- 2023年09月21日
- 日記
妄想映画日記 その161
樋口泰人の「妄想映画日記」は、9月初旬の日記をお届けします。抗がん剤治療の1クール目の終わりとともに「YCAM爆音映画祭2023」へ。先に現場入りしている井手健介さんとともに爆音調整を始めると、徐々に体調も回復し、食事も取れるようになったようです。
夜中に猫さまの気配で目覚めると足元が冷たい。お怒りは収まったものと思っていたのだが、再びやられてしまった。ただ幸いわたしが早く気が付いたので被害は大きくなくシーツを片付けるだけで何とかなったのだが、今度は枕元で毛玉を吐かれてしまい、さすがにこちらはちゃんと片付けなくては臭くて寝られもしないのでバタバタしていたらもう夜明けですっかり寝損ねてしまった。ということで本日は終了。昼はほぼ寝ていた。めまいと吐き気は治まらず、ひたすら耐えるのみ。こんなことで半年つぶしてしまってそれでいいのだろうかと考えたのだが、こんなことでもなければ半年ぐーたらできないなとも思った。原稿書き以外はやらないということでそれでいいのではないか。すべてをいったん辞めてみる。
9月2日(土)
夜中にひどいめまいが来て、ついにめまい止めを飲む羽目になった。これを飲むととにかく眠くて1日が台無しになるのだが、本日も同様。眠り続けた。めまいは軽くなったが治まりはせず。今後の展望が見えない。メールなども読めず、YCAM爆音のための準備もまったくできていない。
9月3日(日)
残念ながら立ち直れない。ほぼ寝たきりだった。体に力が入らず、声も出ない。これはさすがにひどいので、明日からは無理やり運動をする決意をしたのだが。
9月4日(月)
いよいよ曜日の感覚も怪しくなってきたのだがとにかく抗がん剤服用の1クール目もあと1週間。ぎりぎり耐えてはいるが、今後もうメールもまともに返せない、というくらいな感じの状況を周囲にわかってもらえないとあと半年間はやって行けそうにない。というようなことを考え続ける日々。他に何も考えられないのは、8時間おきの抗がん剤服用時間が決められているのと、人工肛門からの排泄作業が大体3時間おきにやってくるのとで寝ているとき以外は常に病気に直面させられているからだ。否応なし。副作用が軽い人やわたしよりポジティヴな人はもうちょっと反応が違うのだろうけど、いずれにしてもわたしの場合は、生きていくことにあまりポジティヴではないへなちょこが愚痴をこぼしながらギリギリ生きていく低空飛行をどう楽しむかというようなことで、もうしばし弱音を吐きながらぐずぐずやっていけたらと思う。
9月5日(火)
夜が久々に涼しかったせいか少しまともに眠れた。少しは元気に過ごせるかと思ったが残念ながらそうではなかった。胃はますます苦しく、もう、食べ物の写真を観たり匂いを嗅いだだけで吐きそうになる。食べ物の写真が人工肛門のパウチの中にたまった排泄物となぜが直結してしまうのである。それでも食欲が勝っているうちはよかったがもはやそれもない。食事は生きていくためだけの作業となり、吐かないように食すのみ。楽しみからははるか遠くに来てしまった。それでもおいしく食べられるものはないかといろいろと試みてはいるのだが、現状ではフルーツゼリーのようなほんのり甘いつるんとしたものくらい。今夜は愛玉子(オーギョーチー)でひと息ついた。少量の冬瓜茶レモン入りの炭酸割りも心の支え。そういえば夕方の『孤独のグルメ』に高崎の電気館が登場していた。電気館の従業員は当然役者が演じているのだが、本物の飯塚夫妻にそっくりで、いずみさんの方は声や話し方までそのまんまだったので笑ってしまった。井の頭五郎さんはその後どこに食事をしに行くのか、電気館に来たら当然「来来」だろうと思ってはいたのだが、もちろん「来来」の看板は大写しになり五郎さんも一瞬迷うのだが「昨夜も中華だった」という理由で別の店に。さすがにそのまま「来来」では近すぎるし当たり前すぎるかとは思うものの、五郎さんが「来来」で何を食うのかは見たかった。いやしかし、食い物の写真を観ただけで吐きそうと言いながら『孤独のグルメ』は見るのかい、という突っ込みは無用。それくらいの欲望はある。散歩にも行った。ある程度のスピードでは歩けるようになったから、体力的には少し戻ってきているのだと実感する。とにかくめまい、吐き気、倦怠感。
