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  • 2025年6月13日

妄想映画日記 第200回

樋口泰人による「妄想映画日記」第200回(!!)はメニエールのめまいに加えて、ぎっくり腰と風邪を患ってしまった5月下旬の日記です。苦しい病状を抱え、審査のための学生映画、山梨の実家がロケ地となった『中山教頭の人生テスト』(監督:佐向大)を鑑賞し、ニール・ヤングやリンダ・ロンシュタットを聴いた日々が綴られています。
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文・写真=樋口泰人



5月16日(金)
結局無理すると確実にめまいはやってくるということで15日のインタビューやboidラジオの収録は無理やりすぎた。再びめまい止めのお世話になり無茶な眠気とともに終日過ごすしかなかった。
 
 
 
5月17日(土)
朝からめまい。ほぼ寝ていた。動いたらぎっくり腰になった。これだけいろいろ良くないことが重なるともう本当にいい加減にしてくれと思うのだが開き直る元気もなくひたすら鬱々となるばかりであった。こういうときはろくなことを考えない。というか「考え」というものに至る手前で考えないようにすることでひたすらその鬱状態を引きずり続けさせる泥沼に足をとられるばかりである。眠気に身を任せた方が身のためということか。考えないようにするために3月決算の仕事に集中しようとするとパソコンの画面にどんどんと頭が引きずり込まれて行くような『ヴィデオドローム』状態になり無理やり引き離すと頭がくらくらしているという状態。脳内のリンパ液がこちらの意思に反して勝手に暴れている。慌てて内耳に溜まったリンパ液を掻き出すためのメニエール体操をするのだがもちろんぎっくり腰だと身体を大きくは動かせない。それでも無理やり掻き出すものだから体操中、体操後の吐き気感がなかなかすごい。
 
 
 
5月18日(日)
寝ていてもメニエールは治らないと医者からは言われているもののぎっくり腰ではまともに動けない。湿布を買いに行くのが精いっぱいであった。めまい止めの影響で終日眠い。昼過ぎまでは抵抗したが力尽きた。思考はふわふわと身の回りを漂うばかりでまったくまとまらず形を成さない。ぼんやりとした不安が気分を重くさせるばかりである。
 
 
 
5月19日(月)
ぎっくり腰もめまいもようやく回復の兆し。ぼちぼちとできることをした。だがもう夏間近と思わせた日曜日の気温から一転しての寒さのため体は縮こまり簡単には前向きな気持ちにならない。毎年この時期は恒例となったいくつかの大学の映画学科の学生たちの映画をぼんやり観ていると若い子たちもこれから次々に訪れるであろう果てしない未来と膨大な可能性があるゆえの抱えきれない不安を正面から受け止めつつ過ごしていることだけは痛いほど伝わってきてああ自分はもうこういう不安とともに生きることはないのだという寂しさを味わう。しかし今自分が抱えている不安も似たようなものではないかと思い始めると自身の成長のなさにさらに落ち込むことになる。逆に言えばそんな人間でもこの年齢まで何とかやってこれたということだから数十年はこのままで大丈夫と覚悟を決めて自分の体の動きに任せて生きていくこともできる(しかし老後の保証はできない)と学生たちに伝えることはできるということでもある。ダメな大人の助言などいらないかもしれないが。
 
 
 
5月20日(火)
腰の痛みはほぼ消えたので体操と散歩。左耳もだいぶ軽くなってきた気がするのだがここから先が長い。先週のように無理すると再びスタート地点へ戻ることになるので今週は完全休養。多分本当はあと1か月くらいはたっぷりと完全休養しないと元には戻らない。とにかく周りに迷惑をかけるしかない。音楽を聴く気持ちは出てきた。キャット・パワーのボブ・ディランのカヴァー・アルバム『Cat Power Sings Dylan: The 1966 Royal Albert Hall Concert』をアマゾンミュージックで聴いた。ここ数年の彼女の集大成と言いたくなるようなものになっていて、いったいここにたどり着くまでにどれだけの時間を経てどれだけの出来事を潜り抜けてきたのかと途方に暮れた。レコードで聴きたいが無職の病人には高すぎる。

 
 
 
5月21日(水)
学生たちの映画を観ていると思わぬ発見があって面白い。いやこれはすごいと思うものにもふいにぶつかったりする。みんな若い。残念ながらこちらは老い先短いわけだから彼ら彼女たちのその後を見届けることはかなわないかもしれないのだがとにかくできる限りのことはしたいと思うその一方でこれだけの才能があれば周りが黙ってはいないだろうだからこちらの出る幕はないとも思う。ふと寂しくもなるがそういうものだ。とりあえずこちらは若い力を吸い取って元気になれたらそれでいい。
とはいえ午後からはぐったりと寝ていた。簡単には元気にはなれない。夜は『ヒットマン』の歴史のなさについてぼんやりと考えていた。キアロスタミの『クローズ・アップ』にはモフセン・マフマルバフに成りすましてしまう男が登場して彼もまたごく当たり前のようにマフバルバフを名乗ってしまうのだが、このふたつの映画を見比べるとどんな風景が見えてくるだろう。たぶん似ているようでまったく違う歴史がそこでは語られているはずなのだが、そのまったく違う風景をともに笑いながら受け入れられるような生きる態度を身につけられたらと思う。
 
