映画音楽急性増悪 第40回

第40回めの虹釜太郎さんによる『映画音楽急性増悪』。今回は「of the dead」がタイトルにつく映画の音、音楽、ゾンビ移動速度、ゾンビ同士の関係について。

第40回  オブ・ザ・デッド




文=虹釜太郎
 

 1.REONQUISTA OF THE DEAD レコンキスタ・オブ・ザ・デッド
 2.Bites Everything タクラマカンブレスレス
 3.SKULL WALK スカルウォーク
 4.Dog in the death's leash バーゲスト
 5.GENETIC WASTE ジェネティックウェイスト
 6.EURO vs ZOMBIE ユーロゾンビ
 7.BONE VEGAS ボーンヴェガス
 8.Free Bloodsex and Sound Forth ゾンビレッジ
 9.PIANO GUNTHLINGER ピアノガンスリンガー
 10.Gero Of The Dead ゲロ・オブ・ザ・デッド
 11.THE DAWN SPLASH ド-ンスプラッシュ
 12.Giant Of The Dead ジャイアント・オブ・ザ・デッド
 13.TOXICO CRUCIAL LOT  トキシコクルーシアルロット
 14.Greasy spoon (Eat THE Rich)マンダラマニア
 15.DEAD WORD TOWN デッドワードタウン
 16.I Need Fat Girls ゾンキュリア
 17.IN THE HEAT OF THE NIGHT 2 イン・ザ・ヒート・オブ・ザ・ナイトゾンビ夜の捜査線
 18.Illusion - Zombing My Way イリュージョン・オブ・ザ・デッド
 19.MANHATTAN HOTTENTOT マンハッタンホッテントット
 20.Original Second Comming ラスティングシェルズ
 21.ZOMBIE ZOOLASIA ゾンビ動物園
 22.Paranoid dead of night 真夜中の偏執狂
 23.You're entering Town Silent ザ・サイレント
 24.PSYCHIC OF THE DEAD サイキック・オブ・ザ・デッド
 25.SINSEKAI OF THE DEAD ゾンビ片腕切断
 26.Shadowplay Host シャドウプレイホスト
 27.TUXCOSA ZOMBIE UP BUSTLE ハッスルゾンビ
 28.Smegmanbow Quick Coming ニュージャージーラビット&ピッグ
 29.ALIEN VS ZOMBIE - No mercy of the dead  ゾンビエイリアン
 30.Speed Queen Of The Dead ストリッパーサイコビッチ
 31.CHILLICON OF THE DEAD Part2 チリコン・オブ・ザ・デッド
 32.Stranger Of The Dead ストレンジャー・オブ・ザ・デッド
 33.MILK BATHTUB NO BLOOD 背徳の乳風呂Z
 34.The Evil Snooze 死霊のうたた寝
 35.Zombie Smegma ゾンビの膣垢
 36.Thrash Application 水中ゾンビ遊泳
 37.Zombie Elephant ゾンビエレファント
 38.Walking ON Dead Steps ゾンビ歩き
 39.Violin of the Dead ゾンビバイオリン
 40.Zombie Lyrics ゾンビの詩
 41.Brief History Of The Dead 終わりの街のあいつ
 42.Zombie Mandela ゾンビマンデラ
 43.EX HUMAN BLUES はじめ人間ゾンビーノ
 44.Zomby Animal 1989 ゾンビ動物王国
 
上記は映画名ではなく、音楽家/画家のバッファローマッキーと特殊音楽バースキヴィアスでやった「ゾンビ展」で展示された44枚のサウンドトラック。どのタイトルも投げやりだ。ひどすぎる。正式展示名『zombie44 Zombie Exhibition 44 album Outbreak』だった。
しかし本来ならすべてのアルバム名に「…of the dead」がついたらと思って最初は作っていた。
世界にゾンビ映画はロメロ以降のモダンゾンビだけでも無数に存在する。リーダー格や太っちょ、博士やゲーマーなど目立つゾンビも多数登場した。けれどなんとなく存在する無名のゾンビたちもまた数多く存在してきた。彼らはなかなか考察もされない。そんな中でタイトルに「…of the dead」がついているゾンビ映画はたくさんある。
今回は実在するそんなゾンビ映画を。
 
