妄想映画日記 第170回

樋口泰人による「妄想映画日記」は1月後半の日記です。高知県立美術館での爆音映画祭のため滞在した高知では、ホールの独特な響きでの爆音調整を楽しみ、食を大いに堪能し、『はだかのゆめ』撮影地めぐりも。病院での検査結果が芳しくなくも、3月から有料化となるboidマガジンの準備を進めています。
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文・写真=樋口泰人



1月16日(火)
昨日さぼった連絡事項含め終日デスクワーク。一歩も外に出られなかった。体は弱るばかりである。しかも国税庁の電子納税システムの登録が面倒すぎる。3か月くらい前に税務署に行ったとき、今後は電子申告でと言われ、これまでのように納税用紙に必要事項をプリントして何部も渡すようなことはもうできないとのことで、そこまで言うなら一度登録してやり始めてしまえば毎月税務署や金融機関に出向いて支払いをするより楽だろうと、電子申請でやることにしたのだった。
まずは登録なのだがこれが無限地獄。あれをインストールしろこれをインストールしろ、そのたびにインストールの手引きもダウンロードそれを見ないと素人にとってはどうにも不安でやりきれない。あれやこれやあれやこれやあれやこれやあれやこれやでパソコンに向かって悪態つき放題蹴飛ばし放題もうあとはパソコンを放り投げるくらいしかないくらいな勢いでイライラしながらやってもやっても終わらない。いや、落ち着いて言われた通り何も考えず、次はこれ次はこれと機械のようにこなしていけばいいのだということはわかっているがブルシットジョブ。誰もがそれぞれのやり方で使いやすいようにという配慮はまったくなく、お前らはただ黙ってこのシステムの言うことを聞いていればよいのだと言わんばかりの無造作な構造。おっさんは怒りで目を血走らせながらインストールの手引きをマックで開き実際の作業は手元のウインドウズのマシンで行い、しかし血走りすぎて文字もろくに見えずいやどうせ老眼だ知ったことかと最初の慎重さはどこへやらガンガンと乱暴にいろいろ入力しては失敗しつつ何とか最後まで行きついたのだった。それやこれやで半日。
ようやく納付する税金の金額などの具体的な入力作業をするわけだが自分が何を納税しようとしているのか今回の納税がここに記載されているどれにあたるのかを見極められるまで再びたっぷりと時間がかかる。血走った眼はいいよテロリストの視線になり、いつでもガソリン持って行ってやるからな国税庁ようやく入力は終了してそれらの証明書をダウンロードしたのだがその書類が開かない。
「.xml」というファイル名である。どうやってもダメで怒りはさらに燃え上がるのだが何とかなだめつつネットで調べてみるといくつか方法がある。一番簡単な方法がマイクロソフトのブラウザー「edge」を使ってやるもののようだが、国税庁はこうやって否応なくマイクロソフトへとわれわれを向かわせているのかと、さらに怒り沸騰。いったいどこまでわれわれは無意識のうちに足元をコントロールされなければならないのか。どこまで奴隷化されなければならないのか。しかもその奴隷化を推し進めているのが同じように奴隷化されて懸命に働く国税庁の職員だったりするわけだから始末が悪い。テレビで地球温暖化のドキュメンタリーをやっていた。国際間でさまざまな協定ができて企業はそれを厳守することになるのだが、結果的にその数字に沿う形での数字合わせに各社懸命になるばかりでしかもそれを悪用する輩も出てきて結局その数字の先にあるわれわれの住むこの地球を守り育てる夢はかき消されるばかりである。われわれの労働とは数字を守るためのものではなくその先のはかない未来に向かって小さな一歩を進める作業のことを言うのではないかそしてそれこそがその現実こそが未来であるだろう。そんなことを三宅唱の『夜明けのすべて』は語っていたと思うのだが、われわれのこの現実はわれわれが踏み出すべき一歩を削り取るばかりである。それならばわれわれは足を削り取られた幽霊として幽霊の声をこの現実に響かせるべきなのではないか。そんなことを思いつつ聴くリントン・クエシ・ジョンソンはまさにそんな幽霊の声を世界中に届け続けるひとりとして今もこうやってわれわれの失われた足を支えてくれるのだった。『FORCES OF VICTORY』。79年のリリースだからもう45年前である。