 
 
5月22日(木)
昨年の日記の整理をしているとこの時期はずっとめまいのことが書いてある。なんだ今と同じかとあきれるのだが昨年はそれでも体が動きつまりめまいの中でも何かをやろうとしていた。エネルギーがあった。今年はそんなエネルギーはないから逆にそろそろめまいも力尽きてくれるのではないかと、それはがん細胞を活性化させない理屈と同じなのかもしれないのだがとにかくそのエネルギーゼロ地帯で生きる知恵とその中で生きるための別のエネルギーを獲得したいものである。
昼は久々に中野方面に散歩をした。わかりやすい道(青梅街道から大久保通り)を行くと車の通りが激しく疲れるので裏道を行くとその見慣れぬ風景にまるでつい最近このあたりに住み始めた人のような奇妙な新鮮さを味わう。小学校が廃校になったことは聞いていたがその小学校跡に新しい図書館もできここにカフェができたら最高だなと思いもしたが果たしてまだ工事中の周囲にカフェなどはできたりするのだろうか。昼食は何と知らぬ間に中野にもできていたカフェ・ハイチで15年ぶりくらいにドライカレーを食った。記憶の中のそれと比べると半分くらいの量になっていてああそりゃこの値段ならそうだよねと納得はするものの寂しくはあった。
その後せっかくなので中野のユニオンへ。ディー・テートリッヒェ・ドーリスのLPボックスセットがあっていきなり盛り上がったのだがさすがに今のわたしの財力では買えなかった。いくら「ばか」でもない袖は振れない。
帰宅後は佐向大の新作『中山教頭の人生テスト』を観た。昨年の1月頃の撮影で、主人公の中山教頭(渋川清彦)の家としてわたしの実家で撮影したものである。今や住む人のないただの空き家なのだがこうやって映画の中に登場すると当たり前なのだが普通に人の気配がする。それはともかく映画自体はタイトルからわかるように小学校で起こるさまざまな出来事が描かれそれに対応する教頭先生の態度がそのたびに試されて行くようなまさに教頭先生が日々生き方のテストを受けているような内容なのだがひとつひとつの出来事が見事にわかりやすく的確に描かれてこれはまあ小学校という小さな社会とはいえその中で無事生きていくだけでも大変なことなのだと誰にも納得できる映画になっていた。しかしその絶対的なわかりやすさとともに描かれる出来事やさまざまな問題の解決がまったくつかないというかすべてのことが次々に起こる新たな問題にかき消されて教頭先生は更新されるばかりのその新たな問題に向き合わざるを得なくなりつまりひたすら教頭先生の人生のテストが続くばかりで結果が得られないという恐るべきわかりにくい映画になっていたのである。人生のテストに正解はないということが延々とひたすらわかりやすく描かれるゆえにその正解のなさに観る側が置き去りにされるしかしそれでいいのだ何かに解決をつけることではなくただただその現実と向き合いうまくいかないその困惑と混乱と後悔を引きずりじたばたするだけでいいのだというその現在への絶対的な肯定が教頭先生の危うく頼りない歩みを支える徹底してアナーキーな映画であった。

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『中山教頭の人生テスト』
(2025年/日本/ビスタ/5.1ch/125分)
出演:渋川清彦、高野志穂、希咲うみ、風間杜夫、石田えり、ほか
脚本・監督:佐向大
配給:ライツキューブ
©2025映画『中山教頭の人生テスト』製作委員会
公式サイト:https://nakayama-kyoto.com
公式X:@nakayama_kyoto
6月20日(金)新宿武蔵野館・YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
 
 

5月23日(金)
天候のせいなのかぼんやりとさっぱりしない。たまらず散歩に出たりしたのだが考えがまとまらず。昨年の日記の整理の続きをしたわけだが昨年もめまいと回復の繰り返しでしかし今年とは違いめまいの中でも次の作業に向けての視線が定まっていたことだ。これは一体どういうことなのか単に今年は視線を定める体力もなくなってきているということなのか。それも大きい。それがほとんどだと言ってもいいのだがより決定的なのは根本的なところでやりたいことが違ってきているということだ。たった1%でもその気持ちがあるとすべてをひっくり返しかねない強さと熱をそれは持っていると言いたくもなるがいわゆる「強さと熱」がイメージするエネルギーとは程遠いところでそれはすべてをひっくり返す。そして多分今年のようなぐったりしためまいと回復の繰り返しの中でじわっと何かが変わって行く。そんな時期に来ているような気がする。
夜は、久々にニール・ヤングの『Fu##in’ Up』を聴いた。昨年の日記には「まるでレスリー・スピーカーを通して聴こえてくるような」という形容がされていた歌声の不安定な揺れはまさに視線を定めるエネルギーとは違う何かによって発せられているようにも聴こえた。