『VALLEY OF THE DEAD』(ハビエル・ルイス・カルデラ/2022年)。邦題は『マルナシドスゾンビの谷』。 
ナチスの実験によって生み出されたゾンビ。そんな映画も過去にたくさんあったけれど、本作の舞台はスペイン内戦。
いきなりのナチスによる村虐殺シーンに叫ぶ声がまったくひとつもないことに驚愕する間もなくタイトル画。しかしタイトル後の射殺シーンにかかる音楽から本作はコメディなんだと意思表示。横坐りにうすらハゲに強い女性たち(鬼ババ)。
車での移動に初めてつけられる音楽は緊迫しながらもまたしてもコメディ音楽ならではの。
登場するゾンビの移動速度は10点満点中3点。かなり遅い。ゾンビの移動速度が遅いなら、脚本はより重要になるか。ゾンビの追跡シーンでゾンビたちが手を挙げないのもいい。また初登場のゾンビが空中戦に負けて手足がもがれたパイロットなのも。
ロシア人兵士の早すぎる死。なぜ捕虜を早く殺さないのかと迫る兵士とそれを拒否する上官。しかし上官も捕虜を殴る。意見が同じでないスペイン内線側と意見が死んでいる結果同じであるしかないゾンビ側とナチス側。
車内に逃げ込み、周りの全窓からのゾンビが迫る側をゾンビ映画史上もっとも長く撮影したかもな映像。
列車を発車させた人間は自殺し、列車は動き出す。
 
『Granny of the dead』(タドリー・ジェイムズ/2015年)
「これはばかばかばかで間違いなくゾンビジャンルで史上最悪の映画です。メインパフォーマーの誰一人として演技力が少しもなく…予算が少なく、経験が浅いからといって、このようなくだらない映画を丸める言い訳にはなりません。2008年のゾンビ映画『コリン』の制作費は42ポンドではるかに優れています。この映画をもう一度観るくらいなら針を食べたい...」とのカスタマーレビューがど熱い老婆ゾンビ映画。
 『Night of Something Strange』、『悪魔の毒々おばあちゃん』、『ロンドンゾンビ紀行』といった「ババアゾンビ」映画群とも比較されることもある本作だけれど、ただひたすらだらしなく延々とたれ流される音楽だけでなく、カメラ、演技、編集とどれもがとてつもなくひどく。ババアの目覚めに突き動かされてゾンビ映画が一本できてしまうということ。本作でのババアのやる気度と音楽監督のはてしないだらしなさは全く噛み合うことはない。しかしあまりにも全体がひどいためにババアたちが定期的に映されるだけでそれが救いになる事態はできている。
インマイルームアゲイン…と延々と部屋に閉じこもるババア以外の登場人物たち。
音楽の増悪につぐ増悪たちがいかに映画を粉々にするか。ゾンビの移動速度どころではない。
 
『Zombie Ass: Toilet of the Dead』(井口昇/2011年)
「旅先の山中で奇声を上げる不気味な男が登場し、危険を感じた5人は急いで近くの村に逃げ込むが、なんとそこにはパラサイト(寄生虫)に寄生されたウ○チまみれのゾンビ“ウン・デッド”たちが! 次々襲いかかって来るウン・デッド相手に果たして生きて帰ることはできるのか」な本作は、パラサイトまみれのウンデッドたちはともかく、契約でネクロゲドロに侵食されないようになっていて、ネクロゲドロと協力して恵を倒そうとする幸を受け入れられるかどうかに…はともかくこれだけおならと排泄の音響をひたすら実行したゾンビ映画は他にない。
冒頭から登場する女性たちへの慈しみを感じる撮影。JINROのTシャツを着た男の長すぎるゲロや瓶に詰まったGたち。肩と頭しか映らないゾンビ映画たちに比べて女たちの脚しか映さなかったり。おなら音響の実行があまりにもしつこく、音楽やゾンビたちの進軍を上回る。うんこ投げゾンビのしつこいうんこ投げがそれを別方向から上回る。
もはやゾンビ、ネクロゲドロどうこうよりもおなかのぐるぐるきゅうたちや数々のおならのぶっぱなし音の響き具合たちが上回っていく事態。
 
『アーミー・オブ・ザ・デッド』(ザック・スナイダー/2021年)
あまりにもザック・スナイダーな毎度毎度の作り方と音楽の入り方だが、あまりにデイヴ・バウティスタに頼り過ぎな、ゾンビ映画というよりはヒーロー映画で、ゾンビの魅力もゾンビリーダーたちの知性の高さとゾンビが子供を産むことへの疑問のあまりの無さで映画ががんがん進行するので、本作はゾンビ映画というより、ゾンビ映画のゾンビたちをサンプリングしたヒーロー映画で、そこでいくら音響や演技に凝ったところでどうなのかという素朴な疑問を解決するものは本作には何もない。本作への違和感は主人公たち一行ではなくゾンビ本拠地でのゾンビたちのあまりにもなゾンビでない描き方。
ゾンビのようでいてただ腐食して存在する、リーダーの志向次第のゾンビ(そんなのゾンビじゃないだろうと)、いや無理やりそうさせられているままの状態の不幸なゾンビのような存在がいる。
本作でのゾンビの移動速度は10点満点中6.5であるかのようでいてゾンビでもないので計測不可。
 
