- 2023年10月05日
- 日記
妄想映画日記 その162
樋口泰人の「妄想映画日記」9月下旬の日記です。前回から続いて、多様なゲストが集った「YCAM爆音映画祭2023」本番の様子が綴られています。そしてまた始まった抗がん剤治療のなか、京都みなみ会館閉館日の『はだかのゆめ』上映、シネマート心斎橋でのboisound音調整のために関西へ。
YCAM爆音2日目。朝から「バックステージ・ツアー」、『はだかのゆめ』、『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』『自分革命映画闘争』。「バックステージ・ツアー」はもちろん、その他の上映作品もすべてトーク付きで、1日中喋り通し。体力、体調の回復がぎりぎり間に合ったというかいい刺激にもなり、疲れ果てたと同時に体調は目に見えて回復。それぞれの監督たちの歌や言葉や生き方に、大いに力づけられた。最後の『自分革命映画闘争』は監督歴40年を超すベテラン監督が自身の身体を賭けて作り上げたかつてない“自主製作映画”で、この覚悟の在り方にリムくんが刺激を受け、「映画作りはしばらくしない」とトークで語っていたにもかかわらず、「作る力が湧いてきた」と前言撤回。午前2時くらいまで石井さんと楽しそうに話していた。初日から来ている斉藤陽一郎も甫木元も楽しかったみたいで、最後までワイワイと。この日のゲストの3世代にわたる監督たちが深夜にもかかわらず嬉しそうに盛り上がっているのを見るだけで、今回は自分の病気でいろいろ迷惑をかけたが本当にぎりぎり間に合ってよかったと心の底から思った。観客の方もそうなのだが、スタッフやゲストも刺激を受けさらなる動きが生まれていく。そんな映画祭自体の力を目の当たりにした気がした。石井さんには、来年はこの音でノイバウテンをと約束した。


9月17日(日)
YCAM爆音3日目。『BLUE GIANT』『マッド・ゴッド』『激怒』『グリーン・ナイト』『女神の継承』。1日5本はさすがにハードである。最終回終了は深夜0時過ぎ。以前、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』をやった時以来の日付をまたいでの上映となった。あの時も深夜すぎで大丈夫かと心配していたのだが、車社会は終電の縛りがないので大丈夫という話で、実際入りきれない騒ぎになった。東京だけで暮らしているとその他の地域での暮らしの細部がどんどん抜け落ちていく。
『BLUE GIANT』のゲスト石若駿くんとは初対面。しかしお互いYCAMがホームみたいなところがあり、年齢がかけ離れ会うことも話すこともなかった従弟同士が同時期に里帰りしてついに対面、みたいな感じの緊張と弛緩の同居する楽しい対話となった。その後は怒涛の上映。今回はわたしの病気のこともありこれまでのように上映前の挨拶はしないということで、例えば事前に挨拶を録画しておき上映前に流すという話もしたものの、それもまた負担が大きいかなということで休める時間は休むことにした。ただ『激怒』のときは中原の件もあり、現状報告もかねて簡単な挨拶を。糖尿病の合併症とひとことで言ってもそこにはいろんな病気や症状が絡んでくるのでこちらが思う以上に大変である。実際に自分で入院してみてその大変さをようやく実感できるようになったのだが、体調回復とともにどんどん忘れるという都合よさに呆れもするが、おそらくそれくらい都合よくないと生きていけないということもよくわかる。映画はその堂々巡りするばかりの大変さをわれわれの心にさらに深く刻み付けるものでもあって、それは他者の細部を自分の中に取り入れるというふうに言えるかと思う。何のつながりもない映画5本立てだがだからこそ見えてくるものがあるのではないか。
