妄想映画日記 その127

東京五輪には我関せず、新文芸坐で行われたboidsound映画祭の音調整や、そこで上映された『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー 最期の7日間』(デヴィッド・リンチ監督)や『マングラー』(トビー・フーパー監督)、さらにその勢いで観たフーパ―の遺作『悪魔の起源-ジン-』などについて記された樋口泰人の2021年7月21日~31日の日記です。
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文・写真=樋口泰人



7月21日(水)
前夜の作業終了が午前3時。寝るころにはすっかり夜が明けていた。冬ならいいが夏はこの時間からどんどん暑くなってくるのでぐっすりとは眠れない。疲れがたまる。起きたときにはもう汗だくぐったり。ということで予定していた事務所での作業は中止。自宅でできることだけを。

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夜は新文芸坐。『マングラー』『トマホーク ガンマンVS食人族』『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー 最期の7日間 4Kリストア版』『AKIRA』。『マングラー』のチェックの際にトラブルが起きて時間がかかってしまった。もちろん音はまったく問題なし。ゴージャスかつクール。クラシカルでアヴァンギャルド。何とかして多くの人に観てもらいたいと思いつつ、しかし自分が一番観たい。通常の上映ではなく、これくらいの音で。『トマホーク』はなんと言っても食人族の足音。音でかくするとこういうことになるのか。そして雄たけびが会場を震わせる。こういう映画まだ作られていることに驚くが、世界マーケットを前提にしているからできることなのか。作り続けていくための基礎を共有したい。『ツイン・ピークス』はもう何十年ぶりかで観たのだが、今観たほうが面白く観られるのではないか。この圧倒的な倦怠感と言うか夢がリアルな世界に溶け出して見境がつかなくなったような空気感は、すべてが行き詰ったその後の世界を生きるための養分のようなものとして、こちらの身体を作り替えてくれるような気がする。『AKIRA』はLRのスピーカーとサラウンドからの音があまりに強力で、フィルム版に慣れていた身にとって何度上映しても驚きの連続である。自分の中にある、1980年代に「もう始まっているからね」とささやかれた何かの始まりが、こうやって刺激され続けていく。調整終了は午前3時予定が5時。すっかり夜は明けている。

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7月22日(木)
勝手に祝日が移動されていい迷惑である。いずれにしてもくたくたで何もできないからいいのだが、それでも溜まっていた事務作業とかはするわけである。世間は休日かよ、五輪かよ、なんだよ、みたいな感じで憤懣やるかたなし。しかし、このところの五輪関係のボロの出方はあまりに幼稚すぎないか。とにかく一刻も早くオリンピックは国家事業でもなんでもなくなり、ろくでもない大人たちが集まった一私企業の開催する世界的なスポーツ・イヴェント、ということになってほしい。夢とか感動とか自力で十分何とかなるのでまったく必要としておりません。
夜は新文芸坐。『ストップ・メイキング・センス』である。260席くらいの座席がどれくらい埋まるかと思っていたら完売。びっくりした。これも水商売ということなのだが、本当にちょっとしたことで状況が変わる。1年前には考えられなかったことだ。権利は年内いっぱい。新文芸坐では12月31日の上映が決まった。

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7月23日(金)
早朝に目覚め、以後眠れず。結局具合悪いまま1日が終わる。ぐったりの中、ようやく修理が終わって戻って来たアンプで80年代のヴァン・モリソン。発売当時は60年代のアルバムばかりを聴いていて新作は何となくピンと来ぬまま、ここにきてようやくフィットするようになってきた。自分の聴きたい音にしか興味を示さなかった自分の若さと傲慢さにしょんぼりする。

