- その他
- 2016年4月18日
未来世紀、ホボブラジル 第2回
映画監督の松林要樹さんが、世界最大の日系人居住地でもあるブラジルでの生活をレポートしてくれる「未来世紀、ホボブラジル」第2回。ブラジル北部、アマゾン川の河口南岸に位置する都市・ベレンに移った松林さんは、大潮の際に起こるアマゾン川が逆流する現象「ポロロッカ」とその現象を利用して行われるサーフィン大会を取材しようとします。そこで現地の人々に聞いて回るのですがなかなか正確な情報を得られず――。はたしてポロロッカを撮影することはできたのでしょうか。
.jpg)
文・写真=松林要樹
一体いつだったかはっきり思い出せないが、子供のころテレビの番組でブラジルのアマゾンのポロロッカという自然現象をとらえたドキュメンタリー番組を見ていた。ヘリで撮られた大自然の様子に感動した。ポロロッカという言葉を知ったのは、その時が初めてで、地球の裏側にある遠い異国に思いをはせるのに十分な響きだった。
ポロロッカとは現地のインディオたちの言語で「大きな騒音」を意味し、アマゾン川を大体、雨季の2月から4月の間、大潮の日に川の真水が海からの大潮にぶつかって川を逆流する現象だ。一年に一度しか見れない現象という風に謳っているところもあるが、程度の大きささえ問わなければ、雨季の間の大潮の時に発生している。ただ、時期と場所によっては逆流スピードが時速60kmくらいで波が5m近くになるという。まるで津波のような現象だ。
百聞は一見に如かず。いま福島とブラジルをつなぐ映像作品を作ることを予定している。その最中に、この二つの世界をつなぐ現象としてポロロッカを撮りたいと思った。そこで調べていくうちに、今住んでいる南緯3度のパラ州ベレンから3時間ほど離れたサン・ドミンゴ・カピンで、この16年ほど前から物好きなサーファーたちがはじめたサーフィン大会があることを知った。
べレン市内にて
実際見てみたいと思い、北ブラジルのベレンで準備をはじめた。今、私は日本で言えば中学3年生程度のポルトガル語、比較級や最上級の表現を学んでいる。語彙も少なく、語学がまだ足りないから情報源が日本語かもしくは英語の文章しかあたれない。情報源にもよるが、インターネットの日本語の情報も当てにならない。
ところが、ベレンに入って人に会って調べ物をするや、まともな情報がない。南緯3度のベレンにはサーフショップは見当たらない。行く先を変更。ベレン中心地で同世代の日本人男性の大谷さんらが経営するResidencia BBという宿がある。そこで知り合ったサーファーだった阿部さんに聞くと、田舎のほうのサン・ドミンゴ・カピンでサーファーのイベントがあるみたいですなあと。去年の場合は波の大きさが小さくて中止になったよと、そんなネガティブな情報を調べてくれた。
今回、子供のころ見た印象に引きずられポロロッカをドローンで空撮しようと思っていた。ドローンなどの撮影機材や、きちんとした情報を持ち、アマゾン川水系を中心に映像の撮影しているベレン在住のカメラマンのジュリオに話をすると、ドローンを使ったポロロッカの映像を見たり聞いたりしたことはあるが、実際に撮影に行ったことがない。周りの仲間でも行っている人はいないという。事務所でサーフ大会の情報を教えてくれた。「ほら見て、ドローンを使ったポロロッカのサーフ大会の映像は、リオやサンパウロなどのテレビ局や外国のクルーが撮っているんだ」と(しかし、今回のドローンの撮影は日程の都合がつかず中止)。
ポロロッカは地元では関心の薄い現象かもと思っていたが、ジュリオに「かつてあなたが東京に住んでいたときディズニーランドへ行ったことがあるの?」と聞かれ、行ったことはないがテレビで見たことがあるというと、同じようなもんだと一蹴された。
また同じようにアマゾンのトメアスに移住してきて60年以上経つ日系一世の人たちに聞いても「聞いたことがあるけど、見たことはない」と口をそろえたように言う。戦後にアマゾン川水系のグアマ川近郊のグアマ移住地へ入植した人たちのみ実際に見たことがあった。そのうちの一人は、実際兄がポロロッカに巻き込まれそうになり、その時たまたま漁で使う木のつい立に引っかかって助かったという。だが、いまその場所でも50cm程度のポロロッカしか現れないという。