9月6日(水)
明け方に目が覚めて眠れず。7時前に起きてしまうのだが、いつもよりめまいも吐き気も軽い。理由はわからない。わからないが昨日までより全然ましなのでこの間連絡できずにいた各所に連絡を。いろいろ作業はできるのだがその分考えなくてもいいことを考えやらなくてもいいことをやる羽目になったりするから結局負担は大きくなる。返信の返信がなかなかできなかったりする。明日はどうなっているかもわからないし、あと1年はまともに働けないことははっきりしている。もう何もできませんと頭を下げたほうがいいのかもしれないとも思う。
まあそんなことをつらつらと考えていたらやはり疲れてしまい昼寝、と言っても「午前中の昼寝」で目が覚めたら12時30分だった。昼食後、再び体調は復活したので10日ぶりくらいで事務所に向かうと高田馬場の歩道で甫木元とばったり。boid事務所に寄っていたのだそうだ。しばし立ち話をしていたのだが、まあ、ここで立ち話も、ということで甫木元はわたしと一緒に再び事務所に。事務所ではたまっていた書類や請求書などの整理。今後の話など。2時間くらいでじわっと疲れが出てきて帰宅。吐き気は昨日までの程ではないとはいえ、食欲はない。抗がん剤の服用が終わったら少しは戻ってくるのだろうか。あと1週間。帰宅途中に新宿駅のみどりの窓口で山口までの障碍者割引乗車券を買おうとしたらスーツケースを引きずった海外からの観光客の長蛇の列であきらめた。高円寺や阿佐ヶ谷のみどりの窓口は3月で閉じられてしまったし、障碍者割引乗車券はみどりの窓口でしか買えないし、どこの窓口なら海外からの観光客が少なくて買いやすいか、そんな情報も事前に仕入れておかねばならない。慣れるまで大変である。そして慣れたころには人工肛門を元に戻して障碍者手帳を返納することになる。でもスムーズにそうなってくれることを願うばかりである。半年以上休んでしまった肛門はゆるゆるになってしまうのだそうで、完全回復できない人も相当数いるとのこと。先のことを考え出すときりがない。
9月7日(木)
昨日の続きでたまっていた社長仕事をやり税務署にも行って諸手続きをと思っていたのだが、そうはこちらの思い通りにはいかない。朝から吐き気。とにかく何かを胃の中に入れることだけで精一杯。あとはぐったりするしかなかった。夕方、気持ちを入れ替えて何か所かに連絡をした。しかしこの味覚の異常を何とかできないか。吐き気と同時にとにかく食べ物の味がぼんやりしまくってあらゆるものが病院食のようにしか感じない。具体的に言うと、ある分量の塩分がないと塩味を感じられない、という状態である。その分量を超えると一気に正常な塩味を感じることができる。梅干しやみそ漬けみたいな極端な塩味はしっかり味わえるが、塩分控えめの味噌汁とか煮物はぼんやり。これと吐き気とが繋がっている。抗がん剤の休止期間に入った時にそれがどうなるか。あと4日。
9月8日(金)
(梅本)健司が突然現れて「この本の100ページ目を読むように」と言う。「この本」というのはどうやら梅本(洋一)さんが翻訳した本のようなのだが体裁は『青山真治クロニクルズ』にも似て灰色の分厚い本でタイトルはわからない。確かに100ページ目から何か新しい章がはじまっているもののなぜかアテネの松本さんの写真があって松本さんの本のようでもある。いったい梅本さんはわたしに何を伝えたかったのか、とにかく夢は台風の雨の音で終わり夜明け前に目覚めるわけだが、きっとそのうちこの意味が分かるときが来る。そういえば入院以降は他人の文章がまったく読めなくなっていたから、そろそろ本を開いてみるのもいいかもしれない。いずれにしてもまともなことはまったくできないわけだから時間はある。
