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  • 2025年7月8日

妄想映画日記 第202回

樋口泰人の「妄想映画日記」第202回です。体調は上向きとなり、『サスカッチ・サンセット』『エドワード・ヤンの恋愛時代』『フェイシング・モンスターズ』『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』『ミルドレッド・ピアース』『潜行一千里 ILHA FORMOSA』『イコライザー THE FINAL』を観たり、湯浅学さんのイベント「大滝詠一と私」へと遠出もした6月下旬の日記です。
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文・写真=樋口泰人



6月16日(月)
暑くて目が覚める。天気予報ではいろいろ脅かされていたがわたしの場合は寒いより暑いほうがまだ助かる。早く体重を戻して寒さにも耐えられるようになりたいものだと思うのだが体重はまったく増えず。この熱のおかげでまた減ったわけだから今ここでまた手術とかなったら完全にアウトだなと思う。考えても意味はないがつい考えてしまう。とにかく体重を増やす血圧を上げる、という世の中の風潮とはまったく逆のことを健康を保ったまま進めていかねばならないのでなかなか難しい。
そういえばジェシー・アイゼンバーグがらみで観た『サスカッチ・サンセット』がなかなか面白かった。もっとばかな映画かと思っていたのだがそうではなく、今このアメリカの現実とリンクするシニカルではあるが決して後ろ向きではない今ここで何かできることはないのかと手探りするような映画になっていた。たまたま見たテレビのニュースでアメリカ南部のトランプ支持者の黒人一家のインタビューをやっていたのだが、彼らがトランプを支持するのはもはやそこにしか望みがないからだということがよく分かった。それまでの政権でいかに自分たちが見捨てられてきたかもはや無き者にされてきたか、その積み重なる傷みと痛みがそこにあった。この映画もそういったアメリカの底知れない痛みがその根底に流れていた。ジェシー・アイゼンバーグは彼なりのやり方でその痛みの音を聴いている。『リアル・ペイン』もそうだった。とにかく長い目で見ること、樹木や土の言うことを聞くこと。

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『サスカッチ・サンセット』原題: Sasquatch Sunset
2024年/アメリカ/88分/シネスコ/5.1ch
監督:デヴィッド・ゼルナー&ネイサン・ゼルナー
出演:ジェシー・アイゼンバーグ(『ソーシャル・ネットワーク』)、ライリー・キーオ(『マッドマックス 怒りのデス・ロード』)
製作:アリ・アスター(『ミッドサマー』『ボーはおそれている』)
音楽:The Octopus Project
提供:ニューセレクト
配給:アルバトロス・フィルム
Copyright 2023 Cos Mor IV, LLC. All rights reserved
全国上映中
公式HP:sasquatch-movie.com
公式X :@sasquatchsunset 
 
 
 
6月17日(火)
完全に夏休みの1日。暑すぎて逆に元気が出た。調子に乗りすぎないよう慎重に動いた。税務署やら銀行やら今後のboidの資金繰りを巡って各所連絡と書類づくりをした。何とかなってほしいが何ともならない可能性もある。とはいえこれまでだって何とかなってきたじゃないかと言い聞かせる。久々に電車に乗り各所動いたものだからなんとなくテンションが上がりしかしこれは再び耳鳴りが始まる兆候でもある。落ち着け落ち着けと言っているところに某友人からどうやらメニエールになったらしいという報告が来る。わたしは左耳だが彼は右耳。いずれにしても片方の耳がダメになるとバランスが狂ってそれだけで気持ち悪いフラフラするまっすぐ歩けない。元気な人たちに向かって、こんな状態で生きてみろよと毒づきたい気分は常に満載なのだがそれはそれ人それぞれいろんな悩みや不具合がある。
夜はアンナ・カヴァンの短編を読んで気持を持ち直す。鬱の麓をぐるぐる回り続けるのにも体力がいる。Charles Bradleyの”BLACK VELVET”を繰り返し聴いていた。なんかスカスカで変なバランスだと思っていたのだが繰り返すうちに耳に馴染んできた。ニール・ヤングの「孤独の旅路」をカヴァーしていて、これがまた変な感じなのだ。
 

