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  • 2025年3月24日

ADMの破片を探して 第6回

Soi48の連載「ADMの破片を探して」の第6回です。前回のインドネシアからタイのレゲエ・ヒップホップ・アーティスト、モンキーキング主催のダンスホール・レゲエ・イベント「Dancehall Nightagain」へ出演するためにバンコクへと向かった一行。ADMリサーチから辿り着いたダンスホール・レゲエ、ジャパレゲ(ジャパニーズ・レゲエ)との共通点などについて書かれています。
クアラルンプールでのADM潜入調査-1.JPG 314.01 KB



文・写真=Soi48



インドネシア、バンドンで開催された野外フェス「LEGOK KIARA FESTIVAL」の出演を終えたOMKクルー一行。マレーシアを経由して旅の最終目的地タイへと辿り着く。今回はOMK第二の故郷タイで出演した「Dancehall Nightagain」について書いていきたいと思う。
 

タイ入りの前日はマレーシア、クアラルンプールでのクラブ巡りだった。翌日は早朝フライトだったが、”ホテルに戻りシャワーを浴びて飛行機で寝ればOK”を合言葉に朝4時まで潜入調査を行った。マレーシア人が遊びに行く一般的なクラブはエントランス料金が酒代である。エントランスにはやり手の美人ママが座っていて、遊びに来た人数に合わせてウイスキーやビールの盛り合わせを勧めてくる。軽くクラブを覗きたいだけだからビール1本だけなんて考えは通用しない。クアラルンプールのクラブ潜入調査に参加したOMKクルーは4人だったので最低500マレーシア・リンギット (約17000円)以上 のコンボを薦められた。エントランスで戸惑う日本人を尻目に地元のマレーシア人は2万円以上するウイスキーを当たり前のように注文し次々とクラブの中に入って行く。OMKの身の丈にあった遊びではないが観光客相手のぼったくり商売では無い以上支払う以外選択肢は無い。飲めもしないビール20本とおつまみが付いたコンボセットを注文してクラブに潜入することとなった。世界には入りたくても入れないナイトクラブが多数存在する。金で解決できるなら安いものだ。今回のクアラルンプール滞在はわずか半日。入場してある程度クラブの様子がわかったら酒が残っていても次のクラブへ移動する。こうしてオープンの23:00から3件のクラブを巡り一睡もぜず空港へと向かった。

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クアラルンプールでのADM潜入調査

クアラルンプール国際空港に着いたら 金正男暗殺事件で有名なLCC専用ターミナル「klia2」へと向かう。チェックイン・カウンターに並んでいると「自動チェックイン・システムを使ってください。預け入れ荷物だけカウンターで受け取ります」と係員に言われた。さすがLCCの王様エア・アジアの本拠地。人件費を削って機械化していると感心したが、自動チェックイン・システム自体が壊れている。チェックイン・カウンターに戻っても、ここではチェックインできないの一点張りで、たらい回しにさせられた。こうして余裕があった搭乗時間も無くなり足速に荷物検査と出国手続きを終え、朝食と水を買い搭乗ゲートへと向かう。搭乗ゲートの前にはさらに荷物検査があり5分前に買った200円の水は没収された。無駄な自動化と、くどい荷物検査。今振り返ってみるとこの雑なシステムと対応、アジアだな〜と笑い話となるのだが、クラブ巡りの疲れと二日酔いでOMK一行のイライラは限界に達していた。
 
金正男氏殺害、深まる謎

空の上で2時間分眠してバンコク、ドンムアン空港に到着するとイミグレーション・カウンターはガラガラ。面倒なビザの支払い、入国カードの記入もなくスムーズに入国できた。いつも通りドンムアン空港の3階にある出発ロビーからタクシーに乗る。本来タクシーは到着ロビーにあるタクシーの列に並んで乗車しなければならないが、出発ロビーまで客を乗せてきたタクシーに声をかけて拾う。まさにサバーイ国(タイ語で心地よいの意味)。タイは最高と感じつつも何事もスムーズに行かなかったインドネシアが少し恋しくなった。
 
