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- 2016年8月7日
未来世紀、ホボブラジル 第3回
映画監督の松林要樹さんが、世界最大の日系人居住地でもあるブラジルでの生活をレポートしてくれる「未来世紀、ホボブラジル」第3回です。今回はアマゾン川流域に自生するある植物を煮出してつくられるお茶についての話。吐き気と幻覚作用を伴うというそのお茶を3年前にブラジルに滞在していた際に初めて飲んだという松林さん。その時の不思議な体験、そして先日再びそのお茶を飲んだ時に起こったことを教えてくれます。
文・写真=松林要樹
「アヤワスカ」という南米のアマゾンで先住民族のシャーマンらが神と通じるために使っていたお茶がある。樹のツルと木の実のシャンクローナを煮出したものだ。人にもよるがはじめは飲むと苦くてまずくて吐き気を催す。一度で飲む量も30ml程度。色は場所にもよるが、大体がコーヒー色。ショットグラスに注がれる。ちょうど子供のころに大人がおいしそうに飲んでいるビールを口に含んで、苦さのあまり吐いたような感じか。幻覚が見えないならば、すすんで飲むこともない。
今から3年前の2013年に初めてブラジルに行く前に、メキシコに住む日本人のア―ティストの信平に「ブラジルでアヤワスカ飲んでみたらいいと思う。人生観が変わるかもね。幻覚性のある飲み物だけど、ドラッグじゃない、ドラッグのつもりで試すと大変なことになるかも。自我の崩壊が起きた後に、知らなかった精神世界に入るかもね。やってみたら」と言われた。
信平曰く、興味がある世界に意識を持っていくと、その世界に飛び込めると。なんでも在米被爆者の記録映画を作った信平は、「1945年8月9日の長崎とチャンネルがあって、焼け野原になる過程を目撃した」とまさに自分が見てきたように語る。さらには、人によっては母親の胎内にいたときの記憶がよみがえったり、先祖の見た100年前の風景がみられるという。
にわかに信じられなかったが、3年前にベレンという町からアマゾン川をさかのぼって、マナウスという町に着き、その過程で首都ブラジリアで文化人類学の研究をしているダニエル先生と知り合った。マヤ暦のTシャツを愛用するダニエル先生が、師匠とあがめているタカシと呼ばれるシャーマンがマナウスの郊外にいるという。
さっそくダニエル先生の車で明け方にマナウスの北200㎞ほどのプレジデントフィゲレードという町へ向かう、そこで軽食を食べて、さらに、舗装されていない道を40kmほど行くと、シャーマンの家があった。
ゲゲゲの鬼太郎の掘っ立て小屋みたいな簡素なつくりの家だった。出迎えてくれた人は、上半身裸だが、私と同世代と見える。見た目はブラジル人だが、なんとそのシャーマンは日系人だった。お母さんはイタリア系の移民の一家で、お父さんのほうの一家は福島のいわき出身者だ。ちょうどその時、私は原発ができる前に福島から移民した一世に当時の生活状況を聞き取り取材をしていたために、その偶然に驚いた。
タカシはペルーアマゾンで修行して、数年前にマナウスに移ったそうだ。みんなからタカシとよばれている日系3世で、日本語はあいさつ程度しかできなかったが、福島に祖先をもつ日系人のシャーマンに知り合えた。まさか、福島の日系人関係でこのお茶に出会うとは全く予想すらしていなかった。
アヤワスカを取り扱うシャーマンは、宗教的な儀式を行っていて、ブラジルでこのお茶を飲むことはドラッグを使用することとは全く違うとされ、合法的な飲み物だ。たぶん日本でも法的には取り締まれない。効果はピンキリだからだ。
タカシからお茶を飲む前に「塩を取りすぎていないか? 酒を飲みすぎていないか? チーズや肉の油を食べすぎていないか?」などいろいろと聞かれた。信じている宗教はそのままでいい。内なる自分に向き合うと、人生を不安に思ったり吐きたくなるから、遠慮なく吐いてくれと。
