妄想映画日記 その157

樋口泰人の「妄想映画日記」の更新は7月上旬の日記です。できる限りの社長仕事をこなして、緊張と不安を抱えながらの入院準備。手術後は炎症反応とその処置に苦しむことになった入院生活が綴られています。
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文・写真=樋口泰人


7月1日(土)
病院との面談の日である。検査の2日目の終わりに大体の説明を受けていたからまだ覚悟は決まっていたが、これが説明抜きでいきなり面談だったら緊張の度合いはすごいものだったと思う。面談での説明は検査の日の説明とほぼ同様。詳細に調べたが転移はなし、ただ癌はそれなりに育ってしまっている。あとはどのように切除するか、その手術の仕方などを外科医と話し合ってほしいとのこと。内科医が妙に神妙な態度なので、病状の説明よりそっちの方が気になって1日中鬱々となるが、まあ気にしてもどうにもならない。
それとはまったく無関係に浅川さんから購入した改造カートリッジの通電が完了。湯浅さんから「100時間以上カートリッジを使って、針に振動を与えてあげれば、ある時突然音が抜けるから」と言われていたのであった。本日がその日。気が付くと音の大きさに関係なく、音の空間が見事に出来上がる。鬱々とした私の耳にもよくわかる。お祝いに何枚か聞いたのだが、中でもこれ。トニー・ウィルソンの76年のアルバム。と言ってもファクトリー・レコードのトニー・ウィルソンではなく、元ホット・チョコレートのトニー・ウィルソン。今、何をしているのだろうか。
※ジャケ写撮り忘れ。今は入院中なのでネットからのもの

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7月2日(日)
4日の外科医との面談まで宙づり状態である。なかなか嫌なものだ。外科医からさらに良くないことを言われるのではないかとか手術は大変なことになるのではないかとか、いろいろ最悪な状況を考えてしまう。まあ、そういう日もあるということであれこれ浮かび上がる考えに身を任せぐったりしていた。逆らってもどうにもならない。そして夜中はひどい雷。

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7月3日(月)
腸の調子が良くなくて心配されたのだが本日はもうすぐオーストラリアに留学するバイトの細井さんの送別ボーリング大会である。ぎりぎり何とかなった。湯浅さん、直枝さん、風元さん、boidチームからはわたし、大橋、青柳、そして細井さん。わたしはボーリングはそこそこやれていたのでこの日は目標を高く掲げ150を目指す宣言をしたのだが、さすがに体が弱っている。まったくダメで、ボールがあっちに行ったりこっちに行ったり、コントロールが効かない。結局100にも届かず最下位。まあ、病人だから仕方ないということにした。元気になった際には回復ボーリング大会をしてその時は見事に150をという宣言もしてみた。その後、馬場のベトナム料理屋で送別会を。大橋は仕事がてんぱっていて、ボーリングのみ。boidのためにせっせと働いてくれている。

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7月4日(火)
外科医との面談である。何を言われるかとドキドキであったが手術の具体的な説明とその後の対応などであった。そこそこ育ってしまった病なのでこれ以上ぐずぐずしているのも、ということで特にセカンドオピニオンなども取らず、あっさり手術をすることにした。あとは運に任せる。4、5年前からたびたびの体調不良で迷惑をかけた方たちも多数いるのだが、仮病ではなかったということがこれで証明されたというわけだと、変な慰めも頭をもたげる。それも含めこの数年、2018年以降くらいを振り返ってみると、やはりいろいろぎりぎりだった。今から思えば、体がこんなことになっているとは知らずほとんど命がけと言えば命がけでいろんなことをしてきたわけだ。逆に言うと、そうとも知らず夢中になれることをやってきたとも言えるわけだから、それはそれでよかったとも言える。手術が終わった時どんな気分になっているのか、それもまた運次第ということであまりあれこれ考えずに向き合えたらと思っている。
 
 
 