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1月17日(水)
6日間留守にすることになるのでとにかく本日中にいろんなことを片付けておかねばならない。というわけで朝から焦っていた。健康な忙しい人のようにひとつひとつそしてあれやこれややっていくわけだが、気が付くと息切れしている。仕事もそうなのだが手術後のリハビリや免疫力獲得のための生活の見直しにしても、すべてがきちんとできるわけではない。ダラっと休み休み、時には病気を言い訳にして仕事も約束も連絡もぶっちぎりぐったりすることでようやくバランスがとれるのだが、しかし一方でそれでは仕事も生活の改善もうまくはいかない。きちんとやらないことでうまく生き抜くことはできないものか。先日、黒沢さんに会ったときに低血圧の話をしてこれまでの具合悪さは自分の低血圧のせいだったかもしれないと言ったら、いや僕もそこまでひどくはないですがそれなりに低血圧で、でも朝起きられないとかぐったりしているとかはまったくないですよと釘を刺された。確かに黒沢さんはメニエルもさっさと自力回復してしまったのだった。
夕食後うっかり寝てしまう。早く仕事を片付けて早く寝て午前中のフライトに備える、という大人なスケジュールは見事に台無しとなった。
 
 
 
1月18日(木)
高知爆音はこれが2回目とはいえ10年ぶりで現地の音響スタッフもまったく違うということで初めての開催と変わらない。12月の下見と打ち合わせで大体は把握したのだが、他会場の爆音に比べて機材不足と会場自体の反響が気になる。なにしろ能の上演も行う会場なので生音が十分響くのである。5.1チャンネルの音の微妙なバランスが会場の反響によってだいぶ違うものになってしまうかもしれない。セリフが響きすぎてしまうかもしれない。サラウンドがうまく機能しないかもしれない。といった不安で心穏やかではない。最初は大抵こんな不安を抱えながら始めることにはなるのだが、この数年は慣れた会場でばかり行ってきたのでこの不安の感覚は久々である。まるで初めて爆音調整を行う人間のようなおぼつかない足取りで高知に向かうわけだが、そしてもちろん羽田到着がギリギリで冷や汗をかいたりもするのだが、とにかくそのぼんやりとした不安の塊がすべて「吉」へと転がった。高知のホールはやはり独特の響きを生むのだがそれが面白いのである。確かに他会場とは違う。しかも甫木元のセレクション作品が今現在のハリウッド作品のような規格ばっちりの音で作られているわけではまったくないので作品によって音もバラバラ、そのバラバラの響きと会場の独特の響きとが共鳴し合って調整は難しいのだが、通常なら聞こえてこなかった音が聞こえてくる。「ああこの音この音」と、その響きを聴いた体がつぶやく。いわゆるいい音とか美しい音というのとは違う。それでもこれまで味わえなかったような音の空間が身体を包み込む。バウスがまだあった頃は規格外の音の映画をいっぱい上映して成功も失敗もあったけど、その映画が持つ他にはない音を実感してひとりの人間にいい部分も悪い部分もあるように1本の映画にもいろんな局面があってそれがたとえば全然うまくいっていない局面やこちらが対応できない局面だったとしても、それはただそういうものなのだそれだけでこの映画のすべてが決まるわけじゃない、このうまくいかない局面も含めてのこの映画なのだという映画との向き合い方を日々学んでいったのだった。
そんな忘れかけていた感触が全身に蘇る。若返るわけではないが今でもまだそんな気持ちで映画に向かい合える。その喜びを実感する爆音調整になった。しかし12月の寒さが嘘のような温かさ。東京の寒さもあって防寒対策ばっちりの荷物満載であったが完全に無駄に終わりそうな勢いである。念のため薄手のコートを入れてきてよかった。
 