昼間、YCAMからは少し離れた寺で開催されている坂本龍一さんの展示に行っていた斉藤陽一郎は、そこでやはり爆音に来ていた女性に声をかけられ話を聞くと、彼女はまずビアリストックスのファンになり、甫木元を通じて青山のことも知り、青山の日記に書かれている映画も観るようになり、こうやって山口まで来て爆音でいくつかの映画も観るようになったとのこと。今まで知らなかったことや想像することもできなかったことと次々に出会うことができて人生が楽しくて仕方ないと語っていたと言う。われわれの活動を通じてこんな人がひとりでも増えていってくれたら。陽一郎はその後自転車で戻る途中で土砂降りの雨に会いびしょ濡れになったとのこと。普通に生きているだけでも思わぬことが起こる。
9月18日(月)
YCAM爆音最終日。今年はいつもの8月末ではなく3連休に合わせたために1日多い4日間開催である。いつもなら昨日で終わっていたかと思うと、4日目のおまけがありがたく、いやもうおまけではなくこれくらいの期間でやったほうがいい体験ができるのではないかと思うに至る。それくらい自分の中でも4日間の太い流れが刺激になっていると強く実感する4日目であった。ただ通常の体調でも4日目は相当疲れているはずで、実際それなりにというか、相当疲れてはいた。その疲れを『ムーンエイジ・デイドリーム』『RRR』を観終わった人たちの笑顔が癒す。そして映画祭最後の『エリ・エリ・レマサバクタニ』には、いったん高知に戻ったはずの甫木元も再度顔を出したくらいには、楽しく大成功な映画祭だったと思う。しかし『エリ・エリ』は疲れた体にはハードな体験だった。調子に乗って音量を上げすぎたのだが、これこそベストな音量という知り合いたちも何人もいて、確かにこの音量でなければ見えてこないもの聞き取れないもの体験できないものがそこにあり、かつてない上映になった。終了後のトークでは、陽一郎が先に出て挨拶をしてわたしを紹介するという前代未聞の事態にもなった。その他おまけもあり、ここまでいろいろあって楽しいと来年が大変というオチで、来年への第一歩を踏み出したのだった。
今回のYCAM爆音はスピーカーの設定をこれまでとまったく変えた。ついに念願のサウンドスクリーンを投入し、前方のスピーカーはすべてスクリーンの後ろという映画館とまったく同じセッティングで、LCRのスピーカーがすべて同じ高さにそろいセリフはスクリーンのど真ん中から出る。音のバランスや聴こえ方がこれまでとは全然違う。そのことがお客さんにもはっきり伝わったと思う。後戻りはできない音になってしまった。ただその分予算がかかる。今回はYCAM20周年ということでこれができたのだが果たして来年はどうなるか。しかし打ち上げでは技術スタッフはもうこれを前提に来年の構想を語り始めていた。何かが転がり始めている。


9月19日(火)
本来なら本日は打ち上げもかねて萩まで出向いて寿司をという予定であった。しかし肝心の寿司屋が3連休の余波で臨時休店。どうしようと言っていたところに「防府にいい店がありますよ」という天使の声。もちろんそれに乗らぬ手はないということで、新旧の教育普及チーム(バックステージ・ツアーやYCAMラジオの担当)と甫木元も一緒に防府の寿司屋。この寿司屋、魚市場も兼ねた道の駅みたいなところに付属しているのだが、行ってみると市場には新鮮な魚介類が山ほどあるわけだからそりゃ美味い。目を瞑ってメニューの端から端までを順番に注文していっても外れなしということで、とはいえ胃腸の調子もうかがいながら瀬戸内海の味を堪能した。YCAMに来る頃は帰京日に萩に行くのは絶対無理と思っていたのだが、萩ではなかったもののこうやって皆さんでワイワイ言いながらおいしい寿司を食えるようになるとは。時々無理やり外に出ることがいかに大切か、ただし他人に無理やり連れだされるのではなく、自らちょっとその気になったその「ちょっと」に乗ることがいかに大切か思い知った1週間であった。
9月20日(水)
