Television Freak 第80回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんによるTV時評「Television Freak」。今回は現在放送中の連続ドラマから『転職の魔王様』(関西テレビ・フジテレビ系)、『CODE―願いの代償―』(日本テレビ系)、『ばらかもん』(フジテレビ系)などについて取り上げられています。
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猛暑と背広



文・写真=風元 正
 
 
モーニング娘。やAKB48の振付で知られる夏まゆみさんは、亡くなる直前、スタジオの隅で目をつむって太陽に手を合わせていたという。ダンス指導のため長年酷使した身体はボロボロで、もう日の光に力を借りるしかない。今年の夏は、いちばん暑い昼間に外を歩き回ったり、山に登ったりして汗腺を思い切り刺激する作戦を採り、効果を実感していたので、夏さんの行動に我が意を得た気分だった。生命の源は太陽光なのだから、「あらたふと青葉若葉の日の光」であって当たり前なのである。
空は青く澄み切り、夜の月は冴え、世界は強い光に洗われて美しい。これで仕事がなければ……。日々スーツを着こなしておられる方々はどういう対策をとっているのだろう。冷房しかないとしても、身体の芯の冷えは危険である。もう10年近く前、ポータブル扇風機を使っている吉増剛造さんを見てびっくりしてから時は経ち、猛暑は厳しさを増し、人類的にも未知の段階に入った。いっそイカロスのように太陽を目指して垂直に飛んでゆこうか。
 

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“猛暑と背広”という組み合わせが気になるのは、『転職の魔王様』というドラマが面白いからだ。成田凌が演じる「魔王様」と呼ばれる毒舌転職エージェント・来栖嵐は、大企業を3年間保たず辞めて必死で職探ししている小芝風花に「未経験業界に行くなら25歳がタイムリミット」と宣告する。転職市場は「即戦力」のみが求められ、たとえ実力があっても35歳で商品価値はなくなるという、ミもフタもない現実が開示される。
「会社」に正社員として所属するかしないか。目覚ましい取柄がない人間にとっては生涯の一大事である。人も“スペック”と呼ばれる文字化された情報でしか判断されず、派遣と正社員の差は絶望的。企業側は年齢・経験・人脈などの“裏スペック”により人を選別する権限を持つ上に、ホンネは決して明かされない。うすうす気づいてはいたものの、世の中の“ブルシット・ジョブ”化はハンパない。
「合わない仕事は人を殺す」という信条を持つ来栖は、求職者に容赦をせず「何をしたいか」を問い詰める。第2回に登場する転職希望者の早見あかりは派遣の事務職で、「結婚を考えている彼氏」がフリーのデザイナーで、将来が不安だから正社員と結婚したいと別れを切り出される。「派遣で妥協したくない」というセリフには心底驚いた。二股をかけていた元彼には痛烈なしっぺ返しをして、子供の頃から大好きだった通販グッズのベンチャー企業に転職できた早見のてん末にはほっとする。
来栖はもともとエリート商社マンであり、不慮の交通事故で足を悪くして、「社畜」のハシゴを外されたというトラウマがある。体育会系の爽やかな笑顔とノリの良さで、何をしても評価しない上司の下で頑張る大手食品会社の営業マン渡邊圭祐に、理不尽な処遇への怒りを喚起し、諦めずに仕事をやり抜く自分の長所を悟らせて、転職をお膳立てする。
転職エージェントも企業側の要請に応じるのが仕事だし、いつも来栖みたいに水際立った捌きができるものなのか。むしろ、「昭和」流マネジメントから脱皮できない上司世代に対する静かな憤りが溜まっている実態を描いているのかもしれない。小芝が会社を辞めるきっかけになったパワハラ上司を、証拠の録音があると脅してやり込める来栖。後任の女性社員は平気で耐えて社員表彰を受けるという対照などを巧みに織り込んで“無理ゲー社会”を照らし出す。自発的に早出して、同僚のデスクを拭くという昔ながらの滅私奉公を貫く小芝が、来栖のアシスタントとして働いてどう変貌するかが楽しみである。
目黒蓮主演の『トリリオンゲーム』は、「転職の魔王様」が活躍せざるを得ないひどい環境を、天性の人たらしという才能で飛び越える痛快さを目指しているお話であるが、万能で度胸満点すぎる主人公をジャニーズのNO.1アイドルが演じると絵空事になってしまう。
 