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1月19日(金)
昨日よりさらに暖かい。春である。気持ちが和む。美術館周囲に集う猫さまたちものんびりと日向で食事。われわれが近づいていくと警戒して逃げていくのに近所の方なのか餌を持った女性がやってくると見事に寄り集まってくる。生きるということは素晴らしいと思う。
爆音の今回の大収穫は『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』だった。ほぼ会話のない製茶工場の機械音と茶畑周辺の自然音だけで成り立つこの映画が美術館のホール独特の反響の中であり得ないような空間を作り出す。もう、完全に製茶工場の機械の中に入った気分。以降われわれは茶葉の視線でも映画を観られるようになる。このような映画を爆音ではこれまで何本か上映してきた。『精神の声』『リヴァイアサン』『鉱 ARAGANE』『人間機械』など。それらと『天竜区奥領家大沢』が少しだけ違っているのは、そこが日常と一続きだという点だろうか。どこかに出かける必要も準備する必要もなくわれわれの日常に重なり合う形でわれわれの存在自体を変容させる場所やきっかけが遍在しているのだということを、この映画は示す。その当り前さ。目をとじたら製茶工場。『はだかのゆめ』も『エリ・エリ・レマサバクタニ』『マッドマックス』もそんな日常の中にあるのだと、この映画はわれわれ自身があらかじめ作ってしまっている境界線を取っ払ってくれる。『はだかのゆめ』のおじいちゃんが茶畑で茶摘みをしていても何の不思議もないし、製茶工場では白いつなぎの浅野忠信が働いているかもしれない。それはおそらく50年代終わりに映画が街のノイズを自身の中に取り入れたときに開かれた、その先の風景ということになるかもしれない。そんなわけで今回の爆音は映画と現実とが折り重なった音の風景、というのがテーマとなる。
夜は蕎麦屋兼居酒屋。アジの刺身、ブリぬた、クジラウネス、牡蠣のてんぷら、牡蠣のおでん風、ふきのとうとノビルのてんぷら、穴子のてんぷらなど。わたしにしては立派な早起きをして午前中からしっかり働いた体への高知の滋養の充填。茶畑をはぐくむ台地になったような気分である。
 
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1月20日(土)
本番が始まるともうわたしは何もできないのだが、ロビーで来場者たちの声を聞く。質問やリクエストなど、ハッとさせられることも多い。今後についていろいろ考えさせられる。今回はラインナップを観てもお分かりのように動員度外視といったら言い方は悪いが、商業映画館ではない場所でしかできないようなセレクションになっているのだが、それでも1本くらいはわかりやすい爆音作品をということで『マッドマックス』が入ったものの、映画館以外でメジャー作品を上映するのはめちゃくちゃ大変である。いろんな制約があり、料金の500円もそういうもののひとつでYCAMの時もそうだった。映画は製作時に莫大な金がかかっているのでそれは上映時まで尾を引く。あらゆることに決めごとがありそこにもまた大勢の人がかかわる。果てしない堂々巡りが続くのだがその堂々巡りの中で争いが起こりハラスメントが起こる。映画の性とも言えなくもないそれに対してどう向き合い、新しい映画をどうやって作っていくのか。それは「上映」の問題でもあるわけだから今ここでのこの上映をどうするか、どのようにしたら上映の新しいネットワークが作れるのか、ただひたすらシンプルにそれだけのことを考え実行するだけできっと何かが変わる。大きなことは考えない。小さな回路を作っていく。『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』が示していたのはそんなことでもあったように思う。
夜は妻もやってきて、boid大橋チームも新潮社風元さんもやってきて、皆さんで高知の食を堪能した。魚も野菜も地力がある。何なんだろう、この感じ。
 
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1月21日(日)
朝から『赤ずきん』『アネット』『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』『ミツバチのささやき』。トークの後に『はだかのゆめ』『エリ・エリ・レマサバクタニ』。それぞれのショットの強烈さと音の響きが観る側の身体を変える。昨日の上映分も含めて、何かあらゆるものが連動し重なり合い、それぞれの「映画」の枠が壊れ、スクリーン外へと流れだし新しい映画を作り上げていく。「窓外」と題された甫木元の展示がここにおいて完成するのかあるいはその展示を膨らませ続けるのか、とにかく映画はその1本だけでは終わらないし始まらない。そんなことを体感できる爆音映画祭になった。
夜は再び高知の食の地力を堪能した。ここでは作る人加工する人販売する人が有機的にリンクしている。プロダクションとポストプロダクションとプロジェクションの三位一体といったらいいか。映画と同じである。それぞれが人間だけではない植物や動物や地球や幽霊の視線をもって世界を見つめやるべきことを行う。ただそれだけの小さな行いのもたらす連鎖、小さな回路が絡み合ってわれわれに届く。そしてわれわれにもその連鎖と回路が埋め込まれそれを持ち帰る。大きなシステムがもたらす「それぞれがそれぞれの持ち場で役割をこなす」という連鎖とはまったく違う回路が出来上がる。そんな妄想とともに生きる。高知の食と爆音映画祭はそんな希望の目を植え付けてくれた。
 