OMKが出演した「Dancehall Nightagain」はタイのレゲエ・ヒップホップ・アーティスト、モンキーキングが主催するダンスホール・レゲエ・イベントだ。OMKとダンスホール・レゲエの出会いは2018年冬に取材したタイ産ADMサイヨーのインフルエンサー、DJ BALLがきっかけだった。彼を取材した理由は容姿のいいイケメンDJでもなく、選曲が個性的でもないのにも関わらず女性客から圧倒的な人気を誇っていたからだ。何度も彼の現場に足を運ぶにつれ見えてきたのはMC技術の高さだった。DJ BALLが喋ると女性客が盛り上がる。コロナ禍のTikTokを使った配信パーティーでも彼のMCは炸裂し、サイヨー界で一番で稼ぐ配信チャンネルとなった。DJ BALLが何を話しているのか知りたくてタイ人の友達に言葉を分析してもらうことにした。
 
「股を開く準備ができているやつ手を上げろ」
「これからみんなで○○○するぞ。ギャル達繋がって輪になれ」
 
こんな言葉は序の口で文字にするのも憚れる単語が次々と並ぶ。その場面場面を切り取ればコンプライアンスNGなのだが、巧みな話術で客と言葉のキャッチボールをしているからフロアは大盛り上がり。サイヨーが観光客が集まるクラブでプレイ禁止になっていたり、タイ人のインテリ層からから嫌われている理由はこのようなMC文化があることも一つの理由である。
DJ BALLのプレイを目の当たりにした時、日本に喋りが上手くて、煽るのが得意なDJはいるのだろうかと疑問に思った。イギリスではドラムンベースやダブステップの現場にMCはつきものだが、日本ではビートだけを流しているパーティーがほとんどだ。EDMやTOP40が流れる所謂チャラ箱でも定型文の煽りMCはあるものの客と会話して盛り上げてはいない。
Dancehall Nightagain

1500 เป็นเหตุสังเกตุได้
 
そんな事を考えている時に頭に浮かんだのが大阪のレゲエサウンド Red Spiderだった。Red Spiderはジャパレゲ(ジャパニーズ・レゲエ=日本産レゲエの略 ※そもそもレゲエはグローバルな音楽だから国の名前付けて小分類化するのは良く無いとしてジャパレゲという言葉を嫌っているアーティストもいる)を代表するアーティストで一人で曲をプレイし、MCを行う。日本、ジャマイカ、UKなど世界各国のアーティストと信頼関係を築きダブと呼ばれる自分しかプレイできない楽曲を制作し、一人で武道館を埋めてしまうレゲエ界のメジャー・アーティストである。そんな彼の定番MCにこんなものがある。
 
「盛り上がりたいやつ手を上げろ」
と煽って恥ずかしがって手をあげていない客に向かって
「お前はワキガか」
と突っ込む。
 
その毒舌と客いじりはDJ BALLそのものだった。コンプライアンスに引っかかるような事でも、絶妙の言葉選びとタイミングでMCにのせる。それでトラブルにならないのはDJと客の間に信頼関係があるからである。元々レゲエのレコードを集めていて、ダンスホール・レゲエも聞いていたが、ジャパレゲを音楽として真剣に向き合ったのはDJ BALLに出会ってからだった。
 
RED SPIDER 緊急事態 ~ONE SOUND DANCE~ 2010 MOVIE
 
ADMとジャパレゲに共通して言えるのが、自国の多くの人から軽蔑されている点である。ブギーマン、湘南乃風、瑛人のように国民的ヒット曲を生み出しても音楽メディアで特集される事もないし、シティポップのように海外のレコード・コレクターが血眼になって探す事もない。2020年に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行がはじまり、OMKにも海外に行けない日々が訪れる。レゲエのライブは”現場”と呼ばれる。パーティーをする会場を探し、大きなサウンドシステムを搬入し、DJが音楽を選び、シンガーが歌う。パーティーを1から築き上げるレゲエ特有の”現場”はコロナ禍のインターネットの見過ぎで頭でっかちになってしまった脳のデトックスに最適だった。OMKの仲間たちはレゲエの”現場”に足を運び、ジャパレゲのレコードを買い漁るようになる。
 
