boid マガジン

  • 会員登録
  • ログイン
  • その他
  • 2016年9月23日

未来世紀、ホボブラジル 第4回

映画監督の松林要樹さんが、世界最大の日系人居住地でもあるブラジルでの生活をレポートしてくれる「未来世紀、ホボブラジル」第4回です。今回描かれるのは、ブラジル北部の日系人入植地としては最も古い歴史を持つトメアスに暮らす、福島県出身の鈴木耕治さんとの交流。ある日、酒の席で人を怒らせた松林さんに鈴木さんがかけた言葉とは――
DSC01425.JPG 112.97 KB



文・写真=松林要樹


取材先での失敗はつきものだ。それを肯定していい経験に生かすにはやはり時間がかかる。先日尋ねたブラジル最大級の日系移民の入植地トメアスでのことだ。ここはブラジル北部のパラ州トメアス、アマゾン川河口のベレンから南に230キロほど離れたところにある。日系人が切り開いた「入植地」としてはブラジル北部で最大かつ最も歴史が古く、今も約300程度の家族が暮らしている。
トメアスに、私は3年前から通い始めた。行くたびに福島県郡山市出身の鈴木耕治(76)と会うことになっている。鈴木はいまトメアスで和尚さんをやっている。私が丸刈りなので、坊主の弟子みたいについて歩いている。
トメアスの中心地からわずか2キロにある開拓された土地に不意に現れるゴルフ場で待ち合わせた。
「ここのゴルフ場、オレらが作ったの自分の手で。まわりの日本人に声をかけてね。はじめ56人だったね。だいたい1人あたり米ドルで300を集めたの。土地は安かったよ、25丁歩で6000ドルだったから。9ホール作ったんだ。自分たちで作ったから愛着があるんだ」
普通のゴルフクラブのオーナーと違って「自分の手」というところが違って面白く感じた。

GOPR1227.JPG 422.22 KB


このゴルフ場は1989年に鈴木耕治などトメアスの農場主らによって作られた。
トメアスは1940年代後半から1960年代にかけて胡椒の生産で世界に名をはせたが、単一栽培のモノカルチャーは自然のバランスを壊し胡椒の病気が発生させ、生産量を落とした歴史がある。胡椒に代わる作物を探していたところ、川べりに住むアマゾンの先住民は様々な種類の作物を混植していることをヒントに、今は混植のアグロフォレストリーという農法を用いている。今も胡椒、カカオ、アサイなどの農産物が混植状態で作られている所を目にする。現在ではトメアスから日系移民の多くはサンパウロやベレンなどの大都市に移った。鈴木も1994年に熊本県に一年間出稼ぎに行った。
鈴木がボリビアに旅行した際に、当地のゴルフ場を見て、入植地のトメアスにも作ろうと動いた。出資だけをやった人の話と違い、会員が手持ちの農機具を持ち寄って作った。
今ではトメアスの住民をはじめ、訪れる人が頻繁に利用するゴルフ場になっている。農薬はほとんど使っていない。全くゴルフをやる文化のない土地に、日系のゴルフ場が作られた。

鈴木がゴルフ場をハーフで回って、午後に彼とビールを飲んでいた時の事だった。鈴木は親よりも離れた世代の方だが、人懐っこいのですぐに若者に溶け込む。ゴルフ場でもカトリック系の日系3世の若者に、宗教についての論議を吹っ掛けられていた。だが、鈴木は宗教の論議を避けた。
「ここブラジルではサッカーと宗教と政治の話は、いくら酒の席でやっても結論が出ないからやめろ」と。このところ、ブラジルの政治は揺れに揺れていたので、おのずとその話題になっていた。
じょじょにビールから度数が高い酒が入り、話題が日本の政治に移った。私は鈴木と一緒に飲んでいたとき自民党を非難した。ゴルフの休憩をする周りの日系一世の人たちが冷ややかな視線を送ってきたが、二人とも「自民党」のキーワードは何か通じるところを見出した。私と鈴木はもう少し飲み足りないと思い、2軒目の店を探したが日曜日の午後ですべて閉まっていた。鈴木は面白がって自民党の支持者の親友の家に連れて行った。
国道沿いにある家に着く。玄関で雑種の毛むくじゃらの犬が迎えた。
「今の総理大臣についてどう思うか率直に言ってみろよ」と、席に着いていきなり鈴木は私に仕掛けてきた。
したたかに酒に酔っていたこともあり、TPPに関する自民党の二枚舌を使った安倍の政策を皮切りに、今の自民党について批判的に言った。酔いに任せたままだった。すると、訪問した直後にもかかわらず家の主人から「お前は共産党か、家から出て行ってくれ」ときつく言われた。そして続けざまに、今の日本人は根性が足らんから徴兵制を再び制定する必要があるとも。
鈴木はもともと自民党を支持していたが、郷里福島における自民党の対応を一時帰国時に目にして以来、自民党に対して少し懐疑的になっていた。鈴木が、すぐにヒートアップする性質を持つこの家の主人をからかっているのは、すぐにわかった。すぐに席を外すつもりだったが、奥さんが間に入って緩衝材となり、奥さんが精魂込めて作った漬物を肴に2時間近く居座った。
戻る車の中で鈴木は言った、「一世の移民の俺らにしたら日本政府は決して逆らえないものなんだ。ある種、自分らの身のよりどころとして象徴的なものなんだ。だからあいつもああいうしかないんだ」。
誤解を恐れずに言えば、ここトメアスの戦後の移民一世のほとんどは自民党の支持者。一時期、民主党に政権が変わった時代はクーデターが起きたような感じに扱われる。今のところ私はどの政党も支持していないことを伝えたが、結局その席で一度できた結局その席で一度できた溝は埋まらず、話は深まらなかった。

DSC01423.JPG 147.89 KB


翌日、鈴木とともに句会に参加した。ゴルフと俳句をたしなむ鈴木は、アマゾン季語を教えてくれたが、気分がさえない。お互いひどい二日酔いになっていたからだ。
トメアスからさらに遠く離れた人たちが毎月、はがきに書いた句を送ってくる。いろんな人が心を込めて書いた選句をやっている最中に、強い西日が差し込み部屋がサウナ状態になってきた。それでのどがカラカラに乾いていたので、鈴木はまた私を誘って飲みに連れて行ってくれた。
そこで昨日のこともあり、シュンとして控えめにしていた。酒が入ってビールが3本空いたころ、鈴木は「酒の席で失敗したことなんて、オレの若い頃もたくさんあったぞ。いつお前は酒の席で大失敗するんだ」ときつく言われた。
それでますますシュンとしていると「また新しくビール瓶を買って昨日の家に乗り込んで議論をするくらいの気持ちじゃないと、それが経験にならんだろ」と。
もめ事をおこして、おとなしくしておけばいいという風にはもっていかず、きちんとけじめをつけてこいということか。日本社会で酒の席で失敗した時には経験したことのない説教に触れた。
鈴木に連れられて昨日の口論の現場に足を運ぶと、昨日と同じように迎え入れてくれた。この夜は日本人だけが強いと思い込んでいるサッカー男子日本代表についての話題で盛り上がった。