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1月22日(月)
1日休みを取って四万十川方面に出かけた。『はだかのゆめ』ツアーである。撮影地と思しき無人駅、そしてたまたま見つけた沈下橋。そしてさらにその奥地へ。高知の野菜の地力の一端がここでもうかがい知れる風景が続く。単なる田舎の空気ではない別の国別の場所への通路のような空気が漂う。もちろんそんなものはこちらのロマンティックな思い込みなのだが、それでもわれわれのテンションが上がる。沈下橋を出るときには別の車がやってきて、わたしは気づかなかったのだが車の中の人々が手を振っていたのだという。どうやら爆音にも来場されたビアリストックスのファンの方たちらしい。高知から四万十方面に向かう際におそらく最初に出てくる沈下橋がここだからそりゃあ一度は渡ってみたくなるよね。湯浅さんによると四万十の田んぼの真ん中にとんでもなくサイケなカフェがあってそこで根本敬さんとイヴェントをやったことがあると言う。この日は見つけられなかったのだが妄想上のそのカフェと『ロビンソンの庭』の風景とが見事に重なりああここには80年代に夢見られたいびつな理想郷の空気も流れ込んでいるのだとその広がりに気づく。東京での仲間でUターンした人や結婚を機にこちらに移住した人とかがそこそこの数いると湯浅さんは言っていた。山と海で閉ざされた土地だが外部の人間たちを受け入れるおおらかさがある。

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そして昼飯は甫木元推薦の四万十のうなぎを意気込んでいたのだが時間切れで高知市内に戻り、同じく甫木元推薦の1軒に。岐阜のワイルドなうなぎとは違い蒸してないバリバリとしたワイルドな食感を残しながら上品で繊細。うなぎ嫌いの妻もしっかり食っていた。
その後、牧野富太郎植物園に。すでに行った友人たちからの情報は得ていたがとにかくとんでもない。いや、こんな広さと植物の数を60年以上もどうやって管理してきたのかともはや管理不能としか思えないその風景に圧倒される。全部見るのは早々に諦める。北園と温室。見ているうちにその植物たちの息遣い、そこから吐き出される空気に体が浸されて時間と空間の感覚がどんどん広がっていく。1000年単位で物事を考える。1000年単位で生きる。そんな決意が湧く。現在に目をつぶるということではなく、その現在と1000年単位の時間で向き合い考え行動する。焦らない。人間たち動物たちは目先のことで殺し合っているがふざけるなわれわれは1000年後も生き延びてそこでも地球は緑に覆われて豊かな活力を湛えた実を実らせ動物たちに提供するだろう。にわか植物人間の妄想が広がる。四万十といい牧野富太郎植物園といい今回に限らずまた次、また次と繰り返しやってくることになるはずだ。終わりはない。

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1月23日(火)
高知から東京へ。高知の6日間が果てしなく長い時間となってまとわりついてくる。脳内に四万十や植物園の植物たちが密集して渦巻くまま帰宅するとなんと自宅の鍵をなくしていることが発覚。幸い妻が一緒だったので事なきを得たが事務所の鍵も同じキーホルダーにつけていたので慌てる。ホテルに電話しても届けられておらず、振り返ると羽田の保安検査場でポケットから出してからの記憶がない。でももう今更どうしようもないとあきらめていたら妻に怒られちゃんと電話しろと。ぐずぐずしていたら妻が電話して問いあせたもののやはり届け出はなし、あとは全日空に連絡せよと羽田の担当者から進言があり問い合わせたもののやはりなし。どうにもならずいきなり大不快。そのまま高知にいればよかったと思うばかりである。
 