 
 
5月24日(土)
朝、急なめまい。何とか落ち着いたのでじっとしていてもぐったりするだけだと阿佐ヶ谷に散歩に行ったのだが阿佐ヶ谷駅前に来たところで再び急なめまいで今回はもうまったく歩けなくなってしまう。妻に支えられとにかくアーケード商店街の入り口のベンチに座り込みドラッグストアでめまい止めを購入してきてもらい30分ほど休んで少し落ち着いたところでしかしこのまま歩いては帰れない。タクシーで帰るしかないということで乗ったもののいきなり吐き気に襲われリュックの中に入っていたトートバッグの中に吐いたのでタクシーには迷惑をかけなかったとは思うもののもちろんこちらはそれどころではなく必至である。とにかくそのままタクシーを降り杉並区役所前のベンチで30分ほど。天気のいい日ならもうちょっと休んでいたかったのだが梅雨時の冷たい風が身に染みる。耐えられなくなり妻に支えられながら自宅まで何とか歩いた。あとはひたすら寝た。週末の予定はすべてキャンセル。
 
 
 
5月25日(日)
再びのぎっくり腰である。先日やったのと同じ箇所。まだ完全に治りきっていなかったのだ。そして前回よりひどい。身動き取れず。いったん弱り始めるとときりがない。とにかく目の前のことにひとつひとつ対応していかないと本当にひたすら弱るだけになるので泣くことも嘆くこともできない。
 
 
 
5月26日(月)
しかし60代後半を迎えた人間がぎっくり腰とひどいめまいで身動き取れずじっと寝ていても病状は悪くなるばかりという状況はなかなか悲惨である。まともに本を読むこともできないしパソコンに向かうとすぐにめまいが始まる。体操や散歩はまだまだ腰がついてこない。そんな中、『BEFORE AND AFTER』『OCEANSIDE COUNTRYSIDE』という今年になってリリースされたニール・ヤングのアルバムをできるだけ小さな音で聴いていた。音を大きくすると耳が反応してすぐにめまいが起こるのである。そんな状況なのだがなぜかこの2枚は耳にフィットした。ニール・ヤングの声の問題が大きいのかもしれない。50年近く間が空いたこの2枚のアルバムに収められているニール・ヤングの声がなぜかその時間を感じさせないのである。小さな音で聴いているからだろうか。1977年の声と2024年の声が同じ艶と輝きと優しさと愛を引き連れて今ここに届けられる。いや、77年に録音された『OCEANSIDE COUNTRYSIDE』がまさに2025年に世界に届けられることになるというその40数年の時間をあらかじめ懐に抱えたアルバムになっていると言ったらいいか。そしてそのアルバムが示す時間を受け取り『BEFORE AND AFTER』 が作られることになる。もはやかつてのような声を出すことはできないはずのニール・ヤングの身体を通して1977年の歌声が湧きあがりもはや「以前」でもあり「以後」でもあるわれわれのこの現在を示すだろう。『BEFORE AND AFTER』の中ジャケに写るズマ・ビーチに座るニール・ヤングの写真は砂で作られた像のようにも見えいつ吹き飛ばされても消えてしまってもしかしそれゆえに永遠にそこに残り続けるはずの一瞬の姿のように見えた。そんな夢想をしているうちに1日が終わった。


 
5月27日(火)
事務所にて打ち合わせがあり、来年のboidの推し作品に関するものということもあって体調はまだまだだったのだがかなり無理やり出かけた。何とかなったのだが帰るころには腰が悲鳴を上げていた。日曜日のぎっくり腰再発時よりさらにひどい痛み。座っているのがつらいので基本的に寝ている以外何もできない。
 
 
 
5月28日(水)
学生映画の審査会である。腰はまだ全然ダメ。めまいの気配も満載でたまらずめまい止めを飲む。あとはもう知らない、ということで何とか出かけていろんな話をした。今年は先行き気になる作品がいくつかあってこうなってくるとこの審査会だけではなくそれらの「その後」も見届けたいそしてどこかで更に新しく力強い作品を作ってもらいたいという欲望がわく。だがもちろん簡単にはそれはできないし今の日本の状況が果たして彼ら彼女たちをどのように受け止めるのか、今これらの作品を審査会を通して世に出したところで「その後」に関しては一切責任が持てないのがもどかしいのだがそのような無責任なこの社会を全力で生き抜いてほしいと思う。
帰宅後は疲れ果て寝ていた。
 
