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- 2019年11月8日
あいちで特集上映をした 第1回
2014年から今年5月まで「YCAM繁盛記」を連載していた杉原永純さんの新連載「あいちで特集上映をした」。8月~10月に開催された「あいちトリエンナーレ2019」で映像プログラムのキュレーターを務めた杉原さんが、トリエンナーレ開幕前から会期終了までの期間で手掛けた仕事や日々の生活について綴った記録を、これから数回にわたって掲載していきます。
たま入院
開幕直前の梅雨の時期のこと
文=杉原永純
あいちトリエンナーレで、映像プログラムのキュレーションを担当し、上映し、トークを時々司会し(ほとんどのトークは津田大介芸術監督が聞き役に立ってくれて、存分にトークを盛り上げてくれた)、多くのお客さんが集まってくれた。映像プログラムを主に上映していた9月下旬は、同じ建物内の愛知県美術館での国際現代美術展で「見られない」展示室が最も多かった時期だった。
トリエンナーレ内の一企画展「表現の不自由展・その後」のあまりにも多いニュースやその後の顛末についてはきっと誰でも目にしたことがあると思う。ネットもつながっておらず、相変わらずガラケーで、地上波テレビと地方紙一紙しか情報源のない実家の母親までこのニュースを知り、未だデフォルトのランダムな英数字列のドコモのアドレスからメールが来たぐらいだから。無数の議論が既にあり、いくつもの論点がある。X軸(論点)、Y軸(各論点の展開、深度)、Z軸(時間・状況の経過)、それらは複雑に絡み合っているし、厄介なことに、人によっては別のXYZ軸の並行宇宙にいるような気がしてしまう事態。バベルの塔なのか、パンドラの箱なのか、喩えはなんでもいいけれども、誰もが簡単につながってしまう時代に、それが残酷な形で明らかになってしまった。平面的には問題は整理仕切れない。よほど慎重に議論を進めたとしても、メビウスの輪のように気づいたら出発点と変わらない位置に結論を見つけることもある。これらすべてを図式化して、整理する力量は筆者にはない。キュレーターとして内部にいたからこそ、よく見えていないこともある。思うに、当事者性だけが今回の物語を語る有利な条件ではない。会期が終わった後も、ひろしまトリエンナーレ2020 in BINGO、『宮本から君へ』助成金不交付、しんゆり映画祭の『主戦場』上映中止&撤回、なお続いていて、ウィーンの「JAPAN UNLIMITED」へと同軸の延長線上の問題に次々に飛び火している。
解決していない問題が日々増えていく。あまりに刻々と状況が変化していったせいで、この第一回を書いているうちにこれも書かなきゃと思い、修正したらまた次のニュース、次なる修正…というようなことがあって、9月の映像プログラムのメイン会期が始まって、終わり、10月の振替上映も終わり、トリエンナーレ全体の会期が終わってしまった。最後の1週間は例の展示の抽選会と展示空間内のオペレーションを少し担当したが、終わってすぐ溜まった疲労が出て、この数週間は謎の咳が止まらず集中もできず、ろくな生活ができていなかったのだが、映画を見たり映画館に出かけたり養生したりして、やっと少しずつ東京の日常に戻りつつある。
会期が終わってしまってからの第一回となってしまって申し訳ないのだが、正直なところ、この10月が終わるまでは何か書くためにデスクに座る気持ちの余裕がなかった。
boidマガジンではYCAMにいた時から、個人的な目線で、その時目にしたことを書いていたので、そのスタンスを思い出して、半年ほったらかしにしていたこの原稿に書き加えてみる。
とにかく、映像プログラムは大きな問題なく全てのプログラムを終了した。しかしその裏では表立った問題ではない、別種の、実はかなり致命的な問題が勃発したりしていたのだが、果たしてそこまで辿りつけるかどうか自分でもわからない。何回書けるかもわからない。
まずは、実現に協力してくださったあらゆる関係者の方、ご来場してくださった皆様にまず心からの感謝を述べさせてください。本当に、ありがとうございました。
時間は6月に遡る。
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梅雨に入ってから飼い猫「たま」の体調が急変。これまで大病にかかったことも、持病があったわけでもない。血液検査すると、血糖値が、測定値が出ないぐらいに急激に落ち込み、ほっておくと生命維持ができなくなるまで一時はいってしまった。
急性膵炎だろう、それによってインスリンが過剰分泌されたのだろうという症状は間違いなくそうであるが、猫ではだいぶ稀な症状らしい。年老いて、逆に糖尿病の症状は良くあるらしいのだが、低血糖しかもそれがなぜあまりにも急に起きたのか、そもそもその辺りの臓器が弱かったかもしれないし、血糖値も元々低めだったのかもしれない。


病院でもよく寝た
幡ヶ谷に急患で対応してくれた動物病院があり、そのまま入院となり、たまが意識を取り戻して、絶え間ない点滴を受けてやや元気になりすぎるぐらいに元気を取り戻し、激しめに甘噛みできるようになって退院。帰路、何かあるといけないのでタクシーを使った。東京での移動手段は自転車を主にして久しく、タクシーに乗るのはいつぶりだろうというぐらい。
「Japan Taxi」のアプリを使えば初回1,000円割引というのをたまたま見つけて、インストール、クレジットを登録しないとクーポンが使えないのでそうした。「すぐに呼ぶ」をクリックすると複数のタクシー会社の中から選べるようになっていた。選ぶと、次はその車両が今どの辺りから向かっていて何分かかるかGPSで表示される。