朝食を食っているうちに胃の調子が変になる。山口での食べすぎとか、疲れとかいうのではなく、手術後、そして抗がん剤治療中と同じく胃液が胃の中で暴れているような何とも説明しがたい感じ。山口では何ともなかったのにいったいどうしたことか。東京の水が悪いのか。とはいえそこまでひどいということはなく、なんとなくもやもや。午後は事務所で今週末のYCAMでのイヴェントでの出店用にboidの制作物を大量発送。山口までは中1日かかるので水曜日に発送しないと金曜日の納品に間に合わないのでそれなりに必死。大汗かきながら山ほど積み上げられわけわからなくなった事務所の荷物を整理しながら発送物を探し出し段ボールに詰める。佐川急便の集荷時間を遅らせてもらい、それでも間に合わず。だがとにかく発送するものだけはした久々に全身全力を使ったとひと休みしていると案の定発送し損ねたタイトルをいくつか思い出し、ああでもなんとかせねばでも今日は間に合わないということで明日の発送をYCAMにも連絡する。しかし納品書づくりが大変である。インヴォイス制度に合わせ、またこれまで使ってきた伝票ソフトが使い勝手が悪くなってきたこともあり、boidの伝票類を7月から新しいやり方に変えたのだが、まあそれはそれで慣れないうちは作るのに時間がかかるしもっと手際よくできるはずのやり方がわからない。焦っても仕方ないので明日に持ち越し。結局東京に戻るとイライラする仕事ばかりが増える。そのうえこの在庫の山。近々の引っ越しを決意する。広いところに移るのではなく、これを機にいろいろ整理して今後生きていくために必要なもの優先で整理してコンパクトな体制に移行しつつ、視界を広げ身動きとりやすくできたら。いずれにしてももう身動き取れないわけだが少なくとも見晴らし風通しを良くして常に今こことその後とが瞬時に行き来できるような場所にできたら。
9月21日(木)
昨日の続き。ちょっとだけ送り損ねたはずだったYCAMへの物販はいざ探しはじめるとあれもこれも送り損ねが出てきて呆れる。金曜日にYCAMに向かうはずの虹釜くんに持って行ってもらおうと思っていたものの、これは持てない。とにかく段ボール詰めして送る。果たしてこんなにあれこれ買ってもらえるのだろうかという心配もあるが心配はしない。
その後、仕事関係者が見舞いをもって事務所に。いやはや迷惑をかけているのはこちらなのだがありがたい。今後の話などで盛り上がる。この病気が新しい動きのきっかけになってくれたら。しかし東京に戻ってきてからやたらと眠くさすがに疲れているのか。夕食後も倒れるように眠ってしまう。YCAM爆音映画祭中は手術後2か月経ってそれなりに体力は回復していたと思えるくらいに体は自由に動いたのだが、東京に戻って通常の生活が始まると、その通常の生活に使う体力と爆音映画祭中に使う体力とは別物であることを実感する。あらゆることに意識的にならなければ体が動かない。日常生活の運動に無意識にまでの道のりは案外遠い。
9月22日(金)
斉藤陽一郎から自宅で瓦そばを作ったという連絡が来る。瓦そばは山口の名物料理なのだが、陽一郎もYCAMの興奮がまだ冷めやらないようだ。わたしも地味に興奮を引きずっていてこんな若者のような気持になっているのはいったいいつ以来だろうか今ならどこにでも行けるような気がする。午後からは来年のライヴなどに関する助成金のミーティング。楽しいアイディアも出たのだが果たして実現可能かどうか。3日間のboidフェスみたいなことにできると現実的なのだが、しかしそれだと助成額が小さすぎる。こちらの思いと現実的な金額がまったく折り合わない。いつものことなのだがそこをどう見極めるか。現実的なのは1バンドのライヴに絞ることで、それなら可能性は見えてくる。だがあれもこれもやりたいという欲望も沸く。それをひとつに絞っていくのが大人なのだが、そうやって我々の生きる欲望はコントロールされてしまう。あれもこれもやるのだという『幸せをつかむ歌』のメリル・ストリープはただひたすらそんな世間に対して歌い戦っていた。大きな目的や大切な信念や愛する者のためのひたむきな思いなどなくてもいいのだ。自分を動かす小さな欲望に素直に従うこと。それが何も残さなくてもいい。『グリーン・ナイト』とはそんな物語ではなかったか。友人から果物が送られてきた。
9月23日(土)