 
 
5月29日(木)
2日連続で人と会って話をしたことと昨日飲んだめまい止めの影響で夕方まではぼんやりと時間が過ぎた。その間めまいの気配は常に漂っていていつかやってくるつらい未来の予感を実感しつつとはいえ今ここで何か余計なことをしたらすぐに災いはやってくることもその予感の実感が決定的な近い未来の事実として示すという何ともやりきれない状況の上にぎっくり腰は微妙に回復しつつも座っている姿勢が一番つらく結局寝転んでいるか軽い体操をするかしかでつまり物理的にも精神的にも何もできない1日となった。隙を見て各所に連絡は入れたのだがまあそれくらい。だがこれくらいでいいと身体が告げているその声も確実に聞こえてきて夜にはだいぶ楽になった。
久々にリンダ・ロンシュタットを聴いた。ニール・ヤングの「Love is a Rose」から始まる75年のアルバム『哀しみのプリズナー』。このジャケットがいいんだよねえ。ブリジット・バルドーに憧れたという少女の頃の彼女の影が赤いワンピースに赤いストッキング赤い靴という写真の中の彼女の周りを覆い、その少女の影とともに「Love is a Rose」を歌い始める彼女の現在に流れる時間の重なりが見えてくるようで。ジミー・クリフの「Many Rivers to Cross」のカヴァーがめちゃくちゃよくて、といっても特別なアレンジを加えているわけではなく単純にいい歌をいい声で歌うというシンプルな作業を行っているだけなのだがジミー・クリフが歌い上げる愛や悲しみや後悔や失われた夢をさらに大きな時間が包み込みその交じり合い重なり合ったいくつもの時間が緩やかに渦を巻き荒れ地を耕し始める、嘆きの土地を豊かな愛の大地へと育てていくそんな時間が流れ始めるのである。要するに大人の女性の歌。このアルバムと同じころ、ニューヨークではラモーンズが声を上げ(74年)、ニューヨークドールズからはジョニー・サンダースが抜け(75年)バンドは終わりを迎えようとしていた。この東西アメリカの落差を想像するだけで頭がくらくらする。

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5月30日(金)
雨の中、玄関先のフェイジョアの花が咲いた。この2、3年、木が弱ってまったく花が咲かずどうなることかと思っていたのだが今年は葉も落ちず新芽も出て各所につぼみも出てきていたのであった。木の中で何があったのかわからないがとにかくよかった。そしてゆっくりと何かが回復していく。

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事務所では3月決算の報告が税理士から。boidの規模にしてはありえないboidマガジンの赤字ぶりに「すぐに止めないと」という指示が出る。こればかりはさすがのわたしももう無理と思う。一応ずるずると別の形態で続けることにはしているが、期間限定ということにしておかないと本当に酷いことになるということは思い知った。これまでは「それでも」とは思っていたのだがそうではない。そのあたりの踏ん切りもついた。その中で何をするか。
そこでboidペーパーをということになるのだが事務所でかつて出していたboidペーパーを見つけ出し並べてみるとまあよくこれだけのものを作り無料配布してきたものだと我ながら呆れた。20年ほど前、爆音も始めたばかりだしまだ40代だからこれで赤字になってもほかで何とかすればいい働けばいいくらいな感じでいたのだろう。とくにヴェンダースの『ランド・オブ・プレンティ』の特集オールナイトのために作ったboidペーパー第1号とその別冊として作り来場者に配布した本当に夕刊紙みたいなやつはどう考えてもどうしてこれだけのものが作れたのかまったくわからない。バカじゃないかと思う。40代を若いと言っていいのかどうかよくわからないが若いということは本当に恐ろしい。たぶんその当時映画で商売をしていた方たちは「お前らがそんな無茶するからこっちの商売が大変になるばかりなんだよどうしてくれるんだ」と思っていたに違いない。もちろん復刊boidペーパーは無料配布はしない。boidマガジンと違って完全に特集形式でわたしの気の向くまま、つまりわたしが何かに背中を押されるかどうかということだけで作っていく。

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5月31日(土)
2か月半くらい続いていた左耳辺りのもやもや、頭左半分に蓋をされたような嫌な圧迫感がようやく晴れた。とはいえ耳鳴りは相変わらずでこれでようやく通常のひどい耳鳴りになったという感じか。この耳鳴りが広がって世界全体を覆う、というようなぼんやりとした不安感がとれたと言ったらいいか。とにかく少し気分がよくなったので各所に連絡をしていたのだがあまりの寒さに体が悲鳴を上げた。先日からの喉の痛みが本格化して夕方にはどうにも我慢ができなくなった。完全に風邪の症状、つまりまだまだということで風邪薬を飲んで寝た。低空飛行も楽ではない。