迂回路の夜の人影たち 第1回

映画監督・文筆家の鈴木史さんによる連載「迂回路の夜の人影たち」が始まります。本連載は、鈴木さんの記憶に深く刻まれた人々との会話や交流を軸に、その時々で観たり読んだりした映画・展覧会・書物などを取り上げるエッセイです。初回は、2月に恵比寿映像祭で上映されたミヤギフトシさんの短編映画『The Ocean View Resort / オーシャン・ビュー・リゾート』について、ミヤギさんと出会った日の出来事とともに綴られています。
image0.jpeg 1.48 MB



 

Walk Away



文・写真=鈴木 史

 
SNSってバーみたいなものなんだ。いつからかそう思うようになった。
バーに行かない人にしてみたらなんのことやらかもしれないけれど、つまり誰かが日々の不満をボヤいていたり、散発的に見知らぬ人同士が曖昧な距離感で言葉を交わしたりしている場所だということだ。ところで、バー「Twitter」はいつのまにか屋号が変わって、今では「X」というネオンサインが光っている。その看板は付け替えたばかりなのにダメージ加工がしてあって、なんとなくダサいし胡散臭い。でも、昔よく通っていたよしみもあるのでちょっと覗いてみると、誰かが強い口調で何かを責め立てていたり、怒鳴っていたりする。前からこういうお客はいたけど、みんなの協力でうまく宥めたり、お帰り頂いたりしていた。でも、もうそのようなわけにも行かず、すっかり緊張感のない店になってしまった。
隣の席にズドンと体の大きな男が座った。しばらく彼は、新しく店主になった男と話していたのだが、隣にいるわたしに気付き、チラチラと視線を送ってくる。これは良くないパターンだ。だからはじめは気付かないふりをしていたのだけど、わたしはある瞬間きっぱりと諦めて、敵意がないことを伝えるために微笑んで会釈をする。今日は「捨て日」だ。人生に訪れるそう少なくはない、ゴミ箱に捨ててしまいたくなるような日。あとは、注がれた酒を飲み終わるまでのあいだ、「そうなんですね」「すごい」「しらなかったです」を繰り返せばいい。わたしの意見は重要ではない。たとえ相手が、わたしの入ってきてほしくない部分に土足で上がり込んできたとしても、困った笑顔で「いえいえ」と言ったり、小さく笑ったりすればいい。わたしは重要ではない。
あとから知ったけど、こういうシチュエーションで相手に「そうなんですね」「すごい」「しらなかったです」などの言葉を繰り返すことを「キャバクラさしすせそ」と呼んだりするらしい。本当かどうか知らないけれど、これがキャバ嬢の世界での接客の方法論なのだそうだ。だけどわたしは日々を生きるなかで、場を荒立てまいとして自然とそのような振る舞いを編み出して行っただけで、なにひとつ教えられた訳ではない。そのことが逆に、「女性的」なものが被る、耐え難い不均衡の存在を告げている。何で読んだのか忘れたけれど、ある思想家だったか哲学者だったかが、女性は受け身でいることによって、むしろ男性からあらゆるものを奪って行けるのだというようなことを書いていた。それを読んで、とりあえずのところ「そうなんですね!」と元気よく言ってみて、納得しようとしたのだが、だんだんと腹が立ってきて、全力疾走でその男性知識人の背中めがけて走ってゆきドロップキックを食らわせる自分のイメージが繰り返し頭に浮かんでは消えていった。ちなみに、「キャバクラさしすせそ」の「さ」と「せ」は「さすがです」と「センスいいですね」らしいのだけど、相手によっては、それらの言葉は彼を苛立たせるだけだろうから使えない。
わたしは、返事だけはしながら目を瞑って、その店が「Twitter」という名前で、オープンしたてだった頃を思い出していた。まだお客さんの数は少なくて、来ている人といえば、みんな現実に退屈しているようだった。わたし自身もいったい自分が誰なのかすらわからないような有り様だった。でも、みんな物知りで、皮肉で、やさしかった。そんなやさしい人たちは、今の彼のように、気軽に話しかけては来ない。だから、そんなやさしさから沈黙の中にいる人に、わたしは恐る恐る言葉を投げかけてみる。曖昧な微笑みと、丁寧な返答。そこに漂う拒絶の気配。わたしはますますその相手と話してみたい。
「この人は何を考えてるんだろう……」
そっか、わかる、相手も同じことを考えてる。
「この人は何を考えてるんだろう……」