乗車すると、正面にカメラがあるのだろう、顔認証され、「下車したらそのデータは削除します」という断りがまず入り、その人に合いそうな情報を、助手席のヘッドレストの裏に付けられたタブレットで次々と見せられる。
社内の情報管理を改善しませんか、情報共有をもっとスムーズに、という内容のサービスを紹介するCMが頻繁に流れた。合間に日経新聞の記事が次々と流れる。主に国際時事と経済ニュース。平日の昼間、渋谷区の移動。自分は30-50代のサラリーマンと無事認識されたのだろう。今たまたまIT系の業務を主とする会社に籍を置かせてもらっているが、当然ながらそこまでは認識していない。社内の情報管理やら共有やらのサービスはむしろ提供する側なんだろうけど(自分はそちらの本業には何もタッチしていないが)。何かと働き盛りのサラリーマン向けの情報、そして20代には自分が見えていないということがわかる。下車するときは、登録されたクレジットカードから即決済されレシートだけが渡される。
ああこれも「情の時代」かもしれないと思った。
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とここまでを7月に書いていた。
10月31日にこんなニュース。日本経済新聞「ジャパンタクシー、広告サービスへの情報提供を停止」。
このニュースに付随して「個人情報保護委員会からタブレット顔認証機能の対応について9月12日付で再び指導を受けたと発表した」というニュースもちらほら見かけた。この展開まで含めて、まさに「情の時代」。ネガティブな拡散は強い。
もう一度7月の下書きに戻る。過去に書いた日記だけども時制はそのままにしてある。
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愛知芸術文化センターに一足早く設置されたメキシコの作家ピア・カミルの作品。
バンドTシャツでできた巨大な幕。セレーナ・ゴメスがいた
バンドTシャツでできた巨大な幕。セレーナ・ゴメスがいた
発表時にこのコンセプトを目にして「お」と思ったし、その後まさか自分がキュレーターに呼ばれるとは思っていなかったのだけど、その時、是非やってみたいと思った最大のきっかけかもしれない。そんなコンセプトには正直今後もなかなか出会えないだろう。
「情の時代」と映像プログラム(映画以外の映像作品も含めスクリーンに上映するプログラム)をどうやって結びつけるかという仕事をこの1年半ぐらい取り組んできた。そしてちょうど映像プログラムの全作品と上映日程がリリースされた。あとはいくつかゲストトークが追加になるかもというところ。
春に、東京に戻ってから2件、映画とパフォーマンスを組み合わせた作品を見る機会があった。その一つは渡邊琢磨『ECTO』は、今年のYCAM爆音映画祭2019で再上演されることになった。描かれていることと、水戸芸の反響の大きい音響空間が混ざり合って、今聴いている反響音は計算されたものなのか、それとも不可避でかつ偶然なものなのか、とか見始めた時は思ったりもしたが、途中、いい意味でどうでも良くなった。あの空間にはちゃんとエクトプラズムがあった。
YCAMのスタジオAは、音響のコントロールがしやすく、だからこそ、作り込みが果てしなくできる環境である。5年前、無声映画ライブ上映で『幌馬車』に対して1時間半みっちり即興でピアノ演奏してくれた渡邊琢磨さんがどう料理されるのか、自分は行けないが楽しみにしている。
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『サタンジャワ』
もう一つは、7月2日、有楽町朝日ホールにガリン・ヌグロホ監督の白黒サイレント映画『サタンジャワ』に、音響監督・森永泰弘による立体音響と、日本=インドネシアの混成の演奏者によるライブ上映。ライブ演奏を加えたエクスパンデッド・シネマ(拡張映画)と紹介されていた。
これまでいろいろな都市で、その土地のパフォーマーと組み合わせて上演してきているという。インドネシアの演奏者、パフォーマーたちの中に、今回の公演ではコムアイが登場。インドネシアには無数の島々に、それぞれ独自の文化を持った少数民族がひしめき合っている。『サタンジャワ』はその一端ではあるけど、その一つの覗き穴から、深く、奥の広い島嶼文化を感じさせてくれた。白黒の映像とマジック・リアリズムの相性はなぜこんなにいいのだろうか。パフォーマーたちは床に座るのか、椅子に座るのか、立つのかをいつの間にか注視していた。演者の目線の高さのレイヤーの積み重ねによって広げられる世界観もある、とか思いつつ、興味深く鑑賞にのめり込んだ。
『サタンジャワ』は音楽であり映画であり、身体表現であり、それらが組み合わさった表現だった。それぞれが影響し合い、絡み合っていて、バラバラではない。森永泰弘のプロジェクトを友人としてずっと見てきたが、彼といろいろな折に雑談として話していたことが、彼の頭の中のビジョン以上にアウトプットできたのではないだろうか、ということ。演者たちとの信頼関係こそが、このビッグバンドには必要だったと思われたし、確かにそこにあった。世界を、近年日本とアジアの辺境を縦横無尽に飛び回る森永泰弘の表現が一皮むけたことを嬉しく思った。
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トリエンナーレ開幕が迫る6月から7月頭あたりのことを書いた。また次回、徐々に思い出しながら書いてみる。