 
 
1月24日(水)
約1週間も留守にすると社長仕事を始め各所への連絡が山積みで全部放り出したい欲望にかられながらも地味に作業をこなし、昼から事務所へ向かうためふといつもの鍵置き場に目をやるとなんと鍵がそこにあるのである。いったい何が起こったのか。高知で落としたはずの鍵。呆れるが結論としては鍵を持って出なかった、ということになる。羽田の保安検査場でポケットから鍵を出した記憶は完全に捏造ということになる。以前のスーツケース事件を思い出す。あの時は返した記憶もその時の映像も状況もものすごくはっきり残っているのに3か月後に部屋の中からスーツケースが出てきて唖然、借主に連絡すると返してもらっていないという返事、というやつだった。3か月間スーツケースが見えてなかったというのもすごいが。いずれにしても今回もそれに近い記憶捏造編。これからどんどん増えていくことになる。
夜はサハラの音楽の続きでTARTITの2006年のアルバム『abacabok』。こちらは植物ではなく砂漠の思想といったらいいか。小さな砂のひと粒ひと粒が風に吹かれ散っては集まり散っては集まりして不定形の形を作っていく。やはり決して終わることのない時間がそこには流れる。この砂漠の豊かな時間と風景を自らの規格に従わせ支配しようとする西欧列強の行いが近代史なのだとするなら、サハラの遊牧民たちは決してやむことのない風とそれに乗る砂たちの変容の力によっていつの日かその近代史を覆う。スティーヴ・エリクソンふうに言うなら、アメリカ1の根底を流れるアメリカ2が時折アメリカ1の中に顔を出すアメリカ1の裂け目から聞こえてくる音楽ということになるだろうか。大所帯が奏でる独特のギターとパーカッション、そしてコーラスのアンサンブルが終わることのない「時」の力を伝え誰もこれを断ち切ることはできないと語る。
 
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1月25日(木)
朝から調子悪い。昨夜の残りのスープで作られた雑炊を食したのだがめちゃくちゃ甘くて酸っぱい。疲れで味覚異常が復活ということで諦めて無理やり食っていたのだが、ふと見るとポン酢だと思って雑炊に振った液体がなんとドリンク用のリンゴ酢エキスだったことが判明。甘くて酸っぱいわけだ。愕然とするばかり。確かに似たような形の瓶で冷蔵庫の蓋の瓶入れ場所に並んで置かれていはするのだが。しかし味覚異常が長引いているとこういった失態にも気づかない。つまり腐ったものを食っても自分の味覚の問題だと処理されてさらにひどい目に遭うことになる。こんな状態が元通りになるまであとどれくらいかかるのだろうか。
それやこれやしているうちに気が付くと目が回っている。くらくらで立っていられない。メニエルのめまい発症である。慌ててめまい止めを飲むが簡単には治らない。身動き取れず。15時30分に湯浅さんと待ち合わせをして『BAUS』の撮影に使うSP盤を受け取らねばならないのだが、時間と場所をずらしてもらう。高知の時間やスピードや風景にすっかりなじんでしまった身体が、東京の時間やスピードや風景を拒否しているのだと思う。しばらく自分のペースで生きないといつまでもこれを繰り返す。慌てて明日の予定をキャンセル、じっと目をつぶること1時間。ようやく落ち着いたところで新宿で湯浅さんと。四万十の話や今年の湯浅湾の予定などを。
 
 
 