束の間とはいえ抗がん剤副作用の苦しみが取れてテンションが上がっているのか、東京に戻ってきてからもそれなりに動き続けているため、気が付くと疲れている。眠い。眠気覚ましに阿佐ヶ谷まで歩いてお気に入りの中華屋で麻婆豆腐を食った。この中華屋は何を食べてもおいしいのだが結果的にどこか強烈な味のものを求めてしまうのはまだ本調子ではないことのあかしなのだろう。病気のためにはどう見ても強烈な味のものはよくない。まあ、来週からは再び抗がん剤が始まるので今のうち、という勢いである。とはいえ少しは自重したほうがいいのかもしれない。強烈な辛さの麻婆豆腐であることはわかっていたのだがやはり汗だくになりそれなりに疲れた。帰りの散歩はそこそこつらかった。帰宅後は思わず昼寝。気が付くと夕方になっていた。
9月24日(日)
東京に戻ってからの胃腸の変化の原因を日々探っているのだが、現状は乳製品に疑いがかけられている。最初は毎朝食べているケフィアヨーグルトだった。試しにやめてみたらだいぶ楽になった。しかし山口でもヨーグルトを食べてなかったわけではない。だが確かに通常のヨーグルトでは少し水っぽすぎるのでダノンのOICOSに変えたのだった。あの硬さがちょうどよかった。しかしその後、昨日はミルクティーでちょっとおかしくなった。山口ではまったく飲んでいなかった。乳製品だとするとOICOSはどうして問題なかったのか? ではということで、いや、単に食べたかっただけなのだが、家にあっためちゃくちゃおいしいチーズたっぷりのクッキーを食ってみた。それ自体は美味しく食えたしもっと食いたいとも思ったのだが、2時間ほど経過した夕食時にはなんだか胃がおかしい。それどころか再び薄い塩味が見事に感じられず、ある一定の塩分濃度を超えると途端に舌が反応し始めるのだった。うーむ、本当に乳製品なのか。そうすると11月に予定している新千歳国際アニメーション映画祭の爆音上映はどうなるのか。いや、チーズ買うために行くわけではないのだが、北海道の乳製品はマジでうまいのだ。とにかくそれまでには何らかの解決をみなければ。明日はOICOSを買って食ってみよう。
そして本日はやはり疲れていたのか、散歩して散髪に行っただけであとは寝ていた。夜は久々にCandi Staton “Candi”。74年リリースのワーナー移籍第1弾。それまでのFame作品と違って彼女の背後の人生をほとんど感じさせることのないただひたすらそこに彼女がいるだけと言いたくなるような、リラックスした軽さゆえにそこで奏でられる音楽の歴史の重さを感じられる作品。ああ、こんな感じで生きていけたら。


9月25日(月)
朝からぼんやりしていて眼鏡をかけたまま顔を洗ってしまう。かつてない失態に驚くが、まあ今後は日々こういうことが起こっていくのだろう。眼鏡くらいでは大勢に影響なし。午前中は各所連絡、社長仕事。仕事は山ほどある。何のことはない東京に戻って具合が悪いのはこういったことのせいなのだ。これらを辞めない限り、わたしの健康はあり得ない。山口で元気だったのはいい音を聴いたこともあるが、東京での仕事の数々を一時的に忘れていられたからである。今後は映画を観て原稿を書く、爆音上映をするというそれくらいで、他人と関わりが出てくるようなことはできる限り避ける、間をつなぐことだけはして後は皆さんにお任せというスタンスで。
夕方は久々に病院のストーマ外来で面談。とりあえず順調。最初のころの神経質な扱いが嘘のように雑に扱うようになった。まだ愛おしくなるところまでは至っていないのだが、次第に身体の一部となってきている感覚はある。ただやはり起きているときは3時間くらいでいったん排泄の必要が出てくるため、いくら雑とはいえそこでは自分の置かれている現実に戻されるわけだ。調子悪いとそれが更に苦痛にもなり、調子良くても否応なしにそこでクールダウンさせられる。そしてもうすぐそれに、8時間おきの抗がん剤が加わる。あっという間の2週間。