とはいえその有り余る時間はひたすらぐったりしているわけだからなかなか思うに任せないのだが、本日も吐き気がひどく何も食べる気がしないままでも食べないわけにはいかない上に味覚異常で食べ物はただひたすら飲み込むだけ。食事が終わるとぐったり疲れて結局寝てしまうのであった。寝ているうちに台風は過ぎ去り、午後も結局寝込んでしまい書籍を手に取るのはいったいいつになることやら。
9月9日(土)
抗がん剤の服用第1クールももうすぐ終了、ということで体内にはたっぷり薬物がたまり身動き取れない。ひたすら耐えるのみ。気が付くと眠っている。食事はほぼ拷問に近くなっていてとにかく有無を言わさず食べ物を口に突っ込んで体内に落とし込むのみ。吐き気はマックスなのだが実際には吐かないので多分まだそこまでひどくないのだろう。どこでそのバランスが崩れるのかと思うものの、残り2日である。夕方、荻窪まで出てみどりの窓口で新山口までの乗車券を買った。障碍者割引を使おうとするととにかく窓口に行かねばならないし、先日の新宿駅みどりの窓口の長蛇の列で呆れたのだが、当日、東京駅で買おうとすると観光客の列でとんでもなく時間がかかる。このところ散歩もまともにできていなかったので、運動もかねて出かけてみたのだ。帰りがけに駅ビルの食品コーナーを散策したのだが、もう、食品を見るだけで吐き気がひどくなり早々に引き上げる。本当は夜の新文芸坐の石井岳龍オールナイトに顔を出し、石井さんと仙頭さんを驚かせてやろうとか思っていたのだが、とんでもなかった。夕食後もまた眠ってしまう。YCAMの準備はまるでできないまま。
9月10日(日)
夜ほとんど眠れなかったこともあり、ただひたすらぐったりとしていた1日だった。おそらくこの日、世界で最も時間を無駄に使った人間のひとりであったはずだ。ぎりぎり食事だけはした。夜は妻がBialystocksのライヴに行ってしまったために夕食はひとりで済ませたのだが、もう、本当にひどいものだった。たとえばひとり暮らしだったらこの期間いったいどうなっていたことかと我ながら呆れた。入院中、ひとり暮らしの老人(80歳近い、多少ボケの入った方)がいて、その方がいよいよ退院なのだが抗がん剤の服用もあり、この夏の暑さもあって病院の看護師がヘルパーさんの介護をしきりに勧めても頑として受け付けず、自分ひとりで大丈夫と言い張っていた。あの老人は今頃どうしているだろうか。以前この日記にも書いた、新高円寺の路上で倒れていた糖尿病のおばあちゃんはどうしているだろうか。寝ている体を起こすだけですっかり時間がかかってしまう今の自分の状態を思うと、それでもひとりで生きる彼、彼女の生きるエネルギーに頭が下がるばかりである。抗がん剤はもう体が限界に来たため(体感上)、1日早く本日で自主的に打ち切りにすることにした。あと4クール。
9月11日(月)
昨夜でいったん抗がん剤を終了させたとはいえまだまだきつい。夕方まではほぼ寝たきり。抗がん剤切れから1日経つとだいぶ回復するという経験者たちの言葉を信じて夕食まで来たが思い通りにはいかない。ただとりあえず思ったよりはちゃんと食えたし味もわかった。そして夜が更けるほどに活力が湧いてきたのを実感する。各所連絡。明日はYCAM行きます。ただ吐き気がちゃんと治まり食欲がわいてくるのはこの休止期間の終わりころだろうという予感も十分でこれがあと4回繰り返されるのかと思うと呆然とする。でもとにかく動く力は戻ってきた。抗がん剤はこの活力をすべて吸い取って、生まれようとしている癌細胞を抑え込もうとしているのかと思うしかない。昼間、ぼんやりしているときには日記に書くことがいくつかある気がしているのだが、大抵夜になると忘れているのはその気力もすべて奪われているということなのだろう。だがぼんやりしているときの「これを日記に書こう」と思う気力とはいったい何なのか。それは果たして「力」と呼ぶべきものなのか。だから実は逆で、力を吸い取られているときにしか触れられない何かがあり、それを日記に書こうとする力が湧いたときにはそれはするりと脇を通り抜けてしまうのだ。ぼんやりのまま書くということは果たして可能なのか。おそらくそれはいわゆる自動筆記みたいなものとも決定的に違うはずだ。