1月26日(金)
朝からジョニー・アダムスで盛り上がる。頭はまだクラっときているがこういうのを聴いていれば大丈夫である。ニューオーリンズのサザンソウル・シンガーである彼がテネシーのレーベル「スリーエス」に移籍して発表したシングルを集めた日本編集盤『SOUTH SIDE OF SOUL STREET』。冒頭の「Reconsider Me」から最高でメニエルのめまいのままぐるぐると空に舞い上がり広い視界を獲得する。そんなことを妄想するのは、やはりスリーエスからリリースされた「Reconsider Me」収録のアルバム『heart & soul』のジャケットのせいだと思う。以前山口でやったアナログばかの時に同じアルバムから「Georgia Morning Dew」をかけたのを三宅が覚えていて、何年か前のYCAM爆音のスピーカーテストのときにこの曲をアイホンから素早く取り出したのを憶えているのだが、とにかくそれくらい印象的な声なのである。そしてその声をさらに輝かせるギターの透明な響き。今こうやって聴くと当時のヴァン・モリソンはこういったサザンソウルを死ぬほど聴いて身体に叩き込んだのだなと思う。そんないろんな思いがこみ上げてきてウルウルしていたのだが、なんと、この日本編集盤を2枚持っていることが発覚。いやまあ別に珍しいことではないのだが……。

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1月27日(土)
朝から『BAUS』の撮影お祓いである。渋谷にある某所にて。こうやってスタッフが集まってみると本当に若い。今回はこの若さにかけようということで普通にやったらいったいいくらかかるかわからないようなシナリオの映画化となったのだがそう思うと頼もしくもある。早朝の冷たい空気が気持ちいいと同時に体は次第に冷えて長時間はいられない。これからの撮影はこの寒さの中で行われることになる。もちろん、北国や山中での撮影に比べたら全然ましだがとにかく皆さん体調壊さず無事乗り切ることを願うばかり。

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その後、たまたま東京に出てきたboid関西支社長とともにsoi48のふたりと本当に久々に会って3月からのboidマガジン連載の話。台湾、タイ、カンボジアなどをめぐってきた彼らの地下アジアのクラブ事情の話はものすごく、それはもう音楽の話だけではなくそのまま政治と経済の問題に直結する。そこに横たわる国家や民族間の差別や貧困が新しい動きを作り出しているということらしいのだが、とにかく連載ではそのあたりの話を中心に彼らの見たアジアの地下世界を描き出してもらうことにする。あとはもっぱら病気の話。わたしも含め、周り中が病人だらけである。元気だったらその後『すべて、至るところにある』の舞台あいさつに顔を出そうと思っていたのだがさすがに早起きでエネルギー切れ。
帰宅後ぼんやりしながらラヴァーン・ベイカーが50年代後半から60年代初めにATCOに遺した曲を集めた『Her Greatest Recordings』。冒頭から彼女のヒット曲のオンパレードなのだがシンプルなロックンロールの3分間の物語の連続に心が躍る。ヒットするかしないか、ヒットしなかったらそれっきりという潔さと残酷さも含めた「愛のさざ波」である。シングル盤の持つ軽さに救われる。中ジャケのデザインもいい感じだ。当たり前のようにこういったレコードが作られた時代があった。

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1月28日(日)
顔を洗っていたらいきなりガツンと揺れた。震度4。いよいよ東京か、ということで実際に地震が来たら猫たちをどうするか再確認。被災地のペットたちのことを思うと胸が痛んで何もできなくなる。人間たちに飼われなかったらもっと違う生き方も死に方もできただろう。
午後からは久々に草野なつか『王国(あるいはその家について)』。2月1日のトークのために観なおしたのだが、冒頭の逆光でとらえられた木々のショットで驚く。ああこんなショットから始まっていたのか。途中で歌われる「荒城の月」の歌詞、「むかしの光 いまいずこ」というフレーズから始まる映画といったらいいか、繁栄と没落を繰り返す「王国」の終わりなき反復を照らす光が映し出す3人の男女の物語。いやそれは果たして3人なのか、ふたりの物語ではないのかという危うい影を引きずりつつ一方で「言葉」の形式やルールが作り出す「領土」と「領土」との争いの物語としてそれはある。その意味で西欧社会の力によって砂漠を追われたサハラの遊牧民たちの音楽が一方でこの映画にはふさわしいのではないかと思ったりもした。また「映画」という言葉の問題をそこに置いてみると、ふたりの女性たちよりおそらく少しは映画の言葉になじんでいるはずのひとりの男性のしぐさや言葉遣いと、ふたりの女性たちのまだ映画の言葉になじんでいない言葉遣いとが時間をかけて馴染んでいく時間の物語ということもできる。これはふたつの時間の和解ということではなく、ある時間をかけて作られた映画の言葉がそれと同じくらいの時間を感じられるくらいの濃密な時間を経て溶解し、映画の言葉以外の言葉を理解するようになると言ったらいいのか、厳密に作られていたはずの映画の言葉の脆さをその映画の言葉から漏れた言葉が抱える時間の広がりと強さが次第に暴き出していくその時間が映し出されていると言ったらいいのか。風に乗る砂、水に流される藻屑たちの抱える時間の果てしない視線がそこにある。冒頭の木々を映し出す光もそんな視線がとらえたものなはずだ。