元気なうちにあれこれというわけで夜はうなぎとなった。友人が東京を離れるための送別会もかねての「吉祥寺しのざき」。篠崎の弟の店である。以前、瀬田なつき、斉藤陽一郎と一緒に行ったときは初めてということもあり篠崎に予約してもらったら、思わぬ接待で驚かされたのだが、今回は普通に予約。各種串ものとうな重を美味しくいただいた。いったい今後鰻は食えるようになるのかと手術後は悲観していたのだが、何とかなるものだ。しかもうまい。いやあ4月の岐阜以来のうなぎだが、関東風の蒸したやつも負けてはいない。別物だと思えば幸せが倍になる。
しかし当たり前のように時々会っていろいろ一緒にやっていた人間が離れていくのは寂しいね。今は遠くにいてもリモートで全然不便はしないのだが、その不便のなさゆえに奇妙な不在感を感じるときがある。その一方でboidのネットワークが日本中に広がっていく面白さもあって、本日も昼間思わぬところから思わぬ連絡があり、それまではおそらく直接は面識のなかったはずの友人たちが仕事でつながったことを知りその成り行きの今後に思いをはせた。ああそして、9月30日の京都みなみ会館での『はだかのゆめ』上映と監督トーク&ライヴのチケット発売が本日19時からだったのだが即完だったらしい。チケット購入画面まで行ったのにそこで画面がフリーズして買えなかったというツイート(今はポストと言うのか?)も見かけたが、マジでアクセス殺到していたのだろう。この件に関しても来年に向けて、いろいろ考えさせられた。




9月26日(火)
早朝から病院。採血されて血液検査後の主治医との面談。どうやら血液検査も問題なかったようで、こちらが抗がん剤の副作用あれこれを訴えると「じゃあ、飲むのやめましょうか」とあっさり。脅しではなく、単にいよいよ飲んでも飲まなくてもいい感じになってきたのかと思えるような手ごたえのなさで、まあここでやめてはせっかくの1回目の辛さが浮かばれない気もしたので、「もう一度やってみてつらかったらやめます」と。わたしの場合は癌が残っているわけではないので医者としてはそこまできちんと治療を続けなくてもいいと思っているのか、食事も「ネット上にはいろいろ出てますが気にしなくていいです、好きなもの食べてください。ただ酒だけは気を付けて。あとはしいたけと海藻を食べすぎないように」という指示のみ。食事よりストレスが一番悪い、ということなのだろう。仕事のしすぎも気にしていた。
という面談を経て、ますます今後はご機嫌さんになって、やる気になったことしかしないというはた迷惑な人になっていくことを強く誓う。まあ、誓うようなことではないのだが。とにかくご機嫌が一番。嫌なことや都合の悪いことは軽くスルー。高価な抗がん剤の仕入れに時間がかかりその間は散歩をしてみたら、さすがに疲れた。3時間くらいしか寝てないし、朝から運動したしで本日の作業終了。その後は、社員大橋、コピアポア伊藤さんと来年の作業の打ち合わせもしつつランチで満腹になりおねむの時間となったのだが、税理士との約束があり、いやほんと2週間しか元気な期間がないと1日のスケジュールが結局詰まってしまってよくないなと思いつつも月一の税務報告などを受けて帰宅。案の定、夕食後3時間くらい眠ってしまった。やれやれまともな人の暮らしはできない。
ああそしてボブ・ディランの『シャドウ・キングダム』をこのところよく聴いているのだが、こういうのを聴いてディランのこの20年くらいを思い浮かべると、歳とったらもう新しい曲とか作る必要はないんじゃないかと思えてくる。ただそこにある歌を歌うだけですべてが若々しく生まれ変わる。歳をとるとはそういうことではないか。人生を変える一大傑作とか大ヒット作とかを作る必要はまったくない。ルノワールや溝口健二の晩年の見事な軽さも思い浮かぶ。その意味ではニール・ヤングは若干失敗しているような気がするし、ヴァン・モリソンは少しずつディランの領域に近づいているような気がする。ここにも「ご機嫌」というキーワードが見え隠れする。イーストウッドは背負っている家族が多すぎるのが辛いところだが一方でそれが動きを軽くしているのだろう。ニール・ヤングはこのイーストウッド一家の後を追っているのかもしれない。