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7月24日(土)
眠り浅く、起きてからも身動き取れず。フラーのオールナイトでのトークもあるので、とりあえず昼寝もして体調回復に努めるが、まあ、それくらいでどうにかなるものではないし、調子悪い時ほど全然眠れない。単に横になっているだけ。余計に体がだるくなる。なんとか夕方までやり過ごし、早めの夕食、新文芸坐へと向かう。
『ツイン・ピークス』上映前に簡単なあいさつをしてそのまま映画も観たのだが、映画館の外の現実ではうわべだけだとは言えあからさまな健全さを売り物にしている世界的なイヴェントが行われているすぐそばで不健全極まりないこの映画を観ることの健康、ということについて思いを巡らすことになった。90年代、テレビシリーズを含め、この不健全さを笑いながら観て受け入れる「たしなみ」のようなものが多くの人に共有されていた。わたしはそれにどうも馴染めず、テレビシリーズは、映画版が公開されたころもまだ半分くらいしか観ておらず、そりゃあそのままこの映画を観ても全貌がわかるわけないよなと今は思うのだが、いずれにしても今こうやって映画版を観ると、旧シリーズの続きとしてあるというよりも、4年前ほどにやった新シリーズの危なさの予兆として作られたのではないかと言いたくなる。つまり、それぞれのキャラクターの個性で観るのではなく、あの場所そのものが抱えている光と闇をキャラを介さずにダイレクトに受け取る、というような意味で。何かが生まれる前と終った後のぼんやりとした広がりを通してしか見えてこない何かを、前世紀の成れの果てでもあり資本主義の終わりでもある風景とそれをギャグのように見せつけるという意味では世界の最先端でもあるこの東京で再見することの意味。とにかくローラのお父さんとともにこの東京も血まみれになって地の底に沈んでくれたらと思うばかりである。
その後、同じ新文芸坐でサミュエル・フラー・オールナイト。『チャイナ・ゲイト』『ショック集団』『裸のキッス』。女性映画の作り手としてのサミュエル・フラー、という視点でこの3本を観ると面白いのではないか、という話をした。終電ギリギリで帰宅。疲れている。


 
7月25日(日)
昼まで寝て、新文芸坐へ。『マングラー』と黒沢・篠崎トーク。『マングラー』は今こうやって大きな音で、映画館の中だけとはいえ大暴れさせてもらって本当に良かったと、自分がマングラーになったかのように喜んだ。それなりの大きさのスクリーンと爆音だと、見え方が全然変わる。みんなオリンピックなんか見ないで『マングラー』だよと世界中に言いふらしたい気分。たかだか人間が身体の限界に挑んで争うだけのオリンピックに比べ、こちらは鉄と油のにおいがプンプンする巨大洗濯物プレス機が人を食い、最後には立ち上がって大暴れですよ。感動も夢も血まみれです。あり得ない。今後、こんな映画が果たして作られる余地は残されているのだろうか。トークでは、途中で登場する、冷蔵庫の話で盛り上がる。
帰宅後は、疲れすぎていて眠れない。



 
7月26日(月)
人生最大の疲労感。どうしていいのかもわからない。目いっぱいの重力を感じつつ、無重力歩行をしているような、そんな感じ。わたしがどんなに疲れているか、それがどういうことか、昨日の『マングラー』以上に世界中に伝えたい気分である。もちろんそんな気力はない。事務所ではエクスネ・ケディのレコードのパッケージ作業をやっていたのだが、わたしは、とにかく地味に自分の作業をやるだけでめいっぱい。あとはよく憶えていない。

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7月27日(火)
この10年間で初めて、ということになるだろうか、9時間爆睡。整骨院の予約時間もとっくに過ぎている。年とってからは長時間睡眠ができなくなり、それもあって日々ぼんやりしながら過ごしてきたのだが、今回はいったいどれだけ疲れていたのか。まあでも、9時間爆睡したからと言ってすべて快調というわけではない。ようやく普段の調子悪い状態に回復というくらいか。事務所に行って作業するはずが、あきらめて自宅作業。各所連絡で終了。


