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  • 2024年6月30日

mud vacation 第2回

猪股東吾/大袈裟太郎さんによる「mud vacation」第2回です。名護市辺野古区での米兵の傷害事件、沖縄県議選、沖縄の道路事情、6月23日の「慰霊の日」などについて綴られています。また『マッドマックス:フュリオサ」(ジョージ・ミラー監督)に描かれた世界と現実の世界について感じることとは。
*今回は無料公開記事です。
 
辺野古区で米兵が刺される事件が起こった。刺したのも身長190cmを超える外国人だったとのこと。辺野古は普天間基地の移設問題を押し付けられた土地であり、戦後、占領され、キャンプシュワブという米海兵隊の基地のある門前町である。よって往来する外国人のほとんどが米軍関係者のため、加害者も米兵では? との憶測が飛び交ったが、事件からひと月が経過した現在も犯人は逃走中、詳細は掴めないままだ。
 
近隣の住民たちは不安を募らせていた。「これ本土だったら大きなニュースになるはずです」子どもを持つ近隣住民は、そう嘆いた。
 
沖縄北部、特に米軍基地の集中する東海岸の集落には、今でも米軍の使い終わった錆びたガスボンベがぶら下がっている。かつて住民たちはこれを叩き、米軍が集落に来ることを知らせる半鐘の代わりにしていた。この音が鳴ると、女性や子どもは家の奥に隠れたという。
 
今回の米兵の事件を受けて、辺野古区に暮らすある男性は憤っていた。
「なぜ、区長は事件の警戒情報をスピーカーで放送しなかったのか」
その男性は復帰直後の50年前、辺野古区の自宅で母親を米兵に殺害されていた。
 
「今の区長はまだ聞く耳を持つが、歴代の区長は聞く耳を持たないものも多かった。辺野古区の区長は、桜を見る会に参加していたから...」
 
安倍政権下で多くの疑惑があり、今では開催されなくなった「桜を見る会」。
なぜか辺野古区の区長はそこに参加することが通例になっていた。
 
「辺野古区のある名護市の市長は、辺野古の埋め立て工事に反対するものが当選してきた。97年の名護市民投票でも反対票が上回った。そこで政府は、名護市を飛ばして辺野古区に直接、入り込んで懐柔工作をしてきたんですよ。そういう状況が30年近く続いた今、辺野古区の住民で「反対」の声を上げるものは、腫れ物にさわるような扱いになっています」
ある男性は、寂しげにそう話した。
 
ただ、2018年の名護市長選挙で自民系市長(辺野古に関しては賛否を示さず)が誕生して以降、政府は名護市に内閣府からの出向職員を置くなど、名護市政への介入を深めている。これによって政府は辺野古区へ直接介入する必然性がなくなり、現在は政府のそのような姿勢に辺野古区住民から疑問の声も出ている。
 
先ほどの男性は言う。
「用済みになったから捨てられた、初めからこうなることはわかっていましたよ」
 
 
 
6月10日 時々ヴィランになりたい
 
今年の沖縄の梅雨は過酷だった。観測史上初の豪雨で冠水が相次ぎ、うちの近所でも土砂崩れがあり自動車が飲み込まれた。東京に住んでいた頃は、現実味がなかったが、やんばるに住んでからは頻繁に土砂崩れがあり、道が塞がったりする。自然と共存することは甘くない。ただ、台風などで皆が家にいることがわかっている夜は、普段忙しい人ともゆっくり連絡できたりする。この島々の人々は自然が猛威を振るうことを折り込み済みで生きているのだと改めて思う。
 
この梅雨、私のiPhoneには連日、避難指示が表示されていた。
亜熱帯の梅雨の湿気はとてつもない。沖縄の梅雨はカビとの共存だと、友人が言っていた。この湿度が好きで住んでいる私も、太陽が見られない日々にさすがに鬱鬱とした。
 
パレスチナの現状が心を壊しにくる。それに抗議する日本の運動も都市部で広がりを見せるが、一部に先鋭化を叫ぶ声があるのが心配だ。
また、「暴力革命」を謳ういわゆる極左、セクト系過激派の勧誘の温床になっているとの情報もあったりで、また鬱鬱とする。
 
右翼や愛国者が国家を中心として、主体性を失う様はよく見かけるが、左翼も行きすぎて極左まで行くとまた主体性を失う。そういう人たちの存在が社会運動や政治にコミットすることのイメージを危険なものにしてきた歴史がある。政治の世界を見て8年、頭を抱える話だ。
 
