妄想映画日記 その 148

樋口泰人の「妄想映画日記」その148は2月後半の日記です。仙台に出張して、せんだいメディアテークとフォーラム仙台で開催された「青山真治監督特集 in 仙台 2023」の上映チェックと爆音調整とトーク、そして『はだかのゆめ』甫木元空監督の舞台挨拶の立会いを。再見した青山作品で新たに気づいたことなど。

文・写真=樋口泰人



2月16日(木)
11時から19時までオンライン含めたミーティングが4つ。ただただ人と話した一日だった。人と話すときはとにかく自分の輪郭をはっきりさせないと話すことができないので、いつもぼんやりぐたっと自分の存在を曖昧にしたまま暮らしているわたしは、8時間もくっきりした輪郭でいるだけでぐったりである。しかもその輪郭もその場に合わせて作り上げているだけだから、終わった後の落ち込みが激しく気持ちは沈むばかりでしかし頭はさえるばかり。メニエル経由の耳鳴りがひどくなる。必然的に眠りも浅く短い。
 
 
 
2月17日(金)
昨日に続きミーティング4つ。朝10時から3月に行う中原緊急支援DOMUNNEの打ち合わせ。話している内に企画が広がって1日だけの予定が2日にわたるものになる。とにかく中原が生きているということ自体が奇跡みたいなものなので、とにかく何が何でも生き続けて、生きてることはそれだけで素晴らしいということを伝えていってほしいと思う。
その後、商工会議所に行って助成金申請の最後の手続き、そして税理士事務所に行って毎月の税務報告を受ける。いつもは税理士がboidの事務所に来てくれるのだがこの日はその後に代官山での打ち合わせがあったので渋谷の税理士事務所。そして代官山にて久々に久保田麻琴さんに会う。今後の企画についての話だったのだが、さらにその先に見据えている案件もあり、それなりの覚悟が必要だということがわかる。とにかくやることはやる。金銭面は最終的にプラスマイナスゼロになる。これはこのプロジェクトの話ではなく、boidの今後の話。やるべきことをやり必要な分だけ受け取る。いつか帳尻が会う。根拠のないその確信だけで動く。
そして久保田さんに誘われ晴れたら空に豆まいてでの裸のラリーズのイヴェントに。久保田さんが参加していたころのラリーズのライヴ映像の上映とDJという構成なのだが、こうやって爆音で聞くとわたしが最もなじんでいた80年代のラリーズとは少し聞こえ方が違う。エコーがまだだいぶ浅く水谷さんの声が割とはっきりと聞き取れる。そのエコーの浅さが最初は気になっていたがだんだんどうでもよくなって全身が耳になっていく。鋼鉄のようになった音に脳天から足元までを貫かれる。もちろんこれのおかげで現在の爆音上映があるわけだが久々に背筋が伸びた。その後さらに代官山で打ち合わせがひとつ。よく働いた。
 
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2月18日(土)
夕方まで事務作業。そして恵比寿リキッドルームへ。Bialystocksのライヴである。こんな超満員のリキッドルームは初めて。とはいえ関係者席のおっさんおばちゃんたちはほぼPTAなノリでうるうるはらはらしながら聴くわけだが、そんな事お構いなくバンドの音はそれぞれがくっきりとした輪郭を保ちつつどこまでも自由で互いに対話をしそこから新たな響きを作り出しさらに次の展開が生まれ、突然の終了。横に揺れ縦に揺れ空に舞い上がり地中を掘り起こす。どこからどこへ行くのか誰にもわからない声が甫木元の身体を通して流れ出しいくつもの脇道や大きな太い道やかすかな道をわれわれの目の前に映し出しわれわれを誘う。さまざまな音楽のジャンル絡まりあってそれぞれの歴史を伝えわれわれの足元から身体を駆け上がり終わりのない時間の旅を示し誰もがその途中の引き返すことのできない場所にいることを告げる。ラリーズの鋼鉄の音とはまったく違う音だがラリーズとはまったく違うやり方でわれわれが今ここで生きているというその現在形のヴィジョンを見せてくれた。途中、どの曲だったか、甫木元が手に取ったのは青山の愛用していたギターだった。
 