お茶は宗教的な使い方をすると聞いていたので、どうやって飲むのかと聞く。すると台所の下からビール瓶に詰められたお茶が出てきた。
一緒に行ったダニエル先生は、「これがアヤワスカ、人によっては効果が違う、一滴なめただけでぶっ飛ぶ人もいれば、いくら飲んでも導かれない人もいる」という。ただ、そのお茶を飲んだ後に見えてくる幻覚の世界は、その後の現実の世界に少なくない影響を与えると言われてビビった。予知夢のようなものか。

私は初めてなので、まずは精神を集中させるトレーニングを行うらしい。マジックアワーに差し掛かるころに苦々しい飲み物をまず飲んだ。夕暮れどきから30分くらいすると徐々に当たりの光が徐々になくなっていく。タカシがクラシックギターで聞きなれない言語の歌を歌う。目の前に見えるのは、ろうそくの火だけになった。そして、目を閉じると高速で移動する幾何学模様が現れた。飲んだ約1時間後に気分がとても悪くなり、飲んだばかりのお茶を戻した。
ダニエル先生とタカシが「浄化が始まった」という。はじめアヤワスカを飲んで具合が悪くなるのは、なんでも体にある不純な物質や寄生虫を体から取り除くためらしい。落ち着けとのこと。さらにその1時間後、すでに真っ暗になった状態で2杯目を飲む。高速で移動する幾何学模様はすでに止まり、それ以降目を閉じても何も起きない。
何も起きず、残念だと思っていた。非常に疲れたので、そのままハンモックがある場所に移動して眠った。どのくらい眠ったかわからなかったが、揺れるハンモックの中で意識が遠のいていた。
ふと目が覚めトイレに立ち上がった時に足の指先が自由に動くことに気が付いた「あ、オレって人間だったんだ」と我に返った。用を足す最中に、また吐き気がして戻す。どうしても体から排出されないものがあると感じた。その瞬間「肉を食べすぎると体から脂が排出されない」という感覚を得た。ブラジルに着いてほぼ毎日が牛肉を食べる生活に代わっていたから、そういう意識が現れたのだろうか。不思議な感覚だったが、それ以来、日本の生活でも牛肉を食べるのを控えている。後々調べると牛脂はほかの動物性油に比べると融点が高く、消化されにくいと。まさか、何か別の生き物の意識になっていたのだろうか。
トイレから戻って3杯目を飲むかとダニエル先生に誘われたので、再び飲んだ。意識を飛ばしたかったからだ。どの程度の時間がたったかわからないが、目をつぶると福岡県の俯瞰の映像から焦点が絞られ、すーっと私の高校時代の通学路が現れた。
電車通学の画が出た。電車は西鉄久留米から天神方向に向かう。前日の夜に大雨が降り、筑後川が増水して氾濫している。電車の中で近くにいる女子高生が、夜中に長時間露光で雷を撮っていたという声を耳にした。その瞬間に、高校2年の1学期の期末試験の最中、久留米から天神に向かう西鉄列車の朝の準急に乗っている時代が特定された。そこに自分の姿が見えた。高校時代に好きになったが、勇気がなく一言も声をかけられなかった、近所にある女子高の子のことを思い出した。
翌日、はっきりと目が覚め、あんな時代の風景を何で思い出すのかわからず、「ああ、なんであんな時代のことをはっきり見たのかな」とのんきに思っていた。
それからタカシの施設で、1週間ほど滞在して現世や来世について話をしたが、はっきりとしたイメージとして現れた映像では、外国人と侍が入り混じる長崎の平戸か出島の映像と、高校の通学路の映像が最も印象に残った。
それから2週間後に、この旅の出発地だったサンパウロに戻った。はじめてブラジルに到着以来お世話になっている日本人が発行するフリーペーパーの事務所に立ち寄った。
編集長の布施さんは絵画の観賞が趣味で、いろんな美術館に連れて行ってくれた。丸一日サンパウロで美術館巡りをして、終わってぐったりして、再び彼の事務所に戻った。彼が発行するフリーペーパーがあった。フリーペーパーに猫のロゴがあった。