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『王国(あるいはその家について)』
2018年/カラー/スタンダード/150分
監督:草野なつか 脚本:高橋知由 撮影:渡邉寿岳 音響:黄永昌 助監督:平波亘 美術:加藤小雪 衣裳:小笠原由恵 ヘアメイク:寺沢ルミ 編集:鈴尾啓太、草野なつか エンディング曲:GRIM「Heritage」 エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司 プロデューサー:鈴木徳至 企画:愛知芸術文化センター 制作:愛知県美術館
出演:澁谷麻美、笠島智、足立智充 配給:コギトワークス
全国上映中!
公式サイト

 
 
 
1月29日(月)
早朝から井の頭公園、それから山梨の実家へ。起きたときは寒くてその後が思いやられたが、井の頭公園に着いたときはどちらかというと早朝の空気が気持ちいいというさわやかな気分となり陽だまりはもうぽかぽかで早起きのありがたみを知る。そして山梨の実家では『BAUS』ではない某作品の撮影。我が家のシーンは本日が最終日ということで様子を見に行ったのだった。従妹も叔母も、こんなことは今後2度とないかもということで盛り上がっている。なにもないド田舎暮らしのいい刺激にもなったようでよかった。住む人のいなくなった実家も思わぬ状況を喜んでくれていると思う。叔母から白菜や大根などをもらいそして近所の道の駅では蓬莱軒のラーメンをついに手に入れる。余裕をもって甲府に着いて店に顔出せばいいだけで店で食ったほうが断然うまいに決まっているのだが、気づくといつもギリギリで甲府駅で走ったりしているのであった。本日も甲府駅で中央本線から身延線への乗り換え時間を確認したにもかかわらず、なんと乗換案内の時間が間違っていて危うく乗り遅れるところだった。せっかく早起きしたのにやはりギリギリ。とにかく今回は蓬莱軒に行くと決めてから山梨に向かうしかない。とはいえ家で急にラーメンが食いたくなるときもあるわけだから、そんなときのための買い置きである。荷物がしっかり重くなった。明日は手術後半年の大検査。これで今後の運命が決まるのだが、どうなろうとご機嫌で行くしかないわけだから無理しない。もうちょっと頑張ればあれもできるこれもできると思うことはあるがすべてそのときの気分と体調次第。明日も朝は早い。
 
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1月30日(火)
朝9時に病院に間に合うように目覚ましを合わせて起きたのだが、検査なので朝食抜き。その分眠れるはずだったのに無駄に早起きをしてしまった。久々の病院で血を抜かれ、そしてもう片方の手には造影剤を入れられてCTスキャン。血管への注射はもうすっかり慣れていたはずだったのだが2か月の間に感覚を忘れドキドキした。そして忘れていたのだが造影剤が注入されると口の中がカーッと熱くなる。熱くなりますよと説明を受けても熱くなる。それ以外は何事もなし。ただ検査結果は思いもしないものだった。このまま何とか5年間逃げ切れないかと思っていたのだが、最初から引っかかってしまった。簡単にはいかない。何度も引っかかって手術も繰り返したものの逃げ切った人もいるわけだから絶望的な状況ではないのだがそれでも意気消沈。この半年をやり直し。いやさらに仕事を減らし体と病気に向き合っていくことになる。ここまで来たらわがままを言わせてもらうしかないのだが、とはいえboidマガジンなど何だか面白くなりそうな気配満々でいきなり最初から私がリタイアなのか。しかしリタイアしつつでも面白くできるようにという意味も込めてboidマガジンの有料化とそれに伴う編集体制を決めたわけだからこれはこれで良し。もうちょっとで勝手に何かが巡り始めるだろう。午後からは『BAUS』撮影現場に行こうと思っていたのにままならず。どうにも納まりの悪い日になった。
 