9月12日(火)
早朝に目覚めるとなんとなくいつもと違う。体全体の細胞がそれぞれ微妙に沸き立っている感じ。抗がん剤の副作用が治まり体に力が戻ってきたということなのか。気力、活力といったものとはちょっと違う。体はひとつのものだがひとつではなく、数えきれない細胞の集合体であることをそれぞれの細胞がアピールしていると言ったらいいだろうか。大げさに言えば、そのまま放っておいたら体が全方向に向けて広がり始めていくのではないかと思えるような非統御状態である。とにかくわたしの体を構成しているあまりに小さな宇宙のひとつひとつがその存在をわたしの体に刻み付けている。その小さな小さな運動を束の間楽しんだ。生きているとはおそらくこういうことであるはずなのだが、人間社会のシステムはこのひとつひとつの細胞を統御し制御しまるで全体がひとつのシステムであるかのように扱い動くことをひとりひとりの人間たちに強いる。ひとつの脳が身体のシステムを統御して仮想的なひとりの人間を作り上げるわけだが、もちろんそうでないと大勢の人間がひとつの社会で暮らしていけないこともわかりつつ、だがやはりそれは違うと言いたくなる。おそらく爆音をやり始めたのも、そんなことが原因だったのかもしれない。ひとつの映画の物語に奉仕する音を、そのシステムから解放すること。音それぞれの小さな粒のざわめきをこの身体のひとつひとつの細胞に響かせる試みと言ったらいいだろうか。われわれの身体と映画の音は語られる物語ではなく、その小さな細胞レベルにおいて共鳴する。映画に込められた無限の物語、歴史の中をわれわれの体の小さな細胞が生き始めるのである。これこそ映画を観るという冒険、空間と時間を超える存在としてわれわれがここに生きているという証であると言いたくもなる。
そんなわけで、抗がん剤休止2日目はなかなかいい目覚めであったわけだが、現実の体調はそこまで回復したわけではない。とはいえ吐き気は程よく治まっているので、予定通りYCAMへ。しかし東京駅で弁当を買おうと食品売り場に入った瞬間、いつものように吐き気が沸き上がり何も買いたくなくなるのだが、そういうわけにもいかずその中でも最も食べやすそうなものを選びなんとか新幹線に乗り込んだのだった。山口までは4時間ちょっと。車内はめちゃくちゃ寒かった。いや、ほかの方たちはかなりな薄着で平気そうだったから、わたしだけが寒く感じたのだろう。入院後10キロほど体重が落ち、贅肉が取れた分、寒さに敏感になる。抗がん剤服用が完全に終わらないと体重は元には戻らないだろうから、戻るまであと1年というところか。ようやくいろんな意味での今後のスケジュールの目安が見えてくるようになった。これまでは少し楽天的過ぎで、そのギャップにそこそこ苦しんでいたわけだが、しかし考えてみると「あと1年」ということの本当の重さをまだ実感していないことはよくわかる。結局常にギャップに苦しむことになるわけだ。つまり毎回大騒ぎして皆さんを心配させながら生きていくことになる。そういうことなのだろう。
YCAMでは2日前に入った井手くんが調整を始めているわけだが、『女神継承』と『グリーンナイト』に付き合った。『女神継承』の何のニュアンスもない畳みかけるような朴訥な怖さの連鎖にはなぜか微笑みつつ呆れる。フェイクドキュメンタリーのパロディみたいな映画の構造のせいだろうか、事件の現場に無理やり引きずり込まれつつ一方でそこからひたすら遠ざかり今そこで起こっていることを冷静に見つめるがゆえにもはや取り返しのつかない事態が起こってしまったことを実感するその距離感の振れ幅の大きさに体と心が引き裂かれるギリギリのところで物語が進む。音はひたすら触覚を刺激する。


『女神の継承』© 2021 SHOWBOX AND NORTHERN CROSS ALL RIGHTS RESERVED.