 
6月18日(水)
ようやく咳が止まってきた。ここまでくると身体も楽、気分もいい。午前中は社長仕事と原稿、午後は昼寝と散歩。夜は『エドワード・ヤンの恋愛時代』を観た。何年ぶりだろうか。すっかり忘れていたのだが、かつての仲間たちのその後の複雑でねじれた人間関係を執拗に描くばかりで望みがあるのかないのかまるで分らない現在の停滞とそれぞれの思惑の行き違いによる誰も望まぬ展開の予測不能の運動感は、マイケル・チミノの『逃亡者』をはじめとする諸作品を思い出しもする。ものすごい映画なのだが例えばこれがエドワード・ヤンの初監督作品だったら人はどんなことを思うだろうかと、ありもしないし答えようもない問いが頭の中をぐるぐると回った。ワンカットの会話の中でそこに映るふたりの現在と過去と未来とがそれぞれの間で行ったり来たりする時間の運動をとらえた車の中のシーン。『カップルズ』でもこんなシーンがあったように思うが、もうこういうのを観るだけで他に何もいらない。
 
 
 
6月19日(木)
あまりの暑さに気分は夏休みなのだが残念ながらまだ6月である。せっかくだからエドワード・ヤンのその他の作品も観てみようと配信サイトを探すのだが観たかった『カップルズ』とか『ヤンヤン 夏の想い出』はなかった。中古盤のディスクも結構な金額になっていてとてもじゃないが手が出せない。思い直し明日の打ち合わせのために、来年のboid配給作品となる映画を観直す。ああこの時間の感覚。わたしがサーフィン映画を好きなのと根底でしっかりつながっている退屈さ。日本では簡単に受け入れられないことはわかっているがそれでも誰かがきっとわかってくれる。楽しい1年になるはずだ。
                              
 
 
6月20日(金)
来年のboid配給作品のための打ち合わせ。権利を取得してくれた会社のチームとアドヴァイザー的な役割の友人とが初顔合わせである。いろいろあり得ない企画で盛り上がるがもちろん簡単ではない。でもこうやってみんなでわいわい言いながら次の一歩を探っていく無駄になるかもしれない時間の大切さを思う。体調はだいぶ上向いてきた。
 
 
 
6月21日(土)
『フェイシング・モンスターズ』というサーフィン・ドキュメンタリーの作品評を書いていた。映画を観ることとサーフィンをすることとは実は同じことなのではないかという原稿。自分の中では切り離しがたく深くつながっているものを他人に説明するのは難しい。あまりに唐突なつながりだと思われなければいいのだが。

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『フェイシング・モンスターズ』
2021年/オーストラリア/94分
監督・脚本:ベントレー・ディーン エグゼクティブ・プロデューサー:フランク・チディアック、スザンヌ・モリソン プロデューサー:クリス・ヴィアハウス 撮影:リック・リフィチ 出演:カービー・ブラウン、コートニー・ブラウン、グレン・ブラウン、ニコル・ジャーディン、ノラ・ブラウン ©2021 BEYOND WEST PTY LTD AND SCREENWEST (AUSTRALIA) LTD
7/25(金)ROADSHOW
ヒューマントラストシネマ渋谷、テアトル梅田、アップリンク京都ほか順次公開
公式HP:http://www.laidback.co.jp/2025/

夕方、トッド・ヘインズがプロデュースして監督もしたテレビドラマ『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』の第1話。30年代を舞台にしたホームドラマなのだがここにもまた映画=サーフィンと言いたくなるような時間が流れていた。テレビドラマだからこそできる繰り返しつつ変わって行く時間の流れを丁寧に見つめる視線と主人公に向き合う態度が持つ反時代的な強さに感動する。彼女の中にある野生と知性とが今後どんな風に絡まり合い世界とかかわっていくのか、あくまでもそこに生きている人の行動と運動が時を超えて今ここの世界に響くその振動が、きっとわれわれの生きる力となる。

『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』予告編(2011年/トッド・ヘインズ監督)
 
 
 