そういう状態が続いていたところ、アマゾンで旅行会社をやっていた日系一世の吉丸さんが20年以上前に実際に日本のテレビのロケのコーディネートに加わったらしいとの情報が入り、連絡を取ってみた。すると近年はこのベレン近郊では見られないことがはっきりと分かった。アマゾン川河口に大きな中州があり、その中州の大きさはなんと九州とほぼ同じ。マラジョー島という。ベレンから中州に向かって反対側には大きな波が押し寄せてくるそうだ。逆まで行くと全く地理勘がない。川のフェリーを使った移動で2泊かかるため、準備する時間がもうない。
ただ、雨季の大潮の日に昼と夜に見られる現象で、この時期を逃すと来年まで見られない。ベレンから3時間ほど離れたサン・ドミンゴ・カピンでも見れるが、規模は小さ目だという。
潮の関係ならば、地球と月の位置を調べると新月を迎える4月7日の木曜日に大潮が来る。真夜中の撮影すると現場にまったく光がないと思うため、撮影にならないと判断し、翌日の8日の昼12時ごろの潮を見ることにした。
今年のサーフ大会は土日にあわせているため、新月ではなくて波が小さい。できるだけ大きな波を見たいため、ホームページにかかれた大会の連絡先として書き出されている電話番号に電話した。
陽気なお兄さんノエリオが電話に出てサーフ大会の開始時刻などはまだはっきりと分からない、だいたい8日の正午ごろだという。だいたいというところがいい。ノエリオは全くポロロッカサーフ大会のホームページ情報を更新していなかった。
会場に向かうサーファーたち
情報を当てにして4月8日の早朝から出発した。連れて行ってくれたのは日本語ができる日系人のタクシー運転手のオオタさんだ。オオタさんもテレビで見たことがあるが実際に見たことはないという。昨日ポロロッカが出た場所に近づくと、地元の人たちがジェットスキーなどを準備していた。なんだか本当にポロロッカが出てくるんだなと実感し、昨日の夜が大きかったということを語っていたのでさらに胸が高まった。
現場に到着するや否や川の水がみるみる引いていく。誰もいない静かな風景だったが、予定の時間になる30分前ごろには、ポロロッカが起きる場所から2時間ほど離れたサンタイザベルにある高校生の課外授業の集団がバスに乗ってやってきた。
なんだ、みんなこの時間に来るってこと知っているんだと思っていたら、学校の先生と話しているうちに、明日来るか今日来るか、昨日ギリギリで判断してきたそうだ。ギリギリにならないとはっきり決められないなんて、まるでポロロッカにかかわる人がみんな私みたいに優柔不断だなと思っていた。
遠くから「ゴー」という音が聞こえてきた。
ポロロッカだ。3.11の津波の時に大きな音がして、突風が吹いたということを取材を通じて聞いていたが、大きな音が近づいてくる。はじめは波が割れておらず、大体、1.0mほどの高さだ。そんなに高くない。その波にサーファーが乗っかっている。対岸を見るとマングローブに波が巻きついてなぎ倒している。
近づくうちに波が割れてきた。女子高生の観客らが「キャー!」と絶えず奇声を上げている。割れた波の先端にいるサーファーが時速60 km程度の速さで過ぎ去っていく。あっという間の出来事で、引いていた川があっという間に満たされた。潮の満ち引きにこんなにエネルギーがあるとは。それが視覚的にはっきりとわかる場所などそうそうない。
.jpg)
3.11の津波と関連付ける自然現象をとらえた映像のつもりだったが、撮れ上がった映像は高校生が見守るサーフィン大会のPR映像みたいになった。この映像をどういう風に使えばいいのだろうかと、今深く頭を悩ませている。
見学に訪れたサンタイザベルの高校生たちと
松林要樹
映画監督、ジャーナリスト。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業後、アジア各地での映像取材に従事。09年、戦後もタイ・ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追った『花と兵隊』を監督。12年には福島第一原発の20㎞県内にある南相馬市を取材した『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』を、13年には一頭の馬を通して被災地の姿を映し出した『祭の馬』を発表した。また著書に『ぼくと「未帰還兵」との2年8カ月』(同時代社)、『馬喰』(河出書房新社)などがある。現在はブラジルと日本を行き来し、次回作の取材を行っている。
