんです。生活もそうですし、日が昇って暮れるみたいなことが人生の主役でなければいけない部分もありながら、反復が人を殺すこともあります。そのバランスを模索し続けるのが生活であり、模索させてくれるのが社会でもある。そこには、劇的にするのではなく小さな単位でしか語れない大きさがあると思っています。僕には繰り返ししかなくて、描くべき人生の“点”がないんです。そこから抜け出す大きな物語に憧れるのではなくて、いまこの瞬間を肯定する映画をつくらないとやってられませんでした。自分の生活を肯定したいという気持ちが映画にも色濃く出ていて、肯定すると共に叫んでいる。この先も抜け出すことはできないと思いますが、抜け出そうというものにしか映画を見出すことはできないだろうとも思います。
――いわゆるミニマリズム的な反復とは根本的に何かが違う部分があって、かつて見たことのない繰り返しのあり方なので、閉ざされた場所と夢のあり方と、どこかで繋がっているんだろうと思います。繰り返しを意識したのはいつから?
高校時代に観た押井守監督の『スカイ・クロラ』という作品から少なからず影響は受けていると思います。平和と戦争、そして時間がテーマになっているのですが初めはまったく理解ができなくて、深く見ていくと自分自身が置かれている状況が戦前なのか戦後なのかわからなくなってくる。東日本大震災が起きると同時に大学へ入学したんですが、その時に感じた自分も時代をつくる加害者であり被害者なのだという意識はずっとあります。知らず知らずのうちに何かを繰り返していて、自分で自分をつくっていないことに気づき始める。それが映画を撮ろうと思うきっかけにはなりました。答えがない問題にぶつかったとき、前に進むことも戻ることも嘘な気がしてしまいますが、答えを出さずに提示だけをして、提示したものから広がっていくものに希望を見出しているところがあるのだと思います。
広田智大(ひろた・ともひろ)
1992年生まれ。多摩美術大学映像演劇学科在学中に、青山真治監督のもとで映画に触れる。在学中に制作した『残光』(14)はイメージフォーラム・フェスティバル2014のジャパン・トゥモロウ部門に、『ひこうせんより』(15)は第4回なら国際映画祭NARA-wave部門へ出品された。卒業後はフリーで映画、CM、MVなどの制作部をしながら作品を制作している。

密室を通り抜ける風
文=樋口泰人
いったいその町はどこなのか監督によれば実家のある埼玉県桶川市で撮影したということなのだが映画に映るその場所がどこなのか日本のどのあたりと特定できるようなわかりやすいサインもなく時折映る町の風景も例えばその先に行けば東京や大阪といった大都市があるそんな地方都市のはずれの街のようにも見えるしどこまで行っても山だらけの途方もないど田舎のようにも見えるし何よりもまず現在の話なのかどうかも怪しい。密室劇というわけでもなくゴミ処理施設のでかい建物やだだっ広い駐車場や走るトラックの荷台からは確かにそれがどこかには続いているらしい山道の道筋がはっきり見えるわけだからこの空間の密閉感は視覚的なものだけではないはずだ。見知らぬ場所ではなくあくまでも自分とつながりのある場所であるそこは主人公たちだけではなくそれを観るわれわれにとってもどこか見知った場所でありしかしそれが見知った場所であればあるほどどこでもない場所となって単にその空間と場所の重さが呪いのようにわれわれを押しつぶしにかかるその重さをわれわれはどんなふうに受け止めたらいいのかもわからぬまままるで処理場に山積みされたごみ袋のように画面を埋める墓石の列を観ることになるのである。もはやこの時点で時制がわからなくなるのだがつまりわれわれが生きているのか死んでいるのか登場人物たちが生きているのか死んでいるのか生きているものも死んだものもとりあえず区別なくそこに現れているのかいや生きているものも死んだものもあらゆるものが平等にこのゴミの集積場に集まって積み重なりその積み重なりの重さによってわれわれを生から死への一本の道筋の中に押し込めてまるでこのわれわれのそれぞれの生と死を含みわれわれの知らないあらゆることを見晴らすことができる場所があるのではないかと思わせ続ける規格化された時間のシステムが歪み積み重なったごみのそれぞれの時間がそれぞれのタイミングで動き出しつまり世界はまったくうまくいかなくなるのである。世界どころかこの自分の発言も行動も怪しい。