 
 
2月19日(日)
昨夜のライヴで完全にBialystocksに嵌まった妻が朝からずっとBialystocksを聴いているのを横目に、延々と事務仕事。一歩も外に出なかった。
 
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2月20日(月)21日(火)
その後に続く各所への出張のため、とにかくやり終えておかない仕事山積みでほとんど生きた心地がしなかった。


 
2月22日(水)
夕方ぎりぎりまで事務作業をやって仙台に。フォーラム仙台で上映する『エリ・エリ・レマサバクタニ』と『はだかのゆめ』の音の調整をということで21時30分現地集合。その前に80年代からの友人と会い、謎の中華料理屋に連れていかれた。仙台でうまいものを食って元気を出すという目論見は最初から崩れることになる。まあそれはそれでよし。
22時過ぎからの『エリ・エリ』はすごい音になった。草原での演奏は先日の裸のラリーズを思いだしながらやってしまったのが良かったのか悪かったのか。しかしそれ以外の部分の優しさと静けさがこの映画の白眉である。中原がそこでニコニコしているだけで泣けてきた。
岡田茉莉子さんのカフェでカレーを食うシーン。ラジオからは斉藤陽一郎のMCが流れるのを岡田さんが消そうとする。中原がどうして消すのかと尋ねると岡田さんが「だってくだらないんですもの」と答える。「くだらないからいいんじゃないですか」と中原。
このやりとり。こんなことをまともに言える人間は中原しかありえないと踏んでのこの映画への中原起用だったはずだ。あるいは中原の起用が決まってのこのセリフだったのか。とにかくこのひとことで、レミング病で人々が次々に自殺していくという極端な設定が今ここの世界に向けて開かれていく。われわれが今ここで生きていることとスクリーンの中で起こっている絵空事とが太い回線で結ばれる。

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2月23日(木)
せんだいメディアテークにて今回の青山特集の上映チェックと音調整。今回のメディアテークとフォーラム仙台での特集は、フォーラム仙台ではデジタル(DCP)上映できる作品をすべて、それ以外をメディアテークでというすみ分け。ただ『ユリイカ』だけはメディアテークで初めて上映した作品(?)だったか、とにかくメディアテークの記念となる作品とのことでメディアテークでもDCP爆音上映ということになった。それで本日はフィルムやブルーレイ作品の上映チェックと『ユリイカ』の爆音調整という作業なのである。
どこの映画館もそうなのだが、フィルムの映写機があり映写技師がいたとしても、普段はほとんど使っていないわけだから、映写機のメンテナンスもまめにやらねばならない。できれば1か月に1度はメンテナンスのための上映をした方がいいと言われている。どんな機械でも、使っていないとダメになる。人が住んでいない家もすぐにダメになる。無駄な動きも無駄ではない。メディアテークでも本当に久々のフィルムでの上映なのだが、『路地へ』『赤ずきん』『月の砂漠』などは順調に。しかし『あじまぁのウタ』で1号機にトラブルが。『月の砂漠』では普通に働いていた5.1チャンネルの読み取りがうまくいかずノイズが出る。スタッフが懸命の対応。確認のための再上映では、問題なし。なんとか上映できるところまでたどり着いた。
『ユリイカ』の爆音は、特に大きな音が入っているわけではないので流れる音楽のバランスと、小さな音がどこまで聞こえてくるか、それらが聞こえてきたときに空間がどんな風に出来上がるかといったことがポイントになる。たとえばあのバスが初めて家にやってくるシーン。家の中で秋彦(斉藤陽一郎)が「Ghosts」を聴いているのだが、何やら変な低音が音楽に混じって聞こえてくる。通常の音量だとそれはまだ聞こえず、しばらくしてクラクションの音がかすかに聞こえたところで秋彦が何かに気づき外に出る、その動作によって、つまり聴覚ではなく視覚によって我々は何かの到来を知ることになるのだが、爆音ではここにあらかじめつけられていた低音の響きによって得体のしれない何ものかの到来を感じることになるのである。「Ghosts」の音に混じって聴こえてきたバスのかすかなエンジン音。主人公たちはバスであってバスでないものに乗って、これから旅をすることになると言ったらいいか。沢井(役所広司)はそのバスについて「別のバス」という言い方をしていた。物語的には沢井はもともとが路線バスの運転手だったわけだから確かに「別のバス」なのだが、果たしてこのとき沢井が言おうとしていたのはその意味での「別のバス」だったのだろうか。姿の見えない低音だけが聞こえる「別のバス」を沢井は感じていたのではないか。それを『ユリイカ』が見据える「新しい家族」と言ってもいいし、「映画」と言ってもいい。
爆音調整をしていると、そんな映画の細部の広がりに気づかされる。

