『絞殺魔』(The Boston Strangler, 1968) はジェロルド・フランクによる同名のノンフィクション小説を原作とし、1962年から1964年にかけて実際にボストンで発生した連続強姦殺人事件を描いている。トニー・カーティスが演じた容疑者アルバート・デサルヴォや、ヘンリー・フォンダ演じる司法省の官僚ジョン・ボトムリーなど、主要キャラクターの大半は実在した人物である。この作品は、プロダクション・コード――ハリウッドが性的・暴力的描写を自主的に規制するために設けた規定で、ヘイズ・コードとも呼ばれる――が廃止される直前、1968年10月に「成人観客向け」映画としてアメリカ公開された。凶悪犯罪を題材としながらも、同時代の流行とは異なり、性的・暴力的描写を抑制したドライなタッチで描いている。容疑者の捜索が行われる前半部は、モントリオール万博の展示から着想を得たという、シネマスコープの大画面を細かく分割したスプリット・スクリーンを駆使して展開する。硬直した遺体の脚が暗い画面の片隅にふと浮かびあがる瞬間から始まるシーンのように、陰惨な犯行の数々はあくまで即物的に提示されることで、鮮烈な印象を残す。だが、単にシリアスなだけではなく、たとえば怪しげな超能力者までもが捜査に協力し、自ら地面に横たわり犯行現場を描写してみせるシーンでは、フライシャーが得意とする斜め俯瞰ショットがユーモアを滲ませており、巧みな画面構成と緩急のついたリズムで観る者を惹きつける。
『夢去りぬ』(The Girl in the Red Velvet Swing, 1955)は、冒頭のクレジット直後に示される通り、1906年に大富豪ハリー・ケンドール・ソーが建築家スタンフォード・ホワイトを殺害した実際の事件を描いている。舞台『フロロドーラ』のメンバーだった美女イヴリン・ネスビットは、既婚者であったホワイトと1901年頃から交際していたが、1905年にソーと結婚する。妻の過去の不倫に執着したソーは、マディソン・スクエア・ガーデンで居合わせたホワイトを射殺した。裁判は2度行われ、2回目の裁判でネスビットはホワイトに強姦されたという証言をおこない、ソーは心神喪失を理由に無罪となる。ふたりの間には息子ラッセルが生まれるが、ソーは1915年に精神病院から退院すると、妻と離婚した。ネスビットはソー家の支援を受けられず、ヴォードヴィルやナイトクラブに出演して稼ぐことを余儀なくされ、アラン・ドワンが監督した『隠れ家の娘』(The Hidden Woman, 1922) をはじめ、いくつかのサイレント映画にも出演した。20世紀フォックスは、ネスビットについて書かれたチャールズ・サミュエルズによる同名の書物 (1953年出版) の権利を購入していたが、クレジットには記載されていない。この書物の記述よりも、撮影に協力したネスビット本人の発言に依拠して脚色された部分が大きいと考えられる。実際、ネスビットとホワイトの不倫関係は、裁判での彼女の証言とは異なる、ロマンティックなものとして描き出されている。ネスビットの報酬は、4万5千ドルから5万ドルだったという。
当初はマリリン・モンローが演じる予定で、テリー・ムーアやデブラ・パジェットなども候補に挙がったというネスビット役は、最終的にジョーン・コリンズが演じることとなった。イギリスで活躍していた彼女は、ハワード・ホークス『ピラミッド』(Land of the Pharaohs, 1955)などと並んで本年がハリウッド・デビューとなる。役柄のイメージにぴったりの美貌と抜群のスタイル、さらに確かな演技力で、ホワイトに恋い焦がれる純真な乙女のイメージとしてネスビットを描き出した。ちなみに、作品中に登場するネスビットの肖像画 “The Eternal Question” は画家チャールズ・ダナ・ギブソンが描いたもので、美女をモチーフにした「ギブソン・ガール」の最も有名な例のひとつである。レイ・ミランドが演じたホワイトは、清潔でハンサムな紳士のイメージで描かれる。一方、ファーリー・グレンジャー演じるソーは、終始傲慢で偏執狂的な人物として描かれている。
撮影はミルトン・R・クラスナーで、シネマスコープの大画面を、移動撮影を駆使しつつ引き締まったフレーミングで魅せている。テクニカラーで彩られる美術や衣装の数々も魅力的だが、やはり目立つのは建築家の住宅内に設えられた巨大なブランコの赤さだろう。ホワイトに背中を押され、真っ赤なブランコに乗ったネスビットの脚が天井の満月型をした窓に徐々に接近していくシーンは、彼女の表情を正面から見事に捉えつつ――ジャン・ルノワール『ピクニック』(Partie de campagne, 1936)を連想させる――、階級的な上昇を暗示しながら、同時に極めてエロティックな興奮に満ちたものとなっており、運動と色彩で観る者を不意打ちするフライシャーの手腕に唸らされる。なお、本作品で描かれた事件はミロス・フォアマン『ラグタイム』(Ragtime, 1981)や、クロード・シャブロル『引き裂かれた女』(La Fille coupée en deux, 2007)の着想源にもなっている。
まず、数々の手紙からは、フライシャーの脚本選びの姿勢が浮かびあがってきた。特に、監督の仕事を断る手紙の多さは印象的だった。その理由は様々だが、たとえばアルバート・R・ブロッコリから、のちにテレンス・ヤングが監督し『007/ドクター・ノオ』(Dr. No, 1962)となる脚本の映画化を打診された際には、『バラバ』(Barabbas, 1961)の編集作業が忙しいという理由で断っている。007シリーズの第1作をもしフライシャーが監督していたら、と想像すると愉しいような、恐ろしいような複雑な気持ちになる。また、のちにフランクリン・J・シャフナーが監督し『パットン大戦車軍団』(Patton, 1970)として完成することになる脚本についても、忙しいという理由で断っている。ハリウッドが大予算のブロックバスター映画の量産体制へと移行した80年代には、脚本の内容に納得がいかず、具体的なダメ出しを添えつつ断りを入れる手紙が目立った。断った脚本のタイトルには、Strip A Gram (1985)、Blood Buddy (1985)、Out of Time (1986) などが挙げられる。そこには、どんな作品でも受け入れて器用にこなした職人監督などといったイメージからは程遠い、撮るべき脚本を慎重に吟味して選んでいたフライシャーの姿があった。なお、監督作に出演した俳優と交わした手紙も多く、たとえばトニー・カーティスがフライシャーに宛てた直筆の手紙で「あなたがいなければ今の私ではなかっただろう」と感謝の言葉を繰り返し書いていたのには胸を打たれた。