7月5日(水)
本日は体調よろしくなく、1日中ぐったりであった。とはいえ体も動かさねばということで散歩はした。大腸と脳は直結しているらしいのだがまさに腸の調子が悪いと脳もろくなことを考えない。映画はもうまったく観る気持ちがしないのだが、こんな日は音楽も聴く気にならず、それでもということでレナード・コーエンの最後のアルバムを聴いてみたものの途中で眠ってしまった。30分から40分ほど眠っただろうか、それでもさっぱりしない。手術後はとにかくこの不快感がなくなるだけでもましそれで十分と思って気持ちを切り替える。その他、社長仕事をあれこれ。入院前に税理士に先月のまとめを渡さねばならない。
 
 
 
7月6日(木)
本日もあまり芳しくない。午前中は昨日寝てしまったレナード・コーエンを再度聴きなおしうるうるしつつ事務仕事。遺作となったアルバムということもあってか、声の枯れ方が清々しくて、「死」に片足を突っ込みながらそこもまた生きる場所でもあるかのように軽々しく「生」を歌う。あくまでも軽薄さを失わないそのスタンスの現れと言ったらいいのか。若い頃より老人になってからの方がレナード・コーエンは身軽になっているような気がする。いやそれこそが老人になるということなのか。
斉藤陽一郎が東京に出てくる用事があるのでもし時間があったら、ということで事務所に行った。陽一郎とはお互いの病気話。長く生きているといろいろある。わたしもこの年齢まで大きな病気も怪我もせず何とか無事生きてこられたのだから、それだけでも感謝しなければならない。あとはやれることをやるだけ。陽一郎からは癌封じのお守りをもらった。

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7月7日(金)
入院までにやっておかねばならないことがいくつかあって、とはいえ一気にやれるほど集中力も続かないのでぼちぼちと。本日は音楽を聴く気にならず。午後は事務所。篠崎と少しだけ会い、その後助成金打ち合わせ、そして佐藤公美さんがやってきてあれこれ。事務所はこれで月末まで来ることができない。そう思うとちょっとほろりとするが、社員大橋にこの間はすべてを任せる。公美さんからは簡単には手に入れることができない肉まんをもらった。家で温めて食うことになるのだが、さっそく食った大橋からは「めちゃくちゃうまい」という連絡が届く。
テレビでは1年前の奈良での街頭演説中に狙撃された元首相関連のニュースをやっている。ニュースというより、このような暴力は2度とあってはならないというメッセージの一点張り。それはわかるがではなぜ元首相が撃たれたのか、その背景は何か、その中で元首相は何をしていたのか、という肝心の事件の実態については一切触れず。呆れるような報道であった。まあ各所からの圧力がすごいのだろう。暴力に訴えないと浮かび上がってこないような闇が今もなおわれわれの世界を覆っている。PANTA死す。中学3年のときに生まれて初めて買ったLP(それまではシングルしか買う金がなかったのだ)が頭脳警察『3』だった。「歴史から飛び出せ」というあのフレーズは今も時々頭の中を駆け巡る。
 
 
 
7月8日(土)
午前中に病院に行き、手術と入院に関しての詳細な説明を聞く。外科医からは先日の説明と同じものとさらに手術の際、手術後のさまざまな可能性の話を。最良と最悪の広がりがそれなりに大きいので自分をどこに置いていいのかわからなくなる。基本的にはそのど真ん中あたりということなのだろうが、ついつい悪いほうだったら、ということを考えてしまうのである。しかしわたしがいろいろ考えても何も変わらない。そして予定の入院期間は案外短かった。何とか予定通りにと願うばかり。
その後変な場所があるからと、病院の隣にある立正佼成会の本部のバカでかいビルの地下にある食堂に連れていかれた。しかし、宗教関係はすごいね。裏庭に広がる風景に唖然とした。こんな場所が杉並区にあったとは。
帰宅後、修理に出していたCDデッキが戻ってきたので、景気づけにJoanna Connorの2021年のアルバムを聴いた。『4801 SOUTH INDIANA AVENUE』。今のところの最新アルバムなのだが、バリバリのブルースで彼女の粘り着く執拗なギターのリフがとんでもなくて、ニコニコしっぱなしである。彼女がこのギターをバリバリに弾いていた映画は何だっけ? この2、3年の映画だったと思うのだけど。と思って調べたら、エイドリアン・ラインの『底知れぬ愛の闇』だった。とにかく彼女の出演シーンを見るだけでも価値ある映画。内容はすべて忘れた。

