Television Freak 第76回

家では常にテレビつけっぱなしの生活を送る編集者・風元正さんによるTV時評「Television Freak」第76回は、年末年始の記録。紅白歌合戦や有馬記念に箱根駅伝、そして映画『ブロンコ・ブルフロッグ』(バーニー・プラッツ゠ミルズ監督)やいくつかのドキュメンタリーを見て巡らせた思いが綴られています。
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新しい「戦前」の思考ですか



文・写真=風元 正

 
「中原昌也の白紙委任状」で、バーニー・プラッツ゠ミルズ監督の『ブロンコ・ブルフロッグ』を観て歓喜した。1969年のモノクロ映画。イースト・ロンドンでたむろする、溶接工見習いの若者が主役で、行きつけのカフェに朝忍び入ってピンボール・マシンから50シリングを盗んだり、廃屋のアジトでたむろしたり、無軌道というにはショボすぎる悪事に手を染めながら行き場のない毎日を過ごすだけといってもいい映画なのだが、「ナッターズ」と呼ばれた地元の不良たちを俳優として起用しているので、ものすごくリアル。やっとできた恋人の父親は刑務所に入っているのだが、交際に反対する主人公の方の父親が「イタリア野郎め!」とののしったり、暴力沙汰もあっさりとしており、せっかく買ってもらった中古バイクのエンジンもなかなかかからない。
60年代、イギリス発の「怒れる若者たち」は日本に輸入されると石原慎太郎や江藤淳などが代弁していたが、みなさん大学出のプチブルであり、労働者階級に生まれたアラン・シリトーの小説世界とはかけ離れていた。本国でも実際はオックスフォード出のインテリが中心の運動だったわけだが、シリトーだけは怒り続けていて、私は愛読者だった。貧しい若者たちが主人公となると、日本では『若者たち』のような左翼的な世界になってしまい、心弱い正義派を生涯演じ続けた山本學は好みなのだが、「清く貧しく美しく」というイデオロギーが前面に出てしまって退屈である。『ブロンコ・ブルフロッグ』に出てくるのは、まさしく本物の不良だった。
長年の飢えを満たして、上映の後、遠山純生さんに背景を伺うと、私の感触通りの伝説的なセミ・ドキュメンタリー映画だったようで、偶然観ることができた幸運に感謝した。中原昌也は、DVDを買って観たものの、同封ブックレットすら読んでいなくて何の情報も持っておらず、ただただ好きな映画だったという。いったい、どんな人生を生きているのか、相変わらず伺い知れない。
 

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年末、日本橋三井ホールでカーネーションの心の底まで熱くなる音を堪能し、お目当ての谷口雄さんのキーボードがやっぱりスタンドをブチ壊しそうな勢いで最高だと湯浅学さんに耳うちしたら、「谷口くん、今、六角精児バンドで演奏してるんだよ」と教えられた。いい話を聞いたと番組表を眺めていたら、『六角精児の吞み鉄本線・日本旅/サンライズ&四国の鉄道を呑む!』をやっていて、さっそく鑑賞。「寝台特急サンライズ号で四国へ!うどん・すだち酒・渦潮・天然タイ&「線路を走るバス」に大興奮」というコピーはあるものの、つまりは電車に乗って酒を吞むだけ。これが実はむずかしい。
私も昔「鉄」と一緒に電車で北海道一周取材をしたことがあるのだが、適性がなければさほどの目的もなく長時間ただ電車に乗っているのはすごく退屈である。酒の方もよほどの腕前でないと呑兵衛でないとバレるし、動作が少ない分、本当の好き者でないと馬脚を現し易いのだ。しかし、六角さんは無邪気に電車に乗り続け、一定のペースで酒を楽しみながら座席で睡眠をとり、徳島の海でとれた身の締まった鯛を頬張って、思い切り自然体で旅を続け、ずんずん酒蔵を目指し利き酒をする。
阿佐海岸鉄道の線路と道路の両方を走るDMV(デュアルモードビークル)を、まるでジェットコースターに乗るようにはしゃぐ六角さんに脱帽しながら、六角精児バンドの歌う名曲「各駅停車」と声を合わせて歌った。ギャンブル依存症を克服するために「鉄」になったという還暦の六角さんは、いい歳の取り方をしている。番組とバンドを追っかけなければ。
 

