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  • 2020年7月6日

ミッシング・イン・ツーリズム 第7回

新作『VIDEOPHOBIA』の公開が控える映画監督・宮崎大祐さんによる連載「ミッシング・イン・ツーリズム」。前回に続き、2019年にシナリオ講座に参加するため訪れたスペイン・マヨルカ島の旅の記録をお送りします。一睡もせず丸一日かけてようやくシナリオ講座の主催者に指定された集合場所に到着し、様々な国から集った他の参加者と対面します。
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文・写真=宮崎大祐


アントニオ・バンデラス似の巻き毛の運転手が運転する冷房がよく効いたタクシーに乗って海沿いの大通りをしばらく走ると右手に小さな港が見えてきた。真っ白なヨットやカジキのような形をしたクルーザーなど、小型船舶ばかりが泊まり、おそらく地中海でバカンスを楽しむヨーロッパの富裕層向けの港なのだと思われる。誰が通ろうが我関せずという様子の白髪の老人がたたずむ小さなゲートをくぐり、港内を徐行する。運転手はフロントウィンドウに身を乗り出し、はて、どの建物だろうかと左右を物色している。やがて彼は行き止まりに見えるアメリカのシーフード・レストラン調の建物が目的地だと気づき、笑顔で振り返った。わたしはメーターに記されていた6ユーロをポケットから取り出し、さっきの「振り返り笑顔」分のチップを上乗せし、彼に払うと、ドアを開け、傍らに抱えていたスーツケースを引っ張り出し、タクシーを降りた。
建物に入ると、左手はブティック・ホテルのフロントになっており、右手が今回の「シナリオ合宿」の集合場所であるシーフード・レストランだった。困ったことに、まだ集合時間までは三時間近くある。陽に当たりつづけたあとに冷房の効いた空間に入るとやってくるあの眠気に襲われ、許されるのならばロビーのソファーで時間まで寝ていようかと思っていると、カタコトの英語で会話する不思議な白人の集団がやってきた。彼らの中の最も世慣れていそうな女性がわたしを見るやいなや「ハイ」と握手を求めてきたので、「ハイ」と返すと、「あなたも脚本を書きに来たの?」と聞かれたので、状況を理解した。彼女たちもいまちょうど着いたところで、「これからすぐそばにあるビーチに行って時間を潰すので、あなたも来ない?」かという。わたしはとんでもなく眠かったが、外国人のこういうフランクなところが好きだった。お互い何者かもわからない。だから、とりあえずその辺でコーヒーかお酒でも飲みながら他愛ないおしゃべりをしよう。そのうち全ては見えてくるはずだ、というノンシャランなノリ。わたしはフロントにスーツケースを預け、彼らと共にビーチに向かった。
道すがら、さきほどわたしに話しかけて来てくれた女性と話をする。彼女はビリアナといって、いまはパリに住む、セルビアのプロデューサーだった。女性監督数名によるフェミニズムに関するドキュメンタリー映画のブラッシュ・アップにやってきたのだという。ドキュメンタリー映画に細かな脚本があるという時点でまず驚きだが、その上監督が数名いるオムニバス・ドキュメンタリーだということで、全く想像できずに逡巡していると、わたしが恥ずかしがり屋か英語が不得意かと思ったのか、ロシア訛りのキツい英語で、「そういえばこないだ見たコレエダの映画は素晴らしかった。見た? え? 見てないの? 見なよ。キャリア最高傑作だよ。日本にもまだ素晴らしい映画はある!」と言われたので、わたしはすっかり気分が萎えてしまい、助けを求めるように右斜め前を歩いていた、ゴス風の衣装に銀髪が効いている小さな女性に話しかけた。彼女はマヤといって、ブルガリア出身の監督で、いまはチェリストの旦那とバルセロナに住んでいるという。どんな作品を撮っているのか聞いてみると、わたしが以前Amazon.comからDVDを取り寄せた作品名が出てきた。正直作品自体はデレク・ジャーマンが監督した『CUBE』のようで、あまり好きではなかったが、Amazonのアルゴリズム・レコメンドによってその存在を知り、あまたある映画作品の中から購入を決意し、海を越えて取り寄せたブルガリア映画の監督とこうしてスペインの小島で実際に顔を合わせるなんて、なんという偶然だろうか。好きな映画の監督であればもっと喜べたであろう。
数百メートルしかない短い人工のビーチに面したバーは二つあって、片方は繁盛していたが、スカルや悪魔などビーチに似つかわしくないバイカー風のタトゥーを全身に入れたお兄さんたちが腹筋の割れたラティーナたちを引き連れたむろしていて、ビール・サーバーの取っ手が鍵十字型になっていそうな雰囲気だったので、もう一方の、ややさびれていて、ティモシー・シャラメのような線の細いアンニュイな大学生がひとりで切り盛りしている方のバーに入った。席に着くと、照り返しがきつく、他のメンバーはすぐにサングラスをかけたが、ここにきて自分がサングラスを大和の自室に置いてきたことを思い出した。しかたなく、アジア人ゆえにただでさえ細いと思われている目をさらに細めてわたしは他のメンバーに自己紹介をした。残りのふたりはエリザベスとマックスという幼なじみの映画制作者で、ウクライナのオデッサから来たという。ふたりは昔から交互に監督をしたり制作をしたりしているという。まもなくみなが注文したスペイン・ビールがやってくると、マックスは今度のウクライナ大統領選の行方が絶望的なこと、そしてロシアの脅威について熱弁をはじめた。それから彼はこの旅の終わりまで、口を開けば、ロシアの脅威とクリミア侵攻によるトラウマ体験について語りつづけた。映画学校を卒業し、「さてどんな映画をつくり、世に問うていこうか」という時期に突然戦争がはじまり、人生の根幹に消せない烙印を押されてしまったという。これらの話は、いまわたしに降り注いでいる真っ白な光や店先で身体を傾げ微笑んでいる白い水着をまとったラティーナとまったく関係がないようで、実は密接に関係している。こうした現実についてしばし考えた。