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7月9日(日)
入院前の1日。いろいろあわただしかった。とにかく数日間は連絡が取れなくなる可能性があるわけだからそれまでにやってしまっておかねばならないこと、確認しておかないとならないこと、連絡しておかねばならないこと、など結構いろいろあった。やりきれなかったこともあるがまあそれはあきらめる。周りの人々が何とかしてくれる。
 
 
 
7月10日(月)
本日から入院。初めてのことなのでちゃんと準備をしていったはずなのに、病院に着いたら財布や診察券、保険証などすべて忘れていたことに気づく。幸い病院の手続き自体は終わっていたので事なきを得たが、スマホ支払いでの楽天ペイだけが売店でできず、楽天ペイオンリーのわたしはアウト。こんな時のための予備を作っておくしかない。しかし、これまで何度となく地方出張してきたが、財布などを忘れたのは始めてだからさすがに少し緊張していたのだろう。とにかく自力でできることは何もない、現代医学の力に身を任せるだけという覚悟は決まっているもののそれでもやはり動揺はしている。飛行機にまったく乗れなかったころ、それでもアメリカに行きたくて病院で安定剤をもらって乗ってもリラックスはまったくできず手に汗握って一睡もできなかった30年以上前のことを思い出す。今や飛行機に乗っても眠ければ一瞬で寝てしまう。同じように飛行機嫌いだったアテネの松本さんに相談したとき、「そのうち慣れます」と言われそんなものだろうかと思っていたが、本当に慣れた。そんなものである。
病院では人工肛門をつける位置のマーキングをされた。腹のどの部分につけるか、腹筋の位置などを確認されて、油性マジックで〇印を付けられるのだが、その〇印の真ん中にバッテンが付けられていて、それがへそを挟んで左右にふたつ。腹の中に目玉ができたみたいで何とも間抜けである。友人にラインをしたら、「腹踊りをしてください」と返信。もうちょっと腹が出ていればまさに腹踊りができる感じである。残念ながら少しやせたこともあり、腹に皺が寄っていてその皺を避けての装着ということでマークの位置が決められたわけだから、腹踊りならぬ皺踊りである。よく見るとちょっとかわいくもある。しかし10時消灯以降をどうやってやり過ごすか。朝は6時に起こされるらしい。

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7月11日(火)
下剤の日。下剤2リットル、ミネラルウォーター1リットル、経口補水液500ミリリットル。これらで、胃腸にたまっているあれやこれやを根こそぎ掻き出す。出始めるまでが大変で、このまま腹が破裂するんじゃないかと思う。人や病状によってさまざまなんだろうが、まあ本当に出るまでが苦しいのなんの。思わず天を仰ぐ。本日はただそれだけ。昼から飲み始め、22時くらいに大体終了。看護師の方々はまったく焦っていなかったので、こんなものなのだろうか。まあこれだけいろんな病人を抱えていたら、これくらいのことで焦ってはいられないのはよくわかる。何もかも初めての病人は、ただおろおろするばかりだけどね。だからこちらも本人にとっての一大事と、相対的に見た場合の自分の立ち位置、その両方を視界におさめながら気持ちを落ち着かせていく、ということになるのだろう。
 
 
 