神風特攻隊の悲劇を美化してはいけない、国のために命をかけても意味はない。第二次世界大戦で日本人は学んだはずだが、52年前、イスラエルのテルアビブで銃乱射事件を起こし、自爆テロの概念をアラブに持ち込んだのは日本の極左過激派だった。
そしていまだにフランスでは自爆テロのことを「KAMIKAZE」と呼ぶ。
 
2013年公開の『マッドマックス:怒りのデスロード』には、「FUKUSHIMA KAMIKAZE WAR BOYS」というセリフがある。
独裁者であるイモータン・ジョーのために命を捧げ、「I LIVE, I DIE, I LIVE AGAIN」と叫び、死を美化しながら死んでいく狂信者集団ウォー・ボーイズの下敷きに大日本帝国の日本兵たちがあることは明らかだった。(マッドマックスのプロデューサーも神風特攻隊について言及しているらしい)
 
極右にも極左にもならず、誰かを盲信することも狂信することもなく、この混沌の世界で、主体性を保ったまま僕らは生きるのだ。ウォー・ボーイズになってはいけない。それは前作から僕らが学んだ大きな教訓だったように思う。(教訓といえば、私は取材先などで命の危機があるといつも加川良の「教訓1」が、心の中で流れてくる。青くなって尻込みなさい、逃げなさい隠れなさい、と)
 
iPnone15より安いことでお馴染み、愛車のHONDAを飛ばして、コザに『マッドマックス:フュリオサ』を見にいく。
本当にこれを人間が撮ったのか? と疑いたくなるような「画」の連続に驚き、打ち震える。あらゆる視覚的な技術に敬服した。
そして内容は、核戦争後の世界が舞台だといえ、そのすべてが5分後の未来でもおかしくない。強く現実味のある寓話として私に作用した。
 
非常に個人的な感想としては、ヴィランのディメンタスが紹介される際、「非道のかぎりを尽くした男」というようなセリフがあり、ああ、おれも辺野古で逮捕された翌日、某産経新聞に「暴力のかぎりを尽くした男」と書かれたなあと、ほくそ笑んだ。現実の今の日本社会で、暴力のかぎりを尽くすほどのマッドマックスに登場するようなヴィランが野放しになっているとしたら、それだけでも異常な話なのだが、ましてそれが自分だと全国紙に書いてあると想像してほしい。不名誉すぎて、もはや名誉な気もしてくる。(デマ、ダメ絶対)
 
まあ実際には大袈裟太郎は暴力のかぎりを尽くした男ではなかったので、裁判闘争の末に、私は名誉毀損で某産経新聞社に勝訴した。政治家以外の個人が産経新聞から名誉毀損を勝ち取るのは、初めてのことだったという。前作と今作の間の9年間、私は私で、デスロードを歩んでいるのだった。
 
クリス・ヘムズワース演ずるディメンタスというヴィランは、凶悪だがどこか憎めないアンビバレントな魅力があふれていて、少し憧れてしまう気分もある。
例えば、人生がもう一度あれば、思う存分、ヴィランになってみたいなどと夢想したが、思えば自分はラッパーという現代のヴィランになりきれず、いつの間にかジャーナリストになったのだと少し寂しい気持ちになる。
しかし、一皮向けばすでに「嘘」と「暴力」が溢れ、人間を壊しにくるこの現実世界で、「嘘」や「暴力」に染まらずに抗い続けることこそ、一周回ったヴィランとしての私の役割なのではないか、などととぼんやり考えている。
 
「デスロードの世界もフュリオサの世界も、虎に翼の世界も、そして私たちが今、住んでいる世界もそんなに変わりがないのではないか?」
 
これはアナウンサーでモデルの宇垣美里氏の言葉だ。この混沌とした世界で個人として力強く生き続けるためには、どうするべきなのか?
それは混乱しないことだ。できるだけ混乱を遠ざけ、混沌の激流に飲み込まれずに立ち続け、暮らすことだ。フュリオサの横顔を見て、そう感じた私は、部屋を掃除し、洗濯をして、トイレもキッチンも風呂もピカピカに磨いた。鬱鬱とした気分は少しだけ晴れていった。
 
 
 
6月16日 沖縄県議選
 
沖縄北部国頭郡区では、30代の儀保ゆいさんが初当選した。なんとこの地区で女性が県議選に立候補すること自体が初めてだった。彼女のトップ当選は沖縄の変化を象徴する事案だった。人々の笑顔が心地よい大宜味村の夜だった。
 