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夕飯はとんでもないところに行く羽目になった。仙台の名誉のために詳細は控えるが、ホッケ焼きを頼んだら、手のひらサイズのホッケ焼きが出てきた、とだけ言っておく。恐ろしい。すぐに場所を変えて美味しい刺身などを食した。

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2月24日(金)
休養日。といっても朝から各所連絡。さまざまなことが2月いっぱいで仕上げということになっていてまったく気持ちが休まらない。もちろん身体も休まらない。
夕方から久々に渡邊琢磨と会ってあれこれ話した。仕事と関係なくたんに人と会って話すのはいい。ようやくリラックスする。その後は別の友人と食事。美味しいものを食った。
 
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2月25日(土)
上映本番。『路地へ』はフィルムが劣化していて、その劣化のおかげで中上健司が生前に撮影した「路地」の映像とそれを基に作り上げた2000年の映像とが、見かけ上ほとんど区別がつかなくなっている。制作当時は中上の映像はすでに劣化していて、青山が加えたものはリアルタイムの風景でもちろんフィルムもきれいだからだれが見てもすぐに判別がついた。だが、製作から20年以上が過ぎた今こうやって見ると、当時の風景を知らない人にとってはまったく区別がつかないかもしれない。中上がそれを撮影した80年代と青山が撮影した10数年後がひとつのレイヤーに圧縮されわれわれは時間の違ういくつもの細部を観るというより、ぺらっとした平面に圧縮された時間のその厚さを感じることになる。ひとつの風景を映し出すことでそこに重なり合ったいくつもの時間を感じるという映画の本質のようなものが、作家の意図とはまったく違う形でここに実現しているような、いやそれも作家の意図なしにはあり得ないかもしれない実現を、いきなり見せつけられて驚いた。すごいものを観てしまった。
そして『あじまぁのウタ』は昨日のトラブルが再出。いったん上映を中断して2号機のみでの上映となった。皆さんには大変な迷惑をかけた。ライヴシーンは本当にいい音だったのでもったいない。いつかリヴェンジを。
『ユリイカ』上映後のトークは、23日付で書いたような話を。月永の話にウルウルもしながらつい調子に乗ってしまった。
その後夕食を済ませ、メディアテーク御用達らしい中華屋さんなのだが東京では食ったことのないスープなど、思わぬ美味で胃腸が優しく包まれた。そしてフォーラム仙台に行き『はだかのゆめ』上映後の甫木元のトークとミニライヴ。いつもながら大変すばらしくそしてその素晴らしさが日々更新されていく。いったいこの後、甫木元はどうなっていくのだろうか。本人のあずかり知らぬところでの動きが甫木元を通して会場にあふれ出てくるような、ポピュラー音楽でありながら伝承音楽でもあるような、大きな時間の流れを感じた。ホテルまで歩いて帰った。
 
