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  • 2020年9月1日

ミッシング・イン・ツーリズム 第8回

新作『VIDEOPHOBIA』が10月24日から公開される映画監督・宮崎大祐さんの連載「ミッシング・イン・ツーリズム」第8回は、スペイン・マヨルカ編の第3弾。一睡もしないまま到着し、パーティーの途中で眠り込んでしまった長い初日を終え(第6回第7回参照)、いよいよシナリオ講座が始まります。Wi-Fiもほとんど入らない山奥の別荘地で行われた授業や集団生活はどのようなものだったのでしょうか。
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文・写真=宮崎大祐


マヨルカン・デイズ2
 
翌朝、ログハウスの外に出てみると、広大なみどりの斜面の上を白いふわふわとした点たちがゆっくりと広がり、うごめいているのが見えた。昨夜真っ暗で見えなかったこの場所が牧地に囲まれた別荘であることがわかった。標高が高いのか、昨日の日差しを忘れるほど肌寒く、息も白くなる。ちょうどルームメイトのクリスチャンが起きてきたので今後の動きを聞くと、母屋で毎朝全員で朝食をとることになっているという。部屋に戻り長袖を羽織り、母屋に向かった。
岩で組まれた古城のような母屋に入ると、半地下の食堂をたいまつが照らしていた。一話しか見たことがないが、『ゲーム・オブ・スローンズ』的な世界を思い出した。ビュッフェの前に出来た行列に並ぶ。あいにく昨日出会った人々の記憶はリセットされていたので気まずい挨拶をかわしながら、生のオレンジをジューサーにねじこんだ。コップ一杯のジュースを作るのに、オレンジが五つも消えるとは。プレートを手にクリスチャンの向かいに座ると、隣に座っていた赤髭の大男に挨拶をされた。彼はフレデリックといって、クリスチャンと同じデンマーク出身の映画制作者だった。今はカメラマンとしての仕事の都合で家族とともにLAに住んでいるという。アメリカの生活費や保険料がバカ高くて耐えられないなどとぼやいていた。昨日カフェで語り合ったメンバーも続々と合流し、「Wi-Fiが母屋でしか入らない」などと愚痴っている。まもなくワークショップ主催のマリエッタが、「それではひとりひとり自己紹介とこれまで自分がどんな映画を制作してきたか、今回執筆する脚本のあらすじとその物語で主張したいテーマを2分以内で説明してください」と笑顔でストップ・ウォッチを掲げた。アメリカの戦争映画かスポ根映画のオープニングのようなマッチョな展開に面食らったが、幸いわたしはマリエッタのちょうど反対側に座っていたので発表順がおそく、寝起きでも優等生的な回答を準備するのに十分な時間があった。それでも、自分の作品やテーマについて早口で要領良く説明する参加者たちを見ながら、これはもはや創作の場というよりも予備校だなと嘆息するのであった。
そのままわたしは母屋に残り、マリエッタとの個人授業がはじまった。スウェーデン以外にも南太平洋にある無政府国家の市民権も持っているというマリエッタは「あなたの書いた物語自体は非常に素晴らしいんだけど、物語の中でなにを見せてなにを見せないかをもう少し考えてみたらどう? それは、映画や社会に明るくない観客をどう想定するかという問題にはじまって、日本のお客さんには当たり前すぎて描く必要のない歴史的事実や生活習慣をわたしや海外の観客にどう見せるかということでもあるんだけど」とわたしに問うた。
その問いを持ち帰り、ログハウスの前に置いてあるプールサイドチェアに横たわり、ひたすら思索を深め、ときどき身を起こしては、つながりたくて仕方がないネット中毒の波に耐え、一向に書き進まない小説を書いて気を紛らわせたりした。空気はカラカラに乾燥していたが、昼前になるとすでに昨日の灼熱がジリジリと戻ってきていた。青すぎる空の縁に浮かんだ小さな雲はなかなか視界から消えなかった。さて今日はこれからなにをしよう。日本での貧乏暇なしな日々の中に突然生まれたこの間隙にわたしはどう対処していいかわからなかった。結局太陽は夜の9時を過ぎても沈まなかった。
 