モーラムの時もそうだったが、レコードを集めると大きな音でプレイしたい欲が出てくる。ましてレゲエやダブは大音量で聞いてこそなんぼである。こうして結成されたのがジャパレゲを好き勝手にプレイする謎のDJ集団凡愚クルーである。メンバーは俚謡山脈の佐藤さん、モノラルミニプラグのノエル、ワンメコンやstillichimiyaのPVでお馴染みの青木ルーカス、若手ラッパーのダイナマイトキッドことランキン・チビ、そしてSoi48の宇都木である。凡愚クルーを結成したのには理由があった。いくらこちら側が本気でジャパレゲを掘って愛していても、レコード・コレクターやDJから理解されないと思ったからだ。コロナ禍ではトークイベントを開いてお客様に直接魅力を伝える事もままならない。Soi48パーティーではタイのレコードを使ってDJするのを止めて、少しずつADMを広めてきた。現在進行形のダンスミュージックをプレイする事で失った客もいるが、新規の客もいる。僕らが紹介する音楽を信じて毎回来てくれる古くからの常連さんもいる。いくら自分の中でしっかりとしたストーリーがあってもSoi48パーティーでいきなりジャパレゲをプレイしたら積み上げてきたもの全てが崩れる気がした。15年前のモーラム同様、ジャパレゲはレコード好きから無視されてきたジャンルなのである。Soi48、俚謡山脈、モノラルミニプラグの名前を出さない匿名の凡愚クルーなら好き勝手にジャパレゲをかけることができる。凡愚クルーは、告知を一切しない、好きな音楽しかプレイしない、客や他の共演者の空気は読まない、その代わり出演料は最低限でOKといったわがままな条件で活動をスタートした。現場では意外と反応が良いと感じる時もあったし、「Soi48の人ですよね? 今日はタイ・レコード回さないんですか?」と言われ落ち込んだ事もあった。それでもジャパレゲをプレイしていて楽しかったのは日本語だった事だ。レゲエのセレクターをやる上で歌詞の意味を考えて選曲するのは最も重要な事である。タイの歌謡ジャンル”ルークトゥン”は「歌詞の文化」なので、歌詞に合わせたDJプレイもしていたが、タイ語なので客の反応は期待できない。ジャパレゲには酒、女、社会、世界、マリファナ・・・幅広くユニークな歌詞の楽曲が多数存在する。リズムだけでなく歌詞もパズルのように組み合わせて曲を選ぶことが出来たのだ。
 
おかん / FAT SANTA

Kyokaisen / PAPA U-Gee
 
凡愚クルーの活動は3回でストップしたが、日本のレゲエ文化に興味を持ったOMKは日本のジャマイカ、ジャパレゲの聖地と言っても過言ではない大阪泉州で野外レイヴを企画する。2022年10月23日「Soi48 VOL.47 魚市場でやりまわしSPECIAL」ではアンビエント、実験音楽、ジャングルなど大阪出身の様々なゲストを招聘して、お客さんに泉州産レゲエを生で体感してもらった。最初はお客さんの反応を気にして紹介するのを隠していたジャパレゲもストーリーを作って紹介すると違和感なく受け入れられたことに感動した。地道な活動が実った結果、2024年8月関西を代表するカルチャー誌「Meets Regional」で泉州エリアが特集された。俚謡山脈の佐藤さんが泉州のレゲエの魅力を伝えているので興味を持った読者は是非ともチェックしてもらいたい。岸和田のシネコンではボブ・マーリーの映画が記録的ロングランになっているなど、ローカル特有の情報を知ることができる貴重な雑誌に仕上がっている。
魚市場でやりまわし

OMKとダンスホール・レゲエの出会いのストーリーをわかってもらったところで話を「Dancehall Nightagain」に戻そう。このパーティーを主催しているモンキーキングはウドンターニー県出身のイサーン人でイサーン音楽とダンスホール・レゲエを初めて融合させた人物である。トラックにケーンやピンの音を入れたり、イサーン語で歌う。泉州レゲエのアーティストがだんじりの太鼓や笛をサンプリングしてオケにのせるように地元を大事にするレゲエの文化はタイでも変わらない。それではダンスホール・レゲエはどのようにタイに伝わったのだろうか? 1990年代初頭に欧米を経由して伝わったが、当時は知る人ぞ知る存在だった。1990年代中頃になるとタイ人ラッパー、ジョイ・ボーイがダンスホール・レゲエをタイ・ヒップホップと融合させる。そして2000年代に入りダンスホール・レゲエに特化したパーティーが生まれるのだが、そこに一役買っていたのが日本人だった。つまりジャマイカに行って現地のグルーヴを体験した日本人がタイで本格的なダンスホール・パーティーをはじめたのだ。このことは「OMK新聞」に詳しく書かれているので興味のある人は是非手に取ってもらいたい。
 