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2月26日(日)
『月の砂漠』『私立探偵濱マイク 名前のない森』『赤ずきん』。『月の砂漠』の音に驚きながら見ていた。具体的にはうまく言えないのだが、映っているものと聞こえてくる音との奇妙なねじれが作り出すゆがんだ空間の中に閉じ込められているような感じと言ったらいいのか。いつか爆音上映しなければ。その時初めて、冒頭の看板シーンの意味も見えてくるのではと思った。『名前のない森』はカメラの位置やレンズの選択や動きなどが素晴らしく、それに見とれた。なんだろう、予算もそんなにないもともとはテレビ向けの作品なのに、映画全盛期の秀作を観るような、そんな驚き。そしてPFFで観逃していて本当に久々の『赤ずきん』。いやあこんなドープな映画だったか。途中、どこかの市場を高台から俯瞰で映すシーン。そしてカメラが市場の中に入りその狭い路地をうろうろとするシーン。なぜかここだけ精度のよくないビデオカメラ映像で撮られていて必要以上に長い。物語的な要請というよりもその物語の背景にある世界の広がりの中心にわれわれ皆を引きずり込もうとする作者なのか世界そのものなのかの強い欲望によるシーンのようにも思えた。そして最後のシーンの音楽……。これまたいつか爆音上映でやらねばと思うばかり。しかし青山の死後、いろんな追悼文の中でこの映画を取り上げた蓮實さんは、これらのシーンをどんな風に思っていたのだろう。いつか尋ねてみたい。
そして『FUGAKU』3本。こうやって3本続けて観るともう、こういうことばかり青山はやっていればよかったのにとか思ってしまう。でたらめさと大胆さと古典的な力とが3本の映画の中でどこまで行っても尽きない世界の広がりを見せる。「映画」というものに触れて育ってしまったわれわれの、「生きる」ということの意味の変容がこの3本に体現されていると言ったらいいのか。限りなく小さな力で作られたこの3本に込められた可能性の大きさに頭をたれつつ妄想は膨らむばかり。この3本すべてに助監督として付き合った甫木元に今後その可能性が託されるわけだが、その可能性の重さを舞い上がる喜びとして反転させる力が甫木元にあるのだと根拠もなく思えてしまうのは、「空」という名前を持つ人間の器をわたしが信じているからなのか。
そしてゲストたちにメディアテークの壁にサインをしてもらっているのだということで、ヒスロムの隣にサインをしてみた。
 
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2月27日(月)
午前中は各所連絡。終わりがない。昼飯を食って東京へ帰ることになるのだが、手元には全国旅行支援で受け取った9000円分のクーポンがある。この6日間の間でうまいものを食おうと思っていたのだが、使用可能な店舗が限られているうえにチェーン店が多く、なんだ結局地元に入るのではなく東京本社に吸い取られるのかと思うと進んで使う気にもならず放り出されていたのだった。とはいえもったいない。駅ビルの店舗ではほとんど使えるということが分かったので、寿司屋にした。ランチで9000円分は相当なことである。メニューを見るとランチ用のセットメニューになっていて、ただ、単品での注文も可能というので、とりあえず3500円のものにした。高級素材なのでそこそこうまいが少し物足りず、いわし、さば、あじ、などの青魚を注文するとやはりこちらの方が断然うまく、いやこれはわたしの好みの問題なのか、いずれにしても光物が私は好きだということを実感した。こはだもあったのに注文し損ねたのを後悔した。
残りのクーポンで家に土産を買って帰った。疲れて寝た。

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2月28日(火)
休養日に充てたつもりだったが、めちゃくちゃ働いた。2月は28日まで、そして月末、ということを忘れていた。社長仕事にいくつもの締め切り。これまでの人生の中で最高にてんぱった1日になった。多分もっと忙しい日はあったとは思うが、体力気力がこの忙しさにまったく追いつかない。案の定耳鳴りが始まった。本当に何とかなってほしい。



樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。