『Detension of the dead』(アレックス・クレイグ・マン/2013年)
最初にゾンビから逃げるシーンの音楽。そこにどんな音楽を入れるかは無限に近い選択がある中での本作の音楽の選択。つまり本作は青春グラフィティだと。
放課後の教室。女教師による補習開始。
detensionの意味は拘束、居残り罰、学校で教師が生徒に与えることがある罰。
そんなdetension下でいじめられっ子のエディを演じるヤコブ・ザッカーの演技。エディが教室で目撃するカップルのキスシーンにかかる音楽が馬鹿らしく、しかしラストも馬鹿馬鹿しい。
ジャスティン・チョン演じるジャンキーっぽい高校生と女性教師ランブルソープのゾンビになってからの演技。
ゾンビの移動速度は2。なのでエディでも走りこんで二人のゾンビに向かって走り抜けることができる。
 
『ISLE OF THE DEAD』(ニック・ライオン/2016年)
問題作で最大の中途半端作。しかし全く話題になっていないし、ゾンビ映画史(それはどこにどう存在しているのかな)にも怪作としても残されていない?
『ISLE OF THE DEAD』という映画は複数存在する。1945年版はマーク・ロブソン監督。吸血鬼ヴォルヴォラカ。他にも2022年に『ウォーキング・デッド』スピンオフドラマ名。ゾンビ映画なのは2016年版ニック・ライオン監督。ニックは本作以前に『Zombie Apocalypse』(2011)、『Rise of the Zombies』(2012)も。
エイデン・ウェクスラー博士が生物兵器を実験していた島に小さな部隊が海軍のチーム消失を探るために十年後に潜入。CIAエージェントであるミカエラ・ウシルヴィッチと共に。
いきなりのゾンビとの銃撃戦からスタート。
丁寧な銃撃戦の連続。ゾンビゲーム影響圏が世界中に広まってから作られたゾンビ映画。
叫び声はあげるけれども襲いかかる時に激しいうなり声はあげないゾンビも多いなか本作のゾンビは最初からうなり声だしっぱなしで襲ってくる。
博士と遭遇後の部隊は博士に延々とゾンビ実験体を見せられる。なかには会話できる女ゾンビも。しかも流暢に話せる。しかし流暢に話せるならなぜ彼女は他のゾンビと共にずっとさまよっていられるの。それは巨大な疑問として残るが、そんな疑問はなんら解決することなく次に進む。
凶暴なゾンビ隔離棟もある。
博士がいきなりゾンビ化し、しかし注射をうたれて助かるシーンが本作最大の肝かもだけれど、それが映画の魅力になっているかどうか。
ゾンビ実験体やゾンビ化博士よりもミカエラの常に不敵な面構えと医療兵の生存が印象的。医療兵選択プレイならどうなるか、博士を選択した場合の正気度の設定とはなどを思わせる余裕があるくらいにゾンビ映画としての緊張感は欠けるが、ゾンビ映画とゾンビドラマとゾンビゲームがそれぞれ独自の生存を世界各地でするなかで本作の中途半端さは「映画」評だけで片付けることはできないのかも。バイオハザードの「実写ドラマ」化はワンシーズンで既に打ち切られたり、今後どうなるのかはわからないとても半端な巨大な世界。半端な小さな世界で生き残れるのかどうか。それは小さな世界なだけだけれど。
会話可能なリーダー格ゾンビとゾンビに再襲撃後の博士との「ゾンビ同士の会話ありの戦闘」でのリーダー格ゾンビの勝利といった中途半端さをどのくらい映画以外のなにかとして(映画として作られていても)耐えれるか。
本作をただ単にゾンビ映画の駄作として速攻スルーした世界中の人々。
リーダー格ゾンビとの戦いで敗北した後の博士とさらにはゾンビ化したミカエラとリーダー格ゾンビとの三者のゾンビ同士の戦いの中途半端さ限りなくマックスへ。この戦いの地平は本作でしか観られない。この中途半端さは、多くのゾンビ映画がゾンビとどのように戦うかゾンビからどう工夫して逃げるかどう突発的に逃げてゆくかがメインなのに対して、ゾンビたち同士(それも複数種)がいったいどう苦しむことができるかについて描いているような。それら複数のゾンビ同士の戦いの後で彼らには人間の世界はどう映るか。そしてそれらを観る側は?
 