9月27日(水)
夜になって衝撃的なニュースが入る。もう呪われているとしか思えない。われわれがそういう年齢に差し掛かったということでもあるので、とりあえず知り合いの皆様科学的な検査とオカルト的なお祓いと、セットでやったほうがいい。何がどう作用しているのかどう作用するとこうなるのか、いずれにしてもコントロール不能。
本日から抗がん剤第2クール開始。病院からの指定は朝6時、昼2時、夜10時という8時間おきの3回なのだが、当然そんな時間に起きられるはずもなく、2時間遅れで開始。30分後には頭ぼんやり、立ち上がるとふわふわ、気分が悪いわけではないが作業はゆっくりになり、1週間後には何もやる気が出なくなる予兆バリバリ。昼はブライトホース・フィルムの岩井くんと。高円寺市場のベトナム屋台で今後のことなど話しながらダラダラしたのだが、1年ぶりくらいできてみたらランチの値段が少し上がり、フォーの分量がもともと少なかったものがさらに減っていたような気がした。気のせいか。雑にバカバカ食えた時代ははるか昔である。今は頑張っても辛いだけ。お互い働かずゆっくりと構えながら生きる。そこから見えてきたものをやっていけばよい。まだまだ末永く生きていかねばならない若者たちはそんなことも言っていられないだろうが、だからこそ年寄りはご機嫌で思わぬ道を示す。長い目で見れば伝わることは確実に伝わっているはずだ。
そしてそのまま事務所に行こうと思っていたのだが、16時に服用予定の抗がん剤を家に忘れ、結局帰宅し服用後事務所に。事務所では今後のboid大改革に向けて地味に準備が始まっている。ごみ捨て、在庫整理など。できる限り荷物を減らし仕事も減らしコンパクトにして引っ越しを。その前に事務所のWi-Fi環境の整理というか経費削減のためにルーター関係を新たなものにして経費半減計画。本日はルーターの設定、と言っても単につなげてパスワードを入れるだけだから特に問題なくいくはずがどうやってもプリンターとつながらず思わぬ時間をとられた。ああそういうことだったのね、ということで解決したのだが今後が思いやられる。本気で寒くなるまでに整理と引っ越しが果たしてできるのか。boid事務所の寒さは体験した人だけが知っている。
9月28日(木)
妻に連れ出されて東京都現代美術館のデイヴィッド・ホックニー展へ。美術館は本当に苦手で、映画館なら座っているだけでいいのにどうして立ったままいくつもの部屋を動き回らねばならないのかと、美術好きの人が聞いたら呆れる不満がすぐに飛び出す。いや、美術好きの人でなくても呆れた不満ではあるのだが、それゆえ初都現美。いったい何年東京に住んでるんだということなのだがこればかりは致し方なし。育ちが悪すぎる。そんなわけでホックニーに関してもロサンゼルス時代とヨーロッパの時代では光と輪郭が全然違うとかやっぱりでかい絵はいいなあとか、そんなひどい感想となってしまうのだが、座っている人物のみを描いたシリーズの顔や皮膚のディテールの丁寧さとその人物が着ているものへの奇妙な無頓着ぶりとの対比が気に入った。しかしマジで足腰をやられて妻がナディッフの売店に行っている間はロビーのところで座っていた。だが、どうしてこういう場所の椅子や座るための台座のようなものはフラットな木をベースに作ってあるのだろうか。わたしのように手術後10キロ以上痩せてしまった人間にとって、硬い椅子はちょっと座っただけでもう尻が痛んでつらいつらい。立っているのもつらいし座るのもつらい。柔らかい椅子を望む。だが、大勢の人が想定外の使い方もするこういった公共の場所では、柔らかさは傷みにもつながり管理は大変なのだろう。都現美前のハンバーガー屋で、久々にヘヴィーなハンバーガーを食って帰った。都内東側の風景は西側とは全然違うので何度来てもきょろきょろしてしまう。菊川駅脇の映画館Strangerの前には健司の写真が貼ってあった。






9月29日(金)
