Horse racing watcher 第10回

40年にわたって競馬を嗜んできた風元正さんがその面白さや記憶に残るレースについて綴る連載「Horse racing watcher」。今回は2月に開催されたサウジカップや、冬場に出稼ぎのため来日した外国人騎手を観察することで見えてきた日本競馬界の充実ぶり、小説家の古井由吉さんが30年以上連載していた競馬時評などについて記されています。

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「時評」好き

 

文・写真=風元 正

 
文芸時評が大好きである。好きが高じて、平野謙と並ぶ時評界の大物を論じた『江藤淳は「戦後」といかに闘ったのか』という本まで出してしまった。あるジャンルついて、可能な限りとにかく見続ける。時間が足りないので、対象を絞ってゆくほかないけれど、テレビと競馬はなぜか生き残った。どちらも最近、大きな変化の渦に飲み込まれているのが面白い。理由はどうあれ、テレビドラマがこんなに増える日が来るとは。
競馬はついにサンデーサイレンスの息子や孫ばかり走る時代が終わり、名馬ドゥラメンテ死後の種牡馬界は群雄割拠になった。そして、サウジカップという世界最高額の賞金15億円のレースが、2月の風物詩として定着した。自腹を切って世界中から馬を集めるモハメド殿下の豪気さといったら。去年の第4回は日本馬パンサラッサが勝ち、今年はアメリカのGⅠ馬が揃った中、川田将雅のウシュバテソーロが惜しい2着になった。ウシュバが勝ったと思った瞬間、ぴったりと鼻だけ差されてしまい、さすがにアメリカの騎手の股関節の力はすごい。勝ったアメリカ馬セニョールバスカドールのJ・アルバラード騎手は、大外から突風の勢いで他馬をなぎ倒してゆく馬上で、腰はやや浮かせつつ全身のバランスを崩さなかった。
予想としては、強い先行馬が揃い追い込み競馬になるという読みで、私は1着になったセニョールバスカドールの単複を買っていて一応的中したものの、ならばなぜ同じ脚質のウシュバとの連勝馬券を買っていないのか。むしろ、驚いたのは輸送中のトラブルにもめげず出走したデルマソトガケが5着になったことである。この馬はもう1年以上日本で走っておらず、ブリーダーズクラシック2着など、華々しい戦果を挙げている。芝はともかく、ダートではアメリカ馬にはかなわないという定説はいつの間にか覆されて、ウシュバテソーロは今や、世界最強馬の1頭である。3月のドバイWCでは大本命だろう。
とばっちりを喰ったのは1年の最初のGⅠとなるフェブラリーSである。どうやら、一流馬の目標ではなくなったらしく、今年は大荒れの結果だった。勝ったペプチドナイルは重賞初勝利。戦歴的には単勝38倍でも仕方のない馬で、実は私は単純に馬体重が重いという理由で最後に買い目に加え、直線半ばまで2着で差された4着馬タガノビューティーとの馬単を握りしめていたので悶絶。単勝は買ってない。文芸時評とちがい、競馬時評を書くことは、日々、空振りに耐えることでもある。


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競馬時評では、「優駿」誌上での古井由吉さんのエッセイの存在が唯一無二である。「競馬徒然草」という名で連載がはじまった1985年4月の文章には、3月、サザンフィーバーという馬がスプリングSでレース中に骨折死するという衝撃的な事件があつかわれていて、異様な迫力だった。私はあの時、中山競馬場に行っていて、サザンフィーバーから馬券を買っていた。栗毛の美しい馬体がすごい脚勢で4角ハナに立った瞬間にいきなり消えて、腰を抜かすほど驚いた。現場では何が起こったか、すぐには分からない。
忘れがたい馬の死により、「杳子」という小説のみしか知らなかった作家・古井由吉の存在が脳に刻まれた。30年以上連載されていた競馬エッセイを、すべて雑誌上で読んだのが私の下らない自慢である。古井さんの死の数年前、「競馬場が遠くなる」という一文をみつけ、腹を抱えるほど笑いつつ、哀しくもなった。すでに、中山競馬場が電車でゆくには洒落でなく遠く感じる足萎えになっていたのである。座業でずっと家に居っぱなしなので、外に出る機会は貴重なのだが、それが叶わなくなった無念をもっともさり気ない形で伝えていた。時評は書き手の身体性を生々しく伝える場合もある。鮎川信夫の「週刊文春」コラム「時代を読む」も、遁世している大詩人の消息が伺える貴重な欄だった。似たテイストの文章は「映画芸術」巻末の「荒井晴彦ノート」で読めるけれど、大編集長の年齢ゆえ、毎回、病気と葬式の話ばかりである。
サザンフィーバー世代のチャンピオンは田中朋次郎調教師が管理した2冠馬ミホシンザンで、柴田政人騎手の全盛時代だった。あれからほぼ半世紀で、「血統の墓場」と呼ばれた日本競馬が世界有数の競馬大国に成り上がるとは予測もできなかった。ヨーロッパ競馬がお休みの冬場に彼の地の有力騎手が出稼ぎに来るお約束も完全復活し、A・ルメートル(仏)、L・モリス(英)、R・キングスコート(英)、R・ピーヒュレク(独)、R・キング(英)の5人が来日した。
さて、腕前はいかにと期待していたら、いやはや。アルピニスタで凱旋門賞を勝った英国のモリスは腰から上は派手にパタパタ前後に舞うけれど馬はまったく動かない。年末から80戦1勝という戦歴で短期免許の途中で騎乗停止を喰らって本国に帰った。ドイツのピーヒュレクは、ビザンチンドリームできさらぎ賞を勝ちはしたものの、メリハリのない騎乗ぶりで印象に残らず、こちらも免許期間を残して帰国。仏のルメートル騎手は普通に上手い騎手だったけれども、3者とも社台グループのバックアップの割には期待外れ。
唯一、オーストラリアで騎乗しているキングが堀宣行厩舎の馬を中心にして大活躍し、気性が難しいサクラトゥジュールをギリギリまでインで脚を溜めて一気に爆発させて勝った東京新聞杯の騎乗は感動的で、それはつまり、私が穴馬券を的中させたからである。単勝33.8倍。あのレースから後、日本人騎手は東京競馬場のラチ沿いに潜り込もうとするキングに、コースを開けなくなった。
しかし、中山開催に変わり、外から先行してもバテない軽い馬場になったら盛り返し、堀厩舎の信頼は勝ち得ただろう。ちょっと活躍すると、すぐおしゃれを気にし出す日本の女性騎手が哀しくなるくらい、全身、しっかりした筋肉の鎧で覆われていて、鼻っ柱も強そう。D・レーンを含め、徹底先行して腕力で直線の坂を保たせるオーストラリア競馬のスタイルは日本競馬に合うようだ。一方、ヨーロッパ勢は調べてみれば本国でさほど勝っておらず、一流の下はどの国でも同じという現実が明らかになった。階級社会を前提にしたヨーロッパ競馬は、アラブの王族に支えられるしかない今、静かな地盤沈下が進んでいる。