 
マヨルカン・デイズ3
 
本日は少し肌寒く。Wi-Fiのない環境に早くも慣れてきた。元来苦手だったのだろう。飛行機の中で着るために持ってきた分厚いパーカーを着込んで朝食に向かう。昨夜の朝食夕飯と、はやくもベジタリアン食に飽きてきていたが、自分で毎朝しぼるこのリアル・バレンシア・オレンジジュースがとてつもなく美味いことだけは間違いない。生命を糧にして生きている実感がたまらない。朝食後は参加者全員がお互いの脚本を批評する時間だった。今日もわたしの「説明不足」が議題にあがった。しかし自国のことを海外の観客向けにしつこく説明することは、ともすると安易なオリエンタリズムに陥り、海外の観客だけを向いた「映画祭映画」なる危険もはらむ。とはいえ、わたしの説明不足は長年指摘されてきたことなので、そろそろ真面目に向き合い、もっと観客(他者)寄りの表現に今後はアジャストしていくべきなのかもしれない。
今日も午後はログハウスの前に座り、ボブ・マーリーの「ナッティ・ドレッド」を爆音で流しながら自問自答のような日光浴をしていた。いままで一度も心から良いと思えなかったレゲエのリズムがなじむ。自分がなにをしたいのか、本当はなにを表現したいのかなんて一流の芸術家でさえ死ぬまで知ることができない人が大半だろう。それでも問いつづけること、常に己への疑念を持つことを忘れてはならない。さもなくば、加齢とともに手癖で自己模倣を繰り返すだけの哀れな偶像になってしまうのは、かつて偉大だった先人たちが示している。
日本ではとっくに日が沈んでいる時間になって、ミラドール・エス・コロメール岬までのツアーが催された。何台かの車にみなが分乗する中、わたしはワークショップの事務を司るインド人アンテアの運転する車に乗車した。強いロンドン訛りを話すインド系は大体裕福で上昇志向が強い。聞くとやはりアンテアも高等教育を旧宗主国であるイギリスで受けていて、今も故郷のデリーではなくドーハの映画機関で働いているという。アンテアはドーハはすべての夢が叶う場所だと言った。わたしはそれが信じられなかった。そしてそんなロマンチックな夢想がどうでもよくなるくらい路肩ギリギリを走りつづける彼女の運転に肝を冷やし続けた。
一時間近いデッドリー・ドライブを経てようやくたどり着いた丘の上のミラドール・エス・コロメールは、切り立った岸壁の上から見下ろす絶景で、白い巨岩からなる周囲の島々とバレアス海が雲間から流れる夕陽を反射してぬらぬらと輝いていた。われわれは岬に散在する灯台や砲台の遺跡を散策し、そこで記念写真を撮った。わたしはいつのまにかワークショップの中でいつもの「珍獣」ポジションを確保していた。別にいなくてもいいんだけど、いるとちょっとだけみんな楽しくなるよ、という存在。
観光後、ポルト・デ・ポリェンサの町まで降りてくると、港には濃霧が立ち込めていた。車を路上に止め、霧の砂浜を横切り、狭いながらも町一番と評判の食堂に入り、白身魚のソテーと白ワインをいただいた。バーガーキング以来の動物性タンパク質とアルコールですっかり上機嫌になったわたしであったが、帰りの車の運転がアンテアだということを忘れていた。アンテアは高速道路を走行中に急減速と無理な車線変更を繰り返し、同乗していたマヤが「こんなところで死にたくない! 車を下ろせ!」と激怒し暴れはじめる始末で、わたしは体をなるべく小さくしてドアにしがみついていた。結局お互い「グッドナイト」すら言うこともなく、その夜はおひらきとなった。
 
 
マヨルカン・デイズ4
 
本日は誰かのベジタリアン専用メイン・ディッシュが食べられた、いや元々なかったのだなどという小学校の給食以来となる低俗ないざこざに巻き込まれ始まった。その後、ストローブ=ユイレの『アンティゴネ』のロケ地に似た高台でイタリアからきた脚本家サビーナにマンツーマンの指導を受けた。サビーナはわたしの脚本だけでなく、過去の監督作をすべて見ていて、脚本の内容を具体的にどうこういうよりも、わたし自身と物語、そして創作のつながりを浮き彫りにしようとする、いわばカウンセリングに近い作業であった。「なぜこのホンを書きたいんだ? あなたはなぜ日本社会に違和を感じるのか? 資本主義のなにが悪いんだ? それはいつからだ? 何故だと思う? それをどう解決するつもりだ? あなたはこのホンの中だと誰のポジションなんだ?」椅子から立ち上がったりのけぞったり、大袈裟な身振り手振りを交えて一人芝居のように話すサビーナはわたしを終始挑発し、「宮崎大祐」なるグニャグニャとしたものの本質に迫ろうとする。「結局あなた自身と直結した表現にしか時の流れにあらがうだけの強度はついてこない。流れ作業で済ませたものなんてきょうび一週間で忘れられる」とのことであった。
英語での禅問答のようなセッションを終え、少し脳味噌がオーバーヒート気味だったので、ログハウスから少し坂を降りたところにあるプールサイドにタオルを敷いて横になり、考えるわけでも眠るわけでもなく、ただ存在していた。山や海、空や生き物の発する様々な音が耳に流れ込み、それらは信じられないほど澄み切っていた。
その夜は母屋で有志による作品上映会が催された。サンダンスやらベルリンやら世界の著名映画祭で上映されたという作品が数本集まり、わたしはそんな実績が皆無の素朴な監督なのでいち観客として参加した。スウェーデンのスタジオで撮られたという同性愛のISISメンバーをめぐるラブ・ストーリー、ニューヨークが舞台の、ユダヤ人のおじさんを誘惑する中国系の女子中学生の話。今日は早く寝よう。

(つづく)