オール阪神&ブッキーランキン「ザ.だんじりマン」PR版

MONKEYKING420【LIVE】| งานปาร์ตี้ DANCEHALL NIGHT AGAIN 2

一度は盛り上がったタイのダンスホール・レゲエだったが、プレイヤーが少ないこともあり2010年代に入ってから人気は下降線になる。若者はラッパーに憧れるし、レゲエに興味を持ってもフェス向きのルーツ・レゲエ・バンドばかりが重宝されタイのダンスホール・レゲエ・シーンは絶滅状態に陥る。そんな中、モンキーキングはタイ全土を回りダンスホール・レゲエに興味を持った若者に楽曲の制作方法を伝授し、地道に啓蒙活動を続けていた。2023年、思いがけない所からモンキーキングにダンスホール・レゲエのパーティーを開催してくれと連絡が来る。女性ダンサーがダンススクールで踊りを習っても披露する場所が無いと困っていたのである。タイのクラブは通常フロアにテーブルが並んでいるのでのびのびとダンスをするスペースが無い。00年代ダンスホール・レゲエに夢中になっていたダンスの先生は00年代にあったダンスホール・レゲエ・パーティーのように自由に踊れる現場が現在の若いダンサーにも必要だと考えてモンキーキングに相談をしたのだった。この考えに賛同したのがタイを代表する大物ラッパー、ファッキンヒーローのバックDJ、TNTである。TNTは10代の頃ダンスホール・レゲエ・パーティーに足を運びDJのキャリアをスタートした。その時TNTにDJのスキルを教えたのがタイ・ヒップホップのパイオニア、ジョイボーイの専属DJ、スパイダーモンキーだった。

Slow Motion (ระวังมันส์ชนโอ๋!!) - Joey Boy 【OFFICIAL MV】
 
F.HERO Ft. JSPKK x ลำไย ไหทองคำ x M-PEE - ไม่สนิทบิดหมด (Thai Riders Anthem) [Official MV]
 
こうしてタイを代表するラッパーのバックDJ 2人とOMK一行は「Dancehall Nightagain」で共演することとなった。タイを代表する大物DJ 2人が見守る中、青木ルーカスがプレイしたのは泉州レゲエを代表する45「TEPPEN」だった。そこから2000年代に大流行したビック・リディムDIWARIへと接続する。青木ルーカスのプレイにTNTもスパイダーモンキーも大絶賛。プレイ動画をTNTとスパイダーモンキーがSNSにアップしタイを代表する大物ラッパー2人のインスタグラム・ストーリーで拡散される事件となった。

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45/TEPPEN【Official Music Video】

 
【作業用BGM Reggae ver.】 Diwali Riddim MIX

スパイダーモンキーは「日本語のバイブスを久しぶりに感じた。タイのダンスホール・レゲエ文化を作ったのを手伝ってくれたのは日本人だから一緒にパーティーやれてよかった」と語ってくれた。「Dancehall Nightagain」は海外に行けなかったコロナ禍に出会ったダンスホール・レゲエがタイで結びついた感慨深いパーティーとなった。ひょんなことがきっかけで自分の知らない音楽が好きになってしまう事もある。ADMリサーチがきっかけでダンスホール・レゲエにはまってしまった回でした。今回の記事に興味を持った読者は3月26日に大阪ソーコアファクトリーで開催されるJUU4E & Friends『イズ』ツアーに遊びに来て欲しい。OMK最高顧問タイ人ラッパーJUU4Eと泉州のレゲエ・アーティストが大集合。文化の融合、伝達の瞬間に立ち会うことができるはずだ。
 
JUU4E - IS (2023) FULL EP

 
■JUU4E & Friends『イズ』ツアー
 
・3/23(Sun) 福岡 キースフラック
・3/26(Wed) 大阪 ソーコアファクトリー
・3/30(Sun) Soi48パーティー 新宿SPACE
・4/2(Wed) Seoul TBA