国も地域も違う初対面のクリエイターが五人も集まればあっというまに数時間は経過する。睡眠不足と日焼けにビール数杯分のアルコールでゆでだこのように真っ赤になってしまったわたしは、みなに連れられ、最初のレストランに戻った。席に着くとすでに二十名程度の関係者がそろっていた。しかし、冷房がよく効いた室内で例の法則が発動しまた凄まじい眠気に襲われたわたしは、もはや目を開けているのも辛く、今回の脚本合宿の主催者のマリエッタが開会の挨拶をしている間も舟をこいだり、時折白目をむいたりしていた。誰かに、「具合でも悪いのか」と聞かれたが、返事をすることもままならない。それでも初対面のこういう場所で眠るのは明らかにマナー違反だという認識はあったので、テーブルに運ばれてきた料理をなんとかフォークで刻み、機械的に口に運んでは、白ワインで飲み込んだ。楽しみにしていたスパニッシュ・ディナーだが、それどころではない。疲れすぎて消化できる自信もない。魚であれ野菜であれ、とにかく口に運んでは、飲み込む。そんな作業を繰り返しているうちに、どうにかデザートのチョコレートも食べ終わった。これで宿に帰れる、やっと眠れると喜んでいると、参加者のひとりが「わたしのデザートがまだ来ていない」と騒ぎ出した。そして店により、そもそも今日の参加者は何名なのか、何名がデザートを食べ終わったのか、ひとり二皿食べたものはいないかという細かい検証がはじまった。わたしはこのユーモアを笑うこともできず、あまりの疲労にテーブルに伏せ、眠り込んでしまった。
気がつくと、シトロエンのコンパクトカーの後部座席に座っていた。一瞬世界のどこでいま何をしているのかわからなくなったが、自分は相変わらず存在している。隣に座っていたアジア人風の女性に会釈する。彼女は「彼が起きたよ」と助手席の金髪女性と運転席の青年に報告した。助手席の女性は振り返り、軽く微笑むとまたすぐに前を向いた。わたしはスマホを取り出し、グーグルマップを確認した。すると、車は島の中心地であるパルマを離れ、北東に向かっていた。とりあえず、隣に座っているアジア人に挨拶をする。彼女はシージといって、フィリピンから来たという。すぐさま、その前の月にフィリピンへロケハンに行ったときに味わった数々のイヤな思い出がよみがえるが、いまは伏せておこう。前列にも挨拶の言葉をかけるが、助手席の女性がルームミラー越しに手を振ってきただけで、大学一、二年生と思われる青年は不慣れな運転に集中していた。シージにどんな活動をしているのかを聞く。彼女は日本を舞台にした企画を準備していて、その脚本を書きにここに来たという。わたしはなぜだかよくわからないがいまここにいるという話をした。彼女はまたまたと言ったが、本当だった。それから車は高速を一時間近く走って、ようやく山奥の目的地にたどりついた。わたしはマヨルカ島を小豆島くらいの大きさだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
車を降りると外は肌寒く、辺りは文字通り真っ暗で、街灯ひとつ見えなかった。車のフロントライトに照らされ、かろうじて牧場の柵と城壁のような建物の一部が見えた。この島に降り立ってから、非現実的な景色を多く見てきたので、ひょっとしたら自分は騙されてこの山中に連れてこられて、これから何らかの組織に酷い目に合わされるのではないかという妄想がふくらむ。するとそこにインド系の若い女性がやってきてロンドン訛りの強い英語で、「あなたはあの坂を登って左手の家ね」と告げ、去って行った。どうしてきたのかもわからない旅で、どこにいるのかもわからず、景色の輪郭さえ見えないのに、次に何をすべきかという指示だけが聞こえてくる。スマホの光量では全く歯が立たない漆黒の斜面を歩きながら、その昔夏休みの間だけ近所のジャスコの入り口に設置されていたおばけ屋敷のことを思い出していた。しばらく歩いていると、小さなランタンの灯りが見えた。この頃には目が闇に順応していたので、それがログハウスの入り口に置かれていることがわかった。扉を開け、ログハウスの中に入り、電気がつくことにホッとしていると、サム・ワーシントンに似た、長身の白人男性が部屋の中に入ってきた。彼は感じよく微笑むと、「ハイ。君のルームメイトのクリスチャンだ。デンマークから来た」と自己紹介し、握手を求めてきた。わたしはひさしぶりに人間と会えたような気がして、両手で握手をした。クリスチャンは妙に熱い握手に少しとまどいながら、「早速だけど、上の部屋と下の部屋、どっちがいい?」と聞いた。わたしが「どっちでも」と言うと、彼も「ぼくもどっちでもいいよ」と返す。マルセイユとアルジェの間にあるスペインの離島でデンマーク人相手にこんな日本的状況が生まれるとは思わなかったが、結局わたしが「実は地震恐怖症で、寝床がなるべく床に近く、安定していないと安眠出来ないのだ」と申告すると、こころよく下の部屋を譲ってくれた。わたしの部屋はビクトル・エリセやマイケル・チミノの映画のセットのような、窓が大きく、木目や暖色を基調にした、歴史を感じさせる部屋だった。しかし、切子細工のような模様の入った木製のベッドはきしんでばかりで安定感がなかった。

(つづく)