 
7月28日(水)
「普段の調子悪い状態」というのを説明するのはなかなか難しいのだが、さらにそれより悪い状態で、やるべきことは地味に片づけはしたが、もうそれだけでめいっぱい。ほぼ記憶なし。と思ってメールなどをたどってみたら、事務所で作業をしていた。エクスネのアルバムの発送とパッケージの続きだった。そして宮崎くんもやってきて、来るべき映画の企画の話をしたのだった。この映画の話だけではなく、boidのまわりは面白い企画とそれを実現できる人材に溢れているのだが、資金だけがない。ここにきてさまざまな企画ががんがん湧き出てくるのでさらに資金不足がもどかしいという、基本的に何もやりたくないわたしにとっては人生最大にやる気に溢れている状態と言えるだろうか。おかしな感じである。


 
7月29日(木)
吉祥寺パルコへ。8階にあるスペースを使って何かできないかという話。ミーティングの相手から40分ほど遅れるという連絡が来たのを幸いに、即行でピワンへ。しかし案の定通りを1本間違えて、この暑さなので当然汗だくでたどり着くことになる。そしてその暑さの中で食うピワンのカレーは格別。スープが心地よく胃に流れ込んでいく。一瞬の幸せ。石田くんからピワンのカレー粉とショウガ漬けをもらった。
そしてパルコへ。話を聞くとああ、それならこんなことができるあんなことができるし、人材もいる、ということにはなるのだが、果たしてそれで人が集まるのか、儲かるのか。そこがよくわからない。ピンと来ていない部分もある。これはわたしひとりでは無理だ、ということでアシスタント募集の連絡もしてみた。
その後、先日眼鏡を作った井の頭公園そばの店舗へ。この季節の公園側はもう完全に避暑地の風景である。もちろん暑さは変わるわけではない。先日の眼鏡を1か月ほど使ってみた結果いくつか修正してほしいところができたので、その報告に行ったのである。突然だったので本日は検査はできず、次週、再検査をして再調整して精度を上げる。帰宅後は各所連絡事項で深夜。

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7月30日(金)
2回目のワクチン接種ということで落ち着かない。雨は降っていないが雷が近くで鳴っている。接種後に調子崩してもいいように、今できる連絡事項などを各所に。そして予約時間。雨も降り始めボチボチと接種会場に行ったのだが、なんと入り口を閉じて片付けの作業を始めている。まさかまたもや日付を勘違いしたのかと思い、係の人間に問い合わせると、接種終了時間と開始時間を勘違いしていたということが判明。はい、申し訳ありません、でも2回目なので今日打たねばということで中に入れてもらった。カレンダーアプリを確認すると、開始時間はちゃんと書いてあるので、単にわたしが思い込んでしまっただけで、そういえばカレンダーアプリをまともに見てはいないな、書き込んだだけで安心して終了だなと反省。接種はあっけなく終了。腕を触られたと思ったら終わっていた。実感はない。帰宅後も体調に変化なし。いつも調子悪いと何がワクチンの副反応なのかはまったくわからない。
それなら、ということでルーニー・マーラ祭の続きで『セインツ』を。始まってすぐ、あれ、これはつい最近観たと気づくが、いつ観たのかまったく記憶にない。しかも、アマプラには吹き替え版しか載ってなくて、字幕版は配信停止中でわざわざ中古のDVDを買ったのだから、到着したときに観た、ということになる。ならば日記に何か書いてあるのかと思うがそれもまったく思い出せない。しかも、DVDを買ったことさえ忘れていて、買ったものの観ていないDVDの山を見ていたら『セインツ』があったので、おお、いつ買ったのだろうと思って観始めたという次第。いや、もしかしたらルーニー・マーラではなくデヴィッド・ロウリーで観逃がしていた映画を観ようと思って買ったのか、でもなぜ、買ったのにまだ観ていないDVDの山に置かれていたのか。ということは、最初だけ観て、あとでゆっくりと思いつつその山の中に置いたのかと思ったのだが、いつものように部分部分しか憶えていないものの、記憶にあるシーンが終わりの方にもあるからそんなことはない。もうわけわからないのだが、深入りはしない。
『セインツ』は『マングラー』もそうなのだが、時代がいつなのか、たぶん想定されている時代はあるものの観れば観るほどいつだかわからない場所に連れて行かれてしまう映画だった。あのぼんやりとしたオレンジ色の光がそう思わせるのだろうか。カメラマンは後に『メッセージ』や『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』を撮ることになるブラッドフォード・ヤングである。ルーニー・マーラの肌の質感、ディテールの見せ方がお見事というほかない。しかしそうなると、やはりわたしはルーニー・マーラでこのDVDを買ったわけではない。だがそうだとしても、これを観てまだルーニー・マーラを認識していなかったとはと、自分の認識力のなさに愕然とするばかり。とにかく、ここでの彼女は、男たちの被害者ではなく、男たちとの関係の中で自分の道を傷つきながら涙と悲しみとともに築いていく、細いけれども足取りの確かな人としてある。細さと強さが同居して悲しみの中に決意が見える。かつての西部劇やギャング映画には見られなかった小さな光のようなものが、オレンジ色の鈍い光の中で輝いている。ケリー・ライカートの映画のミシェル・ウィリアムズとはまた少し違った映画の希望が見える。
副反応のほうは左腕が1回目よりきつい以外になし。ただ何かに興奮したのか、朝まで眠れず、いったん起きて朝飯を食ってから寝た。