6月22日(日)
炎天下の中、都議会議員選挙に行ったのだが、杉並区は定員6名。たとえば自分が投票したい候補がひとりだけだったら特に問題はないのだが、とりあえずこの人たちがみんな当選するようにするにはいったい自分がだれに投票したらいいのかと思い始めると答えがなくなる。毎回迷う。正解はないので結局は毎回、最初に決めていた人に投票することになる。
そして久々に投票所のそばにある中華料理の名店「センヨウ」へ。ここは本当に何を食べてもおいしくて、麻婆豆腐や担々麺などは絶品。本日はわたしは麻婆豆腐、妻は茄子と豚肉の甜麺醤炒め。わたしはいつも迷った挙句に担々麺になるか麻婆豆腐になるかなのだが妻からお裾分けしてもらった甜麺醤炒めの野菜がめちゃくちゃうまい。腹の底から幸せな気持ちになる。ランチ1,200円でこんな気分になれるわけだから人生は簡単だ、という話でもある。夏メニューで豆乳仕立ての冷やし担々麺というのがあったので次回はこれで。
その後、昨日の『ミルドレッド・ピアース 幸せの代償』の流れで、40年代に作られた映画版の『ミルドレッド・ピアース』を。マイケル・カーティス監督。こういった作品まで配信で観ることができるのだから便利な世の中になったものだとありがたく観始めるのだが、もちろんじゃあどうしてエドワード・ヤンの後期作品は観られないのかとか権利問題の面倒くささを承知の上でブツブツ言って観たりもしつつ、しかしこの映画版とトッド・ヘインズ版とでは大きなストーリーはほぼ同じでも人々の存在が全然違う。映画版はテレビ版の3分の1以下の長さということもあるのだがとにかく人々がこのストーリーを語るために生きている。ああこれじゃだめだ。いくら面白いストーリーでもただ面白いストーリーなだけだ、寓話としては成り立つかもしれないしそう思えば確かに面白くもあるのだが自分はこういうふうには見せたくない、ダグラス・サークならこんな女性たちの描き方をしなかったはずだ。とかなんとかトッド・ヘインズが思ったかどうかは知らないが、とにかくテレビ版はサークとサークの諸作品と対話を交わしながら作り上げていったのではないかと思えるような、主人公のミルドレッドが自分で考え自分の生き方を見つめながら、しかしもちろん自身の固定観念からも抜けられずそれゆえにさまざまな不幸も招いてしまう、それでも彼女なりの人生の時間がそこに確かにあったのだと思えるような時間と運動が描かれているし、それはつまり主人公の具体的な労働が、かつてヴェンダースがラウォール・ウォルシュの西部劇について語ったように牛たちに川を渡らせるときその最初から最後までをきちんと見せる、という視線によって見つめられているということでもある。まあしかし、現実の人生はうまくはいかない。だがそんなものだ。世界中の人がこのドラマのミルドレッドの姿と態度を心に刻み付けてくれたらと思うばかりである。アメリカとイスラエルは一線を越えてしまったように思う。

『ミルドレッド・ピアース』予告編(1945年/マイケル・カーティス監督)
 
 
 
6月23日(月)
週末、配信とはいえつい何本も映画やドラマを観てしまったので本日は気を抜いてぼんやりする。午後からは久々に吉祥寺に行ってバウスの本田さんと会ったのだが、その帰り、お気に入りの中華料理店「翠蘭」が閉店していたことに気づく。調べたらもう2年前である。手術後、吉祥寺で食事をすることはほとんどなくなっていた。愕然とする。もう2度と吉祥寺には来ないと思うくらい腹立たしい出来事なのだが気づかなかった自分の2年間もまた腹立たしい。いったい何をやっていたのか。『PARKS パークス』のプロデューサー、監督チームの打ち上げも、翠蘭でやったのだった。
夜は先日のデヴィッド・ラフィンの流れもあってエディ・ケンドリックスの3枚目のアルバム”EDDIE KENDRICKS”を聴いた。ふたりが脱退してからのテンプテーションズの音は当時のロックやサイケの流れにも乗ったその勢いが見事にこちらの「若さ」を刺激するのだが、73年にリリースされたこのアルバムのその流れからは外れてしまった、いわば時代遅れの音と声がそれから半世紀経ってゆっくりとこの身体を巡り始めている。そんな気持ちになりながら聴いていた。当時聴いていたらやはり時代遅れの音として興味を持てずそれっきりになっていただろう。とはいえB-1の「Keep on truckin’」は、当時も今も最先端。わたしの持っているのは日本盤なんだけど、今度アメリカ盤を買わねば。