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日本は、生産からレースまでを自前の半官営ネット販売網で賄う世界でただ一つの国である。コロナで外出禁止だった期間中にも粛々と馬券をネット販売して支持を拡大し、地方競馬まで蘇生した。円安で実質賞金が下がり、外国から一流の人や馬は来てくれなくなったけれど、外国に日本馬が遠征して勝つのは当たり前で、向こうに行けばボロ負けして逃げ帰る記憶を持つ世代としては隔世の感がある。
騎手の実力も上がっている。大井の名騎手の坂井英光の息子、26歳の瑠星は矢作芳人調教師の「世界へ」という育成方針が稔り、フォーエバーヤングでサウジダービーを勝つなど、海外重賞を勝って当たり前の腕前に成長した。身長170cmで手足が長く、ダート競馬での力感溢れる追い方は馬群のどこにいても目に入る。修行先だったオーストラリアのスタイルが身についているのか、逃げ先行が得手で、芝で瞬発力を生かす差し馬での騎乗はまだまだとしても、あれだけの筋力があれば課題はいずれ克服できるだろう。
直線のフォームがデットーリそっくりの3年目・佐々木大輔、腕っぷしが強い2年目・田口貫太など20歳前後の後続も揃っている。何より、デビュー当初はあたふたしているだけに見えた永島まなみがローカルで頭角を現し、勝ち星を重ねているのが頼もしい。小刻みな追い方で大丈夫かといつも心配になるのだが、なぜかいい脚を引き出す。減量を生かした先行策が基本で、斤量が増えたらどうなるかは見えないとしても、狭いコースをこじ開けるガッツがあるのはわかった。JRAには前川恭子という初の女性調教師も誕生し、騎手を含めて男女の格差が少しづつ解消されている。
すべての好循環は、1974年の電話投票からはじまり、ネット環境の整備に伴ってインフラ整備を重ねてきたJRAの努力の賜物、というのは当然の話。サトミの冠名で知られるパチンコの大立者・里見治が、業界の凋落を見越してカジノ進出に賭け、安倍晋三にイレ揚げたけれど構想は頓挫し、ウマ娘の藤田晋に取って代わられるとか、人と商売の栄枯盛衰が空恐ろしい。パチスロ店の朝の行列や、競艇のCMをみても日本は世界有数のバクチ大国(しかも公営が多し)であり、カジノの入り込む隙間はない。その先は考えず、ただ走る馬の美しい躍動を見続けることにしておく。
単純にバクチに勝つだけならば、人間たちの運転の道筋を読み込むボートや競輪しかないらしい。


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ビクトル・エリセ監督の『瞳をとじて』は、元映画監督ミゲルの周辺に起きる出来事があまりに身近でスクリーンから目が離せなかった。海沿いの田舎町でキャンピングカーに住むミゲルが臨月の妻がいる移民の夫婦とともにギター一本で歌う歌や、高齢者施設での食事や老いたシスターたちを眺める眼差しは、優しく温かく、残酷で冷静である。映写技師マックスのような強烈な顔の人を、どうやって探し出すのだろうか。時の経過により積み重なる歓びと悲哀をあますところなく「映画」にしてゆくエリセは、無造作に現役のままで居続ける。映画を撮らない長い時間に何を考えているのか、どういうふうに日々の暮らしを捌いているのか、憧れつつあれこれ想像してしまう。
最近はあまり流行らない志賀直哉も似た生き方の芸術家で、『暗夜行路』を読んでいると、なぜある出来事を書いてほかは書かなくて、ある時期は省略したのにまた書き始めるのか、その選択の根拠がまったく見えない。物語もわからぬまま、ただ力に溢れた文章によって捉えられた現在だけがある。あたうる限り人為をなくした作品は、エリセの映画とともに私を未知の時間へと誘う。春が来れば柔らかい新芽がめぶくように。


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風元 正

1961年川西市生まれ。早稲田大学文学部日本史学科卒。週刊、月刊、単行本など、 活字仕事全般の周辺に携わり現在に至る。ありがちな中央線沿線居住者。吉本隆明の流儀に従い、家ではTVつけっぱなし生活を30年間続けている。土日はグリーンチャンネル視聴。2024年2月に『江藤淳はいかに 「戦後」と 闘ったのか』(中央公論新社)を上梓。