 
ひとつのショットを思い出す。ここで思い出されるべきは、ふたつのショットの切り返しなんかではなく、ただひとつのショットだ。
今年の2月に恵比寿映像祭で見たミヤギフトシの『The Ocean View Resort / オーシャン・ビュー・リゾート』(2013)は、本土から沖縄へやってくる観光客向けに建てられ、今はすっかり寂れてしまったオーシャン・ビュー・リゾートというホテルと、周辺の浜辺や海を捉えた映像で構成されている短編作品だ。「僕」という語り手が英語で、子供の頃に「Y」という同性の友人を好きだったこと、その片想いの「Y」が久しぶりに島に戻ってくることを語る。戻ってきた「Y」は、戦時中の日本兵による沖縄住民の虐殺のことや当時のゲリラ戦について、「僕」に話す。いつのまにか語り手の「僕」は、戦時中の捕虜の日本兵になっていて、アメリカ兵にレコードでベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聞かせてもらった話をすると、また「僕」が戻ってきて、子供の頃、祭りからの帰り道、「Y」と自転車で二人乗りした記憶を語る。いつのまにか、人気のない浜辺や寂れたホテルの映像の背後でうっすらと流れていた弦楽四重奏の響きが盛り上がろうとしている。そして、これまでの「僕」の語りを遮るように「Y」が言う。
「この箇所が好きなんだ」
カットが変わり、はじめて人の姿が見える。暗がりでライターを灯し、タバコを吸う若い男の耳や首筋。表情まではよく見えない。それまでの語りが途絶え、画面にただ弦楽四重奏が響いている。「この箇所」というのは、弦楽四重奏曲 第15番 第3楽章が最高潮の盛り上がりに達する、今画面に響いている旋律のことだ。いや、それとも「Y」の首筋のことなのか? 見ているわたしのまなざしが溶けてゆく。そもそも、今まで話していたのは誰?
相手の言葉を遮って自分の好きな音楽を聴く男の、やや斜め後ろから見える首筋のイメージは、言葉を遮られた「僕」の視線のショットなのだと、徐々に理解はできてくる。でも、語り手の在り処が揺らぎ続けるこの映画を見ていて、そんなわたしの確信にも揺らぎが生まれる。わたしの興味は、「僕」の語りを遮って自分の好きな音楽を聞かせようとしてくる「Y」の押し付けがましさの方に向かってゆく。タバコを吸ってわずかに脈づく、彼のざらざらした首筋。映画を見ているわたしには、「彼に時間を奪われている」という感覚と「彼が時間を与えてくれている」という感覚が同時に湧き上がってくる。だんだん、今見ているイメージが「僕」のものなのか、作家であるミヤギのものなのか、映画を見ているわたし自身のものなのか、それとも「Y」のものなのかわからなくなって、自分のまなざしが消滅していく。圧倒される。作り手の欲望と観客の欲望が、そのショットのあいだでたがいに緊張関係を保ちつつ、しかしむしろそのことでふたつの欲望が混ざり合いもしてしまう。これが優れたショットの成立する条件に思える。

 
男はまだバー「X」の片隅で、わたしにひたすら話をしていた。自慢話なのか、わたしを馬鹿にしているのか、わたしを傷つけることで、わたしに何かの反応をしてほしいのか。

 
ミヤギさんに初めて会ったのは、去年の冬。loneliness booksでケリー・ライカートの『オールド・ジョイ』を何人かで見たときだった。上映後、来ていたミヤギさんの友人の編集者の方が、たくさんの言葉を尽くして映画の感想を話していた。わたしはつい癖で、やや「さしすせそ」的な相槌を彼に打ち続けてしまったのだけど、その横でミヤギさんはひたすら黙って遠くに目を向けていた。わたしはそんなミヤギさんを見ていて、自分のなかに憮然とした羨ましさのようなものが湧いていることに気付き、悔しくなってしまう。だけど、帰り道、信号待ちをしながら、さっきの編集者さんとわたしと友人の浅井美咲が、ひたすらぺちゃくちゃとおしゃべりをしていたら、「それ……、ボタンっ」と声がする。皆がふっと静かになり、声のした方を見ると、ミヤギさんが信号の押しボタンの方を指さしている。わたしたちは押しボタンに気付かず、夜の大久保の信号機の下で、何分も立ち話を続けていたのだ。それまでのわたしのミヤギさんに対する憮然とした羨ましさは、そのことをきっかけに溶けていった。
それからしばらくして見た『The Ocean View Resort / オーシャン・ビュー・リゾート』の「Y」がわたしから奪っていった、あるいはわたしに与えてくれた時間は、押しボタンのことをすぐには指摘せず、沈黙していたミヤギさんのなかに流れていた時間の反撃のようにも思えた。
ミヤギさんは『オールド・ジョイ』が米国で公開された当時、ちょうどニューヨークに住んでいて、そのときに見ていたそうだ。この映画のことがとても好きになったらしい。曖昧な距離のふたり旅の映画。

 
隣の席の男は、わたしの「さしすせそ」に飽きてしまったのか、もうわたしに言葉を投げかけてこなくなっていた。黙りこくって酒を飲みだす男。わたしは、解放されたという思いを抱いてホッとしながらも、黙ってしまった彼のことが気になり、話しかけられているときには目がいかなかった彼のざらざらした首筋を見る余裕が、自分のなかに生まれていることに気付く。さっきまでの苦痛の時間が、急に大切なものに変わっていくような気もする。今日は、「捨て日」にはならなかったのかもしれない。でも、また彼に話しかけたら、さっきと同じことになるだけだろう。ここを立ち去らなきゃならない。好きなバーじゃなくなった。わたしはそう自分に言い聞かせる。
 
もう、わたしのiPhoneの画面に「X」の看板は光っていない。

 

※『The Ocean View Resort / オーシャン・ビュー・リゾート』は、恵比寿映像祭2024の「[スペシャル上映]American Boyfriend: For a Stranger」というプログラム内で上映された。本プログラムは、他にトム・ルブニッツ『Listen To This』、ミヤギによる新作、ハナ・クインラン&ロジー・ヘイスティングス『Something for the Boys』の上映、小説家・高山羽根子による朗読パフォーマンスで構成されていた。制作時期や場所、作り手の視点を異にするこれらの作品が、相互に響き合ったり、反撥したりする。
「American Boyfriend」はミヤギフトシによる、クィア周縁の多様な揺らぎや感情を様々な形式でプレゼンテーションするプロジェクト。ちなみに『Listen To This』に登場するデイヴィッド・ヴォイナロビッチの姿は、まもなく公開される『美と殺戮のすべて』(2022、ローラ・ポイトラス)でも見ることができる。