7月12日(水)
朝から手術である。麻酔を打たれたかと思ったら起こされた。と言ってもすぐに目覚められるわけではない。遠くの方から名前を呼びかける声。それに向けてぼんやりと覚醒していく。「ああ、終わったのか」と思ったとたん、体が震えだす。痙攣に近い。もうまったく止まらない。看護師たちが電気毛布などを用意しわたしを温める作業をてきぱきとこなしているのはわかるのだが効果はない。震えが止まらない。体がこわばる。このまま死んでしまうのかと思う。ようやく収まり始めたのは30分ほど経ってからだろうか。まさに死の淵から蘇生している感じである。全身麻酔で長時間の手術をした人たちは、皆さんこんな感じなんだろうか。長期の眠りから覚醒するときの気持ち悪さを描いた映画があったように思うのだが思い当たらない。『ターミネーター』はさらに技術力が上がってからの話だし、体の中身も違うし(マイケル・ビーンが演じたジョン・コナーの部下を除いて)、考えてみれば眠りとは違う種類のものだ。『エイリアン』だったかもしれない、あれはだいぶ気持ち悪そうだった。『悪魔のいけにえ』は逆で死の直前の痙攣。
とにかくようやく落ち着き、あとは集中治療室で寝たきり。震えは治まったがしかし体が硬直している。しばらくしてからそれに気づく。腕と肩が手に負えないくらい痛い。冷やしてもらい痛みを和らげるが、とにかく腕が硬直してしまっていて、それが取れるまでまたしばらくかかる。これはしんどい。朝までそれらと格闘する。
 
 
 
7月13日(木)
午前中に通常の病室に戻される。とにかく寝たきりの姿勢が辛い。それに暑い。汗が止まらない。1日中意識朦朧。とはいえ眠れず、一瞬気を失ったように寝るが、変な夢を見てすぐに目覚める。というか、夢が先行してやってきて気を失い、いやそれはないだろうと体が突っ込みを入れて目覚める、といった感じなのだ。夢が先行しているのは、痛み止めや麻酔の影響ということなのだろう。しかもその夢が、どう考えても自分の夢ではないのだ。誰かの夢。それが寝たきりの人間の中に侵入してきてそれに体が抵抗する。ここが病院のベッドだからだろうか。ここで苦しみ涙を流した人々の意識の残骸が何かを発している。蘇ったばかりでまだ「自分」が確立されていない弱った自分の体が見事にそれらの受信機になり次々にそれらをキャッチしている。だからそれは眠りではなく、まさにその他人の意識の残骸に体を明け渡す瞬間、ということになるだろう。少しずつ蘇りつつあるわたしの体が、それに抵抗する。気を許したら他人の夢に体が占領される。その一瞬の抵抗から目覚めるときの異様な息切れがまさにまだその体が自分の体であることの証のようなものだ。そんな転寝を終日繰り返す。汗が止まらない。
 
 
 
7月14日(金)
重湯とスープが少しだけ出る。衝撃的にまずい。こんなまずいものがこの世にあるのだ、しかしいったいどうしてこれだけまずいものを出さねばならないのか、同じ栄養バランスでももうちょっと何とかなるはずなのにどうしてこうなのか。この辺りの事情は本当に誰か説明してほしい。そしてさらに発汗は増す。熱も出てきた。38度台。夜になって吐く。止まらない。胃腸が反乱を起こしている。医師によると患部を切り取り接合した部分が炎症を起こしているのだという。再手術するほどひどくはないが、しばらく抗生剤を点滴して数日様子を見ないとならないとのこと。落ち込む。いずれにして今再手術なんかしたらそのまま死んでしまう。

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7月15日(土)
吐き気と熱で眠れず。重湯とスープを飲むがやはり吐く。まったく体が受けつけない。昼になって医師が来て、鼻からチューブを入れて、胃液を取り除くのだという。あまりにしんどそうなのでつい泣き言を漏らすが当然医師は聞いてくれない。「何日もやるわけではないから」というひとこと。いやそんなに長時間やるのかとさらにショックを受ける。鼻にチューブを入れ食道から胃へ。これが後になっても食道や胃にその感触が強烈に残っているくらい苦しい。まな板の上の鯉と言ってもこちらは人間であるしまだ生きている。それに痰が絡まる。鼻水も止まらない。動くことも寝ることもできない。午後から妻と娘が見舞いにやってきたのだが、声も出ない。生きるエネルギーがわずかになっていくのがわかる。深夜は地獄だった。この作業はたぶんいろんな人がやっていて、わたしより年配の方も少なからずやられているはずなのだが、皆さんどうやってこれに耐えているのだろう。異物の侵入に関してわたしが過敏すぎるのだろうか。いずれにしてもこんな長い夜はかつて経験したことがない。

樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。