『Day of the Dead: Bloodline』(ヘクトール・ヘルナンデス・ビセンス/2018年)
『Day of the Dead』(スティーヴ・マイナー/2008年)
 『死霊のえじき』、原題『Day of the Dead』は、1985年公開で監督はジョージ・A・ロメロ。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968年)、『ゾンビ』(1978年)とあわせてのリビング・デッド三部作最終作。そのリメイクは二度。一度めは2008年、スティーブ・マイナー監督が『デイ・オブ・ザ・デッド』として。二度めはヘクトール・ヘルナンデス・ビセンス監督が『死霊のえじきブラッドライン』(2018年)として。こちらの原題は『Day of the Dead: Bloodline』。脚本はマーク・トンデライ、ラース・ジェイコブソン。できるかぎりロメロ版に近いものにしたいと製作されたが…
二度めのリメイクは冒頭から入り続ける音楽があまりにも説明過剰。また映画でフランク以下の味方たちの立て続けの死は、いくらヴァカが君のせいでないと主張しても主人公のゾーイのせいで、そんなゾーイが世界を救うワクチンを開発するのだけれど、本作ではそんなゾーイの挑発がかなり目立ち… 
リメイクならば音楽の入り方についてのさまざまな再考をしてほしかったのだけれど、本作では血しぶきのみは垂直に迸る。しかし後半の作り方がおとなしく、息切れしてからの後半は音楽の説明過剰ぶりが幾分か収まるというなんとも言えない出来に。またマックス(ウィルスへの抗体があるゾンビ)の知性が高過ぎるのや、車の底部に貼り付いての施設への侵入などの違和感がそもそもこのシリーズにはある。本作でのゾンビの移動速度は10点満点中7でかなり早い。
一方でスティーヴ・マイナー監督による二度めのリメイク版『Day of the Dead』(2008年)はどうか。
監督のスティーヴ・マイナーは本作を撮るまでに『13日の金曜日PART3』(原題 Friday the 13th Part 3/1982年)、『ガバリン』(原題 House/1986年)、『ミスター・ソウルマン』(原題 Soul Man/1986年)、『ワーロック』(原題 Warlock/1989年)、『ワイルドハート 彼女は空を翔けた』(原題 Wild Hearts Can't Be Broken/1991年)、『フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白』(原題 Forever Young/1992年)、『恋人はパパひと夏の恋』(原題 My Father the Hero/1994年)、『スクール・ウォーズ もうイジメは懲りごり! 』(原題 Big Bully/1996年)、『ハロウィンH20』(原題 Halloween H20: 20 Years Later/1998年)、『U.M.A レイク・プラシッド』(原題 Lake Placid/1999年)、『テキサス・レンジャーズ』(原題 Texas Rangers/2001年)、『ジェシカ・シンプソンのミリタリー・ブロンド』(原題 Private Valentine: Blonde & Dangerous/2008年)といった一部邦題が恥ずかしめかもしれないタイトルを多く含む作品を監督。
本作は街の道路の人々の混乱から描きはじめられ、顔と肩のみのアップばかりがことさらに映り、ソースミュージック(登場人物が実際に聞いている音楽)のロックばかりが流れ、男ばかりの兵士を相手に一人の女兵士サラの緊張と限界と見上げる目線が描かれ続けるが、女兵士のパートナーの情け無い男兵士バドをしつこく映すのがよかった。
女兵士が母を見舞うシーンにかぶさる金属音の軋みのような音響(29秒)が本作の音処理の特徴。あとはサラ=クロス伍長の激しい言い合いと目線がゾンビ登場シーンよりも強く。
そして情け無いはずだったバドは後にゾンビになるも菜食主義? だから、人間たちに襲いかかることはなく、また怯えの行動や他のゾンビの観察などが印象的。本作を主演のミーナ・スヴァーリでなく、バド・クレイン役のスターク・サンズを中心に観ていくと製作側の小さな工夫がいくつも見えてくる。そこがリメイク三作め『Day of the Dead: Bloodline』との違い。病院での人々の咳の音の扱いも他のゾンビ映画より丁寧。ゾンビ化直前のゾンビになるすぐ前の視点を本作は描いたけれど、それに付けられる効果音が本作の限界。ではどうすればその限界を超えられたのか。
 
最後にあまりにくだらな過ぎる映画サントラばかり集まったゾンビサントラ44枚の方では『I Need Fat Girls ゾンキュリア』と『Dog in the death's leash バーゲスト』と『TOXICO CRUCIAL LOT  トキシコクルーシアルロット』を紹介したかったのだけど、タイトルにオブ・ザ・デッドがついていないのでその話をするのはやめておく。