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  • 2019年12月24日

映画川 『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』『ジョーカー』

YCAMのデバイス/映像エンジニア・今野恵菜さんによる「映画川」。今回は今野さんがアメリカという国、そしてニューヨークという街について考えさせられたという2本の映画、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』(フレデリック・ワイズマン監督)と『ジョーカー』(トッド・フィリップス監督)を取り上げています。これらの作品を観たことで、今野さんは2017年に1年間、アメリカに滞在していたときに抱いたある印象を呼び起こされたといいます。

アメリカ、ニューヨーク 素直さと合理性について



文・イラスト=今野恵菜


前回の記事から約4ヶ月のもの間が空いてしまった。
この4ヶ月もの期間、私はYCAMで新たに任された慣れない仕事にあくせくしつつも、『トイ・ストーリー4』を観て憑物が落ちたような気持ちになったり、『X-MEN:ダーク・フェニックス』で変な気分になったり、2016年からその応援上映の熱狂ぶりなどで話題を集めていた「HIGH & LOW」シリーズに手を出したり、『アナと雪の女王2』でクリストフに爆笑したり、なかなか楽しい映画鑑賞ライフを過ごしていたので、今回はこの期間に見た映画の中から「アメリカ」「ニューヨーク」にまつわる2本の話をまとめたいと思う。
 
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』は、前回の記事の『ナイトクルージング』や『THE GUILTY/ギルティ』と同様、YCAM内のミニシアター(Studio C)で上映された映画で、今回も上映に先立ってその情報を新聞紙面で紹介する簡単な文面を担当した。同じ建物内に大きな図書館がある映画館でこの映画を観るという経験は不思議な小気味よさがあり印象的だ。
ところで、「図書館」という場所に対して皆さんはどんなイメージを持っているだろう? 勉強のための場所? 静かな時間を過ごすための場所? 本を保管するための場所? 「最近あまり行っていないな」という人も多いかもしれない。
この映画に出てくる人々は、その言葉や行動で「図書館は本を保管するための倉庫ではなく、“知のための場所、生涯を通じた学びのための場所”」ということを示している。本を読むことだけでなく、ときには詩や楽器の演奏、ダンスに触れること、インターネットやコンピューターの使い方など知識を得る方法自体に触れること、そして時には自身の考えをシェアするための場所を持つこと……それらは全て生涯を通じた学びであり、図書館はそのための「交流地点」であると。
3時間26分という長い上映時間、加えて様々な人の視点、場面が混在するこの映画は「映画を観ている」というよりも「自分自身も映画の中で過ごしている」という妙な没入感をも観るものに与える。題材が図書館なだけに、それはまるで自分もその利用者の一人になったような感覚だ。
そしてその長い時間を目一杯かけて語られる人々の行動や取り組みは、荒削りなものもあれど、あまりに前向きで眩しい。そこに映し出されるのは、まさに私が憧れてきた国アメリカであり、私が憧れてきた街ニューヨークなのだ。
 
それが一般的なイメージか、国民性のような主語の大きな話が理にかなっているか、などは置いておいて、私がアメリカに対して抱いている印象は、「合理性」と「素直さ」だ。
過去にこのboidのページでサンフランシスコに研修滞在していた期間のことをまとめた文章を載せていただいていた。その研修時にも思っていたことだが、「合理性」と「素直さ」この2点は本当に、私が目にした範囲での「アメリカに暮らす人のもつ美点」であるように感じる。疑念や疑問点をそのままにしないように努め、鼻白んでしまうような理想論をきちんと言葉にし、目的に対して些細な煩わしさなどは度外視してストレートなアプローチをとる…これらは私がなりたい人物像の一つであり、同時に、なれないからこそなりたい人物像だ。ニューヨークやサンフランシスコなどの多様性に富んだ土地では、人々のこういった特性がより強まっているように見える。
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の中に出てくる人々は、皆「生涯の学び」という大テーマに対して、あまりに素直で、あまりにストレートだ。その、時には愚直にすら見えてしまう姿勢が、見る人に不思議な勇気を与えてくれるのだろう。ここに映る人たちは、何か信頼に足ることをしている、そんな気分にさせてくれるのだ。 