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6月24日(火)
午後から新宿に出て来年の事業などについて話す。ようやく頭の整理がついてくるとまだまだ足りないものが見えてくる。もう少し。
本来ならそのままお試しで映画を観に映画館に行こうと思っていたのだが、まだまだ体力が戻っておらず。体がぼんやりとしたまま、このまま観に行ってもろくなことにならないということで帰宅して昼寝をした。
夜は、空族の新作ドキュメンタリー『潜行一千里 ILHA FORMOSA』を観た。本当は15日の名古屋のプレミア上映に行きたかったのだが全然無理だったのでオンラインのサンプルにて。boidマガジンでの空族の連載を読んでいれば見えてくるものも多いのだがいきなりこれを観た人は何と思うだろう。しかし無茶苦茶面白い。ドキュメンタリーを作ろうとして作られた映画ではないその時間経過や空族と現地の人々との関係のあり方がこれを観ている自分もまたその場にいるように思えてくるような距離感でしかも「ドキュメンタリーを作る」という目的がない映像だから余計にその場の空気と時間がまさにその場でしか流れていない空気と時間となって伝わってくる。何年もかけた取材であるにもかかわらずまるで一晩の出来事のように語られるそれはその「一晩」が永遠に更新され繰り返され果てしなく続く時間とともにあることを誰もが当たり前に体感しているその永遠の一晩はきっと次なるフィクションへもつながっていくのだろう。しかしここで語られる内容の背景の広がりと奥行きを更にどんなふうに伝えたらいいのか。そのアイデアは次々に湧き上がってくるのだがそしてまさにそんな刺激を次々に放ってくる映画なのだがその実現のための時間と資金と体力を果たしてどうしたらいいのか。台湾の原住民のさまざまな部族の原語で歌うラッパーたちの背景や思いを紹介するだけでも大変な作業になる。悩ましすぎる。
『潜行一千里 ILHA FORMOSA』
 

 
6月25日(水)
ものすごい湿気とまだらに降ってくる豪雨という南国の夏にぐったりしつつも”SUFFERER SOUNDS”と題されたデニス・ボーヴェルが関わった70年代後半をメインに集められたシングル集を聴きながらエネルギーを注入する。シングル盤ではもう手に入らないかめちゃくちゃな値段がついているのでこういうコンピレーションが出てくれると本当にありがたい。でもその結果オリジナルの7インチ・レコード盤に刻み付けられた時間と傷への遥かなる視線が湧きあがり何とかしてオリジナル盤を手に入れられないかと思い始めるその欲望は抑えようがない。その抑えようのない遥かなる視線とともにboidの現実を支えるための事務作業。そして午後からは今後のboidマガジンの運営のためのオンラインミーティングだったのだが関西支社長が時間を勘違いして不参加で、おそらくわたしは今後そういう勘違いが大幅に減っていくだろうから周囲の勘違いが目に付き始めるだろうという、boidの新しい展開に向けての無理やりではあるがそれなりに微笑ましい希望を受け取った。
夜はとりあえず何とか回復中のリハビリも兼ねて、わたしの回復祝いと称したお試し食事会をメキシコにて。こう暑いとメキシコ料理でも食わないとやってられないよねという勝手な思い込みにより決まったことなのだが、食事はおいしく楽しい時間を過ごした。しかし2時間でエネルギー切れ、久々の大勢との話ということもあってテンションが上がってしまったらしく夜は眠れず。帰宅後はだいぶクールダウンのための時間をとったもののそれでもだめだったから、これはYCAMまでに何度かお試し食事会をやって体と頭を慣れさせていかないとYCAMには行けないなと実感する。とはいえ体のどこかがもうこれはこのままでいいんじゃないかと言っている。ひとりの時間を増やすことが要望されているのだった。

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6月26日(木)
眠るのに失敗した日はなかなかきつい。誰かとミーティングというような特別な用事を入れていなくてよかった。午後からは2時間ほど昼寝。それでもまだ駄目だったのだが夜になってようやく少し持ち直し、トッド・ヘインズ『ミルドレッド・ピアース』の続きと少しの読書。
 
 
 
6月27日(金)
まだ体がぼーっとしている。みんなで食事をしただけなのになんてことだと思うがとにかく頭は動き始めても体がついていかないということを頭も体も実感して今後はこれまで以上に人づきあいをあえて悪くしていくことを決断するが果たしてそこまで思い切れるかどうか。そんなところに堀越さんの訃報。堀越さんに関しては2月27日の日記(第194回)を読んでいただけたら。あの日のインタビューのときも多分本当はインタビューなど受けてはいけないくらいの状態だったのではないか。オンラインの画面越しにもその大変さは十分に伝わってきたのだが、日記にも書いたように映画祭とアニメの話になると言葉は途切れず堀越さんは延々としゃべり続けた。肉体ではなく魂が話しているとしか思えない、そんな状況だった。このインタビューのまとめを堀越さんに確認してもらっている途中でわたしが倒れ、堀越さんからも連絡がなくなりそのままになってしまっていたのだった。周囲の方たちの許可を得て、いつか発表できたらと思う。しかしわたしの周囲には、間質性肺炎の人たちが多すぎる。皆さんの健康を祈るばかりである。いや、自分はどうなんだという問題はもちろんあるのだが。
 