 
 
1月31日(水)
かつて味わったことのない目覚め。もし検査に引っかかるとしてももうちょっと後だろうと思っていた時間の持続をいきなりカットされた初日の始まりということになる。その初めての感じとどう向き合うかまったくわからぬまま時間だけが過ぎる。バタバタしているうちに打ち合わせの時間となり事務所に。宣伝を引き受けた某ミュージシャンのドキュメンタリーのための書籍を作ろうというのである。わたしがこんな状態なのでこの案件をほぼお任せできる編集者といったら松村(正人)くんしか思いつかず、5月公開というタイトなスケジュールの中で何ができるかという話。権利の関係上パンフレットが作れないのでその代わりの書籍で、これまでのboidの「読本」シリーズと同じ主旨なのだがその分写真の使用にも権利と料金が発生し、ビジュアル面ではあきらめることの方が多くなると思う。こういったときの「権利」の問題は本当に難しい。写真やジャケット、ポスターなど、ビジュアル一般の世界的公的なアーカイヴづくりをだれかやってくれないだろうか。現状ではある写真を使いたい場合その写真の権利者に利用者が個別にアクセスしてやり取りするしかないのだが、いったいそれにどれくらいのエネルギーと時間がかかるか、そしてそこでの権利料の法外な要求にどれだけ苦労するか、そんなことを考えただけですべてを放棄したくなる。そうではなく公的な機関が管理し、リーズナブルな使用料を決め、世界中どこからでもアクセス可能なシステムを作る。いきなり完璧なものはできないわけだからできるところからやり始めるという第一歩がすぐにでも踏み出されることを願うばかりである。戦争してる場合じゃない。
その後、斉藤陽一郎、三宅唱がやってきて、boidラジオの第1回配信分の収録を。三宅の新作『夜明けのすべて』が2月9日公開ということでその宣伝も兼ねての回、である。いまだに番組のテーマ音楽、ジングルは決まっておらず、単にわたしの怠慢のなせる業なのだがお願いできる人間が多すぎてその選択肢の前でおろおろしているうちに第0回の収録から1か月が経ってしまったという次第。そんな話から始まったのだがその流れの中でまず誰にお願いするかが偶然決まる。この際私の知らない人にお願いという思い切った結論となった。まあ、断られるかもしれないのだが。そうなるとさらに知り合いにはお願いしづらくなるのをこの時点ではよくわかっていなかった。致し方なし。
そして『夜明けのすべて』の話はもう、思わぬレアな話や爆笑の連続。おそらく配信される際には40分くらいになっているかと思うが2時間ほど楽しく話した。いや、こんな面白い回を第1回からやってしまって次回以降が大変。と思わざるを得ないくらいいろんな話が飛び出し、通常のインタビューとはまったく違う展開で映画が語られていく。これをまとめる今野恵菜の作業はとんでもなく大変ではないかと思われるがその結果どんなものになるか。皆様必聴です。
その後、大久保のいつもの店でタッカンマリ。陽一郎も三宅もタッカンマリは初めてとのこと。3人ともしゃべりすぎ笑いすぎですっかり腹が減って必要以上に注文してしまった。ここに来ると大体そうなるのだが。それやこれやで検査のもやもやがいきなり吹っ飛んだ1月の終わりであった。帰り道、新大久保駅手前でスマホを店に置いてきたことが発覚。もうどんどん自分のコントロールができなくなる。ゴースト化は着実に進んでいく。

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樋口泰人

映画批評家、boid主宰、爆音映画祭プロデューサー。98年に「boid」設立。04年から吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画・上映。08年より始まった「爆音映画祭」は全国的に展開中。著書に『映画は爆音でささやく』(boid)、『映画とロックンロールにおいてアメリカと合衆国はいかに闘ったか』(青土社)、編書に『ロスト・イン・アメリカ』(デジタルハリウッド)、『恐怖の映画史』(黒沢清、篠崎誠著/青土社)など。