明け方、暑さで目が覚める。抗がん剤服用が始まるとこういうので一気に体調が崩れるのだが案の定、昼は思い切りの眠気で午後以降は仕事できず。ようやく何カ所かに電話連絡をしたのみで、あとは眠っていた。その午後からの連絡のひとつで税理士とのやり取りがあり、10月1日からのインヴォイス制度の詳細の説明を受ける。おおよそは理解していたつもりだったが、うっかりしていた部分もあって「ああこれって単に、これまで消費税の納税を免除されていた年収1000万円以下の事業主の分も、とにかく誰かから徴収するということなんだな」ということがわかる。とにかく全員から徴収と言ってしまうと聞こえが悪いし強い反発も予想されるのでなるべくそう見えずしかし結果的には全員から徴収という回りくどいやり方で事態をわかりにくくさせて本質を見えなくさせる。そのために複雑な事務手続きになり、それが面倒だったりそこまで手の回らない事業者は非登録事業者とは取引しないということになり、大手は商売繁盛儲かる企業だけが儲かっていく。という理解なのだが大雑把すぎるだろうか。おそらく多くの非登録事業主たちとやり取りをしていくはずのboidはまともにやっていたらすぐに立ち行かなくなるはずだ。まあ、そういう企業はさっさと潰れればいいということなのだろう。
9月30日(土)
抗がん剤の副作用はまだそれほど大したことないので閉館する京都みなみ会館の最終日に顔を出すことにする。みなみ会館から閉館の知らせが来たのはちょうど内視鏡検査をして結果が出たころで、もし間に合えば閉館時にboidsoundの特集上映をしましょうと言う話をしていたのだが、楽観的過ぎた。何もできぬまま、名古屋シネマテークの閉館時にはまさに手術の頃でどうにもならず、みなみ会館も遠くから見送るしかないかと思っていた。だが何とかなりそうということで、特に何も手伝うことはできないが最後のお別れはできる。『はだかのゆめ』の上映もあり、甫木元も駆けつける。世話になった全国各地のミニシアターが少しずつ順番に亡くなっていくのは何とも言い難いのだが、しかしみなみ会館はリニューアルしてまだ4年。閉館、という言葉がまったく似合わない風情である。だからこそ現代的とも言えるのだが、こちらの気持ちのやり場がない。ただ単に終わる感じ。担当者からも、普通に上映をして終わりたいという話も聞いていたからこれでいいのだろう。多くのお客さんが駆け付けていた。『はだかのゆめ』の場合は多少特殊だったとは思うが、それまではみなみ会館のことを知らなかった人たちがいつかこの日のことを思い出す。いくつもの時間が重なり合いながら、何かが受け継がれていく。バウスシアターの閉館の際には「今ここに集まったわれわれひとりひとりがバウスシアターになればいいのだ」と挨拶したのだが、おそらくそういうことだ。終わりと始まりが同居する一瞬。まだまだこれからだと思う。






その後、腸を悪くしたら腸を食う、ということで近所のホルモン屋で夕食。煙もくもくの店内で昭和のホルモンを堪能した後大阪に向かいシネマート心斎橋で『ザ・ドライバー』のboidsound調整をした。そこまで働かなくてもという忠告は十分承知。だがこういうことなら身体が動くのだ。動くときは動くしかない。あまり考えない。調整は楽しい。いろんなことが頭に浮かぶ。先日観た『悪魔の追跡』の時も書いたが、ただひたすら車が走るだけで映画が成立してしまう不思議。そこにあるものがだんだん壊れていく、破壊される、ぐしゃぐしゃになる。それだけで映画になる。いったい何がそう感じさせるのか。音も決していい音ではない。だがその潰れた音、ひび割れた音がこちらの体のどこかを刺激する。いやそれは単に思い過ごしですよと言われるかもしれない。だがその「思い過ごし」はどうして起こるのか。そこに映画の秘密はないか。そんな思考と共に現代の滑らかでクリアな映画を改めて観なおすと何か新しい映画が浮かび上がってこないか。思いは広がるばかりである。シネマート心斎橋はすでにハロウィーン仕様になっていた。