 
6月28日(土)
小川町である。東京ではなく埼玉のほうの小川町。湯浅さんの地元で湯浅さんが大瀧詠一さんを語るというトーク・イヴェント。湯浅湾がらみのboidの物販をするのだが、無理かと思っていたboid paperの湯浅湾特集が出来上がった。印刷チームから直接湯浅さんのところに送ってもらったのでわたしもこの日が初めての現物との対面である。しかし小川町まではなかなか遠い。9時58分の丸の内線に乗って副都心線で池袋、池袋からは東武東上線の小川町行きの特急に乗るので乗ってしまえば面倒ではないのだが、それでも合計100分以上かかる。小川町で昼飯を食うためにはこの時間に合わせて出かけるしかない。まだ体はボーっとしている。3日前のお試し食事の疲れを未だに引きずっているのかあるいはもうこれからはこんなものなのか。
小川町は不思議な場所で、長い歴史を抱えながら、ある時期から東京をドロップアウトした人たちの受け入れ場所になっていたと言ったらいいのか、福生は多くのミュージシャンが棲みついたことで有名になったが、小川町はもうちょっと地味ではあるももの似たような空気を感じる。本日は武州うどんというこの地方独特のうどんを売り物にする有名店に行こうと思って歩いていたら途中で「有機野菜と十割そば」みたいな看板を見つけ、今どきのヴェジタリアン・カフェとは趣のまったく違う田舎の掘立小屋をDIYで適当にリフォームしてもう長いことそこで営業しているという雰囲気の、高円寺で言うと「七つ森」のさらに不愛想な感じの店と言ったらわかってもらえるだろうか、小さなカフェ兼蕎麦&うどん屋に入ったのだった。お薦めに従い十割そばのセットを。有機野菜の天ぷらと、数々の有機野菜蒸し。わたしの今の食生活には見事にフィットするわけなのだが、店主が蒸し野菜に関するレジュメとレシピを配布してくれた。初めての客には必ず配っているものらしく常連客らしき地元の人々とは通常の会話のみ、わたしと隣の席の初来店客にはこの冊子をということで、読んでみるとレシピの端々にあらわれるちょっとした言葉が精神世界と物理的なレシピの境目をなくすような、いや店主自身の中でその境目があらかじめ存在していないような立場を鮮明にする、まるで中世の錬金術師が書いたようなレシピにも思われそこに当たり前のように生きている店主たちの生きる時間を妄想した。
湯浅さんのイヴェントは約4時間。ほとんどが湯浅さんのひとり語りでその間に流れた曲は数曲という贅沢な語りのイヴェントであった。話はあちこちに飛ぶ。まわり道寄り道道草脇道でそのどうでもいいような時間を楽しんでいるうちに不意に大瀧詠一さんが顔を出し語り始めるような、大瀧詠一という人間をネタにした湯浅さんの講談でもあり、大瀧詠一という人が見せる思わぬ表情をひとつひとつ拾い上げて果てしなくでかい大瀧詠一像を作り上げる試みでもあるような、愛らしく壮大なトークであった。当然これだけでは終わらない。まだまだ続く。

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6月29日(日)
埼玉の小川町往復3時間30分の疲れもあり、ボーっとしていた。こんな時に雑に観ることのできる映画はないかと探したら『イコライザー THE FINAL』を観逃していたことに気づいた。そしてデンゼル・ワシントンも70歳を超えたということに改めて驚くが、この映画ではアクションの過程はほぼ描かれない。戦う、というシーンはなく、銃を撃つ、ナイフを刺す、首を絞めるなど、漫画なら1コマで表現できるショットのみでアクションが構成される。一瞬で終了。だからめちゃくちゃ強い。最強とも言える。トム・クルーズとはまったく逆のアクションでもある。だからなのか映画全体も90分ちょっという長さである。話も簡単。こんな日に観る映画としてはちょうどいい。歳とったらこんな感じで細切れ的だが最強の瞬間のみを持続させて生きていけたらと思うばかりである。

 
 
 
6月30日(月)
今年の半分が終わってしまう。その半分はめまいや胃腸の苦しみや熱やぎっくり腰で身もだえしていたことになる。一昨年の手術後の抗がん剤期間とどっちがいいかと言われたらさすがにそれでも今回のほうがましかとは思えるのだが、メニエールのめまいによる鬱症状は本当に酷くて、もう立ち直れないかと思った。いったん全部やめようというかやめようという気力もなくただひたすら何もやりたくないと思い続け、それは今も各所でくすぶっている。くすぶっているものはきっとやめた方がいいのだろう。そんなところから今年後半のスタートが切れたらと思う。