いったい自分は今なぜなにのためにここにいるのかここにいて何をしているのか同僚はなぜゴミの山の中から捨てられた人形たちを拾い出し集めているのか先輩は家庭もないのになぜ子供が生まれる話をまるで現実のように話すのかいや本当は家庭があるのかそれらすべてのつながりがもはやまったく欠けているのはただただこの映画にとってあるいは広田智大という監督にとって「世界」という存在自体がないことの証明であるだろう。「世界」ではなく「カメラ」と言ってもいい。世界を見渡す視線がどこかにあるこの物語のすべてを語ることのできる透明な語り手がどこかにいるというそんな一元化された世界に誰もが従いあるいは反発ししかし反発することでカメラはますます凶暴に生き残り世界を示してきたわけだが広田智大はまるで墓場のシーンに降る雨の傘を叩く音が焚火の火花の音のようにも聞こえるようなしぐさでカメラによって世界をとらえようとするわけである。この世界のすべてを見渡す視点を示すカメラや語り手の機能不全こそこの世界を生きるわれわれの大前提でありそれゆえにその山の向こうにまで続いているはずの道を希望や絶望とともに歩むこともなくただただ日々繰り返しそこを歩みそれでもそこには微妙に違う時間が流れ心は揺れ思い惑うそれだけのことを広田智大の映画は宣言する。今ここにあるものあると信じられているものにふと違う場所から息を吹きかけるあるいは吹きかけられる。たとえばいったいその長さが本当に必要なのかどうか誰にも判別がつかないものの必要以上には充分長いと思われる焚火の炎を映したシーンだったかその前後だったかで聴こえてくるハーモニカの小さな音はもちろん西部劇の時代へのオマージュでもあるのかもしれないがそこにはそんな映画的な記憶だけではないどこかに捨てられたごみのため息なのか叫びなのかがハーモニカに流れ込み音を出しているとでも言いたくなるようなつながりを欠いたでたらめな空気の動きが示されていてそこにはありえないもののそんな不意の出現がこの映画の奇妙な閉塞感と開放感を作り上げているはずだ。以前に作られた短編『残光』『ひこうせんより』ではオルガンが大胆な使われ方をしていたのだがオルガンもまた空気がそこを通過することによってはじめて音が鳴る楽器でありしかもそのふたつの短編は『朝の火』に比べてさらに密閉感は高くいったいオルガンを鳴らすその風はどこから吹いてくるのかしかしあくまでも広田智大の映画はその風によって作られているのだと言いたくもなる。密室を通り抜ける風の映画。そんな語義矛盾をものともしないその息吹の持つ視線こそがわれわれの映画を作り上げるのだ。『残光』で撮影を務めた甫木元空の『はだかのゆめ』の母親がふともらす吐息、『ひこうせんより』の撮影である川添彩が『とおぼえ』で意図的にフィルムを感光させるためにカメラの中に入れ込んだという光……。そしてそこではわたしがわたしではない世界をわたしとして生きるその世界の姿をようやく映画がとらえ始めるそんな期待に満ちた思いが湧きあがるのだがそれはまったく簡単なことではないしあり得ないことかもしれないし必要とされていないことかもしれない。困難な歩行は繰り返される。もちろんそれはまったく同じ繰り返しではないのだとしても。
朝の火
出演:笠島智、山本圭将、福本剛士、須森隆文、小磯松美、鈴木余位、安藤朋子、真千せとか、立脇実季、坂爪健
監督・脚本・編集:広田智大
撮影:鈴木余位/照明:嘉正帆奈、岩橋優花/録音:池田沙月、植原美月/美術:土田寛也/助監督:甫木元空、栗原翔/制作:望月ひかる、佐々木希円/ヘアメイク:嵯峨千陽/衣装:大沼史歩/振付:アオキ裕キ/サウンドデザイン:木村健太郎/主題歌:寺尾紗穂「柿の歌」
2024年/日本/82分/配給:マイナーリーグ、boid
©2024「朝の火」
公式サイト
シアター・イメージフォーラムにて3週間限定上映中。以降、全国順次公開
樋口泰人
映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『そこから先は別世界 妄想映画日記2021-2023』(boid)、『映画は爆音でささやく』(同)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。boidマガジン連載中の「妄想映画日記」の3年分をまとめた書籍『そこから先は別世界 妄想映画日記2020ー2023』が2024年12月に発売された。