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『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』


そんな『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』がアメリカ、ニューヨークの陽の部分ならば、今回の記事にしたいもう一つの映画である『ジョーカー』は、まさに陰の部分にフォーカスした映画、というこことができるかもしれない。
 
大変な大ヒットとなったこの映画が、ニューヨークのブロンクスを中心に撮影されたことを知る人は多いだろう。作中ではあくまでお馴染みの「ゴッサムシティ」として語られるその街並みは、土地勘があまりない人間でもわかるほど「ニューヨーク」そのものだ。そこを舞台として語られるのは、一人の平凡に不幸な男が、いかにしてかの有名な悪役「ジョーカー」として目覚めてしまうか、いわば「影のヒーロー誕生談」である。アメリカの近年の政治的情勢も相まって、公開直後から話題となったこの映画は、様々な人の手で様々な解釈がなされ、評された。ご多分に漏れずに評判を聞きつけ急いで劇場に足を運び、なんとなく様々な人の感想をネットで見て回っていた私の印象に残ったのは、Twitterでみつけた「ジョーカーにもなれないみんな~」というものだ。
日本のネットスラングを元ネタに、日本の社会情勢など様々なものを揶揄したこの一言が、妙に私の中で引っ掛かった。
実際、私はジョーカーにはなれないし、たいがいの人が無理だろう。それは、別に性善説や性悪説を盲信しているわけでも、映画のなかの彼のような不幸が世界に存在しないと思っているわけでも、自分自身や周囲の人々の完全で完璧な潔白を信じているわけでもなく、私個人としては、彼はやっぱりスペシャルな人物であると感じるからだ。彼が「根が悪人」だからああなってしまったのではなく、彼が強烈に「素直」で「合理的」な人物で、だからこそジョーカーになってしまったように見えたのである。もちろん、この合理性は彼の中だけで成立しているものであり、決して褒められたものではない。しかし、彼が異様なまでに強く合理的でいようとしたために、彼のなかの妄想と現実が混同しはじめ、彼の中に立ち現れたロジックが強固なものとなり、傍目には狂気にしか見えないところまで行ってしまったように見えたのだ。様々なレビューで「ジョーカーの素晴らしさは、誰しもが悪役化してしまうかもしれない現代の情勢を表現にしていることだ」などのコメントを見かけたが、それはこの映画の全てではないように感じる。この映画の主人公であるジョーカーも、私が憧れる「アメリカに暮らす人の美徳」を有し、体現している故に、この映画はこれほどに不気味で、居心地が悪く、そして魅力的なのかもしれない。
 
本質的には同じ人の性質が、ボタンの掛け違い一つで素晴らしい光にも、恐ろしい影にもなり得る。『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』と『ジョーカー』は、期せずして私の中に妙な感慨を残す、不思議な映画体験となった。



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ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス Ex Libris- The New York Public Library
2017年 / アメリカ / 205分 / 配給:ミモザフィルムズ、ムヴィオラ / 監督・録音・編集・製作:フレデリック・ワイズマン
公式サイト
【近日上映館】
12月14日(土)~29日(日)前橋シネマハウス(群馬)
12月21日(土)~27日(金)ほとり座(富山)
12月24日(火)~28日(土)深谷シネマ(埼玉)
1月2日(木)~9日(木)ガーデンズシネマ(鹿児島)
1月6日(月)~10日(金)あつぎのえいがかんkiki(神奈川)
1月13日(月)~17日(金)福井メトロ劇場(福井)



ジョーカー Joker
2019年 / アメリカ / 122分 / 配給: / 監督・脚本:トッド・フィリップス / 脚本:スコット・シルヴァー / 出演:ホアキン・フェニックス、ロバート・デ・ニーロ、ザジー・ビーツ、フランセス・コンロイ、ブレット・カレンほか
1月29日(水)ブルーレイ&DVDリリース、レンタル同時開始