ペテルブルグ印象記 第7回

ロシアのサンクト・ペテルブルグに留学した映画研究者・映画作家、小手川将さんによる「ペテルブルグ印象記」第7回は2023年4月から5月にかけての記録。ペテルブルグの路上アート集団「ヤフィ(Явь)」(日本語で「現実」の意)の作品と友人たちやタルコフスキーの言葉から広がった、戦時下にありながらも戦争を身近に感じることのない「現実」をめぐる思考の跡が刻まれています。

言葉拾い



文・写真=小手川 将


病院で背骨の状態を診てもらった帰り道、もうほとんど痛みがなくなったし太陽も出ているからと普段は足を運ばないエリアをぶらぶらと散歩していると、斜向かいの道端にたむろする軍服の男たちが談笑している。ざっと10人くらいだろうか。剣呑な雰囲気はないが、町中で軍服を見かけるのにはどうしても慣れず、少し緊張しながら遠目に観察してみると、みな負傷しているのがわかった。半数ほどは片足か片腕がなかった。ぎょっとした。突然、生々しいリアルな世界に衝突してしまったような気がした。戦地から程遠いペテルブルグの町に暮らし、プロパガンダの薄膜に包まれながらインターネットで仕入れる情報をもとに戦争はいつまで続くのかと「戦争」という語を口にする日常にいて、僕が真に戦争に直接触れたのはあの時だけだったかもしれない。
陽光に明るく照らされた路上の軍人たち。今となってはあの光景も白昼夢のように思える。


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サンクトペテルブルグ国立大学の中庭に植樹された一本の桜

 
日本に住んでいる人々の大半は戦時下のロシアで生活するなんて危険だと考えるだろうし、実際、渡航前には友人知人から心配や激怒の言葉を投げかけられた。でも、ここに住んでいると、恐ろしいほど戦争が遠くに感じられてしまう。そんな話をゲルツェン大に通うロシア人の友人にすると「まあ心配されるのも無理はないけど、敵対行為がロシアの領土に完全に進出しない限りは大丈夫だろう」という朗らかな返事。
また、薬剤師をしている別の友人によれば――「政治は複雑で、私たちに変えられることはなくて、できることは核戦争のない日常を楽しむことだけ」。狭い私見ではあるが、都市部に暮らす中間くらいの階層の若者たちはおおよそ、こうした感覚を共有しているのではないかと思う。
「まあでも実際、戦争が始まる前からここに住むのは怖かったよ。男たちのメンタリティのせいでね。今の戦争は、町の路上で出くわす危険な人たちほど警戒する必要はないと思ってる……」
 
ソ連崩壊直後の90年代に日本からロシアに留学していた先達に話を聞くと、ロシアンマフィアが町中をうろうろしていたとか、理不尽な理由で警察に捕まって数日勾留されたとか、かなり危険な経験談がぽんぽんと出てくる。比べてみれば今のペテルブルグでの生活はよほど安全である。
だが、そんな比較に何の意味があるのだろうか。どうにかして今のありふれた日常に納得したいだけではないのか。あの頃と比べれば今は……というのは素朴な進歩史観に基づく楽観主義である。しかしまた私たちは過去と比べることなしに生きていくことはほとんど不可能でもあるだろう。
とある舞踏家の友人が2002年に放映された『ブリガーダ(Бригада)』というテレビドラマを紹介してくれた。1989年から2000年までのロシアを舞台にして、裏社会に生きる人々の栄華と零落を描く物語である。聞くと、その友人は父が実際にこの波乱の時代を生きたギャングの一員だったらしい。父は自分を愛してくれていたけれど良い人間だとは言えなかったし、ずっと母と私と別居していたんだ。今はどこで何をやっているのやら。父との思い出は幸せなところもあるけど、やっぱり今の生活のほうが大切だよ。まあそういうわけで、ロシアにはこんな時代があったと知るのもいいかなと思ってね。
あまり面白くなくて3話で観るのをやめてしまった。


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4月21日、実際に国際宇宙ステーションで撮影したというクリム・シペンコ『挑戦(Вызов)』を観る