与党である玉城デニー県政を支持する勢力は、4議席減らし、メディアはことさら大々的にそれを報じたが、選挙区ごとに細かく見ると、同じ勢力同士で票を食いあったりで、政党間の調整ミスが感じられたが、メディアが大きく煽るような「デニー県政の失速」は感じられないというのが客観的な評価だ。県議会運営は今まで通りには行かなくなるが、その点も県議たちに取材したところ、比較的明るい回答を得られた。
というか県外の読者たちは、今まで沖縄県議会の与野党が国政と逆転していたことに驚く人も多いだろうと思う。
 
 
 
6月17日 We are not things なんくるないさを聞いたことがない
 
あれから完全に中毒というような状態で、近所のマックスバリュというスーパーマーケットに行っても、「マックス!?」などと文字だけで興奮したりしている。まさにMADであり、この連載のタイトル通りMUDだ。
 
2回目のフュリオサを見るためにまたiPnoneより安いHONDAを走らせ、高速に乗る。私の住む沖縄北部、やんばる名護から、コザや那覇の中南部に出るには、なんと3パターンしか道がない。西海岸、東海岸、そして「高速」と呼ばれているが厳密には高速道路ではなく有料道路である沖縄自動車道だけだ。
 
何でもかんでも米軍基地に話を繋げるなと言う方もいるかもしれないが、この交通事情の悪さももちろん米軍基地の多さが関連している。日本の米軍専用施設の、いわゆる米軍基地の70%が国土の0.6%しかない沖縄に集中してる。
これだけでも異常な数字だが、この結果、沖縄島の15%が米軍基地となっており、中でも沖縄県中部だけを見るとなんと25%が米軍基地であり、我々が日常的に入ることの許されない場所となっている。ましてやここに自衛隊基地の面積は入っていないわけだから、この島々がいかに軍との共存を強いられているかは、住んでみると想像を超えるものだ。
 
戦前にはあった鉄道が全国で唯一、戦後79年、いまだに復旧していないのも沖縄だけだ。(モノレールがある範囲はごく一部)
これにももちろん米軍基地が影響しているし、不発弾の存在もある。
 
こうした道路事情から、沖縄では通勤通学の時間帯にものすごい渋滞が発生する。
時間が本当に読みづらい。よく沖縄には「ウチナータイム」があって、皆、時間に遅れがちだ。というステレオタイプがあるが、それをすべてウチナーンチュの県民性といってしまうのは、乱暴だと感じる。米軍基地の存在による都市計画の不備、それによって起こる交通事情の悪さが時間の曖昧さに繋がる、いわゆる「ウチナータイム」の原因のひとつだ。こういう視点を語る沖縄人は少なくないし、私自身この島に暮らして、そう感じるようになった。
 
こういう、「本土」と「沖縄」との視点のズレについて、私は今回のドキュメンタリーで解き明かしていくつもりだ。
思えば、沖縄に住んで8年になるが、私は「なんくるないさー」という言葉を聞いたことが一度もない。「なんくるならないさー」と皮肉混じりに、さびしげに笑う人たちを何度も見てきた。
 
沖縄の高速を走ると内地とは違うものが多く目につく。
 
Yナンバーは米軍の私用車で、とてつもなく荒い運転をしていたり、保険に入っていなかったりするので、事故ると面倒なことになるというのが、沖縄県民の中ではもはや「あるある」となっている。飲酒での検挙のニュースはほぼ毎週あるし、Yナンバーと事故ると警察だけではなくMP(軍警)も来る。
 
最近多いのは「わ」や「れ」ナンバー。通称「われわれ」と呼ばれる観光客のレンタカーたちだ。とくに近頃は「外国人が運転しています」というステッカーを貼った車両も目立つ。(※この文言には議論がある)あまり日本の交通ルールがわかっていないのか、追越車線をゆっくり走っていたりするので注意が必要だ。
 
加えて、北部では巨大な迷彩の米軍の戦闘車両も走る。荷台には小銃を抱えた米兵たちが乗っていたりする。緑の迷彩ならまだわかる。米軍が沖縄や日本を守ってくれているというロジックにどうにか当てはまる。しかし、緑ではなく砂漠用の黄土色の迷彩車両も走る。これを見ると、沖縄に砂漠はないよな、、、という微妙な気持ちになる。やはり沖縄を守るというより、訓練のために沖縄にいるのでは? と勘繰りたくもなる。
 
高速の上を米軍機が横切る。窓を開けて飛んでいる軍用ヘリは地上の建物や車両や人を標的にする訓練をしながら飛ぶ。沖縄に住む僕らは、知らないうちに訓練の標的にされている。そしてオスプレイも飛ぶ。この機体は事故が多く安全性に疑いがあることから、米軍住宅の上は飛ばないというが、僕らの住宅の上は平気で飛ぶ。
 