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年末年始は特番だらけで飲みながらドキュメンタリーに逃避することが多い。『フジコ・ヘミング ショパンの面影を探して』をばく然と眺めていて、90歳のフジコ・ヘミングがマヨルカ島で弾くショパンは、まるで歌を歌っているようだった。少々のミスタッチなど気にも留めず、ものすごく強いタッチで鍵盤を叩いており、その若々しさにびっくりした。
青山真治『宝ケ池の沈まぬ亀Ⅱ ある映画作家の日記2020-2022 ――または、いかにして私は酒をやめ、まっとうな余生を貫きつつあるか』の、21年8月に「某日、フジコ・ヘミングのリスト、ショパンを。母の記憶にそのまま結びつくが、私は母がそれを弾くのをぼんやり聴いていただけだ。「ラ・カンパネラ」を坂本さんが初見で弾きこなしたという逸話を知って、改めて聞きたくなった」という記述がある。母が弾くショパンを聴く青山真治は何歳だったのだろうか? 昼か、夜か、その日は晴れていたのか。問いかけてみる。
NHKスペシャル『見えた 何が 永遠が~立花隆 最後の旅~』を観ていたら、文藝春秋の元会長・田中健五さんが登場してびっくりした。22年5月、93歳で亡くなられたはずだったが、生前に取材に応じていた。髪の毛が一本も生えておらず、ツルツルで僧侶みたいな風貌になっていたが、眼光の鋭さはかわらない。74年、立花隆の「田中角栄研究」を「文藝春秋」に掲載して日本を震撼させた名編集者。13歳の私は、むしろ児玉隆也が角栄の金庫番・佐藤昭の孤独を追った「淋しき越山会の女王」に感動していた。私が出版界に関心を持ったのは、毎月家でとっていたあの頃の「文藝春秋」や花森安治の「暮らしの手帖」を隅々まで読んでいたからである。
英国風の背広を見事に着こなしていたダンディな健五さんは90年代、六本木の大箱を借り切って各社担当100人以上を集めて年1回盛大に開催されていた“宮尾登美子先生を囲む歌の会”(名前忘れた)の主役で、渋い声でスタンダードジャズを歌う朝日新聞社長・中江利忠さんと御神酒徳利のように一緒だった。和服姿の宮尾先生は、「ケンゴさん、ケンゴさん」と呼びかけて、いつも少女のように頬を赤らめていた。すべてが幻のようだ。
 