 
「時々、ニュースを読んでいて、核攻撃で何もかも滅亡するのではないかと静かに期待してしまうこともある」
世界の終末を漠然と夢想するとある女友だちの言葉には、実際に起こっている惨事の光景を半透明にする魔力があった。
アパシーってやつかな。そう言ってみると、いや、そこまで強い意味ではなくて、私の中にはロシア的なポフィギズム(пофигизм)の血が流れているんだという。社会や未来に対して無関心っていうわけではないんだけど、ただすべてに意味がないような気がして、どうせ何もかも予測不可能なら、いつも心配し続けられるほど神経を尖らせて生きていけないし、それなら私は賑やかに生きていたいってだけ。
ある種のシニシズムだろうか。アレクセイ・ユルチャクが後期ソ連の世代を論じて、権力に抵抗するのではなく、現状に甘んずるようなかたちで自分たちの個人的な自由を確保する人たちの姿を描き出していたのを思い出す。ブレジネフ体制の時代と現在のあいだには、どこか似ているところがあるのかもしれない。
「予測不可能な世界にこそ希望はあるとも言えるんじゃないか」と、空疎に響くと思いながら僕は言葉を返す。
「希望があるとかそういうことじゃなくて、これはただの事実だよ。でも悪いことではない。この考えから得るべき教訓は、生には常に現在しかなく、未来は存在しないということだね」
 
生には常に現在しかない……さしあたって問題は将来への不安が無関心へと転じてしまうところにある。集団的な未来を想像できないことへの不安、俯瞰の困難。それらに抵抗することをやめた人々は挫折もしないが希望もなく、それでいて安住できる甘美な現在を見つける。
1981年4月、イタリアで『ノスタルジア』の制作に着手していた頃、ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーはある新聞のインタビューを受けており、「私たちの時代や未来についてどう考えているか」という質問に対して以下のように答えている――「かつて未来はどこか遠く、地平線の彼方にあった。今、未来は現在と融け合っている。この事態に人々は備えることができていると言えるだろうか。私たちの時代は過去とは異なり、未来は私たちの眼前に、手中にある。未来がどうなるかは、私たちが今何をするかによって決定する。(…)以前のように歴史が滞りなく流れ、未来がおのずとやってくると信じて自己慰撫に堕してはならない」
世紀末が近づきつつある時代にあって世界の新たなヴィジョンを構想しようとする、ほとんど祈りに近い希求と警告。しかし現実には21世紀になっても新たなヴィジョンなどどこにも生まれず、20世紀が繰り返されているように、あるいはその磁場に激しく囚われているように思える――深い悔恨なしに。
もう一つの問題は過去とのかかわりにある。記憶と記録、それらの破壊と忘却にかかわる問題である。
2001年3月、バーミヤン渓谷の仏像破壊に際してイランの映画監督モフセン・マフマルバフが著した小論「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」が思い起こされる。タリバンによる歴史遺産の爆破、それを引き起こした宗派対立。アフガニスタン内戦はもとを辿れば1979年のソ連による侵攻に至り着く。あの時もソ連と西側諸国の対立という大きな図式が現実の細部を上塗りするように機能していた。


 
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ヤフィ(Явь)の作品「Russian Cyberpunk」