『グリーンナイト』の意味不明な展開の大胆さ。時間と空間を超えたトリップをしつつそこで気持ちよくなるのではなくいきなり現実に突き落とされたり未知の世界に放り出されたりの乱高下に爆笑しつつ背筋を伸ばす。同じデヴィッド・ロウリーの『セインツ』を6月のお台場爆音で上映した際にそれをセレクションした三宅唱と『セインツ』の編集と音の在り方の狂い方に唖然とするばかりというトークをしたのだが、まさにそれがこの映画でも違う形で目の前に現れこちらを巻き込む。とんでもない映画になっていた。インクレディブル・ストリングス・バンドやティラノザウルス・レックス(T.レックス時代ではなく)時代のマーク・ボランもどこかこんな感覚で生きていたのかもしれない。


『グリーンナイト』© 2021 Green Knight Productions LLC.All Rights Reserved
その後、16日午前の爆音バックステージ・ツアーのリハーサル。それが21時過ぎに終了後にみんなで食事。食欲・味覚共にまだまだなので、もしかするとおでんのようなものなら食えるかもというリクエストをして、おでんの店に行った。出汁の味はまだつかめなかったがとりあえず吐き気を催すことなくおいしく食べられた。




9月13日(水)
朝一から石井さんの『自分革命映画闘争』でスイッチが入った。音響スタッフからは冒頭の音楽が大きくてそれに合わせて音を下げるとセリフがうまく聞こえないという説明を受けての開始だったのだが、その冒頭の音楽の最初の音を聴いただけでいやこれは上げないとダメだと確信し、そこからはテンションが上がりっぱなし。音量は上げられるだけ上げ、YCAMの音響チームからはアンプが限界に来たという報告。いずれにしてもこの冒頭の音楽で耳と体が壊れる。すべてはそこから始まるという「自分革命映画闘争」である。あとはラップのシーンをいかにダブ感覚でモコモコな音にできるか、そうしたときに冒頭の音の破壊力がなくなるのは避けたいがモコモコとは両立しない。そのせめぎあいにだいぶ時間を費やした。それは音質の問題でもあるのだが、時間の問題でもある。スピードと強さによって身体を鮮烈に引き裂く音とじんわりと空間を伝わる音の緩やかな波。この「速さと強さ」と「遅さと柔らかさ」がこの映画の中でぶつかり合っている。その間に置かれた身体の所作が問われる。


『自分革命映画闘争』© ISHII GAKURYU
続いて『はだかのゆめ』。こちらは生きているものと死んでいるものとの対比。映されているもの聴こえてくる音のそれぞれは、いったいどちらが観て聴いたものなのか、そんなことを考えながら調整しているともう次々にどちらなのか判別不能のしかし確実にどちらかであるような音が立ち現れ、そしてそれは映っているものともはっきりと違う。画面に映らない、でももしかすると映っているかもしれないぎりぎりの何かの音や実はさっきまでそこにいたものの音がふと頬に触れる。かと思うと思わぬ切断で両者の境目は残酷な断面としてざらざらと瞳をこする。川、道路、線路。主人公はそこを流れに沿って走りはするが、それを横断することはない。映画は常にそこを横断するもの、境界線を越えるものを描いてきたはずだがここではもはやそれはどうでもよいこととなっている。向こうとこちらは確実にあるのだが同時にそれは重なり合ってもいるからだ。音がそのことを示す。映画の音の新しい役割が生まれつつあるように感じた。


『はだかのゆめ』© PONY CANYON
『ムーンエイジ・デイドリーム』の中ではデヴィッド・ボウイがカオスについて語っていて、現代社会はひとつのシステムが管理する社会でそれによってカオスが切り捨てられているという内容だったかと思う。まさにその切り捨てられた音が、デヴィッド・ボウイというひとつの強烈なシステムの周りにまとわりつき絡みつき解きほぐし解体していく映画と音になっていた。これもまた「自分革命映画闘争」ということでもある。