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今年の有馬記念はひさびさに美しいレースで、何度も繰り返し見た。共同記者会見で、イクイノックスを管理する木村哲也調教師が心からの笑顔で質問に答えており、よほど順調なのだと知った。パドックでもしっとりと汗に濡れて輝くビロードのような青鹿毛は体調のよさを誇示していた。ごつい巨漢馬だったキタサンブラックの子供にこれほどまで優雅で軟らかい馬が出たのはなぜなのか。曾祖父のサンデーサイレンスのアスリート風体型ともちがうし、妄想として、キタサンブラックの母方の父であるサクラバクシンオーを通じて、かつての日本競馬の至宝だったテスコボーイが蘇ったと言っておく。
凱旋門賞で自信を失ったのか、馬体がしぼんでしまったタイトルホルダーや、相撲取りのようなエフフォーリア、JC時の覇気を失ったヴェラアズールを見て、年末の夢はジャスティンパレスの単にしたのだが、色気を出したマーカンド騎手が普段とちがう先行イン突きを狙っておじゃん。もう一頭の夢だったボルドグフーシュは、最後の有馬記念になる福永祐一が有力馬の後ろにぴったり付けて直線外の伸びるコースに誘導して完璧な騎乗を披露したものの、まったく無理することなく、一切邪魔をされない安全なコースを通って堂々と馬群を割ったルメール騎乗のイクイノックスはどうしても抜けなかった。出遅れたジェラルディーナは、まあ、こんなものでしょう。どの馬もひどい不利は受けないレースで、年末、酒が少し美味になるくらいの的中にはなった。
ところが、12月27日、浦和競馬8R深谷『渋沢栄一』賞で、ダントツの1番人気の1着固定にして3連単の相手に重いダートだから馬体重の重い順に買っとけ、というテキトーな馬券にしたら、8万馬券がひっかかってびっくり。2年に1度くらい邪心が抜けてこういう馬券に辿りつくのだが、まったく修行ができていない私は、例によってついつい調子に乗り、穴馬を狙い澄ましては4着になり、金杯で3連単を買えば2着が抜け、挙句の果ては単勝を買った馬が落馬し、拾い物の幸運がまったく身につかず迷走を重ねて現在に至っている……。有馬記念の格調の高い馬券はどこへいったのか。
ただ、全体に負担重量が増えた影響を早く見抜いた者が、しばらく優位に立てる気がしている。たとえば、金杯2着の牝馬クリノプレミアムの有利さとか。そして、今年はいよいよ、京都競馬場が改装オープンする。
 

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紅白歌合戦は演出が忙しく、歌の時間が短いと文句ばっかりほざいていたら、妻に「見なきゃいいじゃない」と吐き捨てられた。昼間のランニングが利いたのか、順調に眠くなり、気づけば純烈と一緒に有吉弘行が「白い雲のように」を歌っていた。ジムで見かける時は、いつも心を閉じてかったるそうなダチョウ倶楽部の肥後克広も、この夜ばかりは嬉しそうで、感動的だった。上島竜兵、享年61。同い歳である。
別世界に入りつつある玉置浩二とか、Charの大人のカッコ良さとか、吉川晃司も含めて、今後が楽しみな方々も増えている。1年間で呆れるほどたくさんの美人女優とラブシーンを演じていて、今後がどうなるのかハラハラするSnow Manの目黒蓮の背はとても高いことや、King & Princeの平野紫耀を紅白で鑑賞するのは最後か、などという益体もない思いつきをもてあそんでいた。スウィートすぎる「なにわ男子」がわからない、と口にするたびに、あんたには関係ないとつき放される。毎年、ジャニーズ・カウントダウンに移行するのだが、最近はKinki Kidsの「硝子の少年」が胸に沁みるようになった。
今年は喪中で、赤ん坊の頃のほか、初めておせち料理を口にしない正月だった。ちょっと寂しい。箱根駅伝がどんどん現代的に尖鋭化し、ランナー10名全員ブレーキ不可の水を漏らさないような戦いが要請されるのも置いてけぼりにされた心地がするのだが、常に熱いゲキを飛ばし続けひとつの風景になってた大八木弘明監督が箱根を去るのも寂しいことである。64歳。青山学院の原晋監督のように、政界に出馬しようという色気を一切感じさせないのも魅力であった。しかし、いつも日本人選手の遥か前を走っている漆黒の肌のランナーの方々と互角に走れるかもというスケールを感じる田澤廉選手とマラソンに挑戦するというのだから、期待大である。
そういえば、年末、『徹子の部屋』にタモリが出ていて、徹子の「これからどうなりますかね?」という問いに、タモリが「新しい戦前になるでしょう」と答えた瞬間を見た。しかし、柄谷行人は94年に『〈戦前〉の思考』という本を出しているのだから、30年経ってようやく柄谷の説がタモリにまで伝わったということになる。
バーグルエン哲学・文化賞を受賞した柄谷さんは、67歳の時、周防正行率いる太田出版チームに先発し、4イニングを投げ抜いて勝ち投手になった。せめて、体力だけは、柄谷さんと同じレベルを維持しようと決意する。そして、今年はダービーを競馬場で見よう。
本年も宜しくお願い致します。



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風元正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。