7月31日(土)
昼に起きてボーっとしていた。新文芸坐のboidsound映画祭で上映した『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー 最期の7日間』が公開時に観たときより俄然面白く、その流れでクリス・アイザックのレコードを久々に聴いた。そうなると止まらず、ロバート・ゴードン、リンク・レイと続けているうちに一日が終わる。結局副反応らしきものは特になかった。健康な人ほど、あるいは若い人ほど反応があるという説を信じるとすると逆にちょっと不安にもなるのだが。
夜はやはり新文芸坐の『マングラー』トークのときに話題になったトビー・フーパ―の遺作『悪魔の起源-ジン-』。ドバイが舞台ということなのだが、風景として砂漠の中のビル群が映るもののあとは濃霧の中である。世界全体が霧に包まれている中での物語ということになる。場所を示すシンボリックなもの以外、登場人物たちがそこで暮らしているのだというディテールはまったく見えないのである。いったい自分は何を観ているのだろうか? 確かにこれは映画なんだが、なぜか主人公もそれを観るわれわれも非常に純度の高い霊的なものといきなりコンタクトしてしまう。そんな映画としての距離感とは別種の危うい距離感も映画の裂け目から顔を出し、途方に暮れるばかりである。リアル、というのとも違う。しかも霊体の動きがビデオノイズのようなものとして示される箇所があって、いや別にそれは霊体を示す表現としてはありふれたものなのかもしれないのだが、霊的とはまったく違う電気的なその震えの肌触りが、忘れられないものとしていつまでも身体をざわつかせるのである。これは春の京都みなみ会館のboidsound映画祭の『悪魔のいけにえ』の上映の際に原因不明のトラブルで大ノイズが発生したときに味わった空気の震えを思い出させたからなのかもしれない。そして今後、わたしにとってトビー・フーパ―は電気信号の中に存在する人となって、ときどきこのような形でわたしの前に訪れるのかもしれない。そういえば『スポンティニアス・コンバッション』のクライマックスでも、主人公の怒りが電線を伝わって世界中に伝播していくのではなかったか。





樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。Exne Kedy And The Poltergeists『Strolling Planet ’74』LP &CDが8月11日より発売中。10月22日(金)~24日(日)に高崎電気館で「爆音映画祭 IN 高崎 2021」を開催。