『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』ももはや誰からも制御されずに地面に浸みこみ空気の中に紛れ込んだ音がひとりの歓迎されざる旅人によって湧き出して、最後、気の遠くなるような長い長い列車となって画面の彼方に消えていく、そんな映画になった。歴史は続く、だがまだわれわれにはやれることはある。そんな思いが、この映画の背景につけられた小さな音たちのうごめきと共に心をざわつかせる。そこにあるもの、そこにはないもの、かつてあったが今はないもの、今はないがいつか現れるはずのもの、そんないくつもの存在と時間の作りだす層が目の前に爆音で増幅された音とともに次々に浮かび上がってくる。それゆえいつまでたっても古びない映画。若々しく普遍的な映画、まさに映画そのものを映し出した映画ということになるだろうか。


『アフター・オール・ディーズ・イヤーズ』© cinema drifters
『デッドマン』は記念すべき第1回目の爆音上映作品のひとつ。今回はYCAM20周年ということもあり爆音の歴史を振り返ることのできる作品を何本か選ぼうという話になっていたのだが、映画の上映権利の壁に跳ね返され、できたのはこの1本のみ。それでもこの1本で爆音の歴史を背負って立つには十分な音で、もう、ニール・ヤングのギターが聞こえてきただけで涙と笑い。そうだよね、確かにここから始まったんだよ、爆音は。この音が原点でありかつ終着点。デッドマンの行先と同じ、生と死の境目の音。つまり『はだかのゆめ』にも違う形で流れる音がここではシンプルにニール・ヤングのギターの音としてわれわれの目の前に出現するのである。ああ、もう最高、ということで今年のYCAM爆音調整は終わった。


『デッドマン』© 1995 Twelve Gauge Productions Inc.
その後、先乗りした井手くんが調整してくれた『エルヴィス』『エリ・エリ・レマサバクタニ』『激怒』を確認。『エルヴィス』は最後の本物エルヴィス登場で落涙。あの声、あの瞳でこちらに向かってニコッと笑われた日にはたまったものではない。そしてそれを見つめる未だ10代と思われる少女たちの笑顔と叫び声。この熱狂とともに誰もが生きていけたらきっとスリリングで心躍る世界が生まれるはずだ。どうしてそうならなかったのか。この少女たちはいったいどこに行ったのか? 追い出したのはだれか? 誰が彼女たちを排除し誰が選別したのか? アメリカだけの問題ではない。今我々の目の前で起こっていることはまさにこれではないか? いったい何がわれわれの今からそれを排除しているのか。今ここにかけている少女たちの熱狂を闇の奥底から沸き立たせ現前化させる爆音を。そんなことも思った。そして『エルヴィス』とはそんな排除と選別の物語であったと思う。


『エルヴィス』©2022 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
『激怒』は徹底してミニマルでシンプルな映画と言えないだろうか。つけられた音楽のせいでもあるのだが、音が付けられこうやって完成した作品を観るとまるで最初からこんな音楽のリズムを想定していたかのような編集や俳優たちの動き、環境音の繰り返しが映画の語りの中核をなす。しかしその中核を作り上げながらさらにそれを壊す音楽の動き。時間と空間の精密な把握と繊細な大胆さによってしか作られえない空間とアクションがそこにあった。デザイナーという本業を持つ人でしか作りえない映画と言ってしまうとそれもまた一面的過ぎるのだが、静止画の中でアクションを生み出していく人が生み出した動画におけるアクションが画面全体から漂う。ひとつひとつのシーンが止まっているという意味ではない。確実に動きの中にある人物や背景の精緻な移動間や空間の切り取りとつなぎが、この映画でしかありえないものとして音ともに浮かび上がってくるマジカルな映画であった。