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『CODE―願いの代償―』は「どんな願いも叶える謎のアプリ」を巡る物語である。「CODE」は友人などの紹介でいきなりスマホ画面に出現し、たしかに願いは叶うのだが、代償として課せられる「任務」はどんどんエスカレートし、盗みや殺人にも手を染めなければならない。お互いの願いを叶え合う洗練された“闇バイト”のような仕掛けで、現実にあっても不思議はない。主人公の暴力団対策課刑事・二宮湊人(坂口健太郎)は幼くして両親を亡くして荒れた日々を送っていたが、警察にスカウトした上司の田波秋生(鈴木浩介)や婚約者の七海悠香(臼田あさ美)の支えにより立ち直った。
しかし、交際5年目の記念日、いつもの「野菜ゴロゴロ」のカレーを食べ、悠香に妊娠を告白された後、緊急の呼び出しで警察に戻った彼女がエレベーター事故で死んでからすべてが暗転する。台湾の大ヒットドラマの日本版だが、人命が軽いささくれ立った世界観がリアルである。クラスの花形の女性をフランス旅行に連れてゆくお金のために現金輸送車の襲撃を命じられ、失敗して命を落とす大学生。同僚で親友の百田優(三浦貴大)も正義感ゆえCODEプレイヤーになっていて、湊人を殺せという任務を実行できず、自分に銃口を向けて死ぬ。
フリーの雑誌記者・椎名一樹(染谷将太)は、ハッカーの三宅咲(堀田真由)とともにCODEの取材を続けている。咲は一樹の恩人の妹。その兄はアプリの闇を追ったせいで死に、弔い合戦で謎を追っているのだが、安全な部屋を確保しているといいつつ、いつかは最悪の形で敵にバレる気がしてしまう。だれがCODEプレイヤーなのかわからず、息子の心臓移植手術の費用を捻出するために嵌ってしまった凄腕の元警官・三輪円(松下奈緒)も「モニター」という地位にあるものの、組織の全貌は分からない。
だれが敵でだれが味方か。命令しているのはだれなのか。プレイヤー同士、お互いに見えず、あらゆることに疑心暗鬼になる。田波も、アプリのせいで冤罪を着せられて刑務所に入り、やっと無罪放免になったら無慚な死を迎える。なにも知らない様子の後輩・八重樫亨(兵頭功海)は純粋に同僚の死を悼んでいるけれども、ほんとうはどうなのか。悠香の死にかかわっている三輪を許せぬ湊人が、激情にかられ涙を流しながら全力で闇に迫ってゆくアクションに目が離せない。追い詰められて壊れそうな心身が魅力的な坂口健太郎はどんどん成長している。
 