そして、高速では機動隊車両とすれ違うことも多い。
沖縄北部では今、辺野古の座り込みに加え、そこに土砂を運ぶ船への積み込み作業に対する抗議活動(牛歩)が、安和と塩川でも連日行われているため、この抗議者を排除するための機動隊車両もよく見かける。あれが帰る頃だから今、何時だな。という時計がわりな一面もある。
 
このように沖縄の高速は、多様性と言っていいのか、百花繚乱、様々な属性の車両が走っている。これらをバックミラーで見るときの景色は、やはりマッドマックス的だと感じざるを得ない。
 
2回目の「フュリオサ」。一度目より冷静に見られる。細かい部分が理解できるようになる。名画は一度目より二度目が良いのかもしれない。そう思うと、人生も一度目より二度目の方が良いのだろうという気がしてきた。しかしまあ、僕らの人生は一度しかなかった。
「フュリオサ」を見て、青山真治監督の『共喰い』の田中裕子さんを思い出したりした。
帰ってまた、「怒りのデスロード」を見返すと、「we are not things」という言葉が気に掛かる。そしてやはり、自分が沖縄のプロテストの人々に同調する理由もこの「we are not things」なのだとあらためて感じた。
 
「私たちの命を生活を人生を、もののように扱わないでくれ」
 
沖縄の基地反対運動、抗議運動を説明する時に、それが今、もっとも感覚的にしっくりくるのだと思う。
 
 
 
6月20日 骨を掘る男
 
【映画『骨を掘る男』[本予告編]】
 
その日の朝、梅雨が明けた。蝉の声が滝のように鳴り響き、もくもくとした夏の雲が高速道路の向こうに積み上がっている。鬱鬱とした気分を直射日光が溶かしていく。
遺骨収集ボランティアの具志堅隆松さんが慰霊の日の岸田総理の来沖に抗議し、ハンガーストライキを始めるというので那覇へ撮影に行く。
 
具志堅さんはもう数十年、沖縄戦の戦没者の遺骨を掘り続けてきた人だ。
詳細は現在公開中のこの映画に詳しい。
6月23日、慰霊の日が迫っていた。この日が沖縄県民の公休日になっていることを、恥ずかしながら私は沖縄に住んで初めて知った。この日に対する沖縄の人々の想いは、並々ならぬものがある。そしてこの鎮魂の日に、矛盾する行いを政府がしながら、慰霊式典に岸田首相が参加することに具志堅さんは声をあげた。
 
twitter (@oogesatarou)
岸田総理が慰霊の日に沖縄を訪れることに抗議し、ハンガーストライキを始めた具志堅隆松さん(遺骨収集ボランティア)からのメッセージです。
「戦没者に哀悼の誠を捧げながら、戦没者を海に捨てるという矛盾する事はできないですよね。それは岸田総理さんの胸の内でどう折り合いがついているのか?」

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79年目の慰霊の日に向けてそれぞれの横顔に汗が滲む。灼熱の中、私は慌ただしく撮影を続けていた。
「この世のあらゆる地獄を集めた」と表される沖縄戦だが、この国はまだ、そこから何も学び取っていないのではないかという不信感が募る。本当にこの国は反省できたのだろうか? 疑わしいことばかりだ。
 
岸田首相への抗議や過剰な警備、多くの涙、いまだ癒えぬ傷、祈り。
そして、また新たな事件が発覚し、人々は今、悲しみと怒りの中に在る。

米兵による未成年者へのレイプ事件を外務省は慰霊の日の直後に公表したのだ。
政府は沖縄県議選への影響も考えたのだろうか。事実上の隠蔽ではないのか。
いったい、いつまで繰り返されるのだろうか、癒えぬ苦しみがまた再びこの島々を包んでいく。
まさに「We are not things」照りつける太陽のなかで、私もまた怒りに震えている。
そして今朝、抗議運動の現場で警備員が亡くなる事故が起きてしまった。
混沌が目に見えて迫るような感覚。警備員や機動隊もまた国によって
「things」にされた存在だった。それがまた悲しい。
怒りと悲しみに満ちたこの夏を私は、記録し続けなければならない。
どうにか正気を保ちながら。

慰霊の日の様子と、その後の事件発覚については、また次回書くことにする。
 
猪股東吾
 

慰霊の日については、こちら沖縄出身の2人によるポッドキャスト「沖映社」の内容がとても良かったので聞いてみてください。
沖縄と映画と社会と 「#76.5 『慰霊の日』特別エピソード」