『激怒』© 映画『激怒』製作委員会
『エリ・エリ』は結局井手くんの調整したものからさらに音量を上げた。クロージング上映ということもあり、皆さんには耳鳴りとその後の奇妙な静けさの両方を身体に刻み付け、持って帰っていただけたら。草原のライヴシーンの最後の方でどうしてそこにはいないはずのかもめのような鳥がオーバーラップされるか、どうして映画の冒頭から主人公たちは洗濯機か何かのチューブをくるくる回してヒューヒューという音を出していたのか、そんなことの意味が分かるような音になってくれたらという願いを込めての微調整であった。


『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』© 2005 OLM/VAP/TOKYO FM
その後、遊びに来ていた三宅唱も含め夕食。何が食べられるかいろいろ試した結果、アジの刺身は美味しくいただけるが、しめさばやポン酢を使うカツオのたたきなどは、なんと酢の味が奇妙な味に変換されるいうことが判明した。焦らず少しずつ。寿司までの道のりはまだまだ遠い。


9月14日(木)
小雨交じりで涼しい。この気候なら生きていける。散歩もかねてYCAM周りを2周くらいしてみたがやはり疲れる。抗がん剤服用期間中は本当に歩く気力も奪われるので、気が付くと足腰は弱っていて簡単には回復しない。それなりの覚悟が必要である。YCAMの爆音会場では初日のライヴのためのピアノの調律を行っているためわれわれは昼過ぎまで待機なのだが、午前中は各所連絡などで終了。昼過ぎにbialystocksチームが到着していよいよ本番の空気が漂い始める。無声映画ライヴのリハーサル、井手くん調整作品の『トップガン マーヴェリック』『マッドゴッド』『RRR』『BLUE GIANT』の最終確認と微調整を行い、昨日の調整でテンションが上がりすぎてやばかった『自分革命映画闘争』の音量などが上がりすぎていないかを確認。しかし確認した挙句更にちょっとだけ上げることになってしまった。どうやらわたしのブレーキが壊れてしまっているらしい。
『トップガン』『RRR』『BLUE GIANT』は6月のお台場爆音でもやっているので全然問題なし。激しく心地よくこちらを別世界へと連れ去ってくれる。『マッドゴッド』は予想以上に立体的な音響になった。手作りの画面に油断していると思わぬ音に身体を貫かれる。音の串刺し。
夜はbialystocksチームと食事。山口に来て3日目なのだが日を追うごとに食欲が増し何でも食べられるようになっていく。調子に乗らないようにと気を付けはするのだが、若者たちはよく食べるのでねえ。ついつられてしまった。明日からいよいよ本番である。






9月15日(金)
オープニングのトークでちょっとしたハプニングがあり緊張感が走る。まさに過去の爆音上映でサーフィン映画がいかに受け入れられなかったかという話をしていた時だったので、20年たってもやはりサーフィン映画をうかつに話題にしてはいけないといういい教訓ともなり、何とも爆音映画祭らしい幕開けとなってニコニコした。
『エルヴィス』『トップガン マーヴェリック』『デッドマン』『カリガリ博士』。
大勢の友人たち、知り合いたちも駆けつけてくれ楽しい一日となった。『カリガリ博士』では菊池くんの恐るべき才能を皆さん堪能していただけたのではないかと思う。機会あれば東京でもやれたらと思う。終了後は皆さんで深夜の食事。ワイワイとしているうちに気が付くと午前2時。日に日に体調は回復していく。爆音の治癒力のすごさは『エリ・エリ』級であるという話になる。テンションが上がり、寝付くのに時間がかかった。