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『ばらかもん』は、書道家・半田清舟(杉野遥亮)が自作を重鎮・八神龍之介(田中泯)に「賞のために書いたもの」と酷評されて殴りかかり、頭を冷やせと家元である父・清明(遠藤憲一)に五島列島に送り込まれる。純粋培養で書道のことばかり考えていて、天才肌だが自意識過剰。都会育ちで世間知らずの清舟にとっては、島民全員が顔見知りという環境は距離が近すぎて戸惑うばかり。
圧倒的なのは神出鬼没の島の少女・琴石なる(宮崎莉里沙)の存在感である。ひさびさに天真爛漫で大人への媚びがない子役が出現した。元気の塊で、清舟が借りた家を「基地」として使っており、「先生」が大好きで島中引っ張りまわす。「筋肉少女」山村美和(豊嶋花)や「腐女子」新井珠子(近藤華)の女子中学生コンビや、何があってもすぐ泣いてしまう・久保田陽菜(寺田藍月)のいきなりの来襲に悩まされながら、清舟は「お手本みたい」という自分の欠点を克服し、大人になってゆく。
何より五島列島の自然がすばらしい。海に飛び込み、山で遭難して満天の星をみて、清舟の書は「畳の上の水練」を脱してゆく。『転職の魔王様』と『CODE』がコンクリートジャングルをサバイバルする話とするならば、『ばらかもん』は大自然と人の温もりの力で生を立て直す話であり、どこかで通底している。五島きってのお祝い餅拾いの名人ヤス婆さんから、コツは「どうぞお先に」と譲ることと教わり、一番ばかり目指していた清舟は未知の発想に目を開かれる。このドラマ、私はずっと笑いながら見ている。何より、宮崎莉里沙の勢いを筆頭にして、俳優陣がイキイキして楽しそう。なるの祖父で「第一村人」の耕作が作る「このもん」や借家の管理人・木戸裕次郎(飯尾和樹)の作る野菜は美味しそうで、一方、マネジメント担当の川藤鷹生(中尾明慶)の生きる背広世界は、どうにも魅力がない。八神が感心するレベルの新作を書けて東京に戻った清舟も、島で発見した書道の楽しさを東京ではすぐ見失う。
マンガ『ばらかもん(元気者)』の作者は五島の住人であり、通り一遍の取材者ではない。単純な自然讃歌に留まらず、過疎と高齢化が進む島で生きてゆくことをじっくり見定めようとしている。まず、五島の美しさをカメラがとらえることが意味深い。
 

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畑違いの話で恐縮だが、詩の世界で唯一、商業出版を成り立たせてきた思潮社の創業者・小田久郎が1年前に亡くなっていて、その事実が最近まで伏せられていた。公にしなかったのは故人の遺志というものの、単純な話ではないだろう。「ユリイカ」の特集「小田久郎と現代詩の時代」を読んでも、毀誉褒貶がはげしいのは明らかである。追悼文を読みながら、「現代詩」という言葉と概念は小田久郎が商標登録したようなものか、と気づいた。
本来、ただの「詩」であっても別にだれも困らない。しかし、「現代」がついた瞬間に詩の外側の状況との接点が生まれる。「現代詩手帖」が常に、「現代詩とは何か」という自己言及的な特集を組んでいたのは、ジャンルと書き手の自分探しがひとつの運動となり、社会の中での存在意義を保証してくれるからだ。でも、中原中也や宮沢賢治はただの「詩」と考えていたし、吉岡実はすぐ古びて更新を迫られる「現代」という看板が嫌いだったはず。
今回取り上げた3つのドラマは、その魅力を原作の力と俳優の演技に託し、「テレビドラマとは何か」というような問いかけを切り捨てている潔さが心地いい。『VIVANT』や『ハヤブサ消防団』も退屈ではないのだが、バックの背広組が「数字」を分析した「ヒットの方程式」みたいなものを取り除くと、お金はかかっていても案外貧相である。阿部寛・堺雅人・二階堂ふみがアド砂漠を彷徨するのにはびっくりしたけれど、やっぱり五島の風景の方がいいし、来栖嵐には人生相談をしてみたい。
「現代」という背広を着ていない、さりげないただの「詩」のような、肩のこらないドラマを、まだ1クールにいくつかは見つけることができる。月9『真夏のシンデレラ』や『シッコウ‼~犬と私と執行官~』も、森七菜、間宮祥太朗、伊藤沙莉、織田裕二の個性はよく出ている。テレビドラマ界が、太陽に育まれた生態系のごとき多様性を保つことを切に願っている。
 
 朝の旅神の欅とツクツクボウシ


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風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。