私は思わず「この猫のロゴは布施さんが書いたんですか?」と聞くと、布施さんは「君と同じ福岡の出身でね、同世代のNさんっていう人が書いたんだよ」という。そのNさんというのは、まさに高校時代の通学路で声をかけられなかった人で、その人と会うことをまさしく予見していたような夢を見ていたのだ。
布施さんによれば、Nさんはイタリアでブラジル人と知り合い、その後、結婚して3人の子供がいることを知った。ちょうどその時Nさんは日本に子供を連れて一時帰国中。それで久留米に戻っていた。再会できたのは、それから1年後であった。今では彼女のママ友の一人に加えてもらった。
ただ、Nさんにもこの体験を語ったが、不思議な体験を説明しようとすればするほど、何か陳腐になってくる。なので、体験を自分の中に秘めておこうと思ったが、結局書いた。このたび、3年ぶりにアヤワスカを体験したからだ。
今回はアマゾン川の河口のベレンに住むブラジル人ウラジミールという友達だ。ときどき撮影の時に車を手配してくれる関係だ。彼が信仰しているサントダイミ教の施設で飲んだ。ベレンから車で1時間ほど走らせたアマゾンの原生林の中に施設はあった。同じアヤワスカでもこの前のインディオ系のシャーマンたちが飲んでいる方法とは違うことを知る。ユダヤのダビデの星の紋章がかたどられた勲章を付けた人たちが受付にいて、書類に自分の出自と自分の健康状態と精神状態を聞かれた。
何十人もの信者が並んで受け取るお茶。前回のように少数ではない。しかも自己啓発セミナーのように、自分の新たな能力を発見しようとしている20代から40代の人であふれている。お茶を飲んで、しばらくするとやっぱり疲れてきた。
夜9時に飲み始めた。蛍光灯の明かりが、宗教施設のど真ん中で煌々と光る。開祖でもある黒人の元労働者の写真を照らす。まるでシャッタースピードのレートが違う状態で撮影した動画ように、光が青くチラチラと目に光がにじむ。すぐに具合が悪くなったが、宗教施設のスタッフが「足を組み替えるな、腕を組むな、疲れても歌え、戻してもまた戻ってこい」など制限が多く、目を閉じても、開けてもなんだか気持ちが悪い。
私が3年ぶりに飲んだのは、熊本で2度目の大きな地震が起きたその日だったので、熊本に意識を合わせるためだった。祈るような気持ちでいたが、一向に熊本の映像は表れず、三池炭鉱の掘削現場で窒息死した炭鉱マンの怨嗟が聞こえた。煌々と輝く青色の蛍光灯の光が、ますます気分を悪い方向に導く。
稼働中の原発が止まってほしいと念じ、日本の安倍晋三の意識の中に入れないものだろうかと。そして、彼の意識を変更して、今まさに行っている政治の方向性を180度変えることはできないか。今の政治に不安を覚えているので、そんな妄想にとらわれていた。
しばらくすると首相の安倍晋三の顔のそばのアップの画が見えた。毛穴に詰まった汚れの状態もはっきりわかり、瞼の上のしわもしっかり見てとれた、すると安倍が虫を追い払うように、殺虫剤を振りまいたり、必死に叩き落とそうとしている表情が見えた。我にかった。虫の視点になっていたことに気が付いた。
映像が見えるのは一瞬であるが、その一瞬が永遠の感覚になることもある。何かの予知夢にならなければいいが、前回の比喩のように実際のわが身に降りかからないことを願うのみである。
松林要樹
映画監督、ジャーナリスト。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、アジア各地での映像取材に従事。09年、戦後もタイ・ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追った『花と兵隊』を監督。12年には福島第一原発の20㎞県内にある南相馬市を取材した『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』を、13年には一頭の馬を通して被災地の姿を映し出した『祭の馬』を発表した。また著書に『ぼくと「未帰還兵」との2年8カ月』(同時代社)、『馬喰』(河出書房新社)などがある。現在はブラジルと日本を行き来し、次回作の取材を行っている。