 
ヤフィ(Явь)のストリートアートを見たことを思い出す。5月8日正午のことだ。テレグラム上で作品完成の通知が来て、設置されている場所が寮の近くだったこともあり飛んでいった。
ヤフィというのは主にペテルブルグの路上をカンバスとして活動するアートグループで、リーダーを務めるアナスタシア・ヴラディチキナは法学修士の学位を持っている。アートにかかわる多くの人間が国外に脱出したロシアにおいて継続的に制作し、作品が完成すれば写真と住所を付してテレグラムで発信しているのだが、たいてい半日もかからぬうちに警察によって撤去されてしまう。だから実際に作品を目にすることができるのはきわめて稀である。
テレグラムでの説明によれば、この作品は「ドレスデンにあるドイツ連邦軍(反)軍事史博物館の展示から着想を得ており、本物の義肢を使用している」とのこと。通知が来たのは12時過ぎ。指定の住所に急ぎ向かうと、瓦礫とごみが散乱するがらんどうの廃墟だった。住居や事務所の立ち並ぶ町中の道沿いにぽかんと生じた荒地はドラッグの取引に使われそうな――事実、作品が設置されていたオブヴォドニ運河沿いはフードデリバリーの配達員に扮したプッシャーの仕事場として知られている――危うい雰囲気で、こんなところに立ち入っていいものなのかと怯みながらこそこそと探してみると、壁に白色のテープで描かれた三つの人型が現れた。それぞれ腕、足、口の部分に天井から吊るされた補装具があてがわれている。
反戦的な意味が込められているのだろうか。しかし薄青色で何らかの紋様が描かれた補装具は単に美しい装身具にも見える。解釈の難しい作品だと思った。他には誰も見に来ている人はいなかった。
その後、15時ごろには何者かによって作品が撤去されたとテレグラムのチャンネルが更新された。あまりに迅速な撤去に驚いたし、何を根拠としてかような速度で対応しているのか謎である。ヤフィが制作したものだからか、あるいは建造物を損壊したからだろうか――すでに損壊しているのに? ロシア当局の行為に対してそんな詮索を試みても徒労かもしれない。
後日調べてわかったことだが、この作品が存在していた廃墟にはかつて文化センターがあり、建物が老朽化したので改築が決まって、2023年までには全面的に修復すると政府が約束していたのに放ったらかしにされているようである。数日後に同じ場所を訪れると、作品が描かれていたコンクリートの壁だけ上からペンキが綺麗に塗り直されていた。部分的にでも建物を修復させるという狙いがあったのかどうか知らないが、いずれにせよそこに描かれた犠牲の表象は即座に、跡形もなく廃墟に埋もれた。これに限らずヤフィの作品の多くはインターネット上にアップロードされた記録映像を通してのみ見ることができる。
 
2022年10月29日にバーで一緒に飲んだのをきっかけに、11月22日にはコムナルカの一室でインディアンポーカーをやり、しこたま酒を煽りながらエリツィンの演説映像を見て年越しを共に過ごした友人から、ウクライナで親友が死んだとビデオメッセージが来る。彼は22歳だった。これまで特別軍事作戦のことなんてまったく気にしてなかったけど、人生がひっくり返ってしまったみたいだ。彼は英雄的な死を遂げたんじゃなくて、ただミサイルが飛んできて跡形もなく消えた。そのことを知っておいてもらいたいと思ったんだ。これ以上は何も言葉が見当たらない……。
誰か本当の現実を見せてくれ。雲が晴れて白夜が近づき明るみが増していけばこの町の何かが明白になるだろうと期待していたいつまでも異邦人の、誰かよりも多くを知った気になっている賢しら口に嫌気がさしてくる。4月から5月にかけて急速に広がっていった人間関係の輪にいて、僕は他人の言葉を聞き入れる瓶のような心持ちでいた。自分の言葉に信頼が持てなくなったからだ。日々のメモも途端に書けなくなった。
しかし誰も言葉を発する自由を止められはしない。自分なりに他人の言葉を書き留めていくという行為が僕の異国生活の感覚をわずかに書き換えていき、同時に、言葉それ自体が誰のものでもあるような場に残っていくように思えた。
これが妄言に過ぎないのかどうか、この文章は当時の思いを確かめるための実験である。


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戦勝記念日(5月9日)の前日、パレードの準備をしている宮殿広場ではなぜか大音量で英語のポップスが流れていた



小手川 将

主に映画を研究・制作。2022年に監督作品『籠城』が完成。大学院での専門は映画論、表象文化論。現在の研究対象はロシア・ソヴィエト映画、とりわけアンドレイ・タルコフスキーについて。論文に「観察、リズム、映画の生──アンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』の映画論における両義性」(